魚拓
まだ皆が寝静まっている日曜日。夜が明ける少し前に僕は家を出た。
原チャに乗って足元に釣り道具を置いてエンジンをかける。
かかりにくいエンジンは3回目でようやくゆっくりとかかりだした。
ヒグラシの心地よい音色が体に染み渡る。クラシックで目覚めた朝のように。
新聞配達の眠そうなオジサンとゆっくりすれ違って僕は一人海に向かった。
反対車線の車とすれ違うと得した気分になる。向こうは今から床につく。僕は今さっき床から飛び出した。なんとなく一歩リードした気分になる。
60キロまでしか出ないスピードを最高まで出す。気分が高ぶるとついスピードを出しすぎてしまう。
思ったよりはやく海についた。
まだ魚釣りはそんなに経験がなく一人できたのもまだ3回目だ。
ついこの前までは針にエビを上手くつけることもできなかった。
針に糸とウキを通し昨日買ったイソメを針に刺す。針はイソメを貫通する。針に刺さったイソメは力強く動く。
辺りが薄明るくなってきた。
テトラポットの上にゆっくりと足元を気をつけながら進む。
海に向かって勢いよく釣り竿を振りかざした。それと同時くらいに糸を離す。
イソメが海に落ちていく姿は地獄に落ちていくのと同じことなのだろうと暗いことを考えた。腹を空かせた魚たちがイソメに食いかかる。一分もしないうちにウキが沈む。僕は勢いよくリールを回し早くも一匹目の魚を釣り上げた。
見たことのない魚だった。簡単に釣れたが思った以上にでかく、20~30センチ近くあった。
その一匹を釣ってからパタリとこの日は魚が釣れなかった。
でもこの魚は自分の今まで釣った魚の中で一番でかく気分が高揚し帰り道もスピードを60キロ出して帰った。
まんまと警察につかまり罰金として5000円近くとられてしまった。
気分を落として道の端っこで時速20キロで帰った。僕は馬鹿だ。
家でも酷く落ち込んだがクーラーボックスを開けて罰金のことなど頭のなかから抹消された。
焼いて昼飯にでもしようと思ったが記念に魚拓をとることにした。
前に友人の雅彦がブラックバスの魚拓をとって喜んでいる所を見たがやり方まではよく見ていなかった。
パソコンを開きWikipediaで魚拓の取り方を調べた。
大まかに見ると
魚を洗う。魚の表面の水分を取る。
魚に墨を塗る。
墨を塗った魚に紙を押し付けて、墨を転写する。
魚の種類、長さ、重さ、釣り上げた年月日、釣り上げた人と別人の証明者の氏名を記載して完成。
とある。
とりあえず魚を洗うことにした。
見たことのないこの魚はウロコが緑色で光るとキラキラと反射しエメラルドグリーンになる。
目は異常にデカく今にも飛び出しそうだ。前にテレビで見たビックリ人間の目玉を突出させる人の目に似ていた。
洗面所に魚を置き水道水で魚を雑に洗う。
今まで魚を洗ったことは何度かあるがこの魚は何故かヌメリがとれない。
油の塊を水で洗っているようだ。
十分に洗ってから墨を塗ってみたがウロコは墨をはじいた。塗る前から目に見えていたが。
ただ魚は洗面所でエメラルドグリーンに光っていた。
自棄になった僕はもう一度魚を洗い流し、焼いて食べることにした。
この魚のウロコのヌメリが油なのかわからないが油だったら焼いてる間に家事になると思い庭にでて試しにライターで魚に火を付けてみた。
魚は火がつくどころかいくら焼き続けても無反応だった。
僕はこの魚は新種なのではないかと思った。実は後になってわかるのだがこの魚はどうも普通の魚ではんかったらしいのだがそんな想像も調べる方法も知らない僕の新種なのではないかという仮説など一瞬にして脳裏から消え去っていた。
それどころかこの魚をどうやって食べようかという考えに変わっていた。
3年ほど前から家で飼っている猫が魚に飛びかかってきた。
