#018
『居住区付近 地下鉄にて』
地下鉄の戦いは難航を極めていた。
ただでさえ暗く狭い中、鮨詰め状態で雪崩れ込むゾンビの数に押されるばかり。いくら倒しても前に進んでる感じがしない。
「くっ、どうしたら」
冷や汗を拭う束の間、前衛のマイちゃんたちの隙間を縫って現れた背の高いゾンビが、私に錆びたチェンソーを振り回した。
ホラー映画さながら、なんて呑気な事言ってる場合じゃなかった。轟音とともに突っ立っていた私の位置に一撃。
「い、やばっ」
バックステップで避けたつもりだったが、相手の振り下ろすスピードが想像以上に早いアンド雨で濡れた靴のせいで上手くバランスが取れず、転げる形になってしまった。刃に触れたのか服が破れたが、血は出てない。尽かさず後退しようと体を返そうとした瞬間
「いだっ」
私の足をゾンビが踏んで動けないように封じてきた。なんて小賢しい。頑張って抜けようとするが、相手の力が強すぎて身動きが取れない。やばい。チェンソーの轟音が鳴る。死ぬ。薄ら笑いの背の高いゾンビ。どうしよう。抵抗しようにも、もう何故か、体が動かなくて。
チェンソーが下される。悲鳴より先に涙が出てた。
「お姉様ぁあああああっ」
血飛沫が私の視界を覆った。声にならない悲鳴が、誰かの声にかき消された。誰の? これ、私の血じゃない。誰の? 誰の? 誰の? 誰の血飛沫?
え? 今、お姉様って
「――ノヴァ!」
絶望が驚きになる。
動けない私に代わって体を切り刻まれたのはノヴァだった。決死の形相で、涙塗れの私の前に自分の左腕を差し出して、そのままチェンソーの動きを止めて、ゾンビの前に立ち塞がっていた。
ギリィニイイイイアイアイアイアイ、意味不明なくらい鈍い音が煩い。
「あぁああああああ! 痛い痛い痛い痛い痛いぃいいいですわぁあああ!」
叫びながらノヴァはもう片方の腕を振りかぶって、ゾンビの頭部を殴り付けてぶっ倒す。切られた左腕なんてものともせず、チェンソーを奪い取って仕返しとばかり相手を切り刻んだ。
「痛いぃ痛いぃ痛いいいいいああぁあ、あひぃ、あっひゃひゃひゃひゃひゃ! ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃああぁぁあ!」
完全にイッてるようで血を撒き散らしながら再び戦線に戻ろうとするノヴァ。さすがにもう限界なのを悟り、私は自分の足を踏んでたゾンビだったものを蹴り、ノヴァの首根っこを掴んだ。
「もう、いい。あなた、死んじゃうわ」
今にもこちらに襲いかかりそうな顔をしてたノヴァが、力が抜けたように倒れ込む。
左腕の出血は未だあるが、ネクロシスの特性で痛覚をコントロールしたようだ。痛覚のコントロールをすると、少しの間動けなくなる。ノヴァくらいのネクロシスなら、すぐに完了するだろうし一旦引かせようと前衛のマイちゃんに声を掛けようとする。
「だめ、ですわ。まだ、やらなくちゃ」
しかしなんて事か、痛覚どころか左腕の出血すら自分で止めてしまった。ゾンビとは言え元は人間。相当な負荷を掛けないと治癒力を即効に出来ない。それこそ治癒即効は寿命を削ると言われるレベルの所業だ。
「待ってノヴァっ。まだ傷口が」
「平気っっっ、ですっ、のっ、ノヴァはネクロシスの中でもっ、この手の技はっ、得意です、から」
息を整えつつ、ノヴァが立ち上がる。そこまでしてくれるのが不思議なくらいで逆に申し訳なかったが、彼女がここまで私について来てくれるのを、無碍にする方が嫌だった。出来るだけ、やってもらおう、と。
「gAXXXXXXXXXXXXX!!」
こちらの様子を把握してか、マイちゃんの動きが一層激しくなった。ゾンビの群れを1人でなぎ倒して行く姿は、まるで戦車のようだった。
「……お、姉様っ、ひ、一つだけ聞いてくださるかし、ら」
護衛なんぞ要らん! という雰囲気のマイちゃんの背中を見ながら、ノヴァが仮声帯をなりした深呼吸を繰り返し、私だけに聞こえる声で言う。
「彼女――マイは、本当に"ただの野良"、でした、の?」
「……どういう意味かしら」
ようやく落ち着きを取り戻した様子で小さく息を吸い、ノヴァは目を細めた。
「あの子の、"鎖"は、お姉様と繋がっていない、ですわ」
息を呑む。なんだかとても、辛くて、胸が締め付けられる気がした。
マイちゃんが、私と繋がっていない。
何故そんな事を、ノヴァは言うのか。
「お姉様も薄々、勘付いていらっしゃるのでしょう。マイが、何故、あのアンディーたちを――」
「言わないで」
