92 かつての才媛
「―――まぁ!アンダーソン公爵様の御子息様でいらっしゃいましたか!私ったら存じ上げずに失礼な態度を取ってしまい申し訳ございません!」
「いえ、なにも失礼ではありませんよ。どうぞ私のことはレオとお呼び下さい」
「ま、まぁ…」
レオの老若男女を惹きつける魔性の微笑み(しかも本気のやつ)を受けたアンナは陥落した。ついでにアリアにも無駄に被弾した。
リアム達を居間へと案内する際、アンナがフローラにこそこそと「あの黒髪の男の子、すごくカッコいいわね〜」なんて耳打ちしているのをばっちりレオに聞かれていたのだ。いくらこそこそと話したところでアンナの声はでかいし家は狭いのだから当然だろう。
そしてテーブルについて各々の自己紹介を受けた際、レオの身分を知ったアンナが青褪めて謝罪したという訳だった。
レオにしてみれば好意を寄せる女性の母親に好印象を与えることが出来るのならば、身分だろうが顔だろうが親の威光だろうがなんでも利用する。リアムを蹴落とすための手段など悠長に選びはしない。
「それと……アリアちゃん?あなたは王都でフローラに雇われたってことでいいのかしら?
悪いのだけど見ての通りうちは侍女が必要な家ではないの。フローラの学園卒業後はどこか違うお家で働いてもらったほうがいいと思うわ」
銀髪妖艶美女にいきなり「フローラ様の侍女のアリアです」と自己紹介されてもアンナは困ってしまう。
そもそもみんな自分のことは自分でやっているブラウン家に侍女など必要としていない。
アンナはやはりフローラの卒業を待たずして他の勤め先を探すよう説得すべく口を開こうとしたが、その前にアリアが「奥様」と切り出す。
「私はフローラ様の侍女、兼ペットなのです。私の主は生涯フローラ様のみ。
ですのでぇ、末永くよろしくお願い致しますねぇ」
「ペット…………。はぁ、フローラったらついに人間を拾っちゃったのね…そういうことなら仕方ないわ。アリアも今日からうちの家族の一員よ」
「っ!ありがとうございますぅ!!」
「「「「……」」」」
王都組は「そういうことなら仕方ない」で納得してしまうアンナの度量の深さというか大らかさというか、適当さに驚愕する。普通娘が人間をペットとして連れ帰ったら狼狽えてその正気を疑うのではないだろうか。
「それにしてもイルド王国騎士団総長様が我が家にいらっしゃるなんて本当に光栄ですわ!!……後でサインを頂いても?」
「え!?私の、ですか?
いや〜ハッハッハ!!こちらこそ美しい御婦人にサインをねだられるという貴重な経験をさせて頂き大変光栄ですぞ!」
「まあ!うふふ!」
そしてコロコロと変わるアンナの話しについて行くのが大変だった。急に話しを振られたイーサンもびっくりしている。サインを求められ満更でもない様子だったが。
まだ短い時間しか接していないというのに「ブラウン夫人はめちゃくちゃお喋りだ」というのがリアム達の共通認識となった。
「ね、母様。この家具どしたんだ?笑えるくらいうちには似つかわしくねぇけんど」
アンナの息継ぎのタイミングを逃さず質問を挟むフローラの手腕は娘ならではなのか。大袈裟ではなくアンナから質問でもされない限り、そのトークとトークの間に入り込むことが出来ない。
「ああ、これはね、殿下がいらっしゃるというのに我が家ではおもてなしの準備をすることが出来ないでしょう?だからここから一番近いところに領地をお持ちのホーキンス伯爵様から色々届けて頂いたのよ」
「へ〜」
フローラは居間へと入ってすぐに異様な存在感を放つテーブルに目が釘付けとなっていた。
だっておかしいではないか。
ボロい我が家にまったく似つかわしくない白いピカピカのテーブルがドーンと鎮座しているのだから。
六人掛けのでかいテーブルにリアム、レオ、イーサン、ダン、アンナ、フローラが座れば、もう後ろを通ることすら難しくなってしまう。
そのホーキンス伯爵様とやらは我が家の規模を知らないと見える。どう考えても不釣り合いだ。
しかしこれには理由がある。
王家の人間が近隣の領地に滞在することになったのだが、その領地では王家の者に見合うだけの用意が出来ないので代わりに準備を頼むという御達しと、それなりのお金が届けばそれはもうホーキンス伯爵も張り切ってしまうだろう。
王家の人間が、例えば公爵家に滞在するというのならばなんの問題もない。元から王族専用の部屋が用意されているので念入りにその部屋を整えれば済む話しだ。
同じ理由でギリギリ侯爵家もいける。だが、それ以下は駄目だ。
伯爵家以下の爵位の貴族ではとうてい王族の方々の品位を保つような滞在空間を提供出来ない。それは資金面であったり教養の部分であったり安全性の問題であったりと、様々な理由によって。
王家側も相手に相応以上の負担を強いるつもりもなく、どこかに滞在せねばならない時は高位貴族を中心に選んできた。
それを今回は貧乏男爵家に王族が宿泊する?
