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猪娘の躍動人生  作者: 篠原皐月
第一章 一年目は猪突猛進

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12月 不幸な偶然

 気合いを入れて職場のドアを勢い良く開けた次の瞬間、奥の列の自席で仕事をしていたらしい人物とバッチリ目が合ってしまった美幸は、出鼻をくじかれた思いで項垂れた。


(うっ、気まずいっ……。せめて一番早く来て、お茶と心の準備を済ませて、お茶を出しつつさり気なく謝ろうと思っていたのに、どうして係長は、朝の八時に『一時間前から仕事してました』的なオーラを醸し出しながら、仕事をしてるんですか!?)

 半分八つ当たりじみた事を考えた美幸だったが、そのまま黙っているわけにもいかず、ドアを閉めて二課のスペースに向かって歩きながら、城崎に挨拶した。


「あの……、おはようございます」

「ああ、おはよう」

 恐る恐るかけた声にいつもの返事が返って来た事に安堵しつつ、ここで美幸は、ふと疑問を覚えた。


(でも、係長はあの後もあそこであの馬鹿に制裁を加えていた筈なのに。いつ帰って、いつ出社したのかしら?)

 するとタイミング良く、PCのディスプレイから目を離さないままの城崎から、その疑問に対する答えが返ってくる。


「あのゴミは連絡を付けた産廃業者に、明け方に引き取って貰った。それから帰宅して仮眠は取れたし、大丈夫だ」

「は? は、はぁ……」

(ちょっ……、考えてた事を読まれた!? じゃなくて、そんな事より『あのゴミ』ってあの野郎の事で間違いないでしょうけど、産廃業者って何!? それに仮眠って言っても、せいぜい一・二時間よね?)

 そんな風に狼狽している美幸の内心を知ってか知らずか、城崎が手の動きを止めないまま、淡々と話を続けた。


「今後、間違っても君達の目の前をうろちょろしないように、適正に処理してしっかり地下深くに埋めてくれるそうだから、安心してくれ」

「……はい」

(『適正に処理』って、『地下深くに埋める』って、どういう事!? 台詞と係長の顔が怖すぎて、とても突っ込めないんだけど!?)

 未だディスプレイから目を離さないまま、うっすらと不気味な笑みを零した城崎を見てしまった美幸は、勢い良く彼から視線を逸らしておののいた。すると城崎が小さく咳払いしてから、神妙な口振りで言い出す。


「それで……、その、メールでも一応謝ったが、やはり昨日のあれは言い過ぎたと思うし、反省している」

「いえ、あのっ! 確かに私も迂闊過ぎましたし、自分だけで対応できると過信してましたし、係長の指摘は妥当です。寧ろ図星を突かれて反抗的な態度を取った私の方が失礼極まりないと思いますし、ご迷惑おかけした上、誠に申し訳ありませんでした!」

 自席で仕事の準備をしていた美幸は慌てて立ち上がり、城崎に向かって勢い良く頭を下げた。それを見た城崎は、如何にもホッとした様な表情を見せる。


「いや、迷惑じゃないし、取り敢えず無事に済んで良かったよ。じゃあこの話はこれでお終いにしようか。いつまでも不愉快な話題を引きずりたくはないだろう?」

「そうですね。分かりました」

 美幸も安堵して頷いたものの、城崎は思い出した様に表情を引き締めて釘を刺してきた。


「但し……、今後も変な事や気になる事があったら、逐一報告する様に。いいね?」

「はい、そうさせて貰います」

 周囲に心配をさせてしまった自覚はあった為、美幸が素直に頷くと、城崎も顔を綻ばせてから仕事を再開した。


(はぁ……、緊張した。でも係長、やっぱり大人よね。あの秀明義兄さんに通じる物があるし……)

 そしてこっそりと城崎の方を盗み見ながら、考えを巡らす。


(やっぱりこの二課で、あの課長の下で係長を務めているだけあるよね。仕事もできるし格好良いなぁ……。私もあれ位できなきゃ、駄目だって事だよね)

