120 授爵式
王都で厄災が発生してから約二月後、気持ちの良い風が吹き抜ける雲一つなく良く晴れた本日は、ダンが陛下から辺境伯の地位を賜る授爵式が行われる晴れ舞台の日だ。
厄災が終息した後、フローラはララ達が王都へ来るのを待って一度領地へと帰っていた。
王都にある一部の街並みの変わり果てた姿―――家屋は根こそぎ吹き飛んでいたり無残に焼け落ちていたり、硬い地面には抉れるような大きな穴が空いているのを見れば、魔物との戦いがどれほど激しいものだったかよく分かる。
再会したララはそんな死闘を繰り広げたフローラの無事を咽び泣いて喜び、アリアは愛らしい見た目の本物のペット(ルルーシュ)の登場に自分の立場が奪われはしないかと戦々恐々としていた。
ララは当初、すべての元凶であるルルーシュに対し良い感情を抱いていなかったが、しおらしい態度に愛嬌たっぷりの仕草、庇護欲を唆られる上目遣いにいつしか絆され、今では「ルルちゃん」と呼び大層可愛がっている。
領地に帰ればアンナとダンもフローラの無事を心から喜び、そしてルルーシュに着いて世界中を旅することにも「これほど大事なお仕事はない」と言って許してくれた。
ブラウン領に厄災が起きたのは紛れもない悲劇だがルルーシュのせいではない。それにこれからはフローラが支えることでルルーシュの浄化作業は捗り、厄災は起こらなくなるはずだ。
そのことを伝えると、アンナは感極まり泣き出してしまい、皆で慰めた。フローラが生きている間のこととはいえ、領地に二百年ぶりの安全が確保されたのだからこれほど喜ばしいことはなかった。
「あ、そのことなら大丈夫だ。神格化が進んだことでわたすの寿命が延びたらしいから、わりと長いことルルちゃんを手助け出来そうだで」
「あ、あんたって子は………。ついに私の娘が人間やめて帰ってきたわ……」
「奥様ぁ、お気を確かにぃ〜」
「フローラ様のお孫さまに看取られるのではなく、フローラ様ご本人に看取られる我が人生…すごくアリです!!」
ララはやはりどこまでもフローラ至上主義でブレがない。
しばらく領地に留まってアンナの特別授業を受けたり、ルルーシュと戯れたり、森で狩りをしたりして楽しく過ごしたが、授爵式の日が近づいて来たので余裕を持って家族全員で王都へと向かうことになった。厄災の対応があったのでブラウン家全員で領地を離れるなど初めてのことだ。
王都へと向かう道すがら、虹色の瞳はどこへ行っても注目の的で大いに騒がれたが、あまりにも神聖すぎて誰も近寄ることなど出来ず、フローラ本人の感想としては「いうほど騒がれないもんだべなぁ」というまったく見当外れなものが浮かんでいた。
そして一週間かけて王都に戻ってきたフローラはイルドラン学園へと向かい、卒業認定試験を受けることにした。
厄災のせいで王都の一部は壊滅的な被害を受けたが、王宮にほど近い学園に直接的な被害は出なかったようで、以前と変わらぬ厳かな佇まいでフローラを迎え入れてくれた。ただし世間の状況を鑑みてすべての授業は休講、寮も一時閉鎖されていたため、辺りはシーンと静まり返っている。
しかしフローラが試験を終えて教室を出てくると、廊下に溢れんばかりに多くの生徒達が待ち構えていた。
「え…!あの可愛らしい御方がフローラ様なの…!?」
「虹色の瞳の神々しいことっ……!直視出来ないわ…」
「フローラ様は天界から来られたばかりでうまく話せなかったり字を書けなかったりしたそうよ…。それなのにわたくし達は傲慢だと陰口を叩いたりして…一言謝罪させて頂きたいわ…」
よく分からないデマも流れているようだが、フローラは周囲の囀りをすべて無視して学園を後にする。
フローラのこのサバサバとした態度が、近寄りがたい神聖な雰囲気を醸し出す要因となっていることに気付いていない。
そしてララとアリアの鉄壁のガードで馬車へと乗り込み、フローラはレオのタウンハウスへと向かう。
「先生っおかえりなさいませ!今日は罠の作り方を教えて下さる約束でしたわよね!?」
馬車の扉が開くなりレオの母親であるシャーロットが飛び出して来て、フローラを尊敬の眼差しで熱く見つめてくる。
実はフローラは王都に着いてすぐ、シャーロットとの約束を果たすべくアンダーソン家にやって来ていた。
シャーロットも夫である公爵からフローラの瞳について聞いてはいたが、話しで聞くのと実際に目にするのとではやはり衝撃が桁違いで、最初は震えた声で「ふ、フローラ様、以前は大変失礼な態度を…」と謝罪しかけたが、「狩りに行きましょう!」というフローラの鶴の一声で「えっ!?行く行く!」とテンションは爆上がりとなった。
こうなった母は止められないと知っているレオも交え、さっそく狩りへと出かける。
王都の近くにそれほど標高の高くない山があり、そこはピクニックやハイキングコースとしても人気の場所で、警戒心の強い福鳥がいるとは思えない賑わいのあるエリアなのだが、フローラが目指したのはコースから外れた木々の奥。崖があり危険と注意喚起されている場所で、崖を降りるといまだ手つかずの未開の地が残されており、そこが福鳥達の溜まり場となっているのを発見したのだ。