ホーキンス伯爵は手紙を読み間違えたと三回読み直したし、眼鏡の度が合っていないのかもと二回眼鏡チェンジもした。最終的には王宮側の書き間違いを疑い問い合わせるべきかと一日悩んだが支度金のあまりの額の多さに「これは本当のことなのだ」とやっと理解する。
それからのホーキンス伯爵は大慌てで家具や料理の食材、洋服一式、小物類の手配に奔走した。
フローラが「白いピカピカのテーブル」と称したそれは高級大理石のダイニングテーブルで、領内にある伯爵御用達の家具店で寝る間も与えず作らせた特注品だ。
洋服はわざわざ王都にまで出向き流行りのブティックをハシゴしては指定されたサイズの服や靴を買い漁り、食材に至ってはそれぞれが今が旬の食材を求め一族総出で旅に出たりもした。
わざわざ名指しで準備を頼まれてしまった以上、何一つ怠るわけには行かない。
ホーキンス伯爵は小心者だったので自分の仕事に不備がないか、荷物を受け渡す約束の日まで胃薬をがぶ飲みする毎日を過ごした。
そんな伯爵の血の涙が滲むような頑張りを―――
「今回は話しがあって訪れただけで長く滞在することはない。このようないらぬ手間を掛けさせてすまなかったな」
「いえいえ!とんでもございませんわ!!私どもは運ばれてきた荷物や家具をここに置いて下さい〜と指示するだけでしたので何の手間でもございませんでした!」
このやり取りを知ればホーキンス伯爵はショックのあまり寝込むかもしれない。リアムもアンナ達も王宮が手配したのかな?という認識でいたので、伯爵の苦労は闇に葬り去られた。
「…ところでこれらの荷物はどのように領内へ運び入れた?まさか魔の森を抜けるというわけではないのだろう?」
リアムの核心をついた質問にレオやトーマス達にわずかに緊張が走る。
アンナ達ならば間違いなく自分の娘がここへ来る前、森で魔物と対峙したであろうことは承知しているはず。だが、不自然なほどそのことを話題にしない。
リアムはあえて「魔の森」と口にすることでアンナの反応を見ることにした。
「もちろん!あんな馬を走らせるのがやっとの荒れに荒れた森の中を、馬車で荷物を引いて運んでもらうなんて可哀想なこと出来ませんわ!
こういう時はオーリア経由でうちの領内に入ってもらうのです。ちょっと通らせてもらうだけでも入国出国の手続きが必要となりますので手間は掛かってしまうのですが、それでも森を通るよりずっと早く安全に我が領地へ着くことが出来ます」
「、そうか」
思っていた反応が返って来ず肩透かしをくったような気になるが、言われてみればそれもそうだ。
今回リアム達は馬に直接乗って森を抜けたからなんとか走れたが、整備がなされていないあの道を馬車が進むのは不可能。
であるならば少し大回りになってしまうがここから一番近いホーキンス伯爵領から一旦隣国オーリアへと入り、そこからブラウン領へ向かうのが合理的だ。
「私どもも領外へ出る時はそのようにして移動しておりますわ。だっていつ魔物が大きな口を開けた“門”から這い出てくるか分かりませんもの」
「!!」
急にぶち込まれたずっと避けられてきた話題に、リアムは一瞬狼狽える。いや、狼狽えさせられた。
リアムを一点に見つめるアンナの目は油断なくギラギラと光っている。
その目に映るのは王家への不満・恨み―――ではなく………恐れや不安?
アンナ・ブラウン。旧姓アンナ・ガボット。
子爵令嬢という低い爵位でありながら並み居る高位貴族達を差し置き名門イルドラン学園を首席で入学し、当時の王都を騒がせた才女。
彼女の卒業後の進路については周囲の注目を大いに集めたが、卒業するやいなや在学中に婚約した男の領地へ共に向かいあっさりとその姿を王都から消した。
婚約者の男とはもちろんダン・ブラウンのことだ。
すべてを捨てブラウン領へとやって来た彼女が、この地で何を見て何を感じ、これまでをどのように過ごして来たのか―――。
「リアム殿下。長旅でお疲れのところ大変申し訳ないのですが、夕食の後少しだけお時間を頂けないでしょうか?無理を申しているのは重々承知の上なのですが…その際イーサン様の同席はお控え頂きたいのです」
アンナはリアムの機嫌を窺うような素振りを見せつつもその物言いははっきりとしており、自分の要望を必ず呑ませるという強い意思が感じられる。
「…いいだろう」
「感謝致しますわ!」
パッと花が咲いたように綻ぶアンナの笑顔はふくよかな輪郭も相まって貴族の母というより、下町の食堂のおばちゃんのような親しみやすさがある。
ただ、その目の奥は一切笑っていない。
「……」
リアムはアンナに、ジョージと対峙する時のような嫌な緊張感を感じた。
―――アンナ・ブラウン。フローラと婚約する時に調べた身辺調査に載っていた情報によると、彼女の祝福は実の両親ですら知らないと記されていた。
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