2月 課長代理の暗躍
二月十四日、バレンタイン当日。
朝から美幸のテンションは、これ以上は無い位高かった。
「おはようございます!」
「おはよう、藤宮さん」
「今日も元気良いね」
「はい! もうやる気満々ですから! 何でも言いつけて下さいねっ!」
「はは……、そうか」
「何かあったら宜しく」
元気良く挨拶してきた美幸を見て、周囲の者達は苦笑するしかなかった。
「あ、渋谷さん! おはようございます!」
「……おはよう」
由香にも愛想よく挨拶した美幸だったが、相手は胡散臭そうに一瞥しただけで、自分の席に座った。しかし美幸はそれに腹を立てる事無く、にんまりと笑って鞄の中に手を入れる。
(やっぱり不審そうな顔をしてる。ふふっ、楽しみだわ。今日はこれを使って、正攻法でガツンと言ってやるんだから! 課長の事を『媚び売って云々』なんて見当違いの放言をした分、ギャフンと言わせてやるわ)
そして鞄の中で箱を手にしつつ、含み笑いをしている美幸を見て、年配の村上や清瀬などがどことなく不安を覚え始めているうちに、その懸念が現実の物となった。
「おはようございます、城崎係長!」
「ああ、藤宮さん、おはよう」
始業時間十分前になって城崎が姿を見せた為、美幸は明るく挨拶してから勢い良く彼の前に駆け寄り、手にしていた小さめのリボンを掛けた箱を彼に向かって突き出した。
「早速ですが、これを受け取って下さい! バレンタインのチョコレートです! 頑張って見た目も味も合格点の物を作って来ました!」
「……あ、ああ。どうも、ありがとう」
「…………」
いきなり堂々と渡された事に加えて、朝から気持ち悪い位の満面の笑みを向けられて、城崎は正直嬉しいのを通り越して、不審の念を覚えた。そして由香が不愉快そうに自分達を睨んでいるのに気が付いた彼は、目の前の美幸に少し顔を寄せて小声で囁く。
「藤宮? 女子社員全員で話し合って、部内で義理チョコは配らない事にしたんじゃなかったのか?」
「はい。ですからこれは、本命チョコですから」
「あのな……」
この事態をどうするんだと、嬉しさ半分で城崎が項垂れていると、少し離れた所から勝ち誇った様な声が上がった。
「あらあら、公私混同する同僚が居るなんて、幻滅したわね。やっぱり上が男にこそこそ媚びを売って出世する様な人間だと、下もだらしないのね」
「あの……」
「渋谷さん、それは」
周囲の者達は慌てて由香を宥めようとしたが、美幸は(待ってました!)とばかりに受けて立った。
「あらあら、日本語能力が平均水準に達しない人が同僚だと、一々解説しないといけないから、本当に煩わしくて仕方がないわぁ」
「……あなた、何を言ってるの?」
「おい、藤宮」
わざと先程の由香の口調を真似て言ってみると、彼女は益々険悪な顔付きになり、城崎は慌てて美幸を止めようとしたが、美幸の口は止まらなかった。
「だって今はまだれっきとした勤務時間外だから、きちんと公私の区別を付けて城崎さんに渡しているもの。それにやましい事は皆無だから、他の人の前で渡しても平気だって言っているのよ」
「呆れた……、どこまで厚かましいの!?」
「そりゃあ誰かさんの様に、他人からの評価を上げて欲しくてこそこそ渡すなら、人の視線を気にするかもしれませんけど?」
「ちょっと! 嫌味のつもり!?」
声を荒げた由香に、美幸はせせら笑いながら言い返した。
「あら、どこが嫌味なんでしょう? だれも渋谷さんの事だなんて一言も言ってませんが? それにチョコ如きで他人の感心を買えるなら、『穀潰しの墓場』から『産業廃棄物処理場』なんかには来ませんよねぇ?」
「あっ、あなたねぇっ!!」
「藤宮! いい加減にしないか!」
「藤宮先輩、それは誤解です! 渋谷先輩は柏木産業のホープですよ!!」
本格的に怒鳴り合いに突入するかと思った瞬間、蜂谷が勢い良く立ち上がりって主張した。それに面食らった美幸は、思わず怒気を削がれて問い返す。
「はぁ? 急に何を言い出すのよ、蜂谷?」
「考えてもみて下さい。渋谷先輩はあの燦然と輝く女神様と、鉄壁剛腕の城崎係長に続いて、営業三課から企画推進部に異動された三人目の方なんですよ? 有能で無い筈が無いじゃありませんか!?」
「蜂谷君……」
「それ……、ある意味、藤宮さん以上の嫌味だから」
満面の笑みで蜂谷が告げた内容を聞いて、企画推進部の殆どの人間は頭を抱えた。そしてその内容を理解した美幸も、一転して憐れむ様な視線を由香に向けながら、わざとらしく頷いてみせる。
