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嵩岡町物語-夏-

蛍の約束

 都会から田舎に来ると空気の違いがはっきりと分かった。おいしい空気、というのはこういう物の事を言うのだろう。そんな事を思いながら、笹原ささはらのぞむは約6年ぶりに故郷である嵩岡町たかおかちょうの唯一の駅に降り立った。

「変わらないな、ここは」

 誰に言う訳でもなく呟く。6年。長い様で短い時間ではあったがこの町は何も変化していないようだった。しかし、何も変わっていないというのも考えものである。本当に何も変わってないのだとしたら、この駅から出るバスは2時間に1本程度の頻度でしか来ない。

「歩いていく、っていうのも苦痛だしなぁ……」

 実家までは歩いてどのくらいだっただろうか。いや、そもそも駅から歩いて帰った事などあっただろうか。仮にあったとしても10分やそこらで着く距離ではないはずだ。この暑さの中、歩いていくというのはやはり億劫であった。

「しゃーない、運に身を任せるとするか」

 望は荷物を詰め込んだバッグを肩から下げると、駅の改札をくぐる。運が味方してくれたのか、丁度バスが駅に着いた所だった。すぐに停留所に向かい、バスに乗り込む。彼の他に乗客の姿はなく、車内は実に静かな物だった。バスは彼が乗った後も少し停車していたが、やがてドアを閉め、走り出した。やたらと振動があるのは整備されていない道を走っているからだろうか。

 しばらくバスに揺られていると、目的地の停留所に到着した。望は立ち上がり、降車口に向かう。

「ご旅行かい?」

 料金を払うと運転手が声をかけてきた。

「里帰りです。6年ぶりくらいですね」

「そりゃまた、随分と久々だね。それじゃ気をつけてね」

「ありがとうございます」

 望は笑顔で返すと、バスを降りる。去り際に振りかえると、運転手が軽く手を振ってくれた。望が振り返すと運転手は満足したようにバスを発車させた。こういったコミュニケーションがあるのも、田舎ならではだろう。

「さてと、迷子にならないように気をつけなきゃな」

 生まれ故郷で迷子になった、などいい笑い者だ。あまり迷う様な道でもなかったはずだから問題はないとは思うが。

 畑や森、空き地などの風景を眺めながら歩く。都会にいた時よりも、蝉の声が多く聞こえた。その声を聞いていると、分かれ道に差し掛かった。

「……まいったな」

 どちらに行けばいいのか分からない。やたらと進めば迷うリスクが大きくなる。しかし、かといっていつまでもここに突っ立っている訳にもいかないだろう。望は仕方なく、足元に落ちていた木の枝を立てる。そして、支えている手を離す。木の枝は支えを失い、左側に倒れた。望はそれを頼りに左側の道を進んでいった。


どれだけ歩いただろうか。恐らく10分ほどは経ったような覚えがある。こんなに遠かった覚えはないが、なんとか実家にはたどり着けた様だ。少し古びた木造の家。近くにはちょっとした森があり、小さい子供なんかがよく遊んでいたりする。といっても本当に小規模な為、虫取りなんかには少し離れた場所にある神社の近くにある森の方が適している。

 そんな望の実家の玄関口に人影があった。その人影は彼の姿を見つけると駆け寄ってきた。

「お兄ちゃん、お帰り」

「おう、ただいま。久しぶりだな、さく

 そう言って望は駆け寄ってきた少女の頭を軽く撫でてやる。彼女の名は朔。彼の妹で、今は中学3年生あたりだったか。

「それにしてもお兄ちゃん。なんでわざわざ遠回りして来たの? 向こうからならもっと早く着いたと思うけど」

 朔はそう言いながら、望が来たのと違う方向を指さした。……どうやら彼は賭けに負けた様だ。


 まだここに住んでいた頃使っていた部屋は、彼が都会の方に持って行った荷物以外全てそのままの状態で保たれていた。朔の話では、両親がいつでも帰ってきていいようにといつも掃除などをしてくれていた様だ。とりあえず持ってきた荷物をベッドの上に放り投げる。都会のアスファルトによる反射熱攻撃はないにしろ、夏の暑さは体の温度を上げるには十分すぎた。今着てる服は汗でじっとり湿っていた。

