86 魔物との遭遇
それは突然やってきた。
「っ!門が完全に開いた!全員止まれ!!そこから動くな!!」
フローラはそう鋭く指示を出すとアリアの馬から飛び降り、道なき道を猛スピードで走り出した。ララもイーサンの馬から降り急いで弓を構える。
魔物が出たのか!?と全員に緊張が走るも、遠くから聞こえてきたのはカァーカァーという……たぶんカラスの鳴き声。
「なんだ…。カラスですか?」
アリアがほっとした声を出した束の間、もう見えなくなってしまったがおそらくフローラがいるであろう場所目掛けて急降下していくカラスの大群を見たリアムの背筋が凍りつく。
「なんだあのでかさは!?」
鳴き声はカラスだし見た目も黒いがそれ以外にカラスと呼べる要素は一切ない。
遠目には分からなかったが目視出来る距離まで降下してきたそいつらの大きさは人間の子どもくらいは優にある。そして嘴が異様に大きい。黒く光るそれは顔の三分の二ほどを占めており、もうそれだけで立派な武器だ。
カァーカァーと鳴くたびに嘴がガキンッガキンッと打ち合わさり、もはや鳴き声よりも金属音の方が耳に煩いほど。
そんなカラスもどきの魔物が……三十は下らない群れでフローラ目掛けて降下している。
目の前の地獄のような光景が現実であると認識出来ず一瞬動きが止まるも、ハッとしたイーサンとアリアがすぐにフローラの元へ駆け出そうとするのをララが手を広げて制する。
「行ってはいけません!!飛ぶ魔物に咥えられ巣まで連れて行かれてしまっては追い掛ける手間が掛かります!!ここはフローラ様にお任せして下さい!!」
「「っ!!」」
そう言われてしまっては無策でフローラの元へ向かうことも出来ず、イーサンとアリアは歯がゆい気持ちでララと同じように弓を構えて討ち漏らしに備えた。
リアムとレオは騎乗したままいつでも逃げれる態勢を取るようあらかじめ指示されていたので、馬に乗ったまま強く手綱を握りしめ、おそらく戦闘が始まっているであろう前方を厳しい目つきで見据える。
鳴き声だけはカラスな魔物達が奏でる大合唱と、嘴が合わさるたびに聞こえる不快な金属音が森の中にいつまでも木霊した。
***
夜に魔の森を抜けることは避けたいと、今日は日の出とともに出発することになっていた。
「ふぁ〜。よく寝ただ…。でも早起きしすぎてまだ眠たいだ…」
目をこすりつつ宿の玄関から現れたフローラの姿を見たレオは、そのあまりの重装備に驚く。
「フローラ、それどうしたの?」
「これけ?創造の力で創っただ。イーサン様の目の前でやるわけにもいかねーし、怪しまれねぇように最初から装備することにしただ」
剣帯用のソードベルトを着用した背中には華奢な身体にまったく似つかわしくない無骨な大剣が刺さり、両太ももに装着したレッグシースには何本ものナイフが収納されている。腰のベルトにぶら下がった器具にはレイピアとマンゴーシュが鞘ごと差し込まれており、どこまでも実戦的な闘いを想定していることが窺える。
「まぁ、緊急事態が起きて創造の力を使っちゃったり眼鏡が外れたりしちゃったら、最悪イーサン様に魅了をかけるから問題ねぇけども」
「それは本当にやめてやれ…」
話が聞こえてしまったリアムはおもわず口を挟まずにいられない。フローラの秘密を予期せず知ってしまっただけで記憶を消されるなどイーサンがあまりにも不憫過ぎる。
「緊急事態なんか滅多に起こらねえから大丈夫だ!それより、そろそろ出発するべ?」
「…、そうだな」
フローラは森に入れば馬を捨て闘いに挑むことになるので、ここからはアリアの馬に乗せてもらい領地を目指すことになっている。ララも同様の理由でイーサンの馬に乗せてもらう。
ララとアリアには事前にフローラが創造の力で創った弓を渡しており、飛距離と攻撃力が普通の弓とは段違いの特別性だ。
ここを出てしばらくは小さな村が点在しているがそこから三時間も馬を走らせれば何もない荒れ地が広がり、そしてそのずっと先が魔の森の入り口という地形になっている。
直線距離で言うと森の入り口からブラウン領にある村に辿り着くまで三十分もかからない。だが今回は大量の魔物を殲滅しながらの横断となるので時間の予測が難しく、それでも日が落ちるまでにはなんとか魔の森を抜けたいと考えている。そのため、準備が整ったのならば一刻も早く出発したい。
二頭の馬は金を払って店主に預けることにし、日も昇りきらぬ内にフローラ達は宿屋を後にした。
そして―――
ブラウン領に一番近い最後の村で一度休憩をしてからは休むことなく馬を走らせ(フローラがこっそり癒しの力を使って馬達を回復させた)、荒地を抜け、ようやく森の入口が遠くに見えてきた―――というあたりで突如として黒い大群が現れたのだ。
