#005
不愉快な音だった。
甲高く、突き刺すような、鼓膜に引っかかる音。
数秒事に間隔が狭まる破裂音。
生暖かい風と、冷え切った空気が化合し、溶け合い、混ざり合い、爆発した。
「えらくご機嫌だなァ、ドラグラのアンディーは」
筒状の形をした建物内の下方。最下層で行われる戦闘用アンドロイドの実験を、最高層の部屋で童女のような容姿が不気味に微笑みながら観戦していた。
雑多に結んだ黒髪は、妙なまでに艶があり、後ろ姿だけ見れば日本人形さながらである。
が、正面には渇いた葉巻を咥えた、目つきの悪い顔がある。
低い身長ではあるが、可愛げはなく、狂犬のような印象を多くの人間が持つだろう。
呼び名は、夏蝉。
真名は不明。
「こりゃまた、競合は経営不振だなァ、カワイソーに。バトルタイプはドラグラ一強の時代が続くねェ」
側近から受け取った資料を、怪しい笑みを携えながら見ると、夏蝉は手摺りから従者たちに呼び掛ける。それを合図に、試用実験終了のアラームが鳴る。
「いいぜ。このモデルは採用だ。後でパラメータシートを送ってもらえ」
「はっ」
「ふぅー。個人的にゃ、配属先をボトム3のクランにして残留争いを盛り上げてやりてェが、せっかくの良モデルだ。買手に選ばせろ。仕入れ値の倍でな」
夏蝉の声に足音が騒がしくなる建物内。
ここはアンディーリーグの最終選考場。多くのアンドロイドたちがここでリーグ参加のクランへ所属出来るか、品定めがされる。
アンディーリーグは、戦闘用アンドロイドたちにバトルロワイアル式の試合をリーグ形式でやらせ優勝を競わせる、いわば人類用の見せ物。娯楽としての人気は割合高く、頻繁にメディア進出からトトカルチョまで、様々なコンテンツが用意されている。
そんな血気盛んなアンドロイドたちの戦いを運営するのが、フロントのアンドロイド担当部、<電気羊使い(エレクトロシーパ)>の役目だ。
夏蝉は言わば、ここのオーナーだった。
「夏蝉様。アンデッドの方で一件よろしいですか」
「なんだ」
「新規登録の依頼があったんですが、どうも"あの方"の勢力のようです。ご確認を」
そして彼女はまた、
<死羊使い>のオーナーでもあった。
「ほォ。<大宮>の連中に潰されて泣き付いて来ると思ってたが、まだその心配は要らんみてーだな。ハハァ、すぐに通してやれ。あたしの大事な"旧友"だかんな」
「承知」
物陰から夏蝉の了承を得ると、すぐさま申請が処理される。夏蝉は葉巻を吸いながら、たった今処理されたアンデッドの1勢力の資料を従者から受け取った。そこにははっきりと彼女が旧友と呼んだ人間の名前があり、その名前を不気味な笑みと共になぞった。
江ノ島ありす。
あぁ、「また」この名前を見られるとは――
「しっかし、アンディーもアンデッドも両方あたしが担当ってのは、どーも納得いかねェ。あのジジイはナニに考えてこんな真似を。純潔な人間が少ないのは仕方ねェが、さすがに嫌がらせレベルだぜ」
嘆き節を口にしつつ、外へ歩いて行く夏蝉。空調の効いた建物内とは違い、むわっとした生暖かさが不愉快だった。向こう側には「居住区」の人工灯が暗闇に眩しく輝いている。
「夏蝉様。お客様です」
後方から声を掛けられ、夏蝉が路肩に停められたタクシーを見やる。丁度今着いた様子で、車内から出てきた人影に、葉巻の煙で挨拶する。
「遅かったなァ、真昼。制限速度を守れるなんて偉いこった」
「……社長自らお出迎えされたのは、自社の自動タクシーに皮肉を言うためですか? 出来ればもう少しマシな学習機能を搭載した車体に欲しいものですね」
デロリアンのような見た目のタクシーから降りた1人の少女――伊知寺真昼の姿が夏蝉の前に現れる。ロングヘアが風に揺れ、髪留めの小鈴がF#の音を微かに鳴らした。
「ハッ、金がかかんだよ。それよか、あのお喋りクソ女はどうした。人間の見た目したアンディーの保持者は、人間サマと行動を共にするのが居住区での約束だ」