近所のおばさんが病気をして飼えなくなったので引き取った猫だったが先日息子をカラスに殺されて発狂した。
毎日鳴き叫びながら飛び跳ねている。どこかの民族の祭りのように。
魚に飛びついた猫の目はシマウマに飛びかかるライオンよりも逞しく飢えていたように見えた。狂気の目をしていた。
僕は猫を足で振り払った。猫は花壇の石に頭をぶつけて倒れた。ピクリともしない。僕は猫の口元に手を当てる。死んだ。
恐らくあたり所が悪かったのだろう。偶然にも猫は死んだ。殺すつもりはなかったのに。猫の死体を庭に埋めた。魚もいっしょに埋めた。きっと家族も猫がいなくても何も驚かない。なにせ狂った猫だから。
高校生にもなって大人の自覚が沸いたと思いきや僕の体からはただのセコい子供のような考えは抜けなかった。ましてはセコい考えしかできない自分に嫌悪感を覚えた。
猫を可哀想だと思う。しかし時々心の中で『ざまあみろ』と誰かが言う。そんなこと全く思っていないのに。
前に親戚のオジサンの葬式の時もだ。よく遊んでくれたオジサンの葬式で僕は泣くのをこらえて歯を食いしばっていた。オジサンの死を悲しむ中、時折全く心にもない『ざまあみろ』という言葉が頭をよぎる。気持ち悪い。自分が気持ち悪い。言ってはいけないことが頭に少しでもよぎる自分が気持ち悪い。
気持ち悪いのだ。
それと同時にこんなことを考えている自分は最低だ。なにか悪いことが自分の身に起こるのではないかという自分の中の葛藤がはじまる。何度も心の中で相手に謝る。前はこの葛藤を一晩繰り広げたこともあったが、今は『自分の心の中で何を考えようが自分の勝手である』という考えをただひたすら自分にすり込んでいくだけだ。それで落ち着く。この考えは小学校のころ担任だった教師が生徒の前で言ったことである。
ただ僕はこの心の中の事がいつか心から飛び出して他人に迷惑を掛けるのを恐れていた。
僕は前に友人に相談を受けたことがある。彼は自分の大切な人、例えば家族や恋人が死んだり病気にかかったりすることを想像してしまうらしい。詳しく書けば針で目をえぐられたり、癌にかかったりなどと様々なことを夜な夜な布団に入ってから想像し、眠れなくなってしまうらしい。もちろん想像する内容が怖いというのもあるが、彼が考えすぎてしまう一番の理由はこんなことを考えている自分への嫌悪感、自分へ降りかかるかもしれない悪事だ。
深くは問いたださなかったが、もしかすると彼は神の存在を信じ天罰を恐れているのかもしれない。
僕にも少なからずそういう考えが心のどこかにあるのだろう。つまりは因果応報といったとこだろう。
僕は彼にどうすることもできず、前に僕にもそういうことがあったと伝えたことを覚えている。
「まーちゃん、どこー」
祖母が猫を探している声がする。祖母はただ一人この狂った猫の世話をしていた。他の家族はみんな気味悪がって猫には近づこうとしなかった。
「ショウヘイ、まーちゃんはどこへ行ったのか知らないか」
「知らないよ。またおかしくなってどこかへ逃げちゃったんじゃないの」
寒気がした。一瞬で体から汗が吹き出た。祭りで不良に絡まれた後に似ていた。とても嫌な気分だ。
怖くなって僕はベッドに潜り込んで寝れずにいた。
夕方になっても祖母も母も帰ってこないので不審に思い母に電話した。祖母は猫を探している最中に石段で躓いて死んだ。
僕は窓の外の電信柱にとまる名前のわからない鳥を見ながら少しの間ぼーっとしていた。頬に当たる風がただ涼しくて心地よかった。ヒグラシの出す独特の音色がただ体を通り抜けていった。
祖母の葬式は翌日に決まった。
家族は最後に祖母と猫を会わせてやろうと猫の捜索が夜になって始まった。
