ドクター・O 非常識捜査ファイル
ファイル1:LIZARD POLINEST
こんな話を、本気にされると思っていない。俺だって本気にしていない。だが本当だ。本気にしなくたって本当は本当だ。だから俺は、誰にも言えなかった。俺は本当のことを、言える相手を探していた。
※
「オーマ〜??」
俺は愛想の悪い居候に、嫌々ながら声をかけた。愛想が悪かろうと一緒に住んでいるわけで、一緒に住んでいるということはだいたいの生活サイクルを知っている。一応お前は大学の研究員だろう。朝が起きれないのはみんな同じように辛い。もうそろそろ起きないと昼を過ぎる時間が見えてくる。だから一応気を使って起こしたのだが。
「……お前は俺の眠さが他の連中と同じだと、なぜわかる」
わかるわけがない。俺が他の奴らの五倍十倍と眠かったところで「眠いいいい!!」という心境は声に出すと同じで、誰がどれくらい眠いなんて話は誰にもわからない。地球の裏側からイギリスくんだりまでやってきたのだから眠いに決まっている!と怒られてもこいつがイギリスに来たのは一ヶ月も前で、そろそろ慣れていかないと毎日昼まで寝る生活が続く。俺はだいぶ前にこっちに来たから問題ないが、お前は生活を軌道に乗せないと……そう言って聞かせると、「だいぶ乗ってきた!!」と怒る。こいつ日本にいる時から朝の9時過ぎてから起きるのが当たり前だったらしい。研究員というのは自由な仕事なんだなあ、と感心していると、日本の大学にはアメリカから来た留学生がいたが同じことを言われたという。お前がいたのは自由の国なのだからお前の方が自由だろう!と「人による」という見地そのものがなくなった理屈を捏ね始めた。人のことはわからない、というのは全人類同じ意見なのでこいつもそうなのだろう。その辺に気がつくともう一つ賢くなって、研究室をたらい回しにされることもなかっただろうに。こだわりとクセが強いと来る前から噂だったオーマ、「こだわりはわかるがクセというのは?」と聞かれて俺は困っていた。この学校でオーマ本人を昔から知っているのは俺だけなのだからクセが強い、で自分では済ませていた。もっと端的な表現を使うと「めんどくさい」。オーマを表すための俺のボキャブラリーはその二つしかなく、本人が来るまではペラペラと言われて悦に浸っていた語学力はあまりにも乏しいのだと頭を抱えていた。本人が来るとすぐに全員が「クセが強い」で済ませてくれるようになったので、とても助かっている。早めに起きろよ、と最後に言い残すとオーマはクッションを投げつけてきてまた寝始めた。俺は一足早く大学の研究室へ向かった。
「ハルユキ、オーマは?また夕方なんてことはないよね?」
研究室の教授はやはり不安だったようで、来て一週間連続で夕方に姿を現したのだからまたやるかもしれないと思っている。最初は時差があるから、でお目溢ししていた寛大な職員たちも呆れ始めてギリギリクビにならないラインで低空飛行。日本在住だと自分にとって必要最低限の回復は自分でしないといけないので、オーマも基礎スキルとして身につけている。どうやら体質の問題ではない、ともうすでに知れ渡っていて、「だからオーマか!!」なんて言われ始める始末。日本留学経験のある学生はオーマの名前が読めたらしい。「逢魔時のオーマ」。微妙にかっこいいというか厨二臭いというか、本人にとっては本名なので何も思わないらしいが、夕暮れ時のヤツ、と本人の知らないところでキャラ付けが済んでいる。何せ隣の研究室にしれっと推薦したのが俺なのでたまに白い目で見られている。来て早々にトラブルなんて起こしたものだから要注意人物扱い。それは、時差ボケ遅刻とはあまり関係のない話だった。
都市伝説。それはある種くだらなく、ある種学術的な側面がある。文化人類学とか、社会性のなんたらとか、拡散スピードがどうたらとか。要するに「噂とは何か」という点に集約するのだが、普通はくだらない、なんでもないですませるものだ。その日だって、そうなるはずだった。
