#008
「先輩、伊知寺さんって同僚の刑事だったんですよね? どんな方だったんです?」
ここ何日間、「居住区」では雨が降り続いてた。断続的に降っては止みを繰り返し、時折雷鳴を響かせながら、延々と続く暗闇の世界を彩る。
「なんだ急に」
「先輩が追い求めてる"空港駅の事件"、それに関与してるのは知っていますが、詳しくは教えてもらえないので」
そんな「居住区」の陰気な空を警察車両の窓から見上げて、疲れた顔のシヤラが呟く。
今日は、定常の業務の他に割り込みで現場対応が入り、帰路に着く頃には定刻を超えた始末。この後また例のゾンビアンドロイドの件をやらないといけないのは、さすがに気が滅入る。
「ふん、そりゃ誰も話したがらないだろ。あんな嫌な事件」
「やっぱり、伊知寺刑事は……」
運転席で喜田はいつも通りの無愛想で答える。
「死んだ。ゾンビに感染させられてな」
思わず声が出そうになるシヤラ。自分で聞いた割に、その手の話はあまり得意じゃない彼女へ、喜田は小さく嘆息した。
「あの時は今ほど居住区も整理されてなかった。だから殆ど流れ弾みたいなものだ。クソゾンビとも敵対的な時期だったしな」
「先輩も、当時の現場にいたんですよね?」
少し沈黙があった。
「オレは遅れて到着した身だ。その光景を見てた訳じゃない」
シヤラにとって、上司である喜田の過去は気になるものだった。興味云々の問題というより、彼が、何故そこまであの時の事件に拘るのか、何故未だに追い掛けているのか、知る必要があると思っていた。
なぜなら――
「話が逸れた。伊知寺がどういう奴か、だっけか。あれは生粋の"チャラ男"ってのだったな」
「えっ」
意外な答えに身を乗り出すシヤラ。それを鬱陶しそうに喜田がしっしっとやる。
「女好きって訳じゃなく、あいつは、誰彼構わず仲良くしたがるタイプだった。それがチャラチャラしてる。そういう意味だ」
「へ、へえ……先輩と正反対的な」
ついつい漏れた余計な一言に、喜田から何か訴えかける目線がミラー越しに送られる。シヤラ的には全く持って正しい印象だと自負してるのだが……。
「だからか知らんが、あいつは色んな人間に好かれてた。後輩の面倒見も良かった」
「ますます先輩と正反……ったい!」
またも口に出てしまった言葉に、今度は禁煙飴が投げられた。おでこに当たってしまい痛そうにするシヤラ。
「うう……何するんですかぁ……公務執行妨害です」
「教育だ」
「うわぁ、原始人……」
涙目になるシヤラに構わない様子で喜田は禁煙飴をガリガリ噛んで言った。
「そういう出来の良い兄貴に、妹の方は勝手に憧れてたんだろうな。だから死んだ原因となったゾンビに、深く憎悪を持ってる」
――妹。
シヤラはその人物の名を、小さく漏らした。
「……真昼さん」
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伊知寺真昼がシヤラから映話を受けたのは、日付が変わる頃だった。
『す、すみませんこんな時間に』
申し訳なさそうに頭を下げながら、色白の新人警官がいくつか数枚の資料を転送した。真昼はソファから立ち上がりそれを部屋の印刷機から出力させた。
『この前の爆破事件の詳細ですが、担当のホリエ刑事からの報告だけだと不明点が多くて、直接お尋ねしたくなりまして』
「こんな時間にですか」
『いやぁ、あの、そこに関しては謹んでお詫びをっ』
両手を突き合わせるシヤラの姿に、真昼は仕方なさげに首肯した。
「まあシヤラさん――警察にはそれなりの理由があるというのは理解してます。手短におさらいをしましょう」
『陳謝しますっ。真昼さん、神!』
「……全く」
こほん、と気を取り直した様子で、出力した紙に書かれた時系列を追いながら、真昼が当時の監視カメラの映像とともに話し始めた――
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『居住区 旧品川シーサイドエリアにて』
旧品川地方に夏蝉から呼ばれたわたしは、ルビーさんを連れ立ってタクシーに乗っていた。
どうも、最近の「居住区」は人が少ない。疎らにすれ違う人影は、どことなく彷徨う亡霊のようにも見える。
自動運転特有の無機質な揺れを後部座席で感じながら、わたしはふと、ビル群の間から何か出てきたのに気付いた。
