#001
あの時の事を思い出せ、と言われても、なかなかどうして理論も理屈もすっ飛ばして拒否反応が身体中に出てしまい、それ以上の情報は出てこないのだけれど、でもあの時の――2桁の齢にも満たない子供だった私は、周りの人々に助けられながらも生かされていた、と思い「違えて」いた。
助けられてたのは嘘じゃない。本当に私の身を気に掛けてくれる人が多かったのは事実だ。だがそれが、ある種マクロ的な視点に立って見た時に、たかだか1人の人類の生死にしか関係がないのもまた事実で、きっと私が死んでも何か事態が好転するような状況にはなり得なかったと思う。
だから、そこまで人類としての「生」に固執する必要なんて最初からなかったのだ。人類の代表でも象徴でもないただの一般人でしかない。
つまるところ私という人間は、あの夜、「非」人類のオーナーの力を自覚したために、人類の枠から外れたのだが、それは別に例えば世界存亡の危機のような、大仰な事ではなかったのだ。
ただ、立場が変わっただけ。それだけの話。
だってほら、世界は支配されてる、
人類と、愉快な羊たちに。
互いに、違えながら。
###
土曜の夜。蒸し暑い空気の中、足音としゃべり声。薄らと聞こえる路地裏からの汚い咀嚼音。
江ノ島。
昔は横浜に次がちだったこの名前は、今や神奈川は愚か隣接の静岡、山梨を支配下に置く都市となっていた。別段「江ノ島県」とかにはなってないが、江ノ島の領土と言えば、本土から離れた本来の江ノ島を「本島」とし、湘南を始め横浜、川崎を含めた神奈川を統一した勢力、と言うくらいの認識にはなっていた。
そう。かように昔とは異なる様相を呈して土地が存在していて、日本全土が形を変え始めているのだ。
47都道府県は今や崩壊し、20余りの勢力都市という分布で、我々江ノ島はここに属し、そして今日も戦い合っている。
関東で一番の勢力は<大宮スクエア>。
ここは埼玉、東京の一部、群馬、栃木を縄張りとし、今もなお関東の勢力抗争の中心を担っている。
関東には他にもいくつかの勢力があるが、いずれも<大宮>に敵わないのが現状で殆どの関東勢力は吸収される運命なのだ。
江ノ島の方は、神奈川の勢力ではあるけど、側から見なくてもお利口さん……単に地味なだけなのかもしれないけど、まあとにもかくにも、統合されつつある関東、その小勢力、それが江ノ島という感じだ。
「……うん。ちょうどこの辺かな」
そんな江ノ島のリーダーになってから早何年、よくもまあ生き残ってるなぁと実感しつつ、私はふう、と辺りを見渡して息を吐いた。
2050年頃からアジア内で始まったバイオ戦争(通称V-DAY)とやらの被害に私たちは巻き込まれた身。終戦後、どんな事が起きたのかは言うまでもなく、使用されたバイオ兵器があちらこちらで暴走し、人間たちに感染。そのバイオパニックによって、「やつら」が蔓延した世界が誕生し、そこに私は生まれたのである。
あの空港駅での出来事の前までは、私たち子供はバイオパニックによって発生した攻撃性エンパシズム異常性患者――いわゆる「ゾンビ」という生命体から未だ交戦していると思っていた。そう、あの時までは。
で、今はどうなったんかと言えば。
「あ、ありす様。本当にここで戦って平気なんですか? 一応管轄地とは言え、どんな相手か分からないのは不安で……」
「大丈夫よ。私を信じて」
「信じますけど……これは流石に荷が重いって言うか、初陣にしてはキツイというか……」
腐敗の街並みに息を潜める私と「もう1人」が不安そうに眉を下げる。見た目私と同い年くらいの「女の子」の容姿をしている少女なのだが……肌は異常に青白いし、眼はやけに血走ってるし、なにより、ところどころ身体の一部が物理的に抉れてるため、人間の見えてはいけないものが見え隠れしてる。
そう、普通じゃない何か――人間じゃない何かであるこの子は、バイオ戦争によって生み出された科学の成れの果て、本来人間を喰うだけの生命体である。
――私は今、ゾンビと話している。
