39 フローラという少女 sideレオ
学園に入学してからも私は誰かと親しくすることもなく一人気ままに過ごした。
呪わていると噂される私にたまに擦り寄る強者も現れたが、こういう人達は私の容姿や家柄、それに付随する権力や金しか見ていないのでこちらも遠慮なくあしらわせてもらう。
それにここ数年、呪いが発動することに怯え一人でいることが当たり前になっていたので、誰かに関わり一から人間関係を築くという面倒な作業はもうしたくなかった。
このままずっと一人で生きていこう。
公爵家の跡取りは養子を取ればいいだけのこと。
そう思っていた三年生になったばかりの春。
私はフローラ・ブラウンという、ちょっと…だいぶ変わった令嬢に出逢った。
もうすぐ取り壊す予定になっているあまり使われていない校舎裏の、長年放置された花壇とベンチだけがポツンと置かれた寂しい場所。
ここは私が二年生の時に見つけた、誰にも邪魔されずに一人になれる気に入りのスポットだ。
こんな寂しく薄気味悪いところにやって来る者は誰もいない。
だからあの日も私は安心して仮眠を取っていた。
夢の中―――顔の印象ははっきりしないのになぜか「美しい」と思った女の人が私を手招きしている。
フラフラと近寄ると今まで嗅いだことのない甘い…極上の香りがした。
もう少しで手が届く…というところでひらりと躱されてしまうので私は彼女に必死に追いすがる。
それを何回か繰り返し、ついにその人の手を掴むことが出来たのでそのまま自分の腕の中に閉じ込めた。
―――夢の中の出来事とはいえ、なぜ私は初めて出会った女性にこのような大胆なことをしているのだろうか?
理由はすぐに判明した。
匂いだ。
痺れるように甘く、胸が締め付けられるほど切なくなるような、そして心から安心出来るどこか懐かしい匂いが腕の中にいる人からふわりふわりと漂う。
初めて会った人なのに、やっと会えた…と泣きたくなるほどに心が満たされた。
一体私はなんという夢を見ているのか……。
見ず知らずの女性を抱き締める夢を見て満たされるなど…欲求不満が過ぎるだろう。
自分自身にわずかな嫌悪感が湧き上がったところで目が覚めた。
―――パサリ
………?本が落ちたから目が覚めたのか……。
うっすらと目を開けると大きな眼鏡をかけた、あまり印象に残らない見た目の女の子(なぜか被りもの?と軍手を身に着けている)がいた。
驚きに目を見開く。
起きたらまったく知らない人間が顔を覗き込んでいたという理由で驚いたのではなく、目の前の女の子から夢に出てきた女性と同じ匂いがしたので心底驚いたのだ。
そして、頭で考えるよりも先に身体が動いて目の前の女の子を抱き締めていた。
―――やっと見つけた…。
今までどこにいたの?
もうどこにも行かないで―――
意味の分からないことをつらつらと考えながら腕の中から漂う甘い香りを胸一杯に吸い込み、そのあまりの甘美さにクラクラと酔いしれる。
女の子が抵抗しないのをいいことに、抱き締めた腕に力を込めると―――
「死ね」という物騒な言葉と共にヒュンッと何かが飛んでくる気配を察知したので、女の子を手放し飛んできた何かを咄嗟に避ける。
走ってやってきたのはこの女の子の、たぶん…侍女、か?