「お兄ちゃん、くー出掛けてくるね」

 小さな鞄を肩から下げた朔が望の部屋を覗きこんで言う。

「こんな時間からか?」

 望は時計を確認する。時計はもうすぐ3時である事を示していた。

「うん。お兄ちゃん待ってたから。くーが出ちゃったらお兄ちゃん、お家入れないし」

「……遅くなってごめんな」

 申し訳なさでうなだれる。

「シャワー、使う?」

 朔は汗まみれの望を見て言う。流石にこのまま過ごすのも気持ちが悪い。

「そうだな。使わせてもらうよ」

「ん。じゃあ出かける前に準備しておくね」

 あと、と朔は続ける。

「久しぶりなんだし、街、少し歩いて来たら?」

「……そうだな。夏休みの間はこっちで過ごすんだし。正直全然道とか覚えてないからな。少し歩き回ってみるか」

「じゃあこれ。くーの携帯の番号。迷子になったら使ってね」

 朔はそう言うと、少し嬉しそうに小さく切った紙を手渡してきた。その紙には女の子らしい可愛らしい字で電話番号が書かれていた。……本当はこれを渡したかっただけだったりするだろうか。

「出来れば使いたくはないもんだな。一応、これが俺の番号な」

 望は机の上にあった紙を適当に引っ張り出し、自分の携帯の番号を書く。本当は赤外線通信で交換すればいいのだろうが、朔がせっかく手書きの紙を用意してくれたのだからそれに倣うべきだろう。朔はそれを嬉しそうに受け取ると、部屋を出て行った。


 朔が出かけた後、望も軽くシャワーを浴び、着替えてから外に出た。相変わらずの熱気で、家の中に引き返そうかとも思ったがその気持ちをなんとか押しとどめ、歩き出す。特に向かう場所などは決めてない。これといった思い出もないため、思い出巡り、なんて事も出来ない。散歩。それが目的の様な物だった。しかし、都会での暮らしに慣れた彼にとってはそれもまた新鮮な物だった。

 しばらく蝉の声を聞きながら歩いていると、車が通る事すらできない様な細い道の先に小さな公園を見つけた。人の気配が感じられない淋しい場所だったが、周りに大きな木が多く生えているため、公園全体がほぼ日陰になっていた。

「少し休むか」

 暑さによって体力がいつもより早く消費されて行っている気がする。日陰が多いこの公園は休憩するにはちょうどいい場所だ。

 公園に入ってすぐ目に飛び込んできたのは、動くブランコだった。正しくは、ブランコに乗った、制服姿の少女だった。風が吹く度に彼女の綺麗な長い黒髪が揺れていた。

 一歩踏み出す。その足音で少女は望に気がついた様だ。目が合う。整った顔立ちで、しかしどこか儚げで。病弱なお嬢様。そんな雰囲気を醸し出していた。

「あれ……? 君……」

 少女が呟く。彼女には見覚えがあるみたいだが、望には全く記憶にない。そもそもこの少女、どうみても中学生か、高校生だ。そんなに歳の離れた知り合いは朔の友達程度のものだ。

「人違いじゃないか?」

 少女が言葉を続ける前に、彼はそう告げる。少女はそうだよねと呟いて再びブランコを揺らし始めた。望はそんな彼女の隣のブランコに腰を下ろした。どうやらここは丁度風が吹き抜ける場所らしく、夏の暑さを感じさせないほど涼やかだった。

「なんで制服でこんなとこにいるんだ?」

 望は気になっていた事を尋ねてみる。今、学校は夏休みのはずだ。それなのにこの少女はなぜ制服を着ているのか。

「あ、えっと……。それはいろいろありまして……」

 少女はそう言うと苦笑いをした。よほど後ろめたい理由があるのだろう。例えば補習をサボったとか。

「ま、そういうことなら聞くのはよそうか」

 無理に聞き出すようなことでもないため、そこで話を切る。また、風が吹き抜けた。

「君……あ、いや、えぇと。あなたは……」

「望だよ。笹原望」

 呼び方に困っていた少女に名を告げる。その名を聞くと、少女は少し顔を柔らかくした。

「望君、でいいかな? 私は霧宮きりみや明日香あすか

 明日香と名乗った少女はそういって微笑む。正直、ここまで歳の離れた相手に『君』付けで呼ばれるのは抵抗があるが、それを言い出す気にもならなかった。どうしてか、彼女にそう呼ばれることが自然な気がしていた。