この守ってあげたくなる可愛くて良い子であるマイちゃん(当方命名)という知性体ゾンビと。
「あら、マイちゃんなら大丈夫よ。私はあなたを良い能力があると思って採用したんだから。自信をもって」
「う、うう」
ゾンビ、と言ってもウイルス発症のアンデッドマンでなく、実際は細胞編集によるパワーマン状態(人体を媒介にし、オーバーフロー気味に成長させた状態)が実態。
だから人間の姿をある程度保って我々人間と意思疎通が出来る。
「ほら、とりあえず、まずは状況確認から。見て。あのオフィスビル近くのバスの中、あそこに一体。その横のレストランに複数体。だけど問題は、道端で屯ってるあいつら。不意打ちでやれても、仲間を呼びやすい位置にいる。厄介よ」
「ぐっ、こ、こんなに……? あのう、ありす様はあの人たちの生態よく知ってるし、慣れてるから色々見えるかもですけど……わ、わたしは"こっち側"来たのは最近で、まだそんなに……」
……のだが、それはマイちゃんのような知性体のみで、殆どのゾンビは、パワーマンって名の通り攻撃力全振りの生命体。一部の脳の高次機能(認知機能や言語機能)は喪失している。
そいうのもあって、本能をコントロール出来ない彼らは、私たち人間を見つけると自動的に食らう習性がある。
オーナーは、言わばこの本能コントロールを彼らの代わりに行う存在。そのため、オーナーの力の無い人類は「居住区」たる不可侵領域を築き生活をする今へと至るのだ。
「ねえマイちゃん。こんなとこで弱音吐いても仕方ないわよ。<江ノ島ありす組>に入ったんだったら、ボスからの任務を全うしないと。それに、目の前の野良ゾンビは末端な存在よ。あなたが勝てない訳が無いわ。ほら、やるっきゃないない」
「う、これがボスの余裕……すごいです……」
「やるっきゃないない」
「……それ言いたいだけですよね」
ばれてた。
ともかく、こうして私は世界に蔓延るゾンビたちのオーナーとして頑張って生きてる訳で、彼ら彼女らゾンビたちは、より「人間っぽく」なった。知性体でなくとも、オーナーの配下であればそれなりに自分の意思を持って動いてる(ように見える)。
変わり始めているのだ、少しずつ。
「合図したら行くわよ。さあ、新進気鋭の<江ノ島ありす組>の新人よ、ゾン力上げて〜」
「え、あ、上げて〜……ゾ、ゾン力?」
「レッツ大虐殺!」
「大虐殺! って、物騒だ!」
「あっら、ツッコミ出来るなんて貴重な子ね。特別に研修終わったら臓物とか、なる速で直してあげるわ。これから一緒に行動するのに、その辺に撒き散らすと面倒だし」
「あ、はい、ありがとうございます。内臓剥き出しはさすがに恥ずかしいので……見えないようにしてもらえると嬉しいです」
ニッコリと可愛らしく笑うマイちゃん。頬が抉れてるせいで口の中見えてるけど、それも彼女の大切な一部だ。
――敵対するのではなく、共存し、共闘し、共に生きて行く。
過去には多くの人類がゾンビによって殺され、またゾンビによって人類はかなり減ったが、無闇に互いを傷付け合わない。
それが、今。
「<江ノ島ありす組>は綺麗になりたいゾンビを応援してるわ。だって折角ゾンビが手を取りあったのですもの。お互い助け合って生きて行かなきゃね」
「は、はい! わたしみたいなへなちょこゾンビを拾ってくれた事、本当に感謝しています……! だから、わたし、頑張ります すーっ」
この腐った世界で、腐った国で、新たな生活様式を伴い、変わっていくのだ。
これからも。
「行きます――ああああくきききききききgAAAAAAAA!」
捕食対象だった人類は、彼らを操り新しい世界を作ろうとしている。
ゾンビが蔓延る恐ろしい世界ではなく、ゾンビと人類が共に生きる世界。
新しい世界。
ここで私たちは生きて行かなければならない。
理不尽な未来を変えるために。
理不尽を過去にするために。
「あ、あ、ありす様! やりました! 全員虐殺成功です! え、えっと、この死体全部食べちゃっていいですか!」
……ちょっとグロい友達とともに。