「……うん、頑張らないと」

 思わず無意識に声に出してしまった台詞に、城崎が不思議そうに反応した。


「藤宮? 何か言ったか?」

「いえ、なんでもありません」

「そうか」

 何となく照れ臭くなった美幸はその時思った事は口にせず、誤魔化して仕事に取りかかった。しかし、それでいつもの日常に戻ったと思っていた、美幸の考えは甘かった。


「はい、企画推進部第二課柏木ですが。……え?」

 二課の面々が揃い、業務を開始して約一時間後。鳴り響いた内線の受話器を取り上げて応答した真澄は、幾分戸惑った声を出しながら怪訝な顔で美幸に目を向けた。


「分かりました。こちらにお通しして下さい」

 真澄がそう言って受話器を置く間に、視線を感じた美幸が、黙ったまま課長席に顔を向ける。すると真澄が多少困惑した表情で、美幸に声をかけた。


「藤宮さん、これからご家族の方がお見えになるから、お茶を二人分準備して貰えないかしら?」

「それは構いませんが……、私の家族ですか?」

 怪訝な顔をしつつ立ち上がった美幸に、真澄が頷いてみせる。


「ええ、一番上と四番目のお姉さんが、お詫びに伺いたいと受付に出向いていらしたそうよ。その……、始業前にあなたと城崎さんから聞いた内容についてだと、思うのだけど……」

 始業前に、一応前日の騒動について課長である真澄に報告していた美幸だったが、流石に軽々しく口に出せない内容である為、他者の耳に入らない様に言葉を濁した。それを受けて美幸が改めて真澄に頭を下げる。


「……課長にまでご迷惑おかけして、重ね重ね申し訳ありません」

「それは構わないけど、取り敢えずお茶を宜しくね」

「分かりました」

(職場にお詫びなんて、本当に余計だから! 美野姉さん、昨夜も今朝もそんな事は言って無かったのに、どうしてわざわざ美子姉さんまで一緒になって出向いて来るのよ。勘弁して!?)

 そんな事を考えて美幸がうんざりしているうちに、美幸の姉二人が受付担当の女性に先導されて、企画推進部の部屋にやって来た。


「はじめまして。美幸の一番上の姉の、藤宮美子と申します。こちらは美幸のすぐ上の美野です。いつも美幸が、お世話になっております」

「はじめまして、課長の柏木です。こちらこそ、藤宮さんには一年目から戦力になって貰っています。取り敢えずこちらにどうぞ」

「失礼致します」

 年長者同士で挨拶を交わし、真澄が部屋の片隅の応接スペースに二人を誘導したところで、美幸が茶を二人分用意して目の前の机に出した。


(美野姉さん! どういう事!?)

(ごめんなさい、でも私にはどうしようも無くて!)

 視線で美野を問い質した美幸だったが、何故か涙目での無言の訴えが返ってくる。そんなやり取りを無視し、年長者の間で会話が交わされた。


「昨晩は妹達が、部下の方達に大変お世話になりました。お詫びとお礼の気持ちとして、些少ですがこちらをお納め下さい」

 そう言って美子が差し出した包みを、真澄は大人しく受け取りながらも、穏やかに相手を宥めた。


「わざわざ出向いて頂いたので取り敢えず頂きますが、本人と係長から始業前に聞いた話では業務に支障は来しておりませんし、お気になさらず。それより大した事が無くて、何よりでした」

「本当に……、美野が主人の戯れ言をあんなに真に受けるとは夢にも思っておりませんで。そのせいで美野が連日押し掛けたみたいで、皆さんにはご迷惑をおかけしました」

 しみじみと美子がそんな事を口にした為、詳細を知らない真澄は勿論、美野の話を聞いていなかった美幸は揃って怪訝な声を上げた。


「戯れ言と仰いますと?」

「え? 秀明義兄さんが美野姉さんに、何を言ってたの?」

「藤宮さん!」

「なっ、何でも無いのよっ!」

 職場でとんでもない疑惑を口にされてたまるかと、思わず城崎は美子に呼び掛けながら勢い良く立ち上がり、美野は美幸の問い掛けに狼狽しながら必死に誤魔化した。それを横目で見ながら、美子が含み笑いで話を続ける。


「口にするのも馬鹿馬鹿しい内容ですわ。美野が離婚後に、美幸に対しての後ろめたさから引きこもりがちになっていたのを心配して、美幸の職場に色々問題がある男性が居ると事実無根の事を吹き込んで、美野が自ら動く様にけしかけただけですから。本当に、名誉毀損で訴えられても仕方がない内容ですので、敢えて申しません」

「そう、ですか……」

(それで《あれ》かよ……)