「どうしたの、キョロキョロしちゃって」
タクシーに乗ってからというもの、やたら欠伸ばかりしていたルビーさんが、わたしの様子に気がつく。刺青にローマ数字がある通り、彼女は高性能なアンディーではあるのだが、さっきから妙に注意散漫で気が回ってなく、わたしがこうして周りを見ている次第た。
「気配というか、誰かに見られてるような感じが、さっきからしてるんですよ。ルビーさんの方も周辺情報にアラートが上がってないか確認してもらえませんか」
「うーん、細かなノイズはあるけど、脅威判定は特に――」
自身のアージを弄りながら、ない、と続くはずの言葉が突然の衝撃によってかき消された。
車体に歪な感覚があったのだ。
「――!」
「なに!? まさか本当に!? あーもう、面倒くさいなぁ!」
車が緊急停止するとすぐにルビーさんが即座に外に出、その「相手」と対峙する。わたしもすぐに後を追った。
「位置情報を隠蔽してたのか知らないけど、売られた喧嘩は全力で返すわ――ふん!」
衝撃の正体はゾンビ……の見た目をしたアンディーだった。頬に製造元のシニスターカンパニーの刺青があるが、皮膚の変色具合のせいで一見しただけじゃ全く分からない。そういえば、アイアンヘッドというシリーズだったか。わたしは受け付けないが、少なからずこういうのが好きなコアなファンもいる。
いい迷惑だ。
「運転中二ドアガ開カレマシタ。停止シマス。停止シマス」
タクシーから流れる機械音にBGMに、大柄なゾンビ型アンディーから距離を取る。パンクスちっくな容姿も相まって完全に昔の映画的なゾンビだ。側から見れば悲鳴が上がるだろう。
「車体が凹んでるわ……コイツ、なんて強引な。離れなさいっての!」
ドゴ、とルビーさんが体当たりしてゾンビ型をタクシーから引き離す。わたしも近くの自販機に身を隠して他に敵がいないか探す。
「……その刺青、あんたシニスターのアンディーね。ふん、肥溜のキップラーだろうが、位置情報の隠蔽で身を隠してまで人様に手出しってなりゃ、完全に死刑。親元にも迷惑掛ける事を考えなさい――ま、死刑場に行く前にアタシの手で殺ってあげるけど!」
ルビーさんはアージを片手で触れ、マジックのように唐突に出現させたがグロック型のレーザー銃を構える。わたしは止めに入る。
「街中で銃火器含め武器――アージの使用は禁止されてます。ルビーさんでも違反に該当する可能性がありますし、やるなら相手を無理やり動作停止状態にするしか」
「ファック。そんなの権限昇格でもして規約を書き換えてやるわ。アタシはね、安パイってのは性に合わないの。せっかく新しいアージも導入したんだし、ここはやらせてよ、マスター」
高性能アンディーにしてはモラルが無い言動が致命的。それがルビーさんの悪いところで、ある種彼女の売りだ。
しかし今日は特にめちゃくちゃ。なんだか素直に攻撃許可を出せない。
「……目立たない程度に」
「素晴らしい回答ね。じゃあ早速――って、逃げられてるし!」
怒鳴りながら道路の反対側へ走って行くゾンビ型を追って行くルビーさん。彼女の能力なら、すぐに追い付いて屠るまで5分も掛からない筈だが、どうだろう。疲れているのかいつもより動きや判断は悪いが、戦いに至っては問題なくやれそうではある。
幸い、ビル群の合間に向かって行ったし、人目にもつきにくい……。
「アンタは先に夏蝉のとこに行ってて! ここよりは安全だから!」
しかしビルの間に声を反響させるルビーさんを止める事が出来ずに、わたしはしばらく佇んでから、タクシーに乗り込み、発車させた。
そして数分後、たどり着いた目的地で、あの爆発が発生する。
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「やはり当該のアンディーはシニスターのもので間違いないんですね」
真昼の説明を聞いてシヤラがシニスターカンパニーのロゴをホロディスプレイに表示する。
文字全体をギザギザにした古臭いホラー的なデザインは、一見しただけでも「SNISTER」の文字とは思えない。
それこそ素人が見たらなにかの模様、くらいの印象だ。
「ええ。ただ、居住区のセキュリティを抜けてあの場に屯できる程、利口な個体ではなかった認識です。おそらく、既にあった街内のセキュリティホールを上手く使ったんでしょう。警察の方では、何かログ等無かったんですか」
