91 ココナ村のブラウン家
「あ、村の入り口が見えて来ただ!」
フローラの指さす方角を見るとぼんやりとしたランプの灯りが一つと、その奥に民家から漏れる灯りがチラホラと見え、リアム達はなんとか日が沈み切る前に到着出来たと胸を撫で下ろす。
王都を出発してからここまで実に丸五日、夜以外馬を走らせ続けやっとブラウン領に辿り着いた。
正直ここは……ブラウン領は、「忘れら去られた地」と言われているほど国の手が一切届いていない未開の領地だ。
ブラウン領の入り口を塞ぐように広がる広大な森がどうしても開発の邪魔となってしまい、道の整備や流通ルートの確保が疎かとなり、そして領主からの要請がないのをいい事にずっと放置し続けてしまった。
王都から遠いことと、駐屯させる環境作りから始めるのが大変だという理由で、国境沿いに騎士を配置するという話が流れたのだってもう何十年も前の話しだ。
隣国との関係が安定しているだの平和ボケしてるだのと言い訳を並べ、人々の生死に関わる厄災に見舞われ続けてきた領地を何百年と放置してきた王家の人間がいきなりやってきて、「お前の娘と婚約することにしたからサインしろ」と要求したとして「はい分かりました」と快く快諾する親がどこにいるというのか。
リアムはまず初手を間違えている。
議会にフローラとの婚約を認めさせる際、親である男爵の許可など後回しでいいと軽視した挙句、のちに婚約契約書一枚を送り付けて署名して返すよう命じた。
フローラに想いを寄せる一人の男となった今、過去の自分の所業を冷静に「鬼畜か?」と評することが出来たが、あの頃のリアムにとってはそれが通常運転であり、物事に優先順位を的確につけた結果だった。
まずは謝罪からか…?フローラのことだけでなく厄災に対応してきた功績も讃えねばならないな…と考え事をしていたリアムは地面付近に佇む妖怪達に気づくのが遅れた。
「っ!?魔物か!!?」
村の入り口にある灯りのすぐそばで馬を止めたリアムは浮かび上がる三つの老婆の不気味な顔が、先ほど見た魔物だとしか思えず心底驚く。
一応リアムを護衛する気があったらしいイーサンは、声を聞くや否や馬から飛び降りリアムの前に出て剣を構えた。
「まものって……なんだべ」
「さぁのぉ〜!最近の若いもんが話す言葉はむずかしゅーてよぉわからん!」
「……ご飯はまだかえ?」
「っかぁー!黙っとれボケ老人が!!」
魔物が三体いると思われたが、その正体はただの老婆だったようだ。非常に紛らわしい。
「あっ、メル婆にイル婆にネル婆!またこんな時間にうろうろして…。キーナちゃんにまた怒られっど?」
「フローラ様!長旅の間よくぞご無事で。ララも息災であったか?」
「…はい」
基本的に村の人間が好きではないララは、顔馴染みの婆に声を掛けられたというのにその態度はどこか余所余所しい。
「これ、フローラ様は御領主様のところへ向かうのであろう、邪魔をするでない!フローラ様、本日は長旅の疲れをゆっくりと癒して下さいませ」
三人の婆達は杖を頼りにゆっくりと立ち上がると、曲がった腰を折り曲げフローラに頭を下げる。
―――まるでリアム達など目に入っていないかのように。
「…殿下」
「構わない」
あまりにも無礼な村人達の態度に困惑したトーマスがリアムにお伺いを立てるも、リアムはまったく気にしていなかったので咎めることはしなかった。
ここではブラウン一家が唯一の守護者であり、敬い尊重すべき存在なのだ。ある意味封鎖された土地において、王家の威光だの権力だのとひけらかしたところで彼らに通じないだろう。
この地の人間に王家の存在意義を忘れさせてしまったのはリアム達王族のせいであり、これから少しずつその信頼を取り戻して行かなければならない。
だから老婆三人に空気のように扱われたのはいいとして、リアムには他に腑に落ちないことがあった。
それは老婆達が先程まで森で起きていた魔物との戦闘について何も言及しなかったことだ。
レオもその事に疑問を感じていたようで素早くこちらに視線を寄越してくる。