 それで真澄は不用意に踏み込むべき内容では無いと悟り、曖昧に頷いて話を終わらせた。一方、美野の告白を直に聞いた高須は、藤宮家の長姉夫婦の容赦のなさに、思わず項垂れる。そこで美野が勢い良くソファーから立ち上がり、城崎に向かって深々と頭を下げながら謝罪した。


「城崎さん、本当に申し訳ありませんでした! 皆さんにも纏わり付いて、ご不快な思いをさせてしまいました」

「いえ、大丈夫です。誤解だと分かって頂いたので、もう結構ですから」

 城崎が美野を宥めると、美子が真澄に対して改めて頭を下げた。


「ご面倒をお掛けしましたが、今後とも美幸の事を宜しくお願いします。今回の事で美野も完全にあの男の事を吹っ切れたみたいで、再就職して自活すると言い出しまして。これこそ本当に『雨降って地固まる』だと、家族で喜んでおります」

「それは良かったです。因みに妹さんは、以前はどういったお仕事を?」

 鷹揚に頷いた真澄が何気なく問い掛けると、美子は幾分困った様に答えた。


「父が社長を務めている、旭日食品の総務部勤務でした。この子は東成大の法学部在学中に司法試験に合格したんですが、旭日食品に法曹関連の部署が無いのをすっかり忘れていて、慌てて四年の時に事務処理関連の資格を取ったんですの。父の会社に入りたがっていたもので」

「だって入試の時、入れそうな大学で一番良い所を選んだら偶々そこで。秀明義兄さんが卒業した所だし、良いかなって……」

(入れそうだからって……)

(国内最高峰の東成大だぜ?)

(しかも在学中に司法試験合格って、どれだけ頭良いんだよ、この人)

(でも……、法曹界に入らずに食品会社に入社するあたり、どうなんだろう?)

 室内から生温かい視線を浴びながら、姉の話に弁解がましく割り込んだ美野だったが、美子はため息混じりに応じた。


「本当に……、美野は姉妹の中で一番頭は良いのに、肝心な所で外すからいつまで経っても心配で」

「……分かってます。お父さんだって常々私に『頭が良いのと賢いという事は違うぞ』と言ってますし」

「そう言えば、私達が子供の頃から父が言ってたわね。『一番しっかりしてて頼りになるのは美子で、一番抜け目が無くて金儲けが出来るのは美恵で、一番世渡り上手で出世するのは美実で、一番優しくて頭が良いのは美野で、一番根性があって利口なのは美幸だ』って。……あら美野、貶してるわけじゃないのよ? そういう個性の持ち主だって事なんだから」

「…………はい」

 段々暗い表情になり、うなだれてしまった美野を宥める様に美子が声をかけたが、話を聞いた企画推進部の面々は(お姉さん、容赦なさすぎ……)と密かに美野に同情した。そんな空気の中、美子の話が続く。


「それで美野は司法修習も受けずに入社して、一年で寿退社してしまったもので、今更また旭日食品に入れるわけにも……。かと言って、下手な所に入れるのは心配で」

「美子姉さん! 美幸の職場で、そんな事を愚痴らないで!」

「はいはい」

 流石に我慢できなくなって声を荒げた美野に、適当にあしらう様に美子が応じる。そこで話の流れを変えようと、真澄が別な話題を美野に振った。


「それで美野さんは、具体的にはどういった資格保持者なんですか?」

「MOSと簿記一級と社会保険労務士を取得して働いてましたが、離婚後に司法書士の資格を取って名簿登録しました。あと旅行が趣味なので英検とスペイン語検定の一級、アラビア語検定の三級を取得しています」

 素直に美野が答えた内容に、真澄は瞬時に真顔になって更に質問を重ねる。


「先程法学部出身と伺いましたが、因みに卒論のテーマは?」

「『自由貿易協定下における、国家間の特許申請及び既得権益の保護とその国際法的根拠の運用事例』です」

 それを聞いた真澄は、真剣な表情で美子に向き直った。


「……藤宮さん」

「はい、何でしょうか?」

 上品な微笑みでそれに応じた美子に、真澄がある事を提案した。

「差し支えなければ、妹さんの再就職先を斡旋しようかと思うのですが」

「まあ、願ってもありませんわ。どちらでしょうか?」

 些かわざとらしく声を上げた美子に、真澄も微笑んで詳細を口にする。


「ここの法務部、もしくは海外事業部辺りではどうでしょう? どちらの部署の責任者も話が分かるしっかりした方で、自信を持って推薦できますし、今は両部署とも人手が足りない状態なんです。美野さんさえ良ければ、早速今から面接に行きませんか?」