どこか別の棟、別の学部の学生。彼は畜産とか、獣医学とかそういうのを学んでいたはずだ。もっとも会うのは初めてで、血相を変えて研究室に飛び込んできて震えているものだから心配になり、どうしたんだい?と尋ねた。しっ!と指を立てた彼は、廊下の足音が過ぎ去っていくのを聞いて、ホッとしたようだ。
あれはいつもこの棟を見回る用務員の足音だ。いつもと違うこともなく、何を慌てているのかと不思議に思った。やられてたまるか、トカゲ野郎!……何のことだろう。彼なりの悪口なのだろうか。俺もオーマを表す言葉に困った後だったので、そういうものだと思って流した。そのうちに研究室の学生や研究員が集まってきて、何事か聞こうとしたが、彼は語らない。それどころか怒り始めて、信用できるってんなら証拠を出せ!と喚き散らし、また出ていってしまった。彼をもう一度見かけたのは、夕方。警察車両が数台大学の前に集まっているものだから、何かと思えばさっきの彼が捕まっている。助けてくれ!こいつらは、違うんだ!人間じゃねえ!……何を言っているのかわからず、錯乱しているとしか皆思わなかったようだ。変な奴が出て、警察にしょっぴかれた。それだけの、珍しいような珍しくないような、そんな話で終わる、はずだった。
「おお、人間じゃないな」
……オーマだ。こんな時間にやってきて何があったかどころか学校の便所の場所もよく知らないはずなのに、人間じゃない、と言い切った。相手は、警察だ。しかも相手にわかるように、英語で言った。周りには人目がある。警官たちは、オーマを関係者と思ったようで、話を聞こうとした。オーマは、特に困る様子もなく英語で警察と喋った。
「なあに、特権階級ってのは酷いことをするなあって、そんだけですよ」
……特権階級、というのは警察を指している、らしい。これは職務であり公務、治安の維持のため……警官たちが主張し終えるのを待たず、オーマは言った。銃を持って人を縛り上げて手錠をかける権利を持っていれば、特権。特権があるから権利を行使するなんて、特権階級以外の何物でもない。特権があるから、特権を使っていいなんていい御身分だ。……お前は、関係者か?そう聞かれて「通りすがり」と答えたオーマ。ひでえことしてるなあって思って!警官は手錠を取り出して、オーマにかけようとした。しかしオーマは、三日前に日本から来たばかりで法的な扱いとなるといささか不明瞭だ。国際問題に発展して、責任を誰かが取るとなれば現場の人間……警察たちはそんな会話をして、オーマに手を出さず獣医学部の学生を連れていった。オーマは、何があったんだ?なんて今更気にしていた。知らないなら首を突っ込まないでくれ、ヒヤヒヤする。「黙ってたら人間じゃなくなっちまう」と知ったような口を聞いたオーマは、彼を知っている学生を探し始めた。
オーマの研究は、いささか変わっている。大学にいれば誰もが専門分野を持ち、誰もがスペシャリストになる。だがオーマは、ごく少数のメンバーで構成された実験的な研究活動をしていた。その研究分野は、『隙間』。誰もが専門家であれば、誰もが自分の分野から出ない。結果的に、誰も広い視野を持たずお互いの相関性を知らない。お互いをリンクさせるために、隙間を縫う、という特殊な研究はイギリスで実践するにはあまりにも……あまりにも奇妙なものだったから、受け入れ口が限られていた。だからあまりトラブルを起こしたくない。というか起こしてほしくない。日本にいた頃一応友人だった俺はオーマが何かしでかしたらクレームの嵐に見舞われる。日本と違って「オーマだから」で呆れて納得してくれる奴などいようはずもない。何せ日本ではそういう奴がいるのがすでにおかしいのだからいるはずがない。だから大人しくしてほしいし、変に揉められると困るから俺もついていった。獣医学部の彼は、俺たちの研究室に来る前に警察と揉めたらしい。研究内容を見せろ、と言われて彼は断った。研究と言っても学生がする範囲など知れていて、もつれにもつれてレポートにもならないから、と渋っていた。