2 フローラの事情
寮の自室へと帰ってきたフローラは頼りない足取りでよろよろとソファまでたどり着き、倒れ込むように深く腰掛けた。
「ぅぅ…、疲れただぁ……」
廃れた田舎から出てきたばかりのフローラにしてみれば、“学園”とはいえ校舎や寮などの大きな建物がいくつも立ち並び、さらにはブティック、教会、治療院まで併設されたここは一つの“街”といっても過言ではない様相で、寮を出て教室に向かうだけでも人・人・人!で溢れ返った状況にひどく疲れるのだ。
フローラの領地は隣国と接する辺境の地にあるが、接する国が友好国であることと、お隣の領地もド田舎でのんびりとした性質の者が多いからか諍いが起こることなど一度もなく、平和すぎるほど平和な場所だった。
辺境なのに緊張感の欠片もなかった。
フローラは一応男爵令嬢という身分であったが、こんな僻地で貴族の友達が出来るわけもなく、村人全員顔見知りという安心安全な場所で毎日のように村の子ども達と一緒に駆け回って遊ぶという幼少期を過ごした結果―――フローラはひどく訛った。
村の子ども達がもれなく全員訛っているのだから当然の結果だろう。
王都の学園に通うにあたり、「訛ってる令嬢なんて貴族的にまずいのでは?」と慌てた母親による言葉使いの矯正が始まったが、所詮は付け焼き刃。
気を抜いた時や緊張した時は訛りに訛る。
「フローラ様、本日もお疲れ様でございました。貴族とはかように底意地の悪い生き物でしたのね。
本当に…フローラ様の爪の垢を頂き煎じたものを舐めさせてやりたいですわ」
忠義者な侍女、ララが鬼の形相で物騒な事を呟く。
フローラは話の内容よりも気になることがあった。
「ララ…なんかわたすより言葉使いきれいでね?」
ララはフローラが領地から連れて来た同じ歳の侍女だ。
クセのある赤毛を後ろで一つに纏めてお団子にし、学園に出入りする侍女専用の黒いシンプルなロンドドレスの制服を纏っている。
頬にそばかすの散った顔は愛嬌たっぷりで、そんなララの元気いっぱいな笑顔にフローラはいつも癒されていた。
ララもフローラ同様ひどく訛っていたのだがフローラとともに正しい標準語を学ぶうちに、優秀な侍女は難なく習得してしまったようだ。
「当然のことです。至高の主であるフローラ様にわたくし如きのことで恥ずかしい思いをさせるわけには参りませんからね」
「その主が訛ってんけどね」
どこか元気のない様子の主に、ララは痛ましげな目を向ける。
「フローラ様っ…。教室で性根の腐った女狐どもに言われたことを気になさっているのですか?」
ララは主に仇なす者に対し過激になる傾向が強い。
「それは全然気にしてねぇけんど、ララを召使い、なんて周りに呼ばせてしまう自分が情けなくてな…」
「ふふフフフフローラ様……っ!!!」
尊い……と一言残してパタリと床に倒れ伏したララに、フローラは「通常運転だべな」という視線を向ける。
ララはれっきとした侍女であり、本来ならば召使い呼ばわりされる謂れはない。
けれどフローラが荷物持ちに代筆・代弁、食事の介助、先生に頼まれた雑用に至るまですべてララにやらせているので侍女の範囲を越えた仕事内容となってしまい、下働きをする下女扱いを受けてしまっている。
フローラとて好きでララにすべての負担を押し付けているわけではないのだ。
これにはイルド王国全土を混乱の渦に巻き込みかねない恐ろしい事情がある。