不愉快な立ちくらみが、同時に私を襲った。
この事件の一連の犯人。それはずっと前から予想はあった。けれど、確信に至るものが欠如していた。
――私たちだけでは。
でも、それは、ここで判明するだろう。
「彼女」が、何者なのか。
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マイちゃんの勢い任せの特攻は腐ってもネクロシスといった具合で半ば一方的に雑魚野良ゾンビ共を駆逐した。
……いや、正確に言えばマイちゃん個体の能力が異様なまでに上がっていたために完遂した事項だった。
ノヴァとの共闘によるものだと一時的に考えていたが、明らかに1人だけ急激な成長で、とても死地に興奮状態となったための変化とは思えない。元々力はあったけども、ここ数日での戦闘能力の上昇は、正直違和感がある程だ。
遺憾無く本来の力を発揮してくれるのは構わないけど、そうでない事情が垣間見えた気がして、素直に喜べない。
これは仕組まれた未来なのか。
それともマイちゃん、あなた自身が。
「前方が進めるようになったわ! ミリィたちを呼んで一緒に――って、嘘……」
区内に向かうべく、見た目血生臭くなったキャンピングカーに乗り込んで、後方で戦うミリィたちを呼ぼうとした時であった。
車の高さがおかしい。傾いている。慌てて車体の様子を確認する。
「パンクしてるし……!」
頭を覆った。線路を無理して走らせたせいというのもあるが、先の乱打戦でやられてしまったらしい。ついてないどころじゃない。電車もない車も動かない状況。つまるところ走れってか。最悪だ。
「なら、ひとまずミリィのフォローに」
「待ってお姉様」
ノヴァが私の前に立つ。
「確かに、現在のマイの勢いならある程度は片付くとは思いますわ。けれど、後ろに時間を掛けた分、また前方から敵が湧くと思いますの。車もダメになった今、我々が出来るのは1秒でも早く先に進む事……違うかしら?」
「……っ。じゃあ、ノヴァだけでもミリィのフォローに」
瞬間、ノヴァの瞳に殺気が宿った。
「考えて。マイは本当に、お姉様の味方?」
「…………」
何も言えないのが辛い。
マイちゃんの性格的なとこが信用出来ない訳じゃなく、あの子自身の「個体」としての動きが、読めなくて、何も言えない。
それが、とてつもなく、辛い。
「……分かった。このままの編成で行きましょ。っ、心苦しいけど!」
走ってウィルに私たちが先に進む旨を説明する。サングラス越しだけど覚悟の意を視線で私に向けられ、こちらとしても胸が締め付けられる。必ず、必ずまた同じ場所であなたたちと会える事を誓う。それ以上は何も言わず、私は3人の「仲間」に背を向ける。
信じてるわ、ミリィ、リル、ウィル。
「進みましょ、居住区の、中へ」
踏み出した足にもう迷いはない。
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『居住区 シーサイド地下通路にて』
ルビーとえすかは暗闇を走っていた。
「随分と辺鄙なとこに連れて来たじゃないか。ここにコントロールルームがあるってのかい」
場所は中央から離れた、往来の中にポツンと佇むとある地下通路。無駄に幅のある複数の折り返し階段を降りると、だだっ広い空間に古びた改札がある。駅だ。しかも相当前に使われていた、地下駅。
「クエスチョンをアタシに投げかけられても答えられないわ。なんせ、DBから参照が禁じられてた場所なんですもの。アタシは夏蝉から貰った位置情報に従って足を動かしてるだけよ」
「立ち入り禁止って文字があちこちにあるようだけど、本当に大丈夫なんだろうか。今更不安になってきたよ」
えすかの言う通り、薄汚れた構内にはキープアウトやら派手な立ち入り禁ずの看板が乱立されている。わざとらしいくらいに、規制を掛けているようだ。
「ここに来る前の道にもやたら同様の看板やディスプレイがあったし、過去になんかあった様子だよね」
「あなたがそう思うのならそうなんじゃない。それよかほら、さっさと中に入るわよ。こっちはまだ仕事終わってな――」
錆び付いた自動改札をルビーが通った時、影から低い咆哮が聞こえた。
「ひゅう。アンディーにしちゃ汚いお声ね。ここの守神か何かかしら」
ようやく出番とばかり、挑発的な物言いでアージをフィンガースナップと同時に触れて変形させて、出現させたレーザー銃を構えるルビー。グリップ部のスイッチャーを親指で押し、連射モードから単発モードに切り替える。