警察はトランシーバーで何かを連絡し、情報の開示義務とかそういうのを持ち出したらしい。そしたら彼は急に逃げ出した。なぜ逃げたかは皆わからず、その後俺のいた研究室に駆け込んだらしい。焦れば誰でも敵に見えるもんなあ、なんてオーマは当たり前に納得していた。まだ18だというのにタバコなんて吸ってた時、警備員を警察と間違えてビビったなんてどこにでもある話を引き合いに、誰も信用できなかったのだろう、と落とし所を見つけた。だが彼がなぜそこまで怖がったのかは、誰も知らない。レポートにもなっていない稚拙な研究だから、言いたくなかった。まあそこまではわかるとして、警察にふん縛られてまで逃げないといけない理由にはならない。恥ずかしかったからとて見せてしまえば終わり、どうせまだ提出する段階ではないのだから整理できていないのが普通。何を焦ったのか。それは誰も知らなかった。オーマも聞きはしたもののそこで話が止まってしまった。彼はおしまいかな、ナンマンダブツ。そんな無責任なことを言って、話は一気に終わろうと、していたのに。俺は自分のドジさ加減が恨めしい。
「トカゲに恨みでもあったんだろ」
俺は帰り道の地下鉄でオーマにそうこぼした。何のつもりもなかった。確かそう言っていた。それしか思っていないのに。「……誰に聞いた?」。オーマが怖い顔で聞くから、本人が怖がって叫んでいた、と教えた。そういえば一緒について回った時にはその話がなかった。なかったとしてこれは彼なりの悪口なのだからこういう表現ってだけ、泥棒猫とか石頭とか、そんなのと同じ。それが「彼なりの悪口なら」それで間違いない。しかしオーマは、この言葉に含まれた「トカゲ」という言葉に異様に興味を持った。お前、トカゲと人間どう違うか知ってるか?なんて中学生の理科のテストみたいなことを聞かれて、お前よりは出来のいい研究員だぞ!と怒りながら答えた。恒常性の有無。胎生と卵生。鱗。大脳の大きさ。次から次へと中学レベルの知識をひけらかす俺を、オーマは呆れたように見ていた。「間違いではない」と教員気取りで評点を出すと、「なぜその違いになる」なんて聞いてきた。オーマは、地下鉄の窓の外を見てガラスに自分の手を映した。
生物の骨格は、どんな種のものであってもさほど変わらない。人間とヘビを比べたって、その違いは何があって何がないかという話で組み合わせは大差ない。背骨、顎、肋骨……生物のバリエーションは、俺たちが思っているよりずっと少なくて単純なのだという。だが、と俺は言い返した。俺たちは空を飛べない。翼がないから。狩りもできない。牙がないから。あまりにも違うだろう、と言ってやったのだが、お前はアホかなんてアホのオーマに言われた。翼がないのは手があるからだ。翼と手の二択でこっちに進んだ生き物。聞いたことくらいあるだろう。違いは指の骨が、「どれくらい長い」の一点。骨格となればそれしか違わない。キリンの首の骨の数、知ってるか?と聞かれて、知っているのに答えられなかった。キリンの首の骨は、七つ。人間と同じ数だ、なんてあまりにもありふれた話だった。牙に至っては歯があるのだから、大した違いはない。大型の生物となればその組み合わせも大して違うものではなく、あれをあっちにこれをこっちにと組み換えれば、別種生物の骨格を再現できるという。そんなのはお前が手と足を間違ってくっつけたロボットのプラモデルの話、腐れ縁だからガキの頃見せられたことがある。どうやってはがそうなんて相談してきたくせに!と怒ると衝撃の事実を聞かされた。あのプラモはまだそのままだという。実家に行けば、お袋が捨てていない限りどっかにしまってある。なんでお前のゼータだかターンエーだかの行方を聞かねばならん!と言い返すと「確かにそうだ」とようやく論破できた。今の俺があるのはそのおかげだから、と肩を落としていたオーマは、どうやらアニメの見過ぎでこうなったらしい。アニメを見過ぎたやつというのはもっとバンダナとリュックとか似合うようになると思っていたのに、どう尖り間違えたらこうなるんだか。俺はオーマが最後に言ったことを、聞き逃しそうになった。