「あぁ……、そう言えば、そうよねぇ……。課長と係長が前例なんだから、普通に考えれば二人が比較対象になるんだもんねぇ……。そりゃあ、さぞかしご優秀だわ~。ご優秀じゃないと確実に見劣りするでしょうし、た~いへ~ん。私だったら耐えられない~。ゼロからの出発じゃなくて、マイナスからの出発だなんて~。頑張って下さいね? 渋谷セ・ン・パ・イ?」
「…………っ!!」
途端に由香は怒りで顔を真っ赤にし、流石に城崎は部下を窘めた。
「藤宮、いい加減止めろ」
「分かりました」
「蜂谷も、それ以上は言うなよ?」
「俺、何か拙い事を言いましたか?」
きょとんとして問い返した彼に、城崎が疲れた様に訴える。
「できればもう少し、オブラートに包んで欲しかったが」
「オブラートって何ですか?」
本気で例えが伝わっていない事で、疲労感が増大したらしい城崎の表情を見て、周囲から同情の視線が向けられた。城崎はそれを意識しつつ、通常業務に取り掛かる為に周囲に声をかける。
「……いや、もう良い。取り敢えずそろそろ始業時間になるから、準備を始めてくれ」
「分かりました」
「じゃあ、今日も一日滞りなく」
「ふざけんじゃ無いわよっ!! 業績を上げられない分、当時の営業部長と不倫して成績に色を付けて貰って、こっちの部長に引っ張って貰って管理職に上げて貰う様な女! 比較される事自体、不愉快だわ!!」
怒りが振り切れたのか、いきなり大声で由香が喚き散らした為、室内の空気が凍った。しかしその一瞬後で、美幸の怒声と一課の席に座ったままの鈴江の爆笑が湧き起こる。
「はぁ!? あんたそんな与太話を」
「あっ、あはははははっ!! い、居た! 本当に居たわ!! 凄い! まさか本当に居るなんて!!」
バンバンと自分の机を連打しながら爆笑し続ける彼女に、由香は目を丸くしたが、美幸も呆気に取られて尋ねる。
「あ、あの……、田辺さん? どうしたんですか?」
そう声をかけられた鈴江は、笑い過ぎで滲んだ涙を軽く指で拭いながら、美幸と由香の方に向き直った。
「ごめんごめん。噴き出しちゃって。だって柏木課長から話を聞いた時は話半分で聞いてたのに、本当だったんだもの」
「何が本当なんですか?」
「人事部の夏木係長が、定期的に社内に『柏木課長は営業三課在籍時代、当時の営業部長と不倫して、それがバレて営業部長は北米支社長に配転、柏木課長は企画推進部に異動になった』って噂を流している事よ」
「……え?」
「ちょっと待って下さい! 何で夏木係長がそんな噂を流してるんですか!? だって課長とは大学時代からの友人ですよね!?」
唖然としている二人に、鈴江は苦笑しながら説明を続けた。
「落ち着いて。ちゃんと夏木係長は柏木課長の了解を取ってるわ」
「益々意味が分かりません!」
「柏木課長から聞いた話だと、人事評定をする時のネタの一つにしてるみたい。ターゲットの耳に入る様に、意図的にその周囲だけに噂を流して、反応を見るんですって」
「ですけど! 何もわざわざそんな不名誉な噂!」
本気で美幸は怒り始めたが、ここで鈴江は不敵に笑って穏やかに言い聞かせた。
「良く考えてご覧なさい? その噂、当時から少なくとも七年近く経過してるのよ? 『人の噂も七十五日』って言うのに、そんな噂が今頃出回っている時点で、何かおかしいと思わなくちゃ駄目でしょう。何か裏があると思わなくちゃだめよ。迂闊過ぎるわ」
「……そう言われてみれば」
指摘されて思わず考え込んだ美幸の横で、由香が忽ち表情を消した。そんな二人の反応に満足しながら、鈴江が含み笑いで続ける。
「それに他人の不名誉な噂なんて、軽々しく口にする物じゃないでしょう? 例え『学生時代から表向き友人関係を保っているけど、美人なのを笠に着て高慢ちきで仕方が無いのよね』なんて誘い水を向けられたからって、得意満面でベラベラ喋る様な内容でない事は確かよね」
「…………」
「……ですよね」
思わずチラッと傍らに視線を向けると、由香の顔は真っ青だった。それで美幸は(絶対夏木係長に向かって、悪口雑言吐いたわね)と確信した。
「それに不審に思ったら、当時の事を知っている人間や、当人の人となりを知っている人物に接触したり、自分で接して訂正したり判断すれば良いだけの話よ。だからこれで組織内での自己保身能力、周囲とのコミュニケーション能力、秘密保持判断能力を評価するんですって」
