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猪娘の躍動人生  作者: 篠原皐月
第二章 二年目はガチンコバトル

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7月 接待は危険が一杯

 ニ課の、特に年長者を中心とした面々が懸念した接待だったが、始まりは彼等の予想に反して、極めて友好的だった。


「本日はお忙しい中ご足労頂き、ありがとうございます」

「いやいやこちらこそ、こんな席を設けて頂いて恐縮です」

 双方が料亭の一室に顔を揃え、料理も座卓に運ばれて、取り敢えずビールで乾杯をしてから、まず川北が結構ザルらしい宮部のグラスにビールを継ぎ足しながら話の口火を切った為、美幸も笑顔で鎌田に話し掛けた。


「今回は、是非宮崎ダイオードさんの新規商品や事業計画などについても、お話を伺わせて下さい」

 それを聞いた鎌田は、怪訝な顔になった。

「おや、藤宮さん、だったかな? 女性には珍しく工学部出身かい?」

(出た。思考がステレオタイプの、ガッチガチ親父)

 しかしそんな考えはおくびにも出さず、美幸は笑顔のまま答えた。


「いえ、桜花女学院出身です」

「あの名門女子大の? それは凄いな」

「だが、そういうお嬢様学校出身で、うちの商品の事が分かるのかな?」

「部長、幾ら何でも失礼ですよ」

 宮部は率直に感心したが、鎌田は揶揄する口調になった。それを聞いた宮部が慌てて窘めようとしたが、美幸は余裕の笑みを浮かべながら言い返した。


「いえ、構いません。現在でも工学部に入学する女性比率が低い事は周知の事実ですし、出身が女子大なのも事実ですから。でも、それで得している面もありますので」

「へえ? どんな面で?」

 思わず興味をそそられた様に宮部が尋ねてきた為、美幸は笑みを深くしながら答えた。


「女子大出身だと工学関係分野に疎いと思われがちですから、そういう分野の話をしていると、『良く分かっているね』とすぐに感心して頂けるんです。工学部出身の男性なら、どこまでも突っ込まれると思いますが。なまじ知識が有る分、商品云々よりも、すぐ技術的な話になってしまうのではありませんか?」

 その主張に、向かい側に座る男二人は、思わず苦笑いする。


「なるほど、それはそうかもしれないな」

「確かに、開発室でしそうな会話を、商談の場でしてしまう場合もあるな」

「勿論、貴社の商品を扱う訳ですから、最低限のデータは頭に入れておりますが。そちらで今現在力を入れて開発されているのが、LED回路用の定電流ダイオードですよね? あれは千景製作所の物が現時点では最小ですが、それより小型化できれば応用範囲は一気に広がりますから、我が社としても期待しています」

 そう美幸が告げると、鎌田と宮部が揃って頷く。


「ああ、あれは社運をかけて開発中でね」

「しかし後発メーカーは作っても販路が確保できないから、柏木産業さんの力が必要なんだよ」

「お任せ下さい。時代はエコですし、白熱電球と違って電気エネルギーを直接光に変える効率が良いLEDは、それを実現する照明部品としても重要性が増してます。光通信用のフォトダイオードも汎用性が認められる商品ですので、こちらとしても売り込みのし甲斐がありますから」

「これは頼もしいな。宜しく頼むよ」

 力強く申し出た美幸に、宮部は表情を緩めた。それに軽く頷いて見せてから、美幸は鎌田に視線を合わせる。


「去年そちらで発売を開始したダイオードブリッジのRT-09、独特の形と大きさの為に、独立ラインを作られたんですよね? でも結構な売れ行きで、十分元が取れそうだと伺いました。開発費用が膨大になると尻込みする技術者を叱咤激励して、技術部長と二人三脚で鎌田部長が開発を推し進めたとお伺いしましたが、やはり上に長期的な展望をお持ちの方がいる組織は、最後に生き残ると思います」

 さり気なく相手を持ち上げる発言をすると、鎌田が嬉しそうに相好を崩した。


「いやあ、若いのに実に良く分かっているね、藤宮君。今時の若いのは、実にチャレンジ精神が無くて困りものだ。開発部長と一緒に、何度あいつらを怒鳴り倒した事か」

「開発と営業は、車輪の両輪です。どちらにもホープがいらっしゃる宮崎ダイオードは、どこからどう見ても優良企業です。これからも末永くお付き合い頂きたいですわ」

「いや、それはこちらの台詞だよ。今後とも宜しく頼む」

 そして向かい側の二人が会話している隙を突いて、川北が感心した様に美幸に囁いてきた。


「……流石だね、藤宮さん。この調子で宜しく頼むよ」

「お任せ下さい。頑張って各種データを、頭に叩き込みましたから」

(ふふっ、楽勝楽勝。相手をヨイショしつつ好感度をアピールすれば良いんだし。変な意味で火花が散っている、合コンを取り仕切るより楽だわ~)