リアム達はその場で待機を命じられたので魔の森を目前にしてフローラが無事戻ってくることを祈りながら待つしか出来ない。
時間にしてほんのわずか、おそらく五分ほどだったはずなのに、待つ身にしてみれば実際より何倍以上にも感じる時間が過ぎた頃、徐々に小さくなっていた鳴き声と金属音が完全に止んだ。
終わったのか…?と気を抜きかけたその時、ものすごい速さで走って戻ってくるフローラの姿を見たララ以外の全員が驚愕の声を上げた。
「フローラ!!大丈夫!?」
「その血はどうした!?」
「えぇ!?浴びるなんて量越えてますけど!!?」
「っ、何か拭くものを…!!」
「大丈夫です、準備しております」
イーサンの声に応え、ララは大判のタオルを広げる。
戻ってきたフローラが身体と言わず、頭から足の先まで魔物の返り血で真っ赤に染まっていれば周囲が慌てふためくのも当然だろう。
「魔物の血に触れてはだめなんだろう!?大丈夫なのか!?」
リアムがタオルで顔に付着した血をゴシゴシと擦っているフローラに詰め寄る。
「ああ、わたすはいいんだ。むしろ浴びとかないと“鍵”になれね」
「どういうことだ!?」
リアムはもう最初からフローラに話しを聞く気はないらしく、顔をぐりんと向けて「説明しろ!」とばかりにララの方を見た。
「……魔物の血を身体に浴び続け、魔物に敵だと思わせることが出来た者のみ“鍵”となりえるのです。
万が一他の者が大量の血を浴び、魔物に“鍵”だと認識されては困るため皆様には血に触れるなと申しました。
ですがフローラ様は五歳の頃から魔物の血を浴び続けておりますので完全に匂いが染み付き、魔物達にとって憎むべき揺るぎない“鍵”となられていることでしょうけど」
「……!」
“鍵”とは…なんて過酷な運命を背負わされるのか。
“門”を開けるだけではなく、自分を囮にして魔物達を引き寄せ倒すまでがその役割だったのだ。
そしてその際に新たな魔物の血を浴びることで“鍵”としての立場を強固にしていく。
リアムはふと、フローラがアマンダの屋敷で制服を返り血で染め上げていたことを思い出す。
制服が死んだとしょんぼりしていたのを憐れに思い新しい制服を買ってやったのだが、今思えばフローラの身体能力があれば絶対避けることが出来たであろうそれをしっかりと浴びていたのは不自然だった。
あれは……血を浴びることが当たり前となっていたために避けるという発想がなかったのだ。
髪の毛から、服から、指の先から、魔物の血を滴らせているフローラを見れば魔物との戦いがどれほど凄惨なものなのかよく分かる。
それを…わずか五歳の幼少の頃から担っていた?
ここまでしてブラウンに住む領民達を、イルド王国全体を守り続けてきてくれた英雄であるフローラに対し、どのように報いればよいというのか―――そんな対価、リアムにはとうてい思いつかない。
「リアム様ってほんとに変なこと考えるんだな〜」
「!!」
またしても思考を勝手に読まれたリアムはおもわずフローラをキッと睨みつけるも、続けられた言葉に一瞬にして怒気を抜かれる。
「リアム様だって国を、民を命懸けで守っているでねーか。わたすは政治とか外交とかむずかしいことは分かんねけど、リアム様が学園をお休みしてでも毎日頑張ってお仕事してくれてるのは知ってるだ。
守る方法も、場所だって違うけんど、リアム様もわたすも『守りたいもの』は同じだ」
「…っ」
フローラの言葉に、不覚にもリアムは動揺した。
―――なぜ……フローラはこんなにも自分の気持ちを掬い上げてくれるのだろうか。
リアムはイルド王国のたった一人の王子として誰にも侮られることがないよう、人の何十倍も努力して周囲に自分の価値を知らしめてきた。
民を導く王族として当然のことだと言われればその通りなのだが、幼い頃はなぜ自分だけがこのように勉強や鍛錬ばかりせねばならぬのか、他の貴族家の子息達のように好きに遊んではならないのかとやさぐれていた時期もあった。まあ、それも四歳頃までの話だが。
今だって苦しいと、つらいと思う時はたまにある。
しかし無様な姿を見せれば簡単に足を引っ張られるこの世界で、王太子としてある以上誰にも弱さを見せるわけにはいかなかった。
すでに決められていた生き方を誰かに同情されたいわけではない。
慰めも労りも鬱陶しいだけなので本気でいらない。
ただ―――国と民を守るためにこれほど体を張って闘っているフローラに「自分と同じだ」と言ってもらえたことが……身が震えるほど光栄で本当に嬉しかった。
リアムはフローラから偽りなく心からその存在を認めてもらえたことで、初めて王太子としての自分を誇ることが出来た気がした。
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