母と姉は商店街へ、父は近くの山へ探しに行った。僕は近くの中学校の周りに野良猫が多い
と適当なことを言って中学校の周りをうろうろしていた。音楽を聴きながら歩いていたがイヤホンから流れるイングランドの若いロックグループの作り出す激しい歌声も演奏も僕の体では吸収されずそのまま排泄物のように体外へ流れ出ていった。
自分が不意に猫を殺してしまったっことで祖母まで死んでしまった。今日起こったすべてのことが自分の責任に感じてままならなかった。
庭に埋めた猫が不安になり掘り起こしに家に帰った。
庭を急いで掘り起こすと猫は蛆と悪臭で包まれていた。
一緒に埋めた魚は蛆もつかず元の状態で気味が悪かった。スコップで猫と魚を黒いゴミ袋に放り入れて庭の土を埋めた。原付で今朝魚を釣った海まで行き、テトラポッドの上からゴミ袋を海に投げつけた。海の風は強く月は強く僕を照らした。この魚を釣ってから不運が続いている気がしたが、魚のせいにしても意味がないと思いまた暗いことばかり考えて落ちこんだ。ウスバカゲロウのようにゆらゆらと歩きながら駐輪場まで歩いた。
祖母の葬式は親戚一同が揃い、よく家に遊びに来ている友人の雅彦も来ていた。
静かな葬式の中僕は心の中で「ざまあみろ」という言葉がよぎったが、ぐっと押し殺した。
帰りがけに雅彦にわざわざ来てくれた礼を言おうと式場の外で呼び止めた。
「今日はありがとな。来てもらって。」
「あたりまえだろ。突然で驚いたけど。」
雅彦は強張った顔で言った。
「俺も死のうかな」
気持ち悪いくらいに作られた笑顔で雅彦が僕の目を見ながら言った。
「お前ひとのばあちゃんが死んだ後に何言うんだよ」
「俺、新しいクラスになってからなんだか省かれてる。もうなんか面白くなくてさ。」
「そんなのわかってるよ。俺だってお前といると周りにいろいろ言われんだぜ。おめえうぜえんだよ。ふざけんじゃねえよ。死にたきゃ死んじまえよバーカ。」
久しぶりに本気で怒った。そのまま背を向けて僕は帰った。きつく絞めた葬式用の黒いネクタイを勢いよくほどいてグチャグチャにしてポケットに突っ込んだ。
翌日から雅彦は学校へ姿を現さなくなった。
雅彦が学校へ来なくなってから一週間もすると猫や祖母、雅彦のことで頭がパンパンになったがなんとか普通を装った。
一ヶ月くらい経ってからだろうか。いきなり雅彦が学校へ姿を現したのだ。僕は雅彦の姿を見ると同時に教室へ逃げた。
なんとなく殺される気がした。
雅彦にとって最後の砦であった僕が雅彦を裏切ったことで雅彦の不満がすべて僕に集中するのではないかと恐れた。雅彦には盗みをやったり薬をやったりしているのではないかという噂が流れた。
それから僕は怯えていた。
体育の後に水筒に麻薬を入れられているのではないかと恐れたりもした。家で寝てるときも寝てる間に殺されるのではないかと恐れた。
僕は見えない恐怖を身にまといながら生活した。
不幸なことが積み重なっている気がした。
学校の帰り道猫を捨てた海へ行った。誰一人いない海は静かに夕日を反射していた。
ヒグラシが気持ちよさそうに鳴いている。僕は手の届く木の枝に止まっていたヒグラシを手で握りつぶした。手の中はヒグラシの体液で濡れていたが僕は手の中を見ずに海を見ていた。
猫と一緒に捨てた魚が群れを作って海を泳いでいる。魚たちは夕日に照らされ海がエメラルドグリーンに光っていた。
あれから20年経った今でもヒグラシの声を聴くと薄っすらと思い出す。あの頃から僕は人を批判したり蔑んだりしなくなった気がする。ただあの日から野良猫を見ると道を変えてしまうのだ。
文章力がなく書いていて自分にあきれてしまいました。あとから読み返してもよくわからない点が多く小学生の作文よりも酷いようなものとなった。ただ少しでも伝わればありがたいです