 しかし、美幸のそんな余裕は、その後一時間程しか保たなかった。


 年長者達から今回『手出し口出し無用』と釘を刺された城崎だったが、どうにも不安を拭えず、結局接待を始める時間帯にはその料亭の最寄り駅近くの喫茶店に陣取り、会社から持ち出した資料に目を通していた。

 最初は集中出来なかったものの、一時間程して大体の内容を把握し、一息入れていたところで、携帯電話の着信音が鳴る。発信者名を確認すると美幸の名前が表示されており、咄嗟に時間を確認して接待を終わらせるには早い時間であった為に、嫌な予感を覚えながら通話ボタンを押した。


「もしもし? 藤宮? どうかしたのか?」

「ふ、ふぇぇっ……、か、かかりちょうぅ~」

 いきなり電話越しに美幸の泣き声が聞こえてきた為、城崎は周囲の目を気にする事無く、勢い良くその場で立ち上がった。


「どうした藤宮!? まだ接待中の時間だろう? 何が有った? 川北さんはどうした?」

「ひ、ひとりですっ……。か、川北さんは、用事が……、あって」

 矢継ぎ早の質問に、美幸が何とか答えていると、その間も城崎は手荷物を纏めて移動を開始した。


「今どこだ? 使った料亭の近くか?」

「はい。入口を出て前の道路で」

「一歩たりともそこを動くな! 五分で行くから、ちょっとだけ待ってろ!!」

「……え? 係長?」

 さすがに美幸が怪訝な声で問い返してきたが、城崎はこれ以上の会話は時間の無駄だとばかりに通話を終わらせ、素早く会計を済ませて店の外へと出た。


「川北の野郎……、彼女をほったらかしにしてどこに行きやがった! 明日、出勤して来たら、袋叩きにしてやる」

 普段は年長者として敬っている川北を口汚く罵りながら城崎は幹線道路を駆け抜け、和食処や料亭が軒を連ねる、趣のある緩やかな坂道を駆け上がった。するとすぐにハンカチを目に当ててグスグス泣いている美幸を発見する。


「大丈夫か? 藤宮」

 慌てて駆け寄りながら声をかけると、その声で顔を上げた美幸が、鞄とハンカチを取り落とし、城崎に抱き付いてより一層盛大に泣き始めた。


「か、係長ぅぅぅっ!!」

「どうした、何をされたんだ!?」

(全く、話に聞いていた以上に、ろくでもないセクハラ親父だったらしいな。絶対、今度闇討ちしてやるぞ!!)

 腸が煮えくり返る思いをしながら美幸の背中を撫でた城崎だったが、ここで美幸が顔を上げて言ってきた。


「さっ、されたのは事実なんですけど……、私もしちゃってぇぇっ!」

「したって……、何を?」

 思わず眉を寄せて美幸を見下ろした城崎だったが、続く彼女の台詞を聞いて固まった。


「あのセクハラ親父を殴り倒して、意識不明にして、病院送りにしちゃったんです!」

「……え?」

「それでっ、宮部課長が救急車に同乗して付き添う事になって、川北さんがタクシーで同行する事になって、『藤宮さんはもう良いから帰って』と置いて行かれまして……。か、会社、首になりますぅぅ~っ」

 そう言って再びえぐえぐと泣き出した美幸を見て、城崎は取り敢えず自分が今最優先ですべき事を判断した。そして一度美幸の身体を離し、歩道に落ちていた彼女の鞄とハンカチを拾い、自分のハンカチを渡しながら幹線道路の方に誘導する。


「とにかく、家まで送る。ほら、ハンカチがグシャグシャだから、これを使って」

「はい……」

「タクシーを拾って、車内で詳細を聞くから。取り敢えず落ち着こうな」

(取り敢えず、明日の川北さんの袋叩きは止めておくか……)

 今頃、気苦労しっぱなしであろう年上の部下に対する報復計画を白紙に戻しながら、城崎は美幸を藤宮邸まで送り届けた。



 その翌朝。企画推進部の室内は、朝から冷え冷えとした空気が漂っていた。


「昨夜夜遅く貰った川北さんからの報告と、朝一で宮崎ダイオードからかかってきた抗議の電話の内容を総合しますと、昨夜の接待の席で、藤宮さんが先方の鎌田部長の顔面を殴りつけて昏倒させ、そのまま後ろに倒れ込んだ彼が床の間の角で後頭部を強打して意識を失い、救急車で病院に搬送されたとの話でしたが、間違いありませんか?」

