96 過去の英雄達
リアムが取れる対応は主に二つ。
貴族家を乗っ取った犯罪者としてダンを処罰するか、今の話しを聞かなかったことにして見逃すか。
ダンを処罰するのは簡単だ。イーサンをこの部屋に呼びアンナ共々二人を捕らえさせればいい。本人達が罪を認めているのだから調書もすぐに取れるだろう。
しかしリアムがダンの話しを聞いて感じたのは、孤立した土地で領民を守るために取れる最善の手がブラウンの名を引き継くことしかなかった、というのは紛れもない真実だということ。
厄災という未曾有の事態に突如襲われ、頼みの綱である王家すら役に立たない状況となれば、強烈なリーダーシップを発揮する『ブラウン』の存在は必要不可欠だったはずだ。
追い詰められた初代ブラウンが取ったこの手段を「なんて愚かな」と責める権利はリアムにはないし、そもそもこの地を、イルド王国を護り続けてくれた英雄達を処罰するだの赦すだの、そんな風に考えること自体が烏滸がましい。
「―――ダン・ブラウン男爵。
民の救いを求める声を無視した過去の王家の所業に複雑な想いを抱かずにはいられなかったであろうに、長きに渡りこの地に魔物を留め王国全体の平和に務めてくれたこと王太子として心より感謝する。
よってリアム・イルドの名の下にブラウン男爵を辺境伯へと陞爵する」
「!」
「へ、辺境伯!?」
バッと顔を上げたアンナの目はこれでもかと大きく見開かれており、ダンも驚きのあまり固まってしまう。
「恐れながら…!私達は田舎の男爵で…と、申しますか男爵ですらなくてっ、これまでのお話しでそれはご理解頂けたかとは思うのですが……」
辺境伯とは侯爵相当の地位であり、その立場はこれまでとは比べものにならないほど高い。アンナがパニックに陥りながらリアムに詰め寄るのも納得の異常事態だ。
「辺境伯とは国の護りの要の存在。今までその任に就いてもらっていながら王家が魔物について把握していなかったせいでその働きに報いることが出来なかった。此度の陞爵はこれまでの働きを鑑みるに妥当であると判断する」
「で、ですが!!このような決断、陛下はお許しにならないのでは?ただの平民が辺境伯の爵位を賜るなど…!!」
「問題ない。この話しを聞いた上で実際に魔物と対峙すれば誰でもこの地の重要性に気付く。
ただの平民と言うがこれほどの手柄を立てれば叙爵されるのは当たり前で、国王とて異論はないはずだ」
「……っ」
「え…、えぇ〜!?」
これまで饒舌に喋っていたことが幻だったかのようにダンは沈黙を貫き、代わりにアンナが水を得た魚のようにペラペラと話し出す。この謎の役割分担の入れ替わりのスムーズさは夫婦の阿吽の呼吸と言うやつなのか。
「と言っても(有無を言わせるつもりはないが一応)陛下の許可はいる。正式な発表があるまでこのことは他言無用で頼む。
あと、魔物についてもこちらで対処するための準備が整うまでの間、もう暫くブラウン領だけで討伐を担ってもらいたい。
すぐに騎士達をこちらへと派遣し共に魔物の発生に備える手筈を整えるが、魔物に対する知識がまったくない以上少し時間が必要だ。まあ今回騎士団総団長のイーサンが魔物と直に対峙したことで話しはスムーズに進むと思うが。
では。これで男爵の憂いはなくなったはずだ、ここにサインを」
「は…………、はぁ………?」
今だ混乱の真っ只中にいるアンナは流れるようにリアムから差し出された書類を、内容は頭に一切入って来なかったが流し読みし、隣にいるダンの脇腹をつついてサインを促す。
アンナは今この場で斬り殺されることすら覚悟して、王族であるリアムにすべてを打ち明けると決めたダンの側に寄り添っていた。
それがなにやら赦されただけでなく辺境伯への陞爵が決まり、騎士達も領地に派遣してくれるという。
これでブラウン領に恒久的な平和が訪れるかもしれないと安堵する気持ちが、今はとても大きい。
アンナはフローラが産まれるから、不安な気持ちを押し隠し、一人森へと入り魔物討伐の任務へと身を投じるダンを何度も見送ってきた。
フローラが“鍵”になってしまった時は耳を疑ったし、絶対に駄目だと主張したし、これからどうなることかと行く末に悩んだりもしたが、一度ダンとフローラと三人で森に入り、フローラが魔物と戦う姿を見てからはその考えを改めた。自分の娘は夫よりも遥かに強い野生の子猿だった。
だが、今は良くてもフローラの死後、領地はどうなるのか。フローラの子どもに“鍵”の役目を押し付ける?
そうやってブラウンの名と共に重責を引き継いで行くことは正しいことなのだろうか?
