49 女神の慈悲
フローラの問い掛けにリタはゆっくりと目を閉じる。
「ゴホッゴホッ!!…はぁ、はぁ、……もう、……構わ、ない。 ぐっ、 殺って、くれ……はぁ…はぁ……」
あの日以来―――俺の人生はクソみたいだったな……
リタの運命が変わったのは、九歳の頃。
寒い冬の季節、生まれ育った村で大規模な火事が起き大切な家族と住んでいた家を失った。
仲の良かった友達も、近所のうるさいじいさんも、初恋の女の子も、優しかった先生だって、みんなみんな、死んでしまった。
飼っていた鶏だって全部死んだ。…逃げただけかもしれないが。
リタは一人奇跡的に生き残ったが全身にひどい火傷を負ってしまい、特に顔に負った火傷が重症で、騎士団が村に助けに入りリタを病院に運んでくれたらしいのだが、昏睡状態に陥ったリタが目覚めたのは実に火事から一月後のことだった。
目覚めてからのリタの人生はこれまで歩んできた人生と百八十度…どころか、まったくの別人の人生を生きることになってしまったのかと思うほどガラリと変わってしまった。
まず、よく生きてたなと不思議になるほどひどい火傷の跡が身体中に残った。
村の女の子達にきゃあきゃあ言われていた容姿だってひどく焼けただれ、見る影もない。
鏡で治療後の自分の顔を初めて見た時の衝撃は今でも夢にみるほど鮮明で強烈で、きっと生涯忘れることはないだろう。
そして帰るべき場所、故郷と呼べる存在を失った。
大切な家族と住む家を無くしたのもそうだし、心の拠り所というか…安心して根を張れる場所が急に無くなってしまい、一生目的地に辿り着けない迷子にでもなった気分に陥った。
一番人生終わったなと思ったのは、自分が十人いて八十歳まで現役で朝から晩まで働いたとしても返せないほどの借金を負ってしまったことだ。
騎士が重症のリタを運んでくれた治癒院がウィルソン公爵家系列の治癒院で、王都で一番大きく高評価だったので騎士達は良かれと思ってここに運んでくれたのだろう。
だが、評判がいいのは貴族に対してだけだ。
それに貴族がリタのような重症に陥ることなどあるはずもなく、それゆえ豪華ホテル並みのサービス・接待・おもてなし以外の、治癒院としての真の実力はさほど高くなかった。
そもそもこの治癒院は貴族専用で金のない平民など診てもらえない。
騎士達が連れてきた手前死なせるわけにもいかないと思ったのか高級な薬草や薬をふんだんに使い治療してもらえたが、それだけだ。
後は包帯を巻いて放置。
自力で動けるようになるまでトイレや風呂にも連れて行ってもらえない不衛生な環境でリタが生還出来たのは、一重に自分の回復力の賜物だったと思っている。
そして多少動けるようになってきた頃、多額の治療費を請求された。
正直、あのまま見殺しにしてくれた方が良かったと思えるほどの法外な金額だった。
だがこちらはちっぽけな平民。お貴族様の決定に逆らうことなど出来るはずもない。
お貴族様が「白だ」と言えば黒だって驚きの白さに変わるのだ。
十歳の誕生日、授かった祝福がたまたま「透明になれる祝福」というレアなものだった為、劣悪な環境の労働施設に入れられることも臓器を片っ端から売られることもなく、ウィルソン本家に連れて行かれた。
こうしてリタは十一歳になった頃から十年間、ウィルソン公爵家の影として働いてきた。
ウィルソン公爵家の影すべてを統括する頭目にまで登り詰めた自分は良くやった方だろう。
だが、もうリタは疲れ果てていた。
リタに人質に取れるような肉親はもういなかったが、貴族との契約を違えるなんて恐ろしいことを考えることすら出来ず黙々と影の仕事を勤め上げ、自らの手を幾人もの人々の血で染め上げてきた。
本当はこんなことしたくなかった…なんて言ってみたところで、すべて弱い自分が招いた結果だと分かっているのだが、もう影として働くのは無理だと、唐突に思った。
だから―――
目の前の女の子が自分を殺してくれると言っているのだから、お言葉に甘えてしまえばいいのでは?