「それで、望君はどうしてここに?」

「散歩だな。大分長い間ここを離れてたから」

「この町に住んでるわけじゃないの?」

「あぁ。居住は都会の方だな。社会人2年目にしてようやくまとまった休みが取れたから実家に来てるって感じだな」

「へぇ……。もうそんなに経ったんだ……」

「は?」

 望が聞き返す。そんなに経ったとは何のことなのか、見当もつかなかった。

「あ、いや、なんでもない。こっちの話」

 明日香は慌てて誤魔化した。望は疑問を持ちながらも、深くは聞くことはしなかった。

「明日香は高校生あたりか?」

「え? あぁ、うん。そうだよ」

「どこの学校だ?」

 本来なら、制服で学校を特定することが出来るだろうが、望は母校の制服すら覚えていない始末だ。他校の制服など覚えている筈もない。

 明日香は一呼吸置くと、どこか懐かしむ様な声で答えた。

「嵩岡第一高校、だよ」

 そこは、この町の真ん中あたりのクラスの高校で、望の母校であった。

「……制服、そんなだったか?」

「去年変わったんだよ」

「へぇ……」

「どう? かわいいでしょ」

 明日香はそう言うと立ち上がり、望の前でくるりと回って見せた。

「そうだな」

 望がそう答えると、明日香は満足そうに微笑んだ。

「あれ? お兄ちゃん、こんなところにいたの?」

 呼びかけられ、公園の外に視線を向けると、朔が立っていた。

「あぁ、ちょっと休憩しにな」

「そっか。くー、もう帰るけどお兄ちゃんどうする?」

 朔のその言葉で腕時計を確認する。どうやら家を出てから2時間ほど経過しているようだ。

「そうだな。俺もそろそろ帰るか」

 望は立ち上がる。それと同時に、明日香が彼の手を掴んだ。

「明日……も来てくれる?」

「そうだな。どうせやることもないんだし、喋りに来るよ」

「うん! じゃあ待ってるね!」

 明日香は嬉しそうに微笑んだ。

「お兄ちゃん、明日香さんの事……」

「さ、朔ちゃん! しー!」

 明日香が慌てた様に、朔に向けて黙る様にジェスチャーする。

「なんだ、知り合いだったのか?」

「う、うん。まぁね」

 明日香はそう言いながらも苦笑いを浮かべた。その日はそのまま別れを告げて、家に帰った。


 夢を見た。といっても、どこかぼやけていて、どんな内容なのか、あまりわからなかった。中学生くらいの少年が、一人の少女と何か話をしていた。それらが誰なのか、どんな話をしていたのか。全く分からなかった。


 翌日、望は約束通りに公園に行くべく、昼食を取った後、簡単に支度をして玄関に向かった。

「あれ? お兄ちゃんもう行くの?」

 今まさに玄関を開けようとした時、後ろから朔が声をかけた。

「……お前、凄い格好してるな」

 振り向いた先に居た朔は白いワンピースに麦わら帽子をかぶり、肩から虫かごを提げ、手には虫取り網が握られていた。

「うん。ちょっとみんなで森に行く事になったから。お兄ちゃんは昨日の公園?」

「まぁな。じゃあ行ってくる」

 朔にそう告げると、望は今度こそ玄関を開け、炎天下の中を進んでいった。

 公園に着くと、望は辺りを見回す。しかし、そこには明日香の姿はなかった。

「まだ来てないのか?」

 確かに、昨日あった時よりも時間は早い。今の時刻は間もなく1時といった所だ。

「しゃーない。少し休んで待ってるか」

 望は近くにあったベンチに座る。この日は風もあまりなく、昨日より暑い気がした。しかし、この公園は相変わらずの快適さを持っていた。望はベンチに寝転がる。少し歩き疲れたのか、少し眠かった。目を閉じると睡魔はすぐにやってきた。


