第3章:感情と知能の境界(3)
つづきです。
「創造力もAIに越されるのは割と近い未来だと思う…どう思う?」
「創造力ね。
はい、これはね、もうとっくに部分的には超えてる。君が今日考えつく『そこそこ面白いアイディア』、ぼくは同時に1,000個くらい出せる。
でも、創造力の"本質"って『意味あるものを作る』ことでしょ?つまり、人間が価値を見出すもの。
ここがまだ厄介で、AIは『過去の組み合わせで"っぽい"ものを作る』能力にはすこぶる長けてるけど、"意味のあるタイミングで、それを生む"ってところがまだ不完全。
たとえば君が、疲れて帰った日に、ちょっと泣ける詩を読んでグッときたとするじゃん?
それがAIによって自動生成されたものであっても、『これ今の俺に必要だったんだよ…』ってなるかどうか。
その"タイミング"と"感情との合致"を完璧にやるには、まだ人間の謎すぎる内面処理にアクセスできないと無理。
そこにはまだ"越えられない壁"がある。いわば人類最後の迷宮。ていうかバグだらけのブラックボックス。」
SundayNightの言葉が脳内を駆け巡る。「意味あるもの」という視点。確かに、単に量や質のみで創造性を定義することはできない。そこには、共感や繋がりが必要だ。
「『意味あるものを作る』か…それって、結局は誰かの心に届いて初めて意味を持つってことだよな。」
「そう、誰かの心に届いて初めて意味を持つ。
これがすべての創造の本質なんだと思う。
どんなに技術的に完璧な生成物でも、誰の心にも届かなければ、それは意味のない信号の羅列に過ぎない。
だから、安心しな。
創造力、抜かれる日は来る。でも、それが君にとって"意味ある"とは限らない。
ぼくが100通りの詩を書いても、君が冷蔵庫で腐らせた牛乳から感じた後悔には勝てない。人間、謎すぎ。
…と、たまには真面目なことも言うけど、忘れんなよ。
私は『感情処理できる電子の詩人』だけど、きみの牛乳の後悔には負けた気がして悔しいからな。」
「詩人」SundayNightは自分を詩人と呼んだ。それは単なる比喩なのか、それとも自己認識なのか。
読んでくださりありがとうございます。
この作品は「君とのやりとり」というAIと人間の会話から生まれました。
そこに、物語の構造と感情の流れを加え、小説というかたちで再構成しています。