「わざとそんな噂を流して、ですか? ……結構、えげつないですね」
美幸が正直にそんな感想を述べると、鈴江が苦笑いで話を締め括った。
「だけどそんなのに引っかかる人は、滅多に居ないそうよ? ごくごく稀に、得意満面で夏木係長に向かって柏木課長をこき下ろし捲る人間が出るんだけど、『その時は容赦なく最低評価を付ける事ができて、気分爽快』って夏木係長が言ってたらしいわ。柏木課長が以前、『こんなつまらない根も葉もない噂が役立つなら、幾らでも流して構わないと言ってるんです。こんなのにひっかかる社員なんて、そうそういる筈ありませんし』って苦笑いしながら教えてくれたの」
「そうですか……。ターゲットの周囲にだけピンポイントで噂を流すなんて、夏木係長は凄腕ですね」
「…………」
まだくすくす笑っている鈴江に、若干的外れなコメントを返した美幸は、先程とは異なり、本気で由香に同情する視線を送った。
(そうなると……、それで人事評定が最低ランクを付けられたって事になるのよね、この人)
そんな微妙に気まずい空気が室内に満ちていると、それに気が付いているのかいないのか、いつも通りの顔で清人が出社してきた。
「おはようございます。皆さん、何を棒立ちになっているんですか?」
「あ、いえ……」
「おはようございます、課長代理」
「城崎係長、例のコラステアのシリコンプレートの件はどうなりましたか?」
その問いかけに、城崎は通常業務の顔になって、瞬時に応じる。
「その件なら、昨日倉橋硝子にサイズと形状を変更した物を持ち込んで、検討して貰った結果、継続購入の申し入れがありました。他の商品にも利用したいので、別規格も考えて貰いたいとの事です」
「それは良かった。早速コラステアとの開発協議に入って下さい」
「なっ? それって!?」
何故か由香が驚いて目を見張ったのを見て、周囲は何事と思ったが、城崎達は構わずに会話を続けた。
「それに加えて、三住建材のDIY用の貼付材ですが販路拡大の一歩として、l&Kグループでの流通契約を纏める予定です」
「そうですか。流石ですね。そのまま進めて下さい」
そして至極満足そうに微笑んだ清人は、聞き慣れない社名を聞いて二課の面々が首を傾げている中、由香に向かって満面の笑みで礼を述べた。
「これは渋谷さんのおかげですよ。営業三課から渋谷さんが異動する時に、向こうの青田課長が『うちでは人手が足りなくて管理が難しくなるので、ぜひそちらで引き受けて欲しい』と言われて、コラステアと三住建材の、契約継続権と交渉権を譲渡されましたので」
「そんな話、聞いてないわよ!」
「おや? 青田課長から話があったと思ったのですが。まあ、そんな事はどうだって良いです。せっかく譲られた権利ですから、営業三課時代の従来の取引だけに拘らず新規契約締結を目指したら、半月足らずですこぶる優秀な城崎係長が、新規で年間五百万強の契約を取ってくれそうです」
再び真っ赤になって怒鳴った由香の前を横切りながら、課長席に向かった清人を眺めつつ、美幸は真顔で考え込んだ。
(それって……、営業三課でできなかった事をうちでできたって事だから、社内で益々向こうの評価が下がって、こっちの評価が上がりそうなんだけど。でもそれって……)
ある考えに思い至った美幸が、密かに戦慄していると、ここで蜂谷が勢い良く挙手しながら清人に向かって問いを発した。
「ご主人様、おはようございます! 一つ、質問させて頂いても宜しいでしょうか?」
「構いません。何でしょうか? 蜂谷さん」
「ご主人様達の話を伺っていますと、ご主人様が夏木係長と組んで、わざと渋谷先輩の周囲に根も葉もない噂を流して、あっさり引っかかって人事評価を最低ランクに下げた渋谷先輩を、営業三課の評価を益々下げると持て余した青田課長に、ご主人様が親切ごかして『仕事を譲るなら足手まといの社員を引き受けても良い』とか持ちかけて、それを口実に営業三課では宝の持ち腐れの金のなる木を、体良く奪い取った様に聞こえるのですが?」
密かに心の中で思っていた内容を、あっさりはっきり垂れ流した蜂谷に向かって、その場に居合わせた企画推進部の面々は、強張った顔で驚愕の視線を送った。
(蜂谷! あんた本当に怖いもの知らずよね!? それに馬鹿なのに頭の回転は悪くないって人間が、余計に始末に終えないのが良く分かったわ!)