「……間違いありません」

「でも、それは!」

「藤宮さん!」

「…………」

 課長席の前で並んで立っていた川北が神妙に頭を下げたのを見て、思わず美幸は反論しようとしたが、小声で川北に制止されて黙り込む。そんな二人のやり取りを見なかった様に、清人が淡々と話を続けた。


「それに加えて、鼻血がなかなか止まらなかった為、流れ落ちた血で汚れた畳の交換費用を料亭から請求され、血が付着した衣類の弁償も、鎌田部長側から要求されているんですが……。それも全面的にこちらに非がある様ですので、全額こちらが負担すると言う事で。……しかし、どう言う風に経理に話を通して、経費として落として貰えば良いんでしょうね?」

「課長代理のお手数を煩わせまして、誠に申し訳ありません」

(あんのエロ親父~、自業自得でしょうが!?)

 さすがに今度は美幸が詫びを入れたが、心の中では憤慨しっぱなしだった。そんな彼女の神経を逆撫でする様な、清人の台詞が続く。


「なかなか良いパンチだったみたいですね? 幾ら酔っていたとはいえ、大の男を一発KOとは。何か心得でも?」

「心得と言いますか……、以前からボクササイズを少々……」

「それはそれは」

(いっ、嫌味な奴ぅぅぅっ!! 怒鳴りつけるより質が悪いわよっ!)

 含み笑いでわざとらしく頷かれ、美幸は盛大に顔を引き攣らせた。しかしそんな美幸に、容赦なく言葉の刃が斬りつけられる。


「『任せて欲しい』と言ったのは、とんだ大言壮語でしたね。初めてですから仕方が無いかもしれませんが、あまり自分の手に余る様な仕事を、安易に引き受けない方が身のためですよ?」

「んなっ!!」

「そうでないと、周りの人間の迷惑です」

 思わず激昂しかけた美幸だったが、清人が急に真顔になって言い聞かせてきた為、今回、後始末に奔走してくれた川北に向き直って頭を下げた。


「……すみません。ご迷惑をおかけしました」

「藤宮さん、俺の事は気にしなくて良いから。俺ももうちょっと早目にストップをかけておけば良かったんだし」

「でも川北さんは遊んでたりお酒を飲んでいた訳じゃなくて、ちゃんと宮部課長と商談をして、話を纏めていたんですから」

 ボソボソとそんな事を二人が言い合っていると、ここで唐突に清人が口調を変えてくる。


「ところで……、言い分があるなら聞きますよ?」

「え?」

「先方の訴えは一通り聞きましたが、一方的に鵜呑みにするわけにはいきませんから。取り敢えず事実関係は認めている様なので、先方に謝罪に出向く前に、そこに至る経過を少し聞かせて貰いましょうか」

 そんな予想外の申し出に、早速美幸は食い付いた。


「少しどころか、洗いざらい話します!  あんのクソ親父ぃぃぃ!!」

「藤宮さん、頼むから冷静に!」

「分かってます!」

 思わず足を踏み出し、課長席の机を叩きながら叫んだ美幸を、川北が押し止め様とする。それを片手で制しながら、清人が話を促した。


「会食が始まって、最初から絡んできた訳では無いんですよね?」

「勿論そうです! 和気あいあいと両社の製品や販売実績の話をしつつ、それなりに意見交換をしていました」

「それで?」

「最初はビールだったんですが、半分ほど食べ進めた所で鎌田部長が『いつもはビールなんだが、やっぱり日本酒が飲みたくなったな』と言い出して、冷酒を持って来て貰いまして」

 そこで話の筋が見えたとでも言わんばかりに、清人が失笑する。


「おやおや、宗旨替えしたんですか。和食だから、最初から日本酒にしておけば良いと思うのですが。……余程、藤宮さんがお気に召したらしいですね。それでお酌をしろと?」

「まあ、そういう流れで。それで宮部課長と席を交代して、川北さんは宮部課長と商談の突っ込んだ話をし始めて、私は部長の隣に座ってお酌し始めたんですけど……」

「それで?」

 言葉を濁した美幸に清人が続きを促すと、美幸は怒りを内包した目で状況説明を続けた。


「取り敢えず『まだまだ新人さんだから、手が綺麗だよね』とか言いながら手を握られるのはお約束だと思いましたし、『いや~、腰が細くって良いね。うちの女房はもうくびれが無くてね』なんて言われながら腰を引き寄せられたり、『エステとかにも通ってるのかい?』とか言われながらスカートを軽く捲られて太腿を撫でさすられる位は我慢したんですが」