森と村には少し距離があるとはいえ、鼓膜をビリビリと震わせる魔物達のあの断末魔や咆哮が聞こえていないわけがない。…人間の限界を超えてお年を召した老婆達限定で聞こえていなかった可能性はあるが。
とにかくここの領主であるダン・ブラウンに話しを聞いてからだ、とリアム達はフローラの後を追いココナ村へと足を踏み入れた。
***
フローラの家の前には母親のアンナと父親のダンがすでに待ち構えていた。
リアムの姿が見えると、アンナは美しいカーテシーを披露しダンは深く頭を下げる。
「急な訪問にも関わらず快く受け入れてくれたこと感謝する。顔を上げてくれ」
リアムはゆっくりと顔を上げた二人の顔を見て、そこに嫌悪の感情が見えないことにひとまず胸を撫で下ろす。僻地に住んでいるとはいえ一応貴族な彼らは、胸の内を表に出すという自分の不利になるような愚かな真似はしないだけの腹芸は出来るのかもしれないが。
「勿体ないお言葉でございます!!」
「……………………お初にお目にかかります、ダン・ブラウンです」
「妻のアンナでございます」
夫を差し置いて先に話し出してしまったアンナは一瞬しまったと思うも、寡黙な旦那の挨拶を待っていたら微妙な沈黙が落ちていたので結果オーライというやつだ。
「母様!父様!ただいまぁ!」
「お帰りなさいフローラ!ララもお帰り!二人とも会いたかったわ!!」
「奥様!ただいた帰りました!」
アンナが広げた腕の中にフローラとララは二人して飛び込む。受け止めてもらった際の安定感が増しているので、母はまた少し体重を増やしたようだとフローラは確信する。
「母様、ここまで一瞬に来てくれた方々を紹介するだ!こちらの方はレオ・アンダーソン様で、学園で初めて友達に」
「待って、貴女なんで訛ってるの?」
「……」
自分が皆の自己紹介をしなければと思い至ったフローラはアンナから離れ、まずはレオ様からだとその側に寄り掌を向け紹介し始めるも、冷たい眼差しのアンナに訛っていることをピシャリと指摘されてしまい、「これはマズイ…」と黙り込む。
「…ララ?」
「申し訳ございません!!」
側にいながら何をしていた?と言わんばかりのアンナの圧に耐え切れず、ララは潔く謝罪する。
「まったく…私が教えて標準語が習得出来ないなんて本来であればあり得ないのですからね!
でも……貴族令嬢らしくないフローラを皆様が受け入れて下さったということですのね…。有り難いことですわ。
あら、私ったらこのような所で立ち話などさせてしまい申し訳ございません!!謙遜でもなんでもなく真実狭い家ですが、どうぞお入り下さいませ!」
アンナのお怒りモードが解けてとりあえず機嫌が治ったことにフローラとララは安堵する。
母を怒らせた時の恐ろしさは骨の髄まで身に沁みているのだ。
そしてリアム達はブラウン家の正確な力関係の序列を把握する。
楽しそうに話すアンナとフローラとララの背後に佇むダンは最初の挨拶以降まったく声を発しておらず、フローラ達もそれがさも当たり前かのように振る舞っているのを鑑みるに―――ブラウン家の真の支配者はアンナだ。
このことを頭に入れ交渉に挑もうとリアムは算段をつける。そしてそれはレオも同じ。
レオはフローラの両親を味方につけリアムとの婚約を破棄させようと目論んでいた。
リアム達がフローラの領地へ向かうタイミングにわざわざタイミング合わせ同行したのもこれが理由だ。
厄災や魔物などという知らなかった情報を得て、ブラウン領の助けになりたいと思ったのも、過去の大量死に心を痛めたのも本当だが、レオが一番に思ったことは「ブラウン一族の王家に対する悪感情を利用出来るのではないか」ということ。
二百年前から続く厄災に気づくことすらなかった今の王家の対応に、フローラの両親が本当はどう思っているのかこれから探っていくことになるが、自分の思い通りに事が運ぶ勝算は高いと踏んでいる。
自分の望みを叶えるために厄災に纏わる感情すら利用しようと考えるレオは、やはりアリアが評するようにヤバい人間なのかもしれない。
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