何が危険かというと、三十メートルはあろうかという崖をフローラが持つロープを頼りに降りなければならないところだ。
シャーロットは自力で降りることは叶わず、フローラにおんぶしてもらいながら崖を降りたが、あれほど怖い思いをしたというのに、シャーロットの腕前では福鳥を一匹も仕留めることが出来ず悔しい思いをした。
フローラが鮮やかな手つきで福鳥を弓やナイフ、時に素手で仕留める様を目にしてからはすっかりフローラの虜となり、今では「先生」と呼び熱心に狩りの指導を受けている。
その縁でフローラ達は王都滞在中はアンダーソン家のタウンハウスにお邪魔させてもらうこととなった。
リアムは「王宮に泊まればいいだろう!?」とわざわざタウンハウスまで出向き説得していたが、「元婚約者候補だったフローラを王宮に泊まらせるなど非常識ですよ」とレオに冷たくあしらわれていた。
ちなみにそれからというもの、リアムは毎日のようにアンダーソン家に顔を出してはフローラに会いに来るようになったので、王太子を出禁に出来ないかとレオは真剣に考えたほどだ。
「おかえり、フローラ。母さん、フローラは試験を終えたばかりなんだから少しは休ませてあげて」
「あら、そうだったわね。失礼しましたわ。では先生、後ほど」
レオが呆れた様子で母親を諭すと、シャーロットはほほほと優雅に笑いフローラに会釈をしてから家の中へと入っていった。
「はぁ…。いつもごめんね?フローラも無理に母に付き合わなくていいから」
「? 無理なんかしてないだ。シャーロット様は筋がいいし飲み込みも早いから、この調子でいけば一年後には狩りで生計を立てて生きていけるようになるかもしれね」
「あー……うん、程々にしてもらえる?」
公爵夫人が狩猟一本で生きていけたら大問題だ。そこまで熱心に指導しなくていいからね?ともう一度念押ししてから卒業試験の出来を尋ねる。
「試験はどうだった?さすがに時間がないから特例として卒論は免除されたみたいだけど、その分試験内容が随分と難しくなったって聞いたよ」
「ちょっと難しかったけどたぶん大丈夫な気がするだ」
「さすが。アンナ夫人も徹夜でフローラの勉強に付き合った甲斐があったね」
アンナはフローラの試験に向けて、新しい知識を蓄えるべく公爵家の図書館に丸一日籠もった後、レオを交えてのスペシャル(地獄の?)勉強会を徹夜で行い、それからフローラは三徹をして知識を自分の中に落とし込んでいった。
ちなみに試験の結果はアンナのしごきのおかげで無事に合格。フローラはイルドラン学園創設以来初めての飛び級合格者となった。
こんな日々を二週間ほど過ごし、ダンにとって晴れ舞台となる授爵式を迎えたのだが、控室に集まる面々の顔色はまったく晴れていない。
「魔物はもう現れないのに辺境伯を賜る必要があるのかしら?厄災がなければあそこは本当にただの平和ボケした土地よ?」
「過去の功績も含めてというお話しでしたけど、栄誉なんかいらないから物資がほしいですよね」
「一度与えるって言っちゃったものは引っ込めれない〜って感じですかねぇ。押し付けられた感がすごいですぅ」
本来であれば全貴族が羨む叙爵も、アンナとララとアリアに言わせてみれば「余計な責任だけ負わせやがって」という恨み節に変わるようだ。
「そんなことよりぃ〜!」
アリアが王家主催の授爵式をそんなこと呼ばわりで片付けると、フローラの方へと向き直る。
「フローラ様と王太子殿下って、結局のところどうなってるんですかぁ?昨日もアンダーソン家にやってきてはデレデレしたお顔でフローラ様と談笑されて満足そうに帰っていかれましたけどぉ。
もしかしてぇ、よりを戻すとか、そういう感じですかぁ〜??」
「アリア……お前いい度胸してるな?」
「ひっ!」
アリアはレオの視線に殺されそうになり、慌ててフローラの背中へと隠れる。
実はレオも、フローラはリアムのことを本当はどう思っているのか気になっていたのだが、答えを聞くのが怖くて今までうやむやにしてきた。
「だってだってぇ!レオ様もこんなモヤモヤした状態でフローラ様としばらく離れ離れになるんですよぉ!
嫌じゃないですかぁ!?それなら当たって砕けましょうよぉ!!」
「お前…あとで殺す」
アリアの中でレオはどうやら砕ける前提らしい。
だが、アリアの言うことにも一理ある。
フローラは授爵式が終わるとすぐにルルーシュと世界中の「悪いモノ」を集める旅に出る予定なのだ。
まめにイルド王国に帰ってくるように言い含めているが、これが最初の旅なのでどれくらいの期間で帰って来られるのかはまだ分からないらしい。ルルーシュとフローラの旅にはララとアリアだけが同行する。
レオはフローラとの関係が決定的に変わってしまうことを恐れ、あの時の告白の返事も聞けていない。
だが、しばらく会えなくなるのならば今はっきりとさせておくほうがいいのかもしれない、と覚悟を決めたレオはフローラと向き合う。
「…フローラ。フローラは殿下のことをどう思っているのか教えてもらえる?」