 すると姉妹が顔を見合わせた。


「美野、どうしようかしら? せっかくだからお話ししていく?」

「はい、できましたら宜しくお願いします」

「分かりました。少々お待ち下さい。今先方と話を付けますので」

 そこですかさず真澄が立ち上がり、自分の机に戻って早速内線の受話器を取り上げた為、事の推移を見守っていた他の者達は、軽く溜め息を吐いて美子達を見やった。


(何かあのお姉さん……、うちの課長と同類な気が……)

(抜け目無さそうな笑顔が、どことなく似てるよなぁ……)

(それを見越して、わざわざ妹を連れてここまで出向いて来たわけか?)

 そんな風にしみじみ考えていた面々だが、身内の事であり到底看過できなかった美幸が、椅子から立ち上がりつつ声を張り上げた。


「ちょっと美子姉さん! 何で謝罪にかこつけて、美野姉さんの就職を頼むわけ? 恥ずかしいから止めてよ!」

「美幸、仕事中でしょう? 騒ぎ立てるのは止めなさい」

 穏やかに姉に叱責された美幸だったが、それで収まる筈は無かった。


「冗談じゃないわよ。こんな事で美野姉さんが入ったりしたら、私までコネ入社だと思われかねないじゃない!」

「あの、ごめんなさい美幸。私、そんなつもりじゃ……」

 オロオロと弁解しかけた美野だったが、美子がそれを遮って冷笑する。


「あら、美幸はこれ位でコネ入社を疑われる様な、ろくな仕事しかしていないの? 先程課長さんが戦力扱いしてくれたけど、リップサービスだった様ね」

「何ですって? 幾ら美子姉さんでも怒るわよ!?」

「もう怒っているじゃない。これ位で怒鳴りつけるなんて、美幸がまだまだ半人前の証拠ね」

「あったまきた、もう我慢出来ない!」

「あら、私に何をするつもり? 美幸」

「美幸、止めなさい! 私はともかく、姉さんに『言い過ぎました』と謝って!」

 いきなり勃発した姉妹の喧嘩腰の論争を周囲は唖然として見守っていたが、ここで幾つかの訝しげな声が、城崎の周辺で発生した。


「係長、どうした。気分でも悪いのか?」

「どうかしたんですか?」

「大丈夫ですか?」

 美幸達が何気なくそちらに目を向けると、机に肘を付いて両手で頭を抱えた城崎の姿を認め、一体どうしたのかと美幸が声をかける前に、美子が呆れ気味に口を開いた。


「ほら、美幸が喚き立てているから、係長さんの気分まで悪くなったんじゃない?」

「そんな訳無いでしょう!」

 憤然として叫んだ美幸の言葉に続き、城崎が幾分居心地悪そうに会話に加わる。


「あの、お構いなく。気分が悪くなった訳では無くて……、その……、何となく自分が叱られている気分になりまして……」

「はい?」

「どういう事ですか? 姉は城崎さんを叱ったわけではありませんが」

 変な顔をした美幸に加え、美野も疑問を呈したが、ここで城崎は幾分申し訳無さそうに、ある事を告げた。


「その……、俺の名前も義行なんです」

「……え?」

 一瞬の沈黙の後、間抜けな声を出した美幸に、美野は流石に驚いて非難の声を上げた。


「ちょっと美幸、『え?』ってまさか、上司の名前を知らなかったの?」

「だって、ネームプレートは所属部署と肩書きと名字だけだし! 確かに初対面の挨拶の時、フルネームを聞いた気がするけど、特に気に留めなかったし、皆『城崎さん』とか『城崎君』とか『係長』って呼んでるから、すっかり忘れてて!」

「幾ら何でも、それは迂闊過ぎるでしょう!」

「…………」

 流石に言い返せず、(美野姉さんにだけは言われたく無かった)と思いつつ美幸が項垂れたが、それをチラッと確認してから城崎が話を続けた。


「加えて俺は三人姉弟の一番下で姉が二人居るんですが、下の姉と藤宮さんが。年の頃が一緒で、口調も彷彿とさせるもので……。つい自分が叱られている気分になりまして。今まで妹さんを職場で名前で呼ぶ人間は、居ませんでしたから……」

(うわぁ……、何か今の台詞、課長の姉弟間の力関係が窺えるなぁ)

(きっとビシビシ叱りつけられてたよな)

(ひょっとして、トラウマ一歩手前なのか?)