実銃と違ってレーザー銃は銃弾を必要としない。高熱を作り出す内部搭載の小型電磁パルスをソフト的に実行させ、キューをアクティベーション装置に通過させる事によって実弾として発射。弾が不要のためリロード無しでほぼ無限撃ちが行える。
レーザー銃は対アンドロイド用としてドラグラ社によって作られており、通常であれば本体のセーフティが狙撃対象を認識し、アンドロイド以外にはトリガーを弾けない仕様となるが、ルビーのような「番号付き」のアンドロイドとなると、セーフティの解除を許可される。
「気持ち良いいくらいに腐ったエンパシーを感じるわ。ふふ、アンデッドの血が混じるとイっちゃいそうなくらい神経系が反応するのね。官能的」
「アンデッドの血を……? 君のその右腕が無いのも、殺されたって話もさっきから疑問だったけど、もしかして」
品のない口ぶりの高性能アンドロイドに、えすかは眉を潜める。
「アッハ、神サマってのに中指立てながら唾吐いてやったのよ。"ブリングミートゥーライフ"って。そしたら死神呼ばれちゃってこのザマ。アプデというより衣替え(ディストリビューション変更)ってカンジ」
「…………」
これ以上聞かなくても、えすかは何となく察しがついて押し黙った。そういう経緯か、と。具体的に誰の血が混ざったのかは後で聞くにしても、まさかアンドロイドがゾンビ化出来るのを間近で見られるとは思いもしなかった。
だが、寧ろ都合がいい。そっちの方がえすかとしては慣れてるから。
ルビーもまた、ゾンビの仲間入りか。
「外面では判断出来ないでしょ。次期にアンタの事、食べちゃうかもよ」
「暴走は困るな。が、人工ネクロシスだと思えばまだ可愛いよ」
「ならもっとグロい感じにした良かったわね。そしたらきっと、食べられてる時も愉しいわよ」
軽口を銃口に詰めて、ルビーがトリガーをノールックで引く。お湯が沸きすぎたみたいな音とともに暗闇のパレットへ高熱の落書き。凝固された熱が電荷を伴い対象物を溶かす。
「アッハ、手の平が熱いわ。びりびりびりー。ううん、病みつきになりそう」
影に潜んでたゾンビの断末魔に恍惚を含ませるルビー。ゾンビ化したせいなのか、今まで無感情にこなしていた殺しが、とてもエモーショナルだった。きっとモラルパラメータが生きてたらこんな気持ちにはなってないだろう。
「けど、200℃超えるとさすがに撃ちづらいわね。片手だけだと特に」
「ぐぎぎぎぃぃいい」
そう言いながら殆ど見えない視界の中、アージを小型の反射板に追加で変形させ、確実に潜んでるゾンビに当てるルビー。
正直、人技では到底無理な所業だった。複数の厚さ9ミリ程のひし形を器用に動かし発射されたレーザーを反射させる姿は、どことなく人形使いを彷彿とさせた。やけに物騒な芸者ではあるが。
「……その武器もアンデッドの血で強化されたって感じか」
「強化ちゅーかアレね、衣替えのおかげで今までと違うトコが機能してる、みたいな。カーネルに適用されるパッケージが異なるのよ……モードチェンジって訳じゃないけど、ま、そう思ってくれてもいいわ」
「さらにハイブリッドになったって事か」
「楽な纏め方どうも」
ひと通り仕留め終わったルビーが前進し、えすかも後方から付いて行く。アージで照らされた道を頼りに、不安を押し潰して駅の内部に入って行く。
順調に廃駅のホームへと出た。
「コントロールルームはホームを通った先のA3番通路から行けるみたいよ。意外に近いわね。つーか大体こんな汚っないとこに――」
線路の位置確認しようと、ホームから身を乗り出そうとした時だった。
2人の足に手が絡まっていた。
「っ、な!」
「チッ、線路に潜んで待ち伏せしてたか。道理で変なとこにクローズドのネットワークがあると思った。えすか、動かないで!」
ばじゅ、とレーザー銃がえすかを掴んでたゾンビの腕焼き切る。まるで線路に閉じ込められているみたいに、ゾンビが列を作って蠢いていた。普通なら血の気が引く場面だが、えすかは冷静さを取り戻し、ルビーは早速這い上がって来ようとする敵を排除していく。
「――複合解析終了。総数50って…量多すぎじゃね? 仕方ない、えすか、あなただけでもコントロールルームに向かって! 操作権限はこのメモリ使えばいけるわ!」
隙を見て小型のメモリ装置を取り出し、えすかに投げる。取り損ないながらも、薄青いLEDが光るそれを拾うと、ルビーの言う通りコントロールの方向に足を向ける。
「ここまで連れてきてあげたんだから、絶対成功させなさいよ!」
