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女神の寵愛を受けた男爵令嬢と受難の日々  作者: ひなゆき


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88 “ボス”


 フローラのさらに前方、何もない空間が突如としてガギギギ……と耳障りな高い音を奏で―――ゆっくりと割れ始めた。



「っ!?なんだあれは!!」


「うえぇ!?どうなってんの!?」


「……あれが“門”ですっ、この森のあちこちにこうして現れます…、ですがっ!あれほど大きな門は初めてです!!」


 イーサンの怒号とアリアの素の声、ララの悲鳴のような緊迫した声が森中に響く。

 


 空間の割れ目は高さ五メートルはあるだろうか。


 ララはこれを“門”だと言うが、リアム達はぼんやりと物理的な扉をイメージしており、まさか空間が割れてそこから魔物が這い出て来ているとは想像すらしていなかった。

 そもそも空間が割れるという現象についてもまだ理解が追い付いていない。


 だがそうこうしている間にもゆっくりと開きつつある“門”から……太く大きい黒い棒のようなものがにゅっと出てきた。


 平面から出てくる黒い棒にはもちろん質量があり、魔物とはここではない異次元の世界で生まれ、“門”を通じてこちら側にやってきているのだと嫌でも推測されてしまう。



「なに、あれ……」 



 アリアが震える指を向けるのは黒い棒が落とす黒い液体。こちらの世界に徐々に出てこようとしている黒い棒からは、墨汁のように真っ黒な液体がバシャン、バシャンと垂れ落ちている。


 それだけでも十分気持ち悪い光景だというのに、重力に従って下へ下へと滴り落ちた黒い液体は、ジュワヮヮァァァ…という音と泡を立て―――地面に大きな穴をあけた。


 「黒い棒」と表したそれの直径は鍛え上げられた成人男性の胴体ほどあり、その表面を滴り落ちる液体の質量もそれなりに多くなるわけで、必然的に地面を抉るように出来た穴もでかい。



「嘘!?あれって溶けてんの!?」 


「っ、アリアうっさい!!気が散るから黙れ!!」


「だってぇ〜〜〜!!あんなの反則でしょ!!?」


 アリアはララに怒鳴られたからと言ってもヘコたれることなく言い返す。他の者は声を出す余裕すらないのでなんやかんやでアリアのメンタルは強いのかもしれない。

 


 フローラは門より出てくる魔物から目を逸らすことなく大剣を構えているが、自分の判断ミスを痛感していた。


 ―――“門”の規模が大き過ぎる。



 最初に出てきた黒い棒がドンッと重量のある音を立てて地面に降り立ち、すぐに二歩目の黒い棒が出てきているのを見るに、あれは前足だ。

 その証拠に黒い棒二本の間の上空に頭らしき黒い球体がその姿を徐々に覗かせている。

 

 前足と思われる黒い棒は太いが俊敏な動きを予想させるしなやかさがあり、半分以上出てきた頭部には三角の耳のようなものが二つついていたので、おそらく狼のようなイヌ科の動物だろうと当たりをつける。

 ただし、その大きさは高さ四メートルはありそうなので普通の犬と同じように考えることは出来ないが。


 こいつが素早く動き回るとして、今もダラダラと垂れ流す液体を撒き散らすとするならば、フローラ一人であれば何の問題もなかったが自分の後ろにいるリアム達には少なからず被害が及ぶだろう。


 魔物の攻撃を防ぐことは出来ても飛び散る液体の軌道まで完璧に読み切ることは不可能。そうなれば殺傷力の高そうな液体に触れて怪我をする人間が必ず出てくる。

 もう少し後方で待機させる、もしくは後ろを取られる危険性はあったが門が完全に開き切る前に皆を先へと進ませる、このどちらかをフローラは選択するべきだった。

 魔物がここまで顕現している状態ではリアム達を移動させることはもう無理だ。それならば…と、今取れる“最良”を決断したフローラの行動は早かった。




「我の力をすべて与える。『この者達を癒し守りたまえ』!!」



 フローラは自身が持つ『癒し』の力を、一時的にすべて後方に待機するリアム達や馬に与えた。



『癒し』の力は本来フローラを護るためだけにティアから与えられた究極の防御であり、「護り」に全振りされたその力を他者に譲ることなど出来なかったのだが、最近怪力や言霊の力をコントロール出来ていると感じることが多く、もしかして癒しの譲渡もやれば出来るのでは?と考え、今回が初めての試みだったが―――どうやら成功したようだ。


 これでリアム達や馬が狙われても「癒しの護り」の力で傷一つ負うことはなくなる。代わりにフローラを護る癒しの力が無くなったわけだが、元から攻撃一つ受けるつもりはないのでまったく問題はない。 


