48 やられる覚悟
ララに制裁を加えようと前に出た護衛の男を手で制し、アマンダは顔に付着した唾液を拭き取ったハンカチを床に落とすとグリグリと踏み付けた。
「ふ、ふふ………わたくしに向かって、死ね、ですって?」
今度はその足でララの太ももを思いっ切り踏み付ける。
ピンヒールが刺さって地味に痛いがララは顔色一つ変えない。
「憐れなことだわ…何もわかってないのね。
僻地に生息する虫けらのお前達が粋がったところで公爵令嬢であるわたくしに何か出来るとでも本気で思っていて?
本来であればあの女に二度と外を歩けぬような傷をつけてこの森に廃棄するに留め命だけは助けてやろうと思っていたけれど…わたくしをここまで侮辱したお前は別よ。ここで、死になさい」
アマンダは美しい顔を歪め残酷な冷笑を浮かべる。
ララが転がされている部屋にはアマンダと護衛の男、そしてリタがいる。御者は馬車で待機中だ。
「そこのお前。この女を始末なさい」
アマンダはリタを冷ややかに睨みつけ当然のように命じる。
「この女はフローラではないわ。お前達には矜持というものがないの?主の命じた任務を満足に熟せないなど……生きている価値があると言えるのかしらね」
「申し訳ございません。すぐに本命を連れて参ります」
リタはヘラヘラとした態度を崩さなかったが内心ではうんざりしていた。
影はお嬢様のわがままを叶えるなんでも屋じゃないんですけどね…。
だが、ターゲットを間違えてしまったのは言い訳のしようがないほどのこちらのミスだ。
この女の始末を終えたら任務を遂行する為すぐに学園に戻らねばならない。
本来リタ達ウィルソン家に仕える影達が主と呼ぶのはウィルソン家当主であるアマンダの父親だ。
正確に言うとウィルソンの紋章が入った笛を持つ人物に仕える、なのだが。
どうやらアマンダは父親の保管する笛を勝手に持ち出し、父親の許可なく影を私物化しているようだった。
今回の仕事が現当主の預かり知らぬ事だったとしても、お嬢様が暴走の末に勝手に仕出かしたことであったとしても、リタにしてみればどうでもいい。
契約は「ウィルソンの笛を持つ者の命令に必ず従う」というものだからだ。
リタはララの側までゆっくり近づくと、いつどこから出したのか分からないほど刹那の間にナイフを手にし、ララの心臓目掛けて真っ直ぐ振り下ろした。
間違いで連れて来ちまって悪かったな、せめて楽に死ねるよう一思いにやってやる―――と思いながら。
―――ジュンッ…ザァァ……!!!
フローラがララに振り下ろされようとするナイフをハシッと掴むと、それは一瞬にして砂塵と化した。
「!!!」
リタは自分の目が信じられなかった。
床に転がる女の心臓に自分が振り下ろしたナイフが間違いなく刺さるはず、だった。
しかし現実は砂塵に変えるという訳の分からない方法でナイフを無効化され、いつの間にか隣に立つ女に暗殺を阻止された。
ナイフが砂に変わったことにも十分驚かされたが、リタにこれほど接近するまで女がその存在を悟らせなかったことに戦慄する。
―――俺はこれでも数え切れないほどの死線をくぐり抜け生き残ってきた、後ろ暗い事が満載のウィルソン公爵家に仕える影の頭目だぞ……!?
リタは慌てて後ろに飛ぶが横に立つ女もほぼ同時に床を蹴って飛び、リタを追う。
正面から見た女の顔には見覚えがある、部屋で見たダサい寝間着の侍女……いや、こちらがターゲットのフローラだ!!!
リタがそう判断したのも束の間、フローラが拳を軽く握りしめリタの顔面目掛けて殴りかかってきた。
動きが速すぎて目で追えなかったリタは、ほぼ反射で避けるが躱しきれずフローラの拳がチッと頬をかすめる。
その瞬間、ぶしゃあっ―――とリタの頬から血が弾け、顔に巻いていた包帯がはらはらと床に落ちる。
リタは少しかすっただけのフローラの拳で左頬の肉を摩擦で焼かれた。
「は……………うそ、だろ……」
頬を流れる幾筋の血を腕で拭いながらリタは呆然と呟く。
「自分よりもか弱い女の子が繰り出したパンチ」―――文字にするとそういうことなのだが全然そういうことじゃない。
あの少女の細腕は―――殺戮兵器だ。
リタはゾッとした。
一方、リタに避けられたせいで勢い余って拳を手首まで床にめり込ませてしまったフローラは「やっちまっただ〜」とぼやきつつ手をゆっくりと床から引っこ抜く。
床には拳大のきれいな丸い穴が空き、抜いた手からはパラパラ…と木の粉が落ちる。
「あ、アマンダ様!!」
この時点でやっと異常事態に気付いた護衛がアマンダを庇うように前に出た。
「ひ、ひぃぃっ……!??」
ララを殺せと命じたくせに人が死ぬところなど見たくないアマンダは、後ろを向いていたのでフローラの存在にまったく気付いていなかった。
ドンッという大きな音がしたので慌てて振り向くといつの間にかフローラがいて、そのフローラが自らの拳で硬い床に穴を空けていたのだから悲鳴にならない声も出るというもの。
「ララ」
「はい」
いつの間にか拘束を解いていたララはフローラの意図を汲み取り、アマンダとその護衛に痺れ薬を仕込んだ吹き矢を射る。
見事に矢が二人の首筋に命中すると、アマンダと護衛はなす術なく崩折れた。
ララの薬は即効性をウリにしているのだ。
そしてこの痺れ薬の嫌なところは、身体はまったく動かせなくなるが意識はばっちり残るところだろう。
恐怖を顔に張り付けた状態で目だけを必死にギョロギョロさせて床に転がるアマンダに、フローラは悪意なく声を掛ける。
「アマンダ、ちょっとおいたが過ぎたみてぇだな?