リタは普通にそう思ったのだ。
「……よし! ララ」
「はぁい…」
リタの返事に満足そうに頷いた後、フローラはまたララに声を掛ける。
察しの良いララは渋々頷いた。この後の嫌な展開はもう読める…。
ララは痺れて動けないアマンダと護衛に、巨大な熊をも一撃で倒す睡眠薬を塗りたくった吹き矢を打つ。
どう考えてもただの人間には過剰な薬だったが、もうただの私怨だ。
お前らが余計なことをしなければ…っ!というララの怨嗟が込められた矢で、アマンダと護衛は一瞬にして昏倒した。
アマンダとその護衛が深い眠りについたことを確認したフローラがリタの頭上に手を伸ばす。
自分よりも遥かに歳下の女の子に殺されそうになっているというのに、リタは純粋に「ありがとう…」と思いながらそっと目を閉じた。
「我の力を与える。『この者を癒したまえ』」
フローラがかざした右手から虹色の光が洪水のように溢れ出した。
暴力的なほどの光の濁流に、リタは姿勢を維持することが出来ず床に転がる。
光がドバババッと押し寄せ流される感覚はあれど痛みはなく、むしろ温かくて気持ち良い。
母親に抱っこされていた頃の幼子であった時の記憶がふと甦り、リタは深い幸福感に包まれた。
だから、これは夢だと思った。
実際は少女の馬鹿力で頭を一瞬にして粉砕され、今は地獄へ行く前に女神がかけて下さった慈悲により刹那の間幸せな夢を見ているのだ、と……。
ありがとうございます、ティア神様……俺が生き延びるきっかけとなった稀有な祝福を与えて下さっただけでなく、人生の最後にこのような慈悲までかけて下さるなんて―――
リタは祝福を授かって以来初めてティア神に祈りを捧げた。
こんな仕事をしている自分には、女神に祈りを捧げる資格などないとずっと思っていたから。
「おーい、いつまでそうしてるだ?早く起きるっぺ。もうどこも痛くないはずだで」
フローラは床に転がったまま手を組んで祈りを捧げているリタにのんびりと声を掛ける。
「 ………? は?」
夢幻にしてはなんかおかしくないか…?とやっと気付いたリタが目を開けると、ここは先ほどまでいた部屋だ。
離れた床にはアマンダと護衛が転がっているのが見える。
え 夢、じゃ…………ない………?
じゃあ……
夢じゃないと言うのならば……………
リタは震える手で自らの頬に手を添える。
ツルツルもちもちとした肌触り。
触ったことはないが生まれたての赤ん坊にも引けを取らない極上肌なのでは………?
とにかく火傷でボコボコザラザラしてしまった以前の肌とは雲泥の差だ。
それに……全身に残った火傷跡による引きつれる感覚もなくなっているし、先ほどスッパリと切られた胸の深い傷も、馬鹿力で腹を殴られたことによる肋骨の骨折もボロボロにされた内臓の損傷もすべて―――完治している。
あ………あり得ない………………………。
怪我をすれば治癒院に行き手当てを受け、病を得れば教会に行って気休めの為に祈る。
イルド王国に限らず、どこの国だって医療水準はこんなものだ。
治癒院では風系の祝福を授かった者が風を起こし空気を循環させたり、手先が器用になる祝福を授かった者が手際よく包帯を取り替えたりしてくれる。
そして医学を修めた治癒師が怪我の状態を確認して症状に合わせた薬を処方し、酷ければ入院、大したことがなければお大事にと帰される。
本来であれば、「治療行為」とはその程度なのだ。
それが……このように、傷が綺麗さっぱりと、ましてや古傷まで一瞬で癒えるなど……例え祝福の力であったとしても、その範囲を大きく越えている。
リタは信じられない気持ちでゆっくりと立ち上がった。
リタは成人した男性にしては小柄な方だが、影らしく引き締まってほどよく筋肉のついた彫刻のような身体はとても魅惑的で色っぽい。
加えて今は火傷を負う前の美貌を取り戻している。
青みがかった銀髪に濃いグレーの瞳、かっこいいというよりやや可愛らしい容姿と筋肉質な肉体とのギャップに沼る女子は多いだろう。
そんなリタを見てフローラはご満悦だ。
「約束だからな!おめぇはちゃんと帰ってくるんだど!名前はなんて言うんだ?アレキンサンダーけ?」
「え………、……あ、アレ、キ………?」
リタはフローラの話についていけない。
というか、この少女は本当に人間なのか?という訳の分からない疑問が生まれている真っ最中だ。
「チッ!この駄犬が!!お前はフローラ様のペットになることを了承したでしょう!!主であるフローラ様に名を呼ばれたならさっさと返事をしろ!!!」
ララは嫉妬で頭がおかしくなりそうになりつつリタを叱りつけた。フローラ様のペット……なんて羨ましいポジションなんだ!!
「………え」
駄犬? ペット……??
頭の中を疑問符でいっぱいしたリタの胸中には、たった一つの思いが去来する。
俺……、そんなこと、了承したっけ……??
するとフローラは悲しそうな顔をしてため息を零す。
「はぁ…、やっぱおめぇも駄目け…。拾って怪我を治してやってもみーんな野生に帰ってしまうだ」
「…っ!」
フローラの憂いを帯びた地味顔を見たリタは、どうしてか胸がひどく締め付けられる。
「……やっぱりどうしても駄目け?おめぇも帰るのか?」
フローラの冴えない顔の上目遣いにリタの胸はズキュンと撃ち抜かれた。
「……いえ、帰る場所など…俺にはありません。ずっとお側に、我が主」
リタはフローラの手を取り跪きそう願い出ていた。
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