#003
「本殿」と呼んでる建物は壊れかけのここ江ノ島神社の中にある。
バイオ戦争以来、日本各地が荒廃したため、私たちの住処は主に陋屋だ。
各個人住所を持てる「居住区」とは違い、自分たちで住まいを確保し、保善しないといけない。
フロントに掛け合えば、一応は行政の真似事をしてくれるが、対価として「居住区」用に何地区が分渡す必要が出てきてしまう。お金の代わりがテリトリーなのだ。
それゆえ、うちらのような大きくない勢力は、こうやって元々あった建物を自ら修繕し、拠点を作って行くのである。
そんな「本殿」は、見た目はぼろ屋だけど、えすかのお陰で割と中は綺麗になってる。
しかしながら、あまり広くないのに加え、そのえすかの荷物で占領されてるから5人、6人くらいで丁度いい感じになってるのが残念だ。会議などをするのには悪くない場所だけど、もっと本拠地っぽく大きくしたいのが本音である。
「えすか、また色々と増えてない? ガジェット類の侵攻が特に」
「本殿」の中を見て言うと、えすかがあっけからんと「それが?」と返された。それが、て。仮にもここ会議する場なんですけど。
「いやあのね、身内とは言え人を呼ぶんだから少しは整理を、って、わ!」
と、さっそく部屋に入った瞬間だった。
いきなり、前方から物凄い勢いで何かが飛んできた。ぐえ、とか乙女らしからぬ声が出しつつ、それを受け止めて確認すると、小さい女の子が私のお腹の辺りに顔を押し付けていた。
ツヤツヤなお人形さんみたいな髪がパッと揺れて私を見上げる。
「親方ー! わあい、ありすの親方だ!」
無邪気にすりすりしてくる女の子に、私は仕方なくよしよしする。はぁ、突進してくるのはあれ程やめなさいと言ったのに、この子はいつもこうなのだ。言いつけは守ってほしい。あと親方って。わしゃ大工か。
彼女の目線の高さに私が合わせると、年相応(10歳くらい?)の女の子らしい笑顔を見せて嬉しそうにする。あぁ、無茶苦茶な事してくるくせに、なんでこんな純粋な可愛さを無垢に発揮してくるのか。許したくなっちゃうでしょうに。母性本能。
「こんばんはミリィ。元気なのはいいけど、出会い頭に突撃はダメよ。怪我しちゃうから……あと口に返り血ついてるわ。あなたここに来る前にまた"つまみ食い"したの?」
私の言葉にギョッとする女の子。それ、気づいてなかったの?
「し、し、してないよ! たまたまゴロツキに絡まれたからって、ワタシ勝手に食べたりしないもん!」
「やっぱ食べたんじゃない。ダメでしょ、無闇に殺しちゃ。あなた、うちの組で一番強いんだから、相手がゾンビであっても手加減しなきゃ」
彼女の名はミリィ。
うちの組のゾンビである。小さくて可愛い見てくれをしてるけど普通に人を食べるし、噛みつけば人を感染させる事も出来る。
見ての通りネクロシスで、戦闘能力もうちで一番高い、というなかなかの情報量。何も知らないで彼女を見たらさぞ驚くだろう。私もなまら驚いた。
「う、うう。だって……リルがイジメられるのヤだし……」
口を尖らせて、後ろの方にいるゾンビを一瞥するミリィ。好奇心旺盛に加えて感情が表に出やすい年頃ゆえ、野良ゾンビに絡まれると喧嘩した結果食べてしまう、なんて事も多い。今日もここに来る道中そんな感じだった様子で手をバタバタして私に頑張って言い訳してくる。
ちなみに、彼女が言うリルっていうのは、お友達である男の子ゾンビだ。今も部屋の中に居る。
「リルもこんばんは」
「…………(頷く)」
「怪我としてない?」
「…………(頷く)」
「なら良かった」
ミリィのお友達、と言ってもミリィ自身はネクロシスでリルはただのアポトシス。会話なんて出来ない相手のため、勝手にミリィが彼を連れ回してる感じなのが実態だ(私の言葉も理解してるかどうか怪しい)。
一見微笑ましげな関係だけど、リルとしたら生物的にネクロシスである彼女の命令に従ってるだけなので、そこに甘酸っぱいのは生まれない。完全な片想いだ。