真昼の元にもう1人の人影がない事に夏蝉は苛立ちを込めて言った。彼女の言う通り、個人所有の人型のアンドロイドは、常に行動を共にしなければいけない決まりがある。これは例えばアンドロイドが暴走した際に、すぐに保持者による権限で稼働停止させる等対応出来るようにするためだ。特にルビーのような、街のシステムを直接干渉出来る特殊なアンドロイドの場合、「居住区」内の秩序を乱しやすいため、保持者の同行が必須となる。
が、今のところ真昼1人の姿しか無く、近くにルビーの気配も無い。夏蝉として、仮にもフロントのオーナーの前で、随分な態度を取られている印象だった。
真昼が口を開く。
「しつこい≪キップラー≫と少々」
「ハァ? キップラーだと? ンだよあんなゴミ屑、放っておきゃいいのに」
「はぁ、そうやって放置するから、部屋から出ない人が増えるんですよ。ここに向かうだけで、複数回キップラーと遭遇してます。ほら、タクシーに蹴られた跡が」
そう指差されたタクシーのバックライト部分には、確かに大きな凹みが作られている。しかも、綺麗に足跡まで付けてあり、明らかに人力では出来ない事が分かる。
キップラーとは、言わば不良品のアンドロイドたちの事だ。プログラムのバグと同様、アンドロイドも、生きていれば所々不調が発生する。それが、物理的なモノや修正データの適用で解消する不調ならすぐに復旧出来るが、中には、人を襲ったり、盗みを働いたりする厄介な「病気」に掛かる事もある。
これはシステム的なバグによるものではなく、彼らが生きていく中で積もり積もらせた、間違った方向の「人間らしさ」という名の「ゴミデータ」に起因する。
どんな個体でも少なからず蓄えてしまうこの「人間らしさ」は通称≪キップル≫と呼ばれ、定期的にデフラグを行わないと、内部のシステムだけではコントロールが効かない状態となり、結果的に犯罪行為等を行う不良個体、キップラーとなってしまう。
真昼たちは街に居るそれに道中絡まれたという訳だった。
「安物のアンドロイドは不備が起きやすく、すぐに捨てられる。そうやって独り身になったアンドロイドは、自己メンテナンスも出来ず、溜め込んだキップルに身を任せて人を襲うんです。やがて、キップラーとなった個体として、警察やルビーさんのようなアンディーに殺される……フロントが1番にやるべき事って、悪趣味やエンターテインメントの提供じゃないとわたしは思いますけど」
真昼の言葉に、夏蝉は舌打ちをして返す。そんなの最初から知っているのだ。だが、言い返せば都合の悪い議論をさせられるのは目に見えていて、黙るしか無かった。そもそも彼女をここに呼んだ本題とも異なる内容。あまり感情的になっても仕方ないだろう。
「けッ、土産は食えるモンがいいねェ。"正論味のジャム"を渡されても気分が悪くなる」
「なら、手土産用のマーガリンならありますけど?」
懐から紙袋を取り出す真昼に、夏蝉は唾を吐いた。
「どこで買いやがったよ、そんなプラスチック油」
「友人からの貰い物です。多少酸化してるかもですが未開封ですよ。どうぞ」
かつては安物だったその加工油は、人間にとって害があるとの事で販売禁止になって、100年近く経つ。それが逆に珍しい土産として好事家の間でやり取りされる品となったなんて、当時からすれば、誰一人考えられなかっただろう。夏蝉も何回かマーガリンを受け取ったが、未開封モノなんて初めてお目に掛かった。
「ふん、随分景気が良いみたいだが、それとこれは話が別だ。さっさとお喋りクソ女を呼べ。オメーだけに話しても意味が――」
マーガリンを側近に渡し、本題に移ろうとしたところであった。妙な金属音と振動を不意に感じた。夏蝉だけじゃない。そこにいる者全てが、その異変に気付いていた。
そして――爆発。
「チッ、キップラー退治にしちゃ派手にやり過ぎだぜありゃ。オイ冷蔵、至急対応しろ」
「承知。部隊を派遣します」
音も無く現れた冷蔵と呼ばれる従者が、黒子のような格好に一瞬で変化し、夏蝉の指示に従う。どうやら緊急事態が起きたようで、旧品川内にアラート音が一気鳴り響いている。周りが騒がしく動き周り、「居住区」全体に熱が籠り始める。