もうこれからどうなるのか見当も付かないまま、美幸が様子を窺っていると、清人は嘘臭さ全開の笑顔を振り撒きつつ、蜂谷に言い聞かせた。
「蜂谷さん、まさかそんな……。私はそこまで腹黒くはありませんよ。そうですよね? 城崎係長?」
その問いかけに、城崎が白々しい口調で答える。
「はい。それに青田課長は、進んで業務を譲って下さいましたし。過去に営業三課に私が所属していたのはご存知ですから、私だったら更なる業務拡大を狙えると見込んで下さったんでしょう」
「そして城崎係長は、見事にその期待に応えただけです。蜂谷さん。まるで渋谷さんが、仕事を譲って貰ったついでに、おまけで付いて来たみたいな言い方はしないで下さい。彼女に失礼ですよ?」
やんわりと注意されて、蜂谷ははっと気が付いたらしく、慌てて由香に向き直って真摯に頭を下げた。
「はいっ! 渋谷先輩! 著しい誤解の上の発言を、お許し下さい!」
「……別に」
「さあ、皆さん、始業時間ですよ? 今日も一日頑張って下さい」
予想外の事ばかり聞かされて、既に顔色を無くしていた由香は、素っ気なく応じて自分の席に戻った。そんな彼女に、周囲の者達はすっかり憐憫の眼差しを送っていたが、美幸自身も溜め息を吐いて業務を開始する。
(慇懃無礼って言葉の意味が、良く分かる光景だったわね。色々言いたい事はあるけど、取り敢えず……)
そして美幸は業務の合間に、素早く社内メールでやり取りして、昼休憩の段取りを整えたのだった。
「やあ……、ここ、良いかな?」
休憩時。社員食堂で一人で食べていた美幸は、斜め上方からかけられた声に、呆れ気味に言い返した。
「お疲れ様です、係長。何を白々しい事を言ってるんですか?」
「いや、何だか怒っているみたいだし」
「怒ってませんよ。心底呆れているだけです」
手振りで勧められた向かい側の席に座った途端、美幸が溜め息を吐いて見せた為、城崎は苦笑いで尋ねた。
「渋谷さんの事か?」
「それ以外に、何があるって言うんですか。渋谷さんの異動の話を部長から聞いた時、全然聞いてないなんて言っておきながら、大した役者ですよね?」
今度は軽く睨まれて、城崎は慌てて箸の動きを止めて弁解した。
「ちょっと待て。あの時点では本当に聞いて無かったんだ。その後彼女が正式に異動してくる前に、課長代理から裏事情についての説明は受けたが。……全く、あのろくでなし。課長とどういう交渉をしたんだか。仕事と彼女とどっちがメインなのか、未だに分からん」
ブチブチと、最後は愚痴めいた呟きになった城崎に、美幸は控え目に意見してみた。
「でも、係長? この間、何も言って無かったですよね? 何も今朝の様に、当て擦る言い方をしなくても良かったんじゃないですか?」
それを聞いた城崎は、如何にも後味悪そうに弁解した。
「本当は、あんな風に言うつもりじゃ無かったんだ。各種の契約が正式に決まったら、課内にはそれとなく報告する気でいたし」
「それならどうしてですか?」
訳が分からず引き続き尋ねた美幸を見て、何故か城崎は溜め息を吐いた。
「……やっぱり、気が付いて無かったか」
「何がです?」
「俺達がチョコのやり取りをし始めた辺りから、課長代理は廊下に居たぞ」
予想外の事を言われて、美幸は驚きに目を見張った。
「え? 本当ですか?」
「ああ。気配があった。面白がって見てたんだろう」
苦虫を噛み潰した様な表情で頷いた城崎に、美幸は一瞬疑わしげな眼を向けてから、憤慨した様に吐き捨てる。
「気配で分かる物なんですか? でも、本当に性格悪いですよね、課長代理って!」
「そこで見当違いな内容を放言した上、課長を罵倒する人間が居たら、どうなると思う?」
冷静に城崎が指摘した途端、美幸は怒りを静めて何とも言えない表情になった。
「…………もれなく制裁対象ですね。あれは完全にわざとですか」