 淡々と述べられた城崎の家庭環境に、周囲の者が城崎に同情していると、美子が穏やかな笑顔を振り撒きつつ妹達に言い聞かせた。


「まあ、二人とも名前が『よしゆき』だなんて、不幸な偶然でしたわね。美野、もしこちらに就職が決まっても、気にされるから係長さんの前で美幸を叱りつけたりしたら駄目よ?」

「……気を付けます」

「勿論美幸も、社内で美野から叱られる様な真似をしないようにね?」

「……分かりました」

 取り敢えず神妙に頷いた妹達に満足したらしく、美子は笑って話を続けた。


「でも美幸と同じ名前の方が職場にいらっしゃるなんて、思いもしませんでした。近年『かおる』とか『かずみ』とか男女の区別が付きにくい読みの名前の方が多いので、主人が『同じ読みの名前のカップルだと、どんな風に呼び合うんだろうな。美幸ちゃんはそういう可能性が無きにしも非ずだし』と、笑っていたんですのよ?」

 いきなり方向性がずれた話に城崎はピクリと顔を強張らせ、美幸はいきり立って抗議した。


「ちょっと美子姉さん! 話がずれた上に係長に失礼よ! 私と係長はれっきとした上司と部下の関係で、名前で呼び合う必要は皆無だから必然的に困る事態にはなりません!」

「それもそうね。城崎さん、でしたわね。つまらない事を申しました」

「……いえ、お構いなく」

 非難された美子はあっさりと城崎に向かって頭を下げ、それに城崎は引き攣り気味の笑顔で応じた。そして二課以外の面々も含む、企画推進部内にいた殆どの者達が今のやり取りで何となく城崎の心情を察してしまい、密かに涙する。


(藤宮……、お前そこで係長にとどめを刺すな……)

(城崎君、不憫過ぎる)

(しかし、絶対あのお姉さん夫婦、係長で遊んでるよな)

(あぁ……、城崎係長の表情が暗い……)

 そんな騒動に目もくれず、自席で内線でのやり取りをしていた真澄が受話器を置き、美野に声をかけた。


「藤宮さん、お待たせしました。どちらも今は手が空いているそうですので、早速出向いて簡単な面接を受けて頂きたいのですが。正式な試験は後日、日を改めて行いますので」

「分かりました。お願いします」

「それではご案内します。お姉さんは先にお帰りになりますか?」

「宜しければこちらで待たせて貰っても宜しいでしょうか? 美幸の職場での様子を、この際じっくり見させて頂きたいですし」

「分かりました。どうぞこちらでおくつろぎ下さい。それじゃあ美野さん、行きましょうか」

「はい」

 そうして素早く話を纏め、真澄が美野を連れて部屋から出て行くとすぐに、室内にはいつも通りの空気が戻った。しかし美幸だけは応接スペースから自分を見ている長姉の視線を感じ、うんざりとしながら中断していた仕事に取りかかる。


(勘弁してよ、この年で父兄の職場参観なんて……)

 そんな事を考えながらも、ふと先程美子が言った事が頭を掠める。


(でも確かに『よしゆき』なんて読み方だと、相手と名前が重なる可能性って有ったんだなぁ……。いえ、そうじゃなくて、係長と付き合うとか、そういうんじゃ無くてね?)

「……藤宮」

「はい! なんでしょうか?」

 密かに自問自答していた時に、考えていた相手の声が至近距離から聞こえてきた為、美幸は僅かに狼狽しながら声を張り上げた。それに城崎は僅かに眉を顰めたものの、余計な事は口にせず美幸に新しい仕事を振り分ける。


「この三國興産からの仕入れ商品リスト、購入数量と販売額毎に分類しなおして、転売に支障がある傾向の物を五%拾い上げておけ。来週先方に申し入れする時の材料にするから、明日までにな」

「分かりました」

(明日までって……、並べ替えるだけならすぐに出来るけど)

 素直に頷きつつリストを受け取った美幸だが、その煩雑さに少し落ち込んだ。そして能天気に自分を眺めている姉に、些か八つ当たり気味の視線を向ける。


(もう、美子姉さんったら、完全に面白がってるわよね)

 そう確信しながら重い溜め息を吐いた美幸だったが、取り敢えず目の前の仕事を片付けるべく、意識を切り替えて取り組み始めた。


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