「川北……、その時点で止めろよ」

「どれだけ相手の課長と話し込んでいたんだか」

 同僚達の話し声は聞こえないまでも、自分を責めている空気がしっかりと伝わってきた為、川北は居心地悪そうに身体を縮めた。


「そうしたら『酔っぱらっちゃったな~』とか言いながら背中から抱き付いて、胸を揉まれたんです」

「……もう、どっからどう見ても駄目だろ」

「日常的にそんな事をしてるのか?」

 室内で呆れ果てたと言った感じの囁き声が漏れる中、ヒートアップした美幸の怒りの声が轟いた。


「そうしたらあの腐れ親父、なんて言ったと思います!?」

「胸が小さいとでも言われたんですか?」

 平然と問い返した清人だったが、美幸は拳で机を叩きながら、憤怒の形相で言い放った。


「それ位だったら怒りはしますけど、殴りませんよ!! あの下衆野郎、事もあろうに『なんだ、若いだけで、胸はあんたんとこの課長の方があるな』って、ほざきやがったんですよ!! 絶対以前、課長にも同じ様な事しやがって」

「黙れ、藤宮!!」

「はぁ!? 何で邪魔するんですか、係長!!」

 いきなり斜め後方から怒鳴りつけられ、美幸は向かっ腹を立てながら声を発した城崎の方を振り返って文句を言った。しかし相手の表情を見て困惑する。


(え? 何で係長、あんなに顔が真っ青なの?)

 何故か顔色を無くして立ち上がり、盛大に首を左右に振っている城崎に美幸は戸惑った。その時、美幸の背後から、地を這う様な恐ろしく圧迫感のある声が聞こえてくる。


「……うるせえぞ。黙るのは貴様だ、城崎」

(は? 何か今背後から、聞き覚えがある声だけど、聞き慣れない口調の台詞が……)

 そこはかとなく殺気を感じ取った美幸が、ぎこちない動きで課長席に向き直ると、その視線の先には薄ら笑いを浮かべている清人が居た。


「どうした藤宮。まだ話の途中だろ。最後までとっとと話せ」

(いっ、いやぁぁぁっ!! 何、この目だけが全く笑っていない不気味な笑顔!? いつもの丁寧口調なんて微塵も無いし、この男の背後に暗黒宇宙が見える!!)

 明らかにいつもとは空気が違う清人に、恐れおののいた美幸が固まっていると、清人は目を細めて如何にも不機嫌そうに告げた。


「藤宮……。俺は待たされるのが、死ぬほど嫌いだ」

「あ、あのですねっ! 胸を触られたんですけど、どうも先方のご期待にそえなかった様でっ! しっ、失敗しちゃったな~。今度接待する時は、寄せて上げるブラの中にシークレットパッドでも仕込んでおきますねっ! 経験値ワンランクアップ、な~んて。あ、あはっ、あはははははっ!!」

 室内に美幸のそんな乾いた笑いが満ち満ちていると、清人がボソッと一言口にする。


「……C75」

「はい?」

「それだけあれば充分だろ。確かに真澄の方があるが、デカけりゃいいってもんじゃない。デカ過ぎると肩は凝るし、形は崩れるし後々垂れる」

「セッ、セクハ、もがぁっ!!」

「しっ! 藤宮さん、もう一言も喋っちゃ駄目だ!! 目が据わってるし、どう見てもヤバいぞこの人」

 目測で自分のブラのサイズを言い当てた清人を、真っ赤になって怒鳴りつけ様とした美幸だったが、横から慌てて口を塞いできた川北に小声で叱りつけられた。そんな二人を無視して清人が携帯を取り出し、椅子をクルリと回転させて、窓の方に向き直りながらどこかに電話をかけ始める。


「……ああ、真澄? たった今、藤宮から面白い話を聞いてな。宮崎ダイオードの鎌田とか言う下衆野郎を、以前接待した事があるよな? ……うん? まあ、ちょっと色々とな。それで?」

 電話の相手が真澄である事が分かり、これからどうなる事かと室内は静まり返った。しかし意外にあっさりと二人の会話が終わる。


「へえ? それはそれは……。ああ、分かった。もういい。切るぞ」

 そして真澄との通話を終わらせた清人は、何故か立て続けに電話をかけた。


「もしもし? 清人だが。……ああ、久しぶり。女将業を頑張っている様だな。実は急で申し訳ないんだが、ちょっと頼みがあるんだ。……ああ、一部屋押さえて欲しくて。贅沢を言えば……」