真昼に言われ「そうですね」と応答しながらセキュリティログの一部を見せるシヤラ。大量の文字列の中に、
「Invade」
「Destroy」
「Repeat」
と言ったログとしては関係なさそうな文字列が色付けされていた。
「直接的には不正なログは無かったみたいですけど、少しだけ手掛かりになるようなものがあったと解析担当から報告がありました。わたしもアンディー側の事件にはそこまで関与してないのであれですが……この文字列、どこかで見覚えありませんか?」
シヤラの問いかけに、真昼は考える様子を見せる。そして顔を伏せ、小さく呟いた。
「……5Kキップル、か」
シヤラが首を傾げる。
「5K……? えーと、解像度、的な事です?」
「いえ、ただのキップルの種類です。何故かデフラグしても残ってしまう厄介なキップルを、アンディー使いはそう呼びます」
真昼はその言葉の意味を説明していった。残存したとしても、さして何も引き起こさないキップルである事。しかしアンドロイドの中枢プログラムに謎の文字列を流し込まれる事。
その文字列が、今シヤラが見せたセキュリティログと同一だった事。
そして、単なるキップルとは、何か違う事。
「キップルは、積み重なれば積み重なる程、アンディーのブレインを侵します。逆に言えば、大して溜まらなければ問題は起きませんし、デフラグによって消す事が可能です。しかし5Kキップルの場合、1バイトだけでも蓄積されてしまうと、"消そうとしても消さない"という問題が発生します。もちろん、この"ゴミ"が消せなくもアンディーがすぐに壊れる事はありません。でもプログラム的には問題である事に違いなく、自動的に何とか解決しようとするんです。その時に出力されるログが、InvadeやDestroyと言った文字列です」
映話のホワイトボード機能を使いメモを取っていたシヤラが「製造元に問い合わせてみては?」と尋ねた。真昼はメーラーを立ち上げ、既にその対応はした旨を伝えた。
「向こうも解析不能のようです。よくあるんですよ、メーカーも知らないログが出てしまう事。独自のプログラムなり言語だけで製品を作ってないので、どうしてもミクロなとこは分からない、って。実際問い合わせても、大して問題起こさないなら調査する必要もない、と回答が」
「うわぁ、ちょっと不誠実ですね」
「普通はこんなもんですよ」
メーカーからの回答メールを閉じ、真昼は「しかし」と話を続けた。
「こういう事例が積み重なると、ある事実が浮かび上がるんです……5Kキップルによって吐き出されるログ、これらの単語は、かつてのバイオ戦争時に使用された合言葉だったのではないか、という事実が」
「合言葉……」
「ええ、詳細は不明ですが」
シヤラの頭の中に、とある映像がフラッシュバックした。
何か薄暗がりの中で、何かを決したような表情で人間たちがしきりにその言葉を連呼していた光景を。
あれは、何で見たか。
何で知ったのか。
明確には覚えてない。だけれど、何故か引っ掛ってる。
「……そうだ、確か――資料書庫に」
警察に入る前から謎だった事がある。
それは、やたら大人たちが昔の事実を隠したがる事。
これも、きっとそうだ。自分の周りの居る人間に訊いても、例え忠実なアンドロイドに訊いても、きっと隠されてしまうんだ。
灯り始める、消された記録。
「ああ、でも今は書庫にまだ人がいるか……真昼さん。申し訳ないですが、もうちょい確認のお付き合い下さい。多分、話終わる頃には、5Kキップルの"メッセージ"が分かるかもです」
目に小さな灯火を見せるシヤラに、真昼は頷いた。
「何か警察側で手掛かりがあるんですね。それも簡単には触れられないような」
「保証は出来ませんが、きっとヒントにはなるかもです。ささ、次のシーンに行きましょう」
監視カメラの映像が、再び動き出す。
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新アンディーの実装実験をこの辺りの一角で行なっていたのは当初から知っていた。
だから、すぐに夏蝉の居るところが分かった。地図の位置的な情報ではなく、彼女は海の見える通りにある、アンディーモールでわたし達を出迎えるつもりだ、と。