浮かんでは弾けて消える無数の自問自答は泡沫となり儚く消えてゆく。
このように考えたところで他に方法がないのだから考えたところで仕方がないと、ずっと諦めていたのだ。
その憂いが、割り切れない想いが、心の底に蓄積した黒い感情が、リアムに打ち明けたことで一瞬で晴らされようとしている。
これほど目まぐるしく自身の状況や感情が上下左右に激しく揺さぶられれば、さすがのアンナもまともな判断が出来なくなるというもの。
ダンは一瞬躊躇うも、愛する妻の指示に逆らうことなく書類にサインをした。
「助かる!先ほども言ったがフローラの意思を尊重すると約束しよう。これからもよろしく頼む、もう下がっていいぞ」
「は、はぁ………?えっと、失礼致します……?」
「……失礼します」
極限の緊張状態の中にいたアンナは急にストレスの糸が切れたことで足下が覚束なくなり、終始ふわふわとした心地でダンに支えられながら退室した。
部屋に一人となったリアムは満足気に頷くとすぐにイーサンとトーマスを呼び寄せる。
「リアム様、男爵はなんと…?」
「想像を超えた話しだった。良心的な百年前のブラウンがいなければ、今頃王都は滅んでいたかもな」
「!?」
これから魔物討伐を行う騎士達をまとめるイーサンにはブラウンの歴史すべてを知ってもらう必要がある。リアムがダンの一族の罪を問わないと決めた以上、これからこの地に関わる者には先程の話しを伝えても問題ないだろう。
イーサンとトーマスはリアムが語る話しを黙って聞いていたが、時折悔しさを滲ませる表情を見せた。
イーサンは責任感ある男だしトーマスもお人好しで情に脆いところがある。厄災に見舞われた領民達の悲劇に心を痛め、助けを求める手を振り払われた男爵の無念に共感しているのだろう。
「―――我々はもう間違えてはならない。
厄災は今もここに存在する。必ず領地と民を守りきれ」
「「はっ」」
初代ブラウンが遺した遺言の中に出てくる復讐の相手とは王家のことだ。
その復讐計画についてダンは詳しく口にしなかったがもちろん知っているのだろう。
対魔物に特化した祝福を授かった子ども達が大人になった時、そしてその人数が一定数に達した時、「ブラウンの復讐」を始めるつもりだったのではないか。
王家に復讐する方法など簡単だ。魔物をブラウン領に留めず他領に解き放てばいい。
いきなり現れた魔物に対処出来る領地なんてどれほどあるのか。騎士達も無限に存在するわけではないし、王宮の守りも手薄にするわけにもいかない。
そうなれば必然的に大量に舞い込む救援要請に手が回らなくなり、見捨てなければならない領地がいくつも出たことだろう。
見捨てられた領地に住む人々は王家を憎むはずだ―――初代ブラウンと同じように。
しかしそこに魔物を倒すことが出来る人間が現れたらどう思う?
王家には見捨てられ、自力で領地を守る術もなく、ただ大切な人が死んで行くのを見ていることしか出来ない中で、そんな絶望から救い出してくれる救世主が現れたら?
間違いなく傾倒する。
何の役にも立たぬ王家よりも。
これはあくまでリアムの想像に過ぎない。
初代ブラウンは魔物による厄災の恐怖を他に知らしめたかっただけかもしれないし、王家に対する反乱を目論んだのかもしれない。
百年前、たまたま復讐をよしとしない人物がブラウンの名を引き継いだことで復讐計画は頓挫したが、どこかに初代ブラウンの意志を継ぐ者がいる可能性がゼロではない以上、最悪のシナリオは完全に消滅したと判断するのは楽観的過ぎるだろう。
不穏な芽を根絶やしにするためにもまずは国王に現状を報告し、ブラウン領の守りを王家で固めることだ。
「トーマス、明日の朝ここから一番近い伯爵領まで行って王宮への手紙を早馬で届けさせてくれ。陛下に魔物やブラウン領主の功績、過去の被害についてすぐ報告したい」
「はい」
「そして王宮に戻り次第騎士達をブラウン領へ派遣する。イーサン、そのための報告書やメンバー編成などを朝までにまとめておいてほしい」
「承知しました」
リアムの一番の目的が達成出来た今、準備が整い次第王宮に戻り、直接国王にブラウン領の現状を説明した方がいいかもしれない。
「殿下?その様子だとブラウン嬢との婚約を男爵に認めてもらえたようですね」
深刻な話しの最中にもわずかにリアムの幸せオーラが漏れ出ていたことにトーマスは気がついていた。
「ああ。どさくさに紛れてサインさせたが男爵の署名であることに変わりはない」
リアムは懐から先程ダンがサインした一枚の紙を取り出す。これはもちろん婚約誓約書だ。
議会に婚約を認めさせることを優先させたので男爵の許可は後回しになっており、王宮に提出した婚約誓約書のダンのサインはなんと偽装だ。決して大きな声では言えないが。
今回手に入れた誓約書とこっそり入れ替えれば何の問題もない、ということにしておこう。
リアムはこれでレオに対する不安要素が一つ潰れたと胸を撫で下ろす。
ダンのサインがある以上、リアムとフローラの婚約は王家と男爵家によるれっきとした契約であり、公爵子息が簡単にどうこう出来るものではない。
フローラの気持ちをこちらに向けることも大事だが外堀をきっちり埋めて行くことも大切なのだ。
確かに公爵子息一人が画策したところでフローラとの婚約は覆らないのかもしれないが、誓約書をゆるんだ顔で眺めるリアムは知らない。
公爵子息だけでなくその母親のシャーロットが夫である公爵の尻を叩き、フローラを嫁に貰おうと画策していることを。
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