 よーし、これで後ろの守りを気にせず戦えるぞ〜!と肩をぐりんぐりんと回すフローラにララが後方から大声で呼び掛ける。



「フローラ様!?今なにかされましたか!!?祝福を授かった時と同じ温かさを感じているのですが…もしかして『癒し』を私達に!?やめて下さい!!フローラ様にこそ必要な御力のはずです!!!」


「えっ!?それってまずいんじゃないですかぁ!?『癒し』ってフローラ様の最強の護りですよね!?そんな大事なものを私達に与えちゃったら駄目ですよぉ!!!」 


 ララとアリアの必死の説得にもフローラは振り返ることなく、ひらひらと空いた方の手を振って応えるのみ。



「、おい侍女!これはどういうことだ!?」


 リアムも全身を覆うように感じられる温かな力の存在に気付き、すぐさまララに確認を取る。



「っ、今感じておられる力はフローラ様の『癒し』の力です!!『癒し』を表面に纏わせることで私達は怪我を負うことはありませんっ…、ですがこのようなことをすればフローラ様の護りが薄くなってしまいます!!」


「!?」


「まさか…………」 



 ララの話しを聞いたレオは、フローラが自分に施してくれた事の負担を考え驚愕する。


 イアフスの話ではティアとイアフスの力は反発し合うはずなのに、その反発を抑え込んでティアの力がレオの身体にはしっかりと纏わりついており、これほどの力の維持はフローラの体力を相当消耗させてしまうのではないのか。


 レオがフローラに自分に癒しの力を渡すのはやめるよう声を掛けようとしたが、その間もなく、ボスが門からその姿を完全に現した。



 巨大な魔物が一歩足を前に動かすたびにどしん、どしんと地面が揺れる。


 フローラが予想したとおり、その異形は狼のような姿をしていた。


 ただしその身体は象よりも大きく眉間には一本の太く立派な長い角、尻尾の先端がドリルのように尖っている時点で狼だとはとても言えないが。


 黒い表皮と半開きになった赤い口元からは謎の黒い液体と涎が絶えずボタボタと流れ落ち、魔物が立つ地面は溶かされ、徐々に黒い沼が形成されていった。



 そしてボスと呼ばれる魔物は突然耳をつんざくような咆哮をあげる。




「ヴオォオーーーーーーーーン゙んンンンンンッ!!!!!」




「きゃあ!!」


「くっ!!」



 ボスが発した音の衝撃波に混ざって、地面を溶かしたあの黒い液体までリアム達の方へ光の速さで飛んできた。

 びちゃびちゃというよりザクザクと、液体が身体に刺さる感覚はあれど、皮膚を溶かされるような痛みや当たった時の衝撃などはまったく感じない。



 これが……フローラの癒しの力―――。



 リアムはまごうことなき神の力におもわずひれ伏したくなったが、癒しの力を手放したフローラはどうなってしまったのかと、今だ続く衝撃波に気圧されながらも薄目を開けて確認を試みた。すると―――







 リアム達を庇うように前方でボスと対峙するフローラの正面に、その身体がすっぽりと覆われるほど大きな盾が出現していた。


 その盾が衝撃波からも黒い液体からもフローラを完全に守っている。




「―――は?」




 あれはなんだ?もしかして創造の力か…?とリアムが思い至る頃には、フローラは盾を消しすでに走り出していた。


 ボスの咆哮が止んだタイミングを逃さず一気に加速したフローラは、まず動かれてはやっかいだと太い前足二本を大剣で難なく斬り落とす。




「グギギャヤあァぁぁあァァァ!!!!!」




 魔物の悲鳴とともに放たれた衝撃波と黒い液体も、また一瞬で創った大きな盾でサクッと防ぎ切ると、次は空へと続く階段を創造し飛ぶように駆け上がる。


 最後の段を踏み抜きバンッ!!と空高く舞い上がると、そこはもうボスの遥か頭上。


 勢いを殺すことなく真っすぐ降下したフローラはザシュッと、どうみても硬質そうなボスの首をコロンと一撃で落とした。




「「「「「……………」」」」」


「っ、フローラ様ぁ!!よくぞご無事でっ…!!」



 ララ一人がフローラの無事を喜び咽び泣いているのだが、リアム達は困惑に固まっていた。いや、もちろんボスの討伐にフローラの無傷は喜ぶべきことなのだが………。



「ロンズデーライトはさすがの頑丈さだべな〜。これで次は剣創ってみっかな〜」



 フローラが咄嗟に創った盾のイメージに使用した鉱物の頑丈さに惚れ惚れしながらリアム達の方へとトコトコ歩いて戻ってくるその後ろで、炭化が始まったボスの躰がほろほろと崩れていくのが見える。




 長年フローラの領地を苦しめ続ける厄災の魔物相手に……しかも異形の姿をした恐ろしい強敵であるボスを相手に思うことではないのだろうが…………フローラがあまりにも強すぎたがゆえその最後は驚くほど呆気なく、リアム達は瞬殺されたボスを少し気の毒に思ってしまった……。



 

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