学園の侍女の制服を身に纏っているが物騒な武器を所持しているし(当たり前だが学園内で武器を所持することは禁止だ)、殺し屋だと言われても納得するしかないほどの殺気を漂わせていたので本当に侍女かどうか判断に悩むところだったが……。
その後抱きしめてしまった女の子に寝ぼけていたと言い訳し謝罪したが、それは嘘だ。
私は自分の意思でこの女の子を抱き締めたいと思い行動した。
自分勝手で最低な行いに、どんな償いでもすると伝えれば女の子はひどい訛り言葉で「友達になってほしい」と言ってきた。
女の子の名前はフローラ・ブラウン男爵令嬢。
私は人を見る目がある、と自負している。
祝福を与えられなかったが故にいつか誰かが私の秘密に気づくのではないかと恐れ、常に人目を気にし周囲を注意深く観察しながら生きてきたからだ。
そんな警戒心の強い私から見て、フローラの言葉には、目には、態度には、打算や嘘や思惑が一切ないと断言できた。
純粋な気持ちでお友達になりましょう、なんて…人生で初めて言われた気がする。
高位貴族であればあるほど“お友達”など出来ない。
貴族同士の“友達になって下さい”は、“配下に加えて下さい、利益が欲しいです”と同位だ。
フローラの飾らない言葉に胸がポカポカと温かくなり、一人で生きていくと改めて決意したばかりだと言うのにあっさりと同意してしまった。
照れくさい気持ちで「ありがとう」と伝えた時に見せてくれた彼女の笑顔は、地味な顔立ちではあるがとびきり可愛らしく見えた。
それから放課後に待ち合わせてこのベンチでフローラと他愛も無い話をして穏やかな時間を過ごすことが毎日の日課となった。
フローラと過ごす時間が楽し過ぎて、一人が良いなどと言ってはいるが、実は私は人恋しかったのでは?と自己分析してみるも答えはノー。
フローラ以外の人間と同じように過ごせるかと言われれば苦痛を感じると言わざるを得ない。
フローラの裏表のない素直で優しく正直な人柄には心からホッと出来たし、なにより彼女から香る甘い匂いがたまらない。
この魅力的な匂いの正体は何なのか…。
確かめる術もなくまぁ分からなくてもいいかと思い始めていた頃、リアム殿下がわざわざこんな廃れた場所までやってきて「フローラを婚約者候補にした」と爆弾発言を落としてきた。
私はこの頃、フローラとならばこの先の人生を共に歩めるのではと考え始めていた。
女性として好きかと聞かれればそうではなかったが、いつかきっと好きになれると確信していたから。
でも彼女を殿下に横から掻っ攫われようとしている―――殿下に連れて行かれ去っていくフローラの後ろ姿を見つめながらそう仄暗く考えて、首を振った。
いや…違うな、フローラは物ではない。
殿下を選ぶにしろ、私を選んでくれるにしろ、大事なのはフローラの気持ちだ。
翌日、殿下に連れ去られた後のことが気になっていた私は、周囲に知り合いであると悟られないようフローラを空教室へと誘導する。
フローラはいまだに「レオ・アンダーソンは呪われている」という噂を知らない為、大っぴらに私が近づくと迷惑を掛けてしまうだろうと思い、こういったまどろっこしい対応を取った。
いつか自分の口で伝えると言い訳しながら万が一噂の内容に慄いたフローラに距離を取られたらどうする?…と考えてしまい、話すことを先延ばしにしてきてしまった。
フローラはそんな子ではないと分かっているのにどうしても臆病な自分が顔を出す。
だが空教室でフローラが「次は堂々と話掛けてきて欲しい」と言ってくれたことで覚悟が決まる。
殿下との話を聞いた後、私の噂について話そうと。
フローラから昨日の話を聞き出し、それにしても殿下はなぜフローラを?と考えていた時、フローラから衝撃的な言葉が飛び出て一瞬息が止まる。
「レオ様が嫌われてるって言うのは祝福を貰ってないこととなにか関係があるだ?」
フローラは、私の噂どころではない、本当に誰にも知られてはいけない秘密を知っていた。
大きな眼鏡をかけたきょとんとした顔で
世間話をするかのような気軽さで落とされたその言葉に
なんてことない内容であるかのように核心に触れられたことに。
私は、フローラに対し今まで誰にも感じたことがないほどに畏怖の感情を抱いた。
フローラは…………一体何者なんだ…………?
それと同時に気づく。
殿下がフローラに目をつけた理由は―――これだ。