実際に再会した夏蝉はわたしの予想通りの感じだった。最初の数回のやり取りですぐに理解出来た。彼女はわたしだけではなく、ルビーさんも含め話をしたかったらしい。
そして、この後に起きた爆発でタイミングよくルビーさんがわたしたちと合流する。もちろん、悠長にお喋りしてる暇も無く、戦闘体勢となる。
夏蝉がこの時に言っていた「死なないアンディー」とやらは、すぐにわたし達の前に現れた。
何となく察しは付いていた。ゾンビの見た目をさせていれば、気付いて下さいと言ってるみたいなものだ。
つまるところ、わたしたちの対峙しているゾンビ型のアンディーは、本物のアンデッド性を含ませた個体。
訳が分からない? 生憎、これについてはわたしも理解が出来ない。
ただ分かる事は、ルビーさんの言ってた通り、自爆行為を何度も行えていた――一度の自爆じゃ死なない加工がされていたという点。
「んだありゃ、体の中に爆弾仕込んでのか」
「物理的な仕込み爆弾ってより、体の一部をエクスプロードさせる機能みたいよ。普通だったら1発で終わり」
しかし、ルビーさんの言葉と反して、そのアンディーは、爆発した部分を失ってもなお、こちらに接近して来る。正直言って、その異様さは本物のゾンビよりも嫌悪感がある。ルビーさんが2丁に変形させたレーザー銃をツーハンドで蒸かす。
「ちっ、急に機敏に避け出したわね。エイムが定まらない」
目標に避けられ苛立つルビーさんを横目に、わたしは眼前の複数体の位置について、夏蝉の従者から情報を転送してもらい把握する。
この感じ、あまり遠距離戦でやっても距離を詰められていくだけだ。かと言って、近接戦をすれば自爆の餌食。
どうする。ただの武器ではジリ貧だ。
「――? 動きが止まった」
1人頭を抱えていたところだった。ルビーさんが焦れて特攻するよりも先に、崩れるようにして倒れ込んだ。
瞬間、彼女の体が電撃を浴びたように震えた。
「ルビーさん……!」
「近寄らないで!」
駆け寄ろうとするわたしをルビーさんが必死の形相で止める。初めて見た表情だった。致命傷を受けた訳でもないのに、何で急に。
「かはっ……電波干渉された……わ。っ……頭がっ」
「けッ、世話焼けるなァったく。真昼、さっさと離れろ」
頭が追い付いてないわたしを無視して、体がルビーさんから引き離される。夏蝉の従者たちだ。つまり、夏蝉はルビーさんから離れるように命令した、って事は――
「なっ」
一瞬、わたしの頬に熱線が擦った。
それは凄まじく熱く、真面に食らってたら顔面が溶けていただろう。
「なんで!」
わたしはその熱線の正体に寒気がした。
何故なら、それはさっきまで敵に向かっていたレーザー銃だったから。
ルビーさんがわたしに対して撃ったのだから。
「そんな……」
「バカ真昼、早く車に乗り込みやがれ……! ルビーのやつ、アウトオブコントロール状態にさせられてんだぞ」
当惑するわたしの肩を夏蝉が掴む。なんで今の一瞬でルビーさんがそんな目に。だって彼女は高性能の数字付きアンドロイド。たかだかジャミングぐらいで、そんな
「くっ……はぁ、はぁ……中枢コントロール機関、応答……通信ポート開放……システム1111に応答要求…っ……だぁぁあ! なんなの勝手に、頭が……!」
苦しそうに耐えながら、再び銃口をこちらに向け、しかし何とか抑え込むルビーさんの姿。どうして、どうして、ここに来てこんな事が。考えが纏まらない中、わたしは押し込められる車の窓から、ふと、一台のアンディーに気付いた。
「あのタクシー、まさか」
ここまで来た自動運転用のタクシー。あそこには運転手として量産型のアンディーが乗っている。
思い返せば、最初から今日のルビーさんはおかしかった。
やたら注意散漫で、判断が悪く、おまけに相手に先手を取られてた。
そうだ。その時点で気付くべきだった。
――あのタクシーに乗った時点で、彼女は眠そうにしていた事を。
つまりあの運転用アンディーの近くにいた時点で、彼女へのジャミングは行われていたんだ。
密かに、秘密裏に、わたしも含め誰も気付かぬ内に。
押し込められた車が発進する。遠くになっていくルビーさんの元に、確実に近づいて行くのは、ゾンビ型のアンディーたち。崩れ落ちた彼女はまだ立ち上がれず、ただ歯を食いしばって、わたしたちを見ているだけだった。
事件から数時間後、立ち入り禁止となったアンディーモールからは、わたしたち以外、誰も帰って来てない。