「……君もせいぜい"ゾンビらしく"、しぶとくね」
暗闇に白衣は1人、アンドロイドの夢を醒ます。
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延々続くような線路を走り抜けていると、やっと小さな空間の広がりが見えた。「居住区」の駅だ。ここから外に出れば、区内に
「……行けると思ったけど、またもゾンビの集団ね。仕方ない。2人とも、突っ込みましょ」
と、息を整える間もなく戦闘体勢に入った時だった。
蠢くゾンビの集団の中、誰かの声が聞こえた。
「人が居るみたいね」
「……お姉様、この耳障りな声、"嫌ぁな"予感がしますわね」
「嫌ぁな?」
私が隣のノヴァに首を傾げると、えらくげんなりした顔をされた。
汗を服で拭い、一呼吸置いてから前進する。ホームが見えているのに、そこにたどり着くまでには、またなかなかの数のゾンビを倒して行かなくてはならない。フラストレーションが溜まるやり取り。さっさと行こう、とした時。
まるで、「お湯が沸騰し過ぎたみたいな音」が鳴り、ゾンビの断末魔を次々作った。
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「あーもう、次から次へと――あ?」
うんざりしながらレーザー銃を蒸しまくっていたルビーが異変に気付いたのは、誰かの話声が線路の向こうから聞こえてきて数分後だった。
小さな「電車」が通った。
歪な羽根を携えた、片腕がもげた「電車」。
「……うわ、"嫌ぁな"特急列車ね」
ゾンビの群れをすっ飛ばしながら現れたのはルビーを目の敵にしてる梅屋敷ノヴァだった。なんでこいつが居るのか知らないけど、とりあえずは生き返らせてもらった身、挨拶くらいはしておく。
「自発的に人身事故起こすバカがどこにいる訳? アンタは区外で暴れてりゃいいのよ。てか、左腕どしたの? お腹空きすぎて食べちゃった?」
「一応は主であるノヴァに向かってクソみたいな挨拶どうも。チェンソーって意外に痛いんですわ。てかお前、まだ右腕生えてきてないの?」
憎まれ口を叩き合いながら、片腕の失ったもの同士、ゾンビの群れを片付けて道を開ける。片や右腕、片や左腕、互いの傷を庇い合うように、時に距離を取り、時に背中をくっつけ合わせるように重なり、血肉の山を積み上げて。
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そこを、私とマイちゃんで通り抜ける。戦力として一段階落ちているノヴァと、先に駅で対峙していたルビーに道を作ってもらって、ホームによじ登る。
「ルビー、ちゃんと生還して戦ってくれてたのね。さっすが」
「はいはいそういうのは戦いが終わってからで結構。進んだ進んだ」
一応はスラップ場で会った中、その時は特に会話はしてなかったけど、ちゃんと私の事を認識してくれたみたいだ。
彼女の周りを漂ってる光る珠も、なんとなく元気そうに見えた。てかこれマジでどういう仕組みなん?
疑問も束の間、片目を瞑ってアイコンタクトをしたルビーは私とマイちゃんがホームに登ると、追いかけようとするゾンビを引き離し、ノヴァとの共闘に戻る。
「……へぇ、"そっち"がホントの主か」
意味深な言葉を小さく残して。
「っ……あれ、ここって」
そして判明する既視感のある暗闇の間。
どこか歪に、けれど輪郭を伴って記憶に染み込んだ過去の戦場。
「へい金髪!」
ルビーの声に意識を取り戻す。
「進行方向にその通路まっすぐ行きなさい。おたくのハッカーさんがアンディーを止めにコントロールルームへ向かってるわ!」
「! えすか……!」
その言葉に全てハッとする。そうだ。今はそれが目的なんだ。私がどんなに過去に縛られ苦しんでも、えすかの無事を確認するのが先だ。足を急がせ、マイちゃんを連れて言われた方向に突っ走る。
小さな階段を登り、瓦礫を超えて「A3番出口」と書かれた看板の下を通り、右に曲がる。
すると、そこだけ、電灯が切れかけながらも点いており、視界が開けた。
「この先」は、「あの先」と同じ場所。
全ての「始まり」と、「終わり」。
私がまだ「居住区」に居た頃の、悪夢。
切れかけの電灯に明順応を感じながら、私は足を踏み出す。
幾分の歪な影が、顔を出す。
「ついに、おでましって訳ね」
その中にフードを被った――巨躯のゾンビが、こちらに気付く。
あの時と同じライフルを携え、
――破れた白衣を咥えながら。