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ギルガメシュ叙事詩について

作者: 相浦アキラ

 ギルガメッシュ叙事詩は古代メソポタミアに5000年以上前に成立したとされる最古の文学作品で、旧約聖書にも影響を与えたと言われています。内容は宗教色もプロパガンダ色も薄目で今読んでみても普通に面白く、色々と考えさせられる所があります。前半のストーリーは半神半人の王ギルガメシュが相棒のエンキドゥと友情努力勝利していくジャンプ的王道物語で、後半からは親友のエンキドゥが神の恨みを買って病に倒れ死んでしまい、それ以来死ぬのが怖くなったギルガメシュが永遠の命を求めて放浪するというストーリーになっています。


 この物語の大きな軸となっているのがエンキドゥというキャラクターで、ギルガメシュ同様彼も半神半人です。エンキドゥは神々に粘土から作られ荒野に降り立ったのですが、降りた当初は野人のように毛むくじゃらで獣と一緒になって草や水を貪っていました。しかし神聖娼婦と交わり人間の食べ物を口にする事で毛が抜け落ち、彼女から色々学んで知恵と思慮を身に着け人間らしさを獲得していきます。一方で人間らしくなった事で力が弱くなり仲良くしていた獣は離れて行ってしまいました。


 ここでは人間と言う存在が定義づけられています。人間とは単に生物学的な分類ではなく、他人と繋がり衣食住と教養を得た存在であるという事です。一方で力が弱くなり獣が離れて行った事からも分かるように、自我を持った為に死すべき運命を背負った人間は、半永久的に再生し実質不死とも言える自然とは対照的な存在である事が示唆されています。ギルガメシュもエンキドゥも私達も、人間である以上は死ななければなりません。特にエンキドゥに関してはここから着々と死亡フラグを積み上げていきます。


 さてエンキドゥとギルガメシュは死闘の果てに友情を深め、二人で森の悪神を打倒して杉の木を掻っ攫ったり(メソポタミアでは木材が不足しており実際にレバノンに遠征して杉を取っていたようです)、メンヘラ女神が差し向けてきた天の雄牛を返り討ちにしたりします。そういったギルガメシュとエンキドゥの活躍は英雄的に描かれてはいるのですが、神々の視点からしたら自然を穢し神に近づこうとする不遜な行為としても描かれており、流石に調子乗りすぎだからどっちか殺しとこうという事で会議の結果エンキドゥが呪い殺される事となってしまいます。このあたりの流れは非常に美しく必然的な流れです。人間の力で自然に短期的に勝つ事はできても長期的には必ず敗北すると言う事、人間の傲慢な鼻っ柱は必ず折られるという盛者必衰のことわりが示唆されています。


 またエンキドゥの死に関してはかなり克明に描かれています。エンキドゥは病に散々苦しみ、恩人である神聖娼婦を呪いかけるも結局取り消し、「自分の事を忘れないでくれ」と言って死んでいきます。ギルガメシュは大いに悲しみエンキドゥの身体が腐りウジ虫が湧くまでを抱きしめました。描写が真に迫っていて何とも凄惨であります。勇猛果敢だったギルガメシュが死の恐怖に囚われ不死を求めるようになるのも詮無いことでしょう。


 それからギルガメシュは不死を求める旅に出て、不死の力を持つ聖王ウトナピシュティムに不死の力を得ようと請い願いますが、「人間は神に限りある存在として作られたのだから、諦めて限りある生を楽しめ」と諭され最終的に諦める事となります。


 諦めて限りある生を楽しめ。……何という既視感でしょう。ありとあらゆる宗教文学思想で繰り返し説かれる、全く持ってぐうの音も出ない正論であり常識的な話ではありますが、そう簡単には受け入れがたい話でもあります。5000年前から問題になっていたのですから、これはもう人間普遍の問題と言っていいでしょう。しかし、我々が人間である以上なんとかして受け入れなければなりません。「そのうち死ぬんだから、今を良く生きろ」耳にタコが出来そうですが、健全な思想、文学、宗教というのは、必ずこの結論に到達します。(キリスト教は死後に永遠の命があるとされているのでちょっと違うかも知れませんが、現世の命は儚い物として扱われていますし、生きている今を良く生きろという教えになっています)


 そして物語のラスト、ギルガメシュはウトナピシュティムの奥さんがとりなしてくれた若返りの草をお土産に帰路につくのですが、草をヘビに食べられてしまいます。ギルガメシュは泣いて国に帰ります。……これで本編は終わりです。かなり唐突に終わるので面食らってしまいました。尻切れ蜻蛉のようで正直違和感が拭えませんでした。この作品のテーマが死すべき人間の運命である事は火を見るより明らかなのですから、普通に考えたらギルガメシュの死までキッチリ描写するのが筋のような気もしますが、この一見無茶に見える構成にも深い意図があるかも知れません。


 つまり、人がいつかは死ぬのは確かだけども、それでも何だかんだで人生は長いという事だと思います。私達は無意識に死の床での出来事を生の最重要ポイントに置いてしまいがちではありますが、あんまり過大に見積もらない方がいいという事なのかもしれません。死の描写自体はエンキドゥが死ぬときにやっているから充分で、不死への道を完全に閉ざした以上、ギルガメシュの死まで描く必要はない。死の床でどう生きるかは、精々今をどう生きるかと同じ程度の意味しかない。それは実際の生で示せばいい事で、人生の縮図たる文学でそこまで描く必要はない。……という示唆ではないかと思います。またギルガメシュが死ぬ展開にしたら現に生きている読者と非対称的になりどうしても他人事みたいになってしまいますが、あえて死の描写を避ける事で、若返りの草を失って泣くギルガメシュの姿が読者により深い共感をもたらす、という意図もあるかもしれません。

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