「恐竜人間とかな」
そんなのもあったなあ、と聞き流して俺たちの乗った地下鉄は駅のホームへとたどり着いた。
※
事態が動いたのは、翌日。動いたというかまた揉めたのだ。もちろんオーマが。まーたあいつは何をしでかしたんだ!と思っていたら警察が絡んできたらしい。昨日生意気な口を聞いた日本人を重要参考人として連れていく、と話がめちゃくちゃデカくなっている。こんなときだから引っ込んでてくれればいいのに、今日に限ってオーマが早めに現れた。まだ3時だぞ!と普段は絶対言わない文句を言いたくなったが、そんなこと言ったら俺まで逮捕されて前科がついたら人生が終わってしまう。黙ってオーマだけ連れて行かれるのを見守るしかない、許せ。そう思っていたら、オーマは何かを調べてきたという。昨日連れて行かれて今は拘置所にいる学生の件。オーマが気にしたのは学生ではなく、学生に詰め寄った警官だという。なぜ彼は学生の研究内容を気にしたのか。不思議なもので誰も気にしていないから、勝手に調べたという。繋がったIPアドレスの履歴とか、難しいようでさほど難しくない範囲のネットワークのアクセス履歴を調べたところ、ハッキングの形跡があった。要するに盗み見。アドレスを追跡すれば端末まで特定可能だが、おそらくは公的機関だというところまで調べてそれ以上は手付かず。本当か?と聞かれたオーマは、「本当かどうかは、俺が言っても仕方がない」。もしかしたら調べ上げたかもしれないし、他の奴に伝えたかもしれない。情報をどこかに残したかもしれない。それが大学ノートであればいちいち日本語が読めるやつに、俺のヘタクソな字を読んでもらわないといけない。日本人のノートはな、日本人でも読めない奴が多いんだ。自慢にならない啖呵を切って、オーマは警察と睨み合った。警察は、「これ以上の詮索をかければ、公務執行妨害で逮捕する」と言って帰っていった。しばらくして獣医学部の学生は学校に戻ってきて、近くの警察署の職員が何がしかの理由で解雇された、というニュースをチラリとだけ見て、その話は終わった。
※
「脅しは十分かけたから、危険を避けたんだろ」
あの学生だって下手なことをすれば今度は出てこれない、本人は大人しく当たり障りのない論文を提出すると諦めていたそうだ。それよりも警察署での超法規的行動が表沙汰になるとその方が厄介、警察署の中で済ませるには署内で懲罰を与えて何もなかったことにするのが一番。これからその一人は特権階級どころか前科者扱いで苦労が絶えないだろう、というのがオーマの意見だった。大学側で問題にならないようにこれ以上は触れてこない。俺もこれ以上関わる気はない、とオーマは語った。あいつは稚拙でバラバラな研究の中で、気がついちまった。生物の体の組み替え。ある生き物が別種生物に、人間がトカゲに。警察署は人型爬虫類の巣だって、聞いたことないか?と聞かれて「知るかボケエエエ!!!」と叫んだ。警察が前科者になったって新聞の端っこに載るだけの話だが、お前が警察と揉めたという話は学校に知れ渡っている。警察と揉めた、という話だけが知れ渡ったのでただの危険人物と思われ、まだ来て一週間と経っていないオーマは研究室という研究室から総スカンを食らい、隙間研究どころか居場所がない。一応俺が隣の研究室に、めちゃめちゃ取り次いで籍だけ置いてもらったのだが、基本は誰も関わらない。だからこいつがその研究をするためには協力者が必要で。
「じゃ、頼むぜ」
なぜ俺が!!俺にだって研究がある!文化人類学!論文だって書かないといけないし、イギリスで知り合った女の子とムフフなことになる方法とか、考えることでいっぱいだ!!「このままだと、ただの俺の知り合いになるぞ」と言われて怖くなった。こいつに振り回されるなら「大変だねえww」と言ってもらえる程度には俺には信用がある。はずだ。オーマの信用獲得と自分の信用の維持を一大目標に、俺たちの共同生活がその日から始まった。