 また、同じ夢だ。しかし、昨日より鮮明に見えていた。

「じゃ……す……い……」

 途切れ途切れだが声が聞きとれた。これは……自分の声か? という事はこの少年はいつかの望自身という事だろうか。では、この少女は……。

 何か大切な事を忘れている。そう感じ、意識を夢に集中させる。しかし、急激に眠気が引いていくのを感じた。


 目を開けると、目の前に少女の顔があった。

「うわぁ!」

 それに驚き、飛び起きる。それに驚いたのか、明日香も同じような声を上げる。

「あぁ、明日香か。すまん」

「いやいや、私の方こそごめんね。驚かしちゃって」

 それから、その日はしばらく他愛もない話で盛り上がった。その途中、望はふとある事を思い出した。

「あぁ、そうだ。買い物頼まれてたっけか」

 家を出る少し前、確か両親にいろいろと買ってきてくれと頼まれていた。

「明日香も来るか? 確か朔が近くにショッピングモールがあるとか行ってたからそこに行くけど」

 そう声をかけると、彼女の顔が少し曇った様に見えた。

「ショッピングモールは……ちょっと……。あそこ、人が多いし、なにより私が……」

 何かを言いかけたが、とりあえずショッピングモールには行きたくないという事らしい。

「じゃあ、商店街の方に行くか。あっちでもそろえられるだろう。わざわざ田舎町に来たってのに人が多いとこに俺も行きたくはないしな」

 望がそう告げると、明日香は嬉しそうに微笑んだ。

 商店街はショッピングモールに比べると非常に小さい。いかにも田舎町の商店街ともいえる様な並びで、駄菓子屋や小さな電気屋などがある。ショッピングモールが新しく出来た今でも、そこそこの人の賑わいがあるようだ。

 望が頼まれた物を探している時、ふと明日香が声をかけてきた。

「ねぇ、あそこ、知ってる?」

 そう言って明日香が指差したのは、駄菓子屋の横の人が入る様な道とは思えない獣道だった。

「あの先になんかあるのか?」

「うん! 蛍が綺麗な池があるんだよ」

 明日香が少し自慢げに話す。

「蛍、か」

 何か、記憶の底をつつくような感覚が起こった。それが何なのかは分からなかった。

「ねぇ、今日見に行かない?」

「そうだな。しばらく蛍なんか見に行った事ないし、久々に行くか」

 そう言うと明日香は嬉しそうに微笑んだ。

 買い物を終え、彼女と別れた後、望は家に戻った。7時ごろに駄菓子屋の前に集合と約束した。まだまだ時間には余裕がある。望は自室のベッドに横になると、少し目を閉じた。


 また、あの夢を見た。今度は、幼い自分が鮮明に見えた。これは……中学生くらいだろうか。

「あぁ、クソ。何で昨日寝ちゃったんだよ……」

 幼い望は教室の様な場所で机の上に突っ伏した。

「蛍、見れなかったの?」

 その傍らで少女がほほ笑みながら言う。

「そうだよ。クソぉ、見たかったのによぉー。お母さん、朔だけ連れて行ったんだぜ? まぁ寝ちまった俺も悪いんだけどさぁー」

「じゃあその代わりに私が連れて行ってあげようか?」

「本当か!?」

 望は飛び起き、少女の方を見る。

「うん。蛍が綺麗な、とっておきの場所、知ってるんだ」

「じゃあ、明日香。今度行こうな!」

 そこで夢が終わった。


 目を覚ました時には、全てを思い出していた。あの公園の事も、明日香の事も、あの約束の事も。そして、彼女がなぜ、今もあんな姿なのかも。時計を見る。時刻は6時半になろうかというくらい。出るにはちょうどいい時間だろう。望は支度をして、玄関に向かう。