 そして何やら予約を入れたらしい清人は、携帯をしまい込みながら、椅子を元の向きに直して美幸達と向かい合った。


「藤宮さん」

「はいっ!」

「確かに柏木課長も以前、鎌田部長を接待した事があるそうです」

「そ、そうですか……」

 清人の口調がいつも通りの物に戻った事に安堵しつつ、話の内容に美幸の顔が僅かに強張った。しかし清人は平然と話を続ける。


「その時、正座で足が痺れたふりを装って、部長に向かって倒れ込みながらビール瓶で相手の額を強打した上、上半身をビール塗れにしてしまったそうですが、商談はきっちり纏めたそうです。見習って下さい」

「……肝に銘じておきます」

 思わず素直に美幸は頭を下げ、室内のあちこちで感嘆の声が上がった。


「課長……、流石です」

「本当に、やる時はやる人だよなぁ……」

「そうか~、セクハラ親父にはそうすれば良いんだ~。流石、柏木課長。今後の参考にメモっておこう」

「渡部、いそいそとメモを取るな!」

 そんな周囲をよそに、清人が川北に話を振った。


「川北さん」

「は、はいっ!」

「今回のお詫びに、鎌田部長と宮部課長を招いて、また一席設けます。鎌田部長は結局脳震盪だったそうですから、今夜飲んでも大丈夫ですよね?」

「ど、どうでしょうか……」

「今夜七時半。新橋の《高萩》で個室を押さえましたので、是非とも先方にご出席して頂ける様に、話を通しておいて下さい。私が出ます。川北さんも同席を」

「はぁ……」

 何となく逃げ道を探した川北だったが、一方的に命じられて退路を断たれてうなだれた。そこで美幸が思わず口を挟む。


「あの! どうして課長代理が出るんですか?」

「かなり怒らせてしまったみたいですから、上司が出てお詫びしなくては収拾が付かないでしょう。今回は内容が内容ですから、藤宮さんは同席しなくて構いません。私と川北さんで頭を下げてきます」

「そうは言ってもですね」

 確かに不愉快な事をしないで済むのはありがたいものの、全部他人に尻拭いさせてしまうのは心苦しかった美幸が尚も意見を言おうとしたが、ここで城崎が割って入った。


「課長代理。私も同席します」

「係長?」

「城崎係長? 何もあなたまで雁首揃えなくても良いと思いますが?」

 美幸は当惑し、清人は苦笑して城崎を見上げたが、対する城崎は吐き捨てる様に言ってのけた。


「……何言ってんだ、あんた。しおらしい物言いをしているが、課長に関する事なら誰かストッパーが居ないと、どこまで何をやらかすか分からんだろうが!?」

「失礼ですね。人を猛獣みたいに」

「とにかく、一緒に行きます!」

 険しい顔付きの城崎の宣言に美幸は目を丸くし、清人は軽く首を振って応じた。


「……勝手にして下さい。人数を変更しておきます。それではお二人とも、席に戻って構いません」

「この度は、誠に申し訳ありませんでした」

「宜しくお願いします」

 終了宣言に、川北と美幸は再度頭を下げてから自分の席に戻った。そして何やら小声で話し込んでいる清人と城崎を見てから、机に突っ伏す。


「……疲れた」

「ちょっと、大丈夫? 本当に最低野郎に当たったわね」

「全くだな。そこまで質が悪いのは、最近滅多にお目にかからないが」

 両隣の理彩と高須から気遣う声がかけられた為、美幸はノロノロと上半身を起こしながら溜め息を吐き出す。

「いえ、もうそれは良いんですけど……。課長代理の豹変っぷりに、変な動悸が……」

 その美幸の訴えに、二人は周囲の様子を伺いながら同意を示した。


「……本当ね。係長も真っ青になっていたし」

「蜂谷なんて、顔が死人の様になってるしな」

「でも意外と話が分かるじゃない、課長代理。本来だったら真っ先にあんたに頭を下げさせるところなのに、自分から頭を下げに行くなんて」

 少し明るめの声で気分を盛り上げようとした理彩だったが、高須が沈痛な声音で応じる。


「でもそれは、筋金入りの愛妻家として看過できなくて、鎌田部長に対して何か企んでるからの様な気が……。これで無事、終わるんだろうか?」

「そうか……。係長が無理やり同席を捻じ込んで来たあたり、波乱の予感がするわね」

(川北さん、大丈夫かしら……。本当にごめんなさい!! これからは気をつけます!)

 そんな二人の懸念する会話を聞いて、美幸は未だ騒動の渦中にいる川北に、心の中で手を合わせた。


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