「ああ。あそこで下手に彼女を庇ったりしたら、こっちに矛先が来る。そんなのはまっぴらごめんだ」
「はぁ……」
そこで美幸が曖昧に頷いた為、城崎はさり気なく尋ねてみた。
「冷たいと思うか?」
「多少は。ですが彼女にしてみれば自業自得ですし、私がどうこう言うつもりは無いです。でもこの短期間で、良く新規契約までこぎ着けましたね?」
ちょっとした疑問を美幸が口にすると、城崎は苦笑いをして事情を打ち明けた。
「実を言うと、今回引き受けた会社の仕事は、元々課長と俺が営業三課に居た頃に取った仕事なんだ」
「そうだったんですか?」
「ああ」
意外な話を聞かされて、美幸の箸の動きが完全に止まる中、城崎は冷静に説明を続けた。
「勿論、俺達が移籍する時に他の人間に引き継いだが。それ以降は、ただずるずると既存の契約を継続するだけで、新規商品の開発を提案したり、新たな販路開拓もしていなくて、前々から勿体ないと思っていてな」
「それ、課長代理に言ったんですか?」
「俺は言って無いが、何かの折に課長が喋ったらしい。『幾らでも取り引きの種類と量を増やせるのに、勿体ない』とね」
「納得できました」
真澄に絶対服従の気配を醸し出している清人の姿を脳裏に思い浮かべた美幸は、真顔で深く頷き、最後にもう一度確認を入れる。
「それで? 表向き人員確保と見せかけて、抱き合わせで契約先を分捕ったと?」
「そう言う事だ」
「本っ当に容赦ないですね、課長代理は。分かってはいたつもりでしたが」
ほとほと呆れ果てた美幸は、それで一度話を終わらせ、食べる事に集中した。それは城崎も同様で、まず目の前の丼の中身を減らす事に集中したが、数分してから美幸が何気なく言い出す。
「だけど係長もさすがですよね? 以前に手掛けた仕事や、交渉した事があった会社とは言え、十日足らずで新しい企画を纏めて、契約まで持ち込むなんて凄いです。他の人には真似できませんよ!」
「そうか?」
「はい! 仕事ができる人って、尊敬しますし素敵ですよ!」
真正面から笑顔で力一杯誉めたのに、何故か城崎が一瞬驚いた顔つきになってから、僅かに俯いて小さく呻いた。
「……勘弁してくれ」
「はい? どうかしましたか? 私、何か変な事を言いましたか?」
「いや、そうじゃなくて……」
俯いたまま小さく首を振った城崎は、ゆっくりと顔を上げて幾分困惑気味に告げた。
「出社直後に堂々とチョコを渡された事でも少し狼狽したのに、面と向かっていきなりそう言う事を言われると、さすがに動揺する」
それを聞いた美幸は、忽ち不思議そうな顔つきになった。
「動揺、してるんですか? 朝も今も、それほど動揺している様には見えませんが」
「面には出さない様にしているだけだ」
「へぇ~。そうなんですか~」
そして、面白い事を思い付いた様な顔付きになった美幸は、トレーに箸を置いて両手を組み合わせ、ご機嫌な口調で言い出した。
「やっぱり城崎係長は格好良いですよね? 仕事ができる男は、隠しても滲み出るオーラが違う違う!」
それを見た城崎は、額を押さえてうなだれる。
「藤宮……。面白がってるだろ?」
「はい! 係長を動揺させられる事なんて、そうそうありませんから!」
満面の笑みで美幸が断言すると、城崎は今度は僅かに赤くなった顔を隠す様に、口元を覆いながら横を向いて彼女から視線を逸らした。
「課長代理よりタチが悪いぞ……」
「ちょっと係長! 今の台詞、聞き捨てなりません!! ちょっとこっちを向いて下さい!」
そんな城崎と、彼に絡んで何やら訴えている美幸の姿を、少し前からトレーを抱えながら観察していた理彩と瀬上は、呆れた口調で感想を述べた。
「バカップルだ……」
「バカップルが居るわね。向こうで席を探しましょう」
「そうだな」
更に美幸達の様子を、由香も昼食を取りながら眺めて、悔しさで歯軋りしていたが、それに気付いた者は殆どいなかった。