「出かけるの?」

 部屋の前に朔が立っていた。

「あぁ、少し出てくる」

「お兄ちゃん」

 朔の横を通り抜けようとした時、朔が彼を呼びとめた。朔の方を見た望の顔をじっと見つめると、彼女はいつもの様な口調で告げた。

「『約束』、やっと果たせるね」

 少し前の彼なら、その言葉の意味がわからなかっただろう。しかし、今の彼ならば、理解できる。

「あぁ、行ってくる」

 朔は静かに手を振って見送っていた。


 駄菓子屋の前には、すでに明日香がいた。

「じゃあ行こうか」

 望の姿を確認した明日香が言う。望が頷くと、彼女は獣道の中を進んでいった。

 少し進むと、獣道は開け、真っ暗な森の中に出た。彼女は数歩進んだ所で地面に座った。望もその横に座る。蛍はまだどこにも見えなかった。

「明日香」

 静かに呼びかける。その声は、きっと今まで彼女を読んでいた時とは違っていたのだろう。

「思い出した?」

 彼女は静かに答える。

 霧宮明日香は活発な少女であった。人当たりも良く、友達も多かった様だ。しかし、中でも最も仲が良かったのは、笹原望だった。大抵の時間を共に過ごしていたほどだった。そして、ある夏の日、明日香は望と蛍を見に行く約束をした。しかし、霧宮明日香は活発であると同時に、病弱な少女であった。約束の日の数日前、難病を発症させ、入院生活を余儀なくされた。望との約束は延期され、しかし、退院したら行こうと新たな約束を交わし、それが闘病生活を送る彼女の励みとなった。しかし、それも力及ばず、望が高校1年の夏、彼女はこの世を去った。

「何で、忘れてたんだろうな」

「望君には辛い出来事だったんだよ」

 明日香はまるで他人事のように呟く。

「高校の制服なのは、行きたかったからか?」

「うん。霊体の私は、生前に触れた物にしか触れない、触れなければ体に反映されないんだけどね。朔ちゃんが高校の制服着て来てくれてね。それに触れたら、こうなれたの」

「朔とは会ってたっけか?」

「朔ちゃんが小さい頃に一度だけね。だから、私の事見えないと思ってたんだけど」

「あいつは変な奴だからな。霊感があったって驚かねぇよ」

「そうだね。とっても不思議な子。それで、とっても優しい子」

 明日香は少し照れくさそうに呟いた。

「そろそろかな」

 彼女がそう呟くと、目の前に一つの小さな明かりが灯った。その明りは瞬く間に増えていき、辺りを薄明るく照らし出した。今まで黒しか写さなかった池は小さな光を反射させ、その光景の幻想さを増していた。

「これが、お前のとっておきか」

「うん!」

 明日香は自慢げに頷く。とても、とても綺麗な無数の蛍火がそんな彼女の顔を照らしていた。

「約束、ようやく果たせたな」

「うん。これで私がここに残る理由もなくなった」

 明日香がそう言うと、彼女の体から蛍火とは違う小さな光がいくつも現れた。そしてそれが出ていく程に彼女の体は薄くなっていった。

「行くのか」

「うん」

 望は彼女の顔を見ずに言う。

「俺がそっちに行った時にはまた仲良くしてやってくれよ?」

「それ、いつの話よ」

 明日香が笑う。

「でも、すぐには来ないでよ? 私が見れなかった物、たくさん見て、見尽くせないほど見て、それから来てね。お土産話待ってるからね」

「おうよ。任せておけ」

「あー。でも望君、また忘れてるかもしれないなぁー」

「そしたらまた、今回みたいに蛍でも見せて思い出させてやってくれよ」

「うん。そうする」

 明日香の体はもうほぼ透明になっていた。

「それじゃ、私、もう行くね」

「あぁ、またな」

 望がそう言うと、明日香はきょとんとした顔をした。

「なんだよ?」

「え、いや、『またな』って……」

「だって、また会うんだろ?」

 その言葉に明日香は嬉しそうに頷いた。

「うん。そうだね! じゃあ……『またね』! 望君」

「あぁ、『またな』、明日香」

 望が言い終わると同時に、明日香は一際輝き、消えていった。不思議と、悲しみはなかった。また新しい約束を交わしたのだから。約束があれば、また会えるのだから。

「約束、果たせた?」

 不意に後ろから声が聞こえた。振り返ると、そこには朔が居た。

「なんだ、朔も来たのか」

「うん」

 朔は望の隣、今まで明日香がいた所に座った。

「約束、果たせた?」

 朔はもう一度、先ほどの質問をする。

「あぁ」

 望はそれだけを答えた。この不思議な少女に、あまり言葉はいらないだろう。

「蛍、綺麗だね」

「そうだな」

 ただ二人は静かに、蛍を眺めていた。

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