おめぇとは後でたっぷり遊んでやるから待ってろ」
「……っ、〜〜〜!!!」
「先にこっちを片付ける」
そう言うやいなやフローラは助走もなしに高く飛び、リタに踵落としを食らわす。
「!!」
今回はフローラの攻撃に入る動作が大きかったので難なく避けることが出来た…はずだったのに、目の前に落とされた踵落としによる風圧で今度はリタの上半身がスッパリと切られた。
「ぐぁっ!!?」
リタは「完璧に避けたのにこれほどのダメージを与える攻撃なんて反則だろ!?」と白目を剥きかけたが、呆けている場合ではないとなんとか踏ん張る。
このままでは五秒も保たずに瞬殺される未来しか見えない!と、リタは奥の手である祝福を発動させた。
一瞬にして眼前からリタの姿が掻き消えるがフローラは一切動じない。
は…?
人が目の前からいきなり消えたってのになんで一切動揺してないんだよ!!
きっと強がりだ………強がりであってくれ!!
リタは青ざめた顔でそう思いながら気配を消し、音を立てずにフローラの背後に回り込むとその細い首に隠しナイフを走らせた。
っ、やったぞ……!!
―――キィィィン……!!!
リタがフローラを仕留めた…!と歓喜したのも束の間―――フローラは先ほどと寸分違わずそこに立っている。
リタがゆっくり自分の手元に目をやるとナイフはちゃんとフローラの首元にある。
だが、刃が女の肉体に届いていない。
「くぅっ…!!?どうなってやがる!!!」
リタはナイフを握る手に更に力を込めた。
ナイフはすでにフローラの首元にあり、あと五ミリ動けば掻っ切ることが出来るのに……これ以上刃を動かすことが出来ない。
狙いを首元から外し、フローラの全身を後ろから何度も何度も斬りつける。
――キィン!―――カキンッ!―――キン、キン、キィン!!!
フローラの身体のどこを狙って斬りつけてもナイフは弾かれる。
まるで身体の表面全部が薄い鉄で出来たボディスーツのようなもので覆われており、それを斬りつけているかのような手応え。
リタが何度も斬りつけている間フローラは前を向き微動だにしていない。
はぁ、はぁ、はぁ、くそぉっ……、この女の祝福はあの馬鹿みたいな握力じゃないのか!?なんなんだこの力は!!!
リタは自分を超える特殊な祝福持ちの人間に初めて出会い、そのことに冷静さを欠いてしまう。
リタが気づいた時にはもうクルッと振り向いたフローラによって思いっ切り腹を殴られていた。
「ぐぅ、 あぁぁッ!!
かっ、 はぁっ!!!!!」
リタは殴られた衝撃で二、三メートルは吹っ飛ばされそのままドンッ!!!と壁に叩きつけられた。
「ゲホぉっ……ゴホゴホッ!、ぐぇ………っ」
……お、おれ の… 腹、 は……?
…穴空いたんじゃない か…、これ…………?
リタが震える手を自身の腹に当てると、かろうじて穴は空いていないようだった……が、肋骨はバキバキに折れてるし内臓も損傷している。
「ごほっごほっ、げ、ガハッ………!!」
リタは血の混じる胃液を吐き出し、壁を背にしてずるずると床に座り込む。
咳込んだ時の衝撃で死にそうになるほど身体中が痛い。
いつの間にか―――蹲るリタの眼前にはフローラが静かに佇んでいる。
生死に関わる傷をいくつも負わされ、リタはもう満身創痍だ。
最後の気力を振り絞りなんとか顔を上げると、こちらをじっと見下ろすフローラと目が合う。
こんな時に考えることではなかったが、包帯が外れ落ち晒されたリタの火傷で爛れた顔面を見ても目を逸らさず、瞳に嫌悪の感情も浮かべないフローラのことをリタは不思議に思った。
リタから目をそらさず、フローラは静かに問い掛ける。
「おめぇ…。わたすにやられる覚悟は出来てるか?」