切ない恋だ。つま先程だわ。どこへいっても……ガラスのお年頃ね(from1980年代)。
「って事でミリィ、絡まれたとは言えリルを虐めようとしてるかなんて分からないんだから、こっちから手出しちゃダメよ」
「うう。そうだけど」
「だけど、は無し。身内のルールくらいは従える子になりましょ」
「は、はぁい」
しかし、と私は考える。
道中にゴロツキとやらと遭遇したと言うミリィ。彼女は確かにネクロシスゆえ、アポトシスたちを支配できるけど、眷属外の野良だと本能的に集まる子たちも居たりする。今回も別段襲われたんじゃなく、ただアポトシスがミリィに吸い寄せられてきた可能性がある。
どちらにせよ、無闇な殺生はNGな事に変わりはないが、そういう生物的なところも、もっと理解できるようにはなって欲しいんだが……なかなか難しい。
「とにかく、次から変なゾンビに話しかけられたら、えすかなり私に電話するなりして確認して。ほら、前に報告連絡相談のお話したでしょ。少しでも分からないと思ったら私たちに訊く。分かった?」
「う、うん分かった! えーと、崩殺連殺爽殺! 略してホウレンソウだよね! 知ってる!」
デストロイヤー思考やめろ。
「字面が血気盛ん過ぎよ。まずは正しい意味から覚えましょ……でも、ゴロツキのゾンビなんてここらで居たかしら? えすか、なんか知ってる?」
私がえすかの方を向くとすぐに横に振られた。
ふむ。
自軍のゾンビの位置を把握してもらってるえすかが知らないとなると、ゴロツキとやらは<大宮>の刺客では無さそう。
やっぱただの野良かな? でもミリィの担当である旧平塚の一帯は随分前から支配下だし、ここまでの道中にそんな易々と絡んで来るようなゾンビもいなさそうだけど。
……あれ、となると。
「まさかとは思うけど、ミリィったらまたエージェントの人食べたんじゃ」
血の気が引いた。
ミリィはネクロシスの中でも名前が知られている方だ。うちではエース扱い。だから、<死羊使い>からエージェントが派遣されて勢力間の取り引きを行われる程のゾンビではあるのだが……ミリィって、何故かエージェントの人には敵意ありまくりで、食べちゃうのよね。
なんでも、ミリィからするとリルと自分を離れ離れにしようとする悪い人たちって認識になってて、エージェント側の話を聞かないらしい。
ダメだって。貴重な人類減らしちゃダメだって。
「ねぇ、えすか。<死羊使い>には前にも言ってあったわよね。エージェントを直接ミリィに会わすのは辞めてって。また約束破られたの?」
私が頭を押さえてると、えすかは呑気に自分のコーヒーを煎れながら答えた。
「そうみたいだね。そもそもミリィはこっちで交渉不可にしてるゾンビだし、ぼくらを挟むと断られると思ってんじゃない」
「はぁ。うちからフロント本部にちゃんと忠告するべきだったわ。というかだいたい向こうも向こうで、この子たちをなんだと思ってんだか……また警察に睨まれる。うげ」
相変わらず強引な<死羊使い>のやり方に頭を掻いて、とりあえず会議の席に着く。エージェントの件はまた後で問い合わせておこう。マイちゃんの登録手続きも<死羊使い>にはしなきゃいけないし。
「ひとまず始めるわ。皆、席に着いて」
私の掛け声で卓が収まる。今日のメンバーは私とえすか、ミリィ、連れであるリル、そして横浜三ツ沢担当のもう1人アポトシスが居るのだが、こっちはまだ来てない。
先に始めてて良い旨の連絡をえすかが貰ってるとの事で、手短に話し合いを開始の音頭を取り話を進める。
「知ってると思うけど、<大宮スクエア>の連中が強力なハンターたちで陣営を組んで、しれっとテリトリーを侵そうとしてるみたい。いつも通りオーナーの大宮ネッセンスも特に声明は無し。フロントには一応連絡するけど、期待は出来ないわ。なので、まずは神奈川陣営で自衛をしたいんだけど…………」
――そうして各拠点の状況の整理をしながら我が組のネクロシスの配置を皆で考えているところだった。
突如、外で大きな爆発音が鳴り響いた。