――直後。
「ああああああああ全くもって不愉快だわ!」
2回目の爆発と共に上空から勢いよく黒ジャケットの女が落ちてきた。ルビーだ。例によって高性能機の身体を存分に発揮しこちらにホバージェットして来たようだが、その様子は見るからに切迫していた。
「タクシーに蹴り入れてきた奴、アタシが追っかけて相手してやったんだけど、ビル影に隠れたと思ったらいきなり自爆したのよ。で、なんとかそれは避けれたんだけど、何故か自爆したそいつ――死んでなかったのよ」
「ルビーさん、それはどういう」
早口気味で捲し立てたルビーは、真昼の言葉に一旦息を整えて口を開く。
「分かんない。けど、あれは完全に自爆だった。普通の爆弾じゃあそこまでの威力は出ない。しかも最悪な事にあの自爆野郎、影から集団でアタシを襲って来たのよ。完全に嵌められたわ」
アッシュ色の前髪を掻き上げてルビーが煤の付いた頬を拭う。崩れるように座り込む様子からして、かなりダメージがあるようだ。防弾性の高い彼女のジャケットも、見事に破れてしまっている。
そんな傷だらけになったルビーの肩に、夏蝉の手が乱暴に置かれる。
「テメーは問題を起こさないとあたしに会えねェタチか? オイ、その自爆キップラーは何処に向かってるか言え」
「相変わらず口の聞き方がなってないわよクソちび女。アタシはね、もうあんたの指示に従うお人形サンじゃないの。情報が欲しけりゃ金払え」
「文句なら死んだ後に聞いてやる」
だから今すぐ言え、と睨み付けられ、ルビーは夏蝉の葉巻を奪い取って言った。
「……ちっ。旧東海道の交差点付近。近くにでっかいスポーツジムがあって、オフィスビルが乱立してる。自爆されたのは、"レイチェルビル"ってとこ。そこで待ち伏せされてたみたい。住所はあんたの端末に送ってやるわ」
奪った葉巻を吸い込んで、夏蝉に目掛けて煙を吐き出すルビー。同時に夏蝉の手元の携帯情報端末にマップデータが送信される。
口頭で説明のあった場所は、現在地から約数キロの位置。どういう道理があるのか不明だが、ここ旧品川のアンディーモールへのテロ行為であるのは間違い無い。
ただのキップラー、とは違う。
「これがアタシらを呼んだ理由ってなら、相当に趣味が悪いわよクソちび……!」
「んな訳ねェだろ。どう見ても完全にトラブル……いや、ひょっとしたらある意味正解なのか」
「は? ひょっとしたらってどういう事よ」
夏蝉の声が鋭くなる。
「クソけったいなアンディーが居るって噂だったんだよ。なんでも、"死なないアンディー"が街をほっつき歩いてるって情報でな。で、そいつは十中八九、人間でなくアンディーを襲うらしい」
「……それって」
何かを言おうとしたルビーだったが、言葉が空を切るだけで、後に続かなかった。彼女の周りを公転するアージを眺めて夏蝉は続ける。
「天下の警察様からの依頼でな。フロントとしては調べない訳にはいかねェんだよ。しかも、担当もあの新人警官だからなァ、立場的にもううちらがお膳立てしてやんないといけねェ…………あのクソ根暗野郎が居ないだけマシだけどよ」
「根暗野郎は置いといて、新人警官って、シヤラちゃんの事? この前合コンで会った時、そんな話してなかったわよ」
「てめェごときに言う訳ねェだろ」
吐き捨てるようなため息を吐く夏蝉を他所に、3度の爆発と振動。段々と音量と衝撃が大きくなっているのが分かる。明らかに近付いてきていた。ルビーは完全にロックオンされているようらしい。
「シット……! 折角新しい武器試せると思ったけど、この治安の悪さじゃアタシの体が保たないわね」
「ちと骨が折れそうなフンイキだな。オイ真昼、ルビーはてめェの自機なんだ、ちゃんと操作してやれよ」
「……ええ」
アラート音がけたたましく響く「居住区」の一角、生暖かい風は鋭さを増して、その異様さを強調し、太陽の無い街の夜を剥がしていく。
安寧は、酷く遠い
「行くわよ!」