#013
『居住区外 エリア×××にて』
黄泉帰った。そう実感した。
「………っはぁ、はぁ」
遠い窓辺に明滅する映像は、誰のものか。
――インベイド!
がなり声。声帯に混じる汚いエッジ音。
知るか。知ってる。何が。解読不能。変換失敗。コンパイルエラー。流れてる星条旗よ永遠なれ。
クソッたれ。
――インベイド!
浮遊する意識の中に熱があった。辺縁系の輪郭が蘇り、脳機能をインタラクティブ。
ガラスの割れる音。心音は16ビート。クリアになる視覚情報。スーパーソニックな電波塔。覚醒の合言葉をエクスキューション。化合混合融合さあ回せ回せ回せ!
――インベイド!
吐き出した血が地面に付着する。鮮やかな赤。まるで人間みたいだ。目眩を振り切り息を吸う。吐く。吸う……交感神経がご機嫌になってきたところで立ち上がる。
――インベイド!
こめかみに指を立てようと思ったら出来なかった。クソだりぃ。舌打ち1発。
周りを見る。なんか騒がしい。頭に響くダイレクトな信号。うぜー。ひとまず全拒否でいいんじゃね。ポー番不正? SSL? 何年前のプロトコルだよ403。
「……うるさいったらありゃしないわね」
爆発音が聞こえた。ここは路地裏? 頭いてー。なんかそっちに向かわないと行けない気がする。今すぐ。幸い足はあるし。頭もあるし。タバコもあるし。
あ、右腕は無いや。
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『居住区 ベイサイドマンションにて』
異様な夜だった。
停電から数時間。エレベーターも動かず外に出られない真昼の元には、ネットもニュースも届かない。今はただ外の様子を見下ろす事しか出来ない。
何が起きてる、何が起ころうとしている。高層階からはよく見えないが、何やら地上では人だかりのようなものが、さっきからずっと出来ている。この事態に混乱した者たちだろうか。
自分のアイズフォンでズーム機能を使って見ても、暗いせいで中々状況が分からず頭を抱える真昼。どうしよう。同階の部屋の人間に相談でもしに行こうか。そう考えて立ち上がった時
「……えっ」
最初は雷だと思ったが、遠くで大きな爆発音が鳴っていたのが分かった。
続け様に2発目3発目が鳴り、それがすぐ近くであるのに呆然とする真昼。
なんだ、この感じ。まるで停電を機に起きているような……窓越しにその方向を見ようとした瞬間
「きゃ!」
エレベーターの方から爆発音が聞こえた。
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『居住区 旧品川にて』
『複数の自爆機を発見。居住区内で無差別に爆破を行なっています!』
無線から流れる従者の緊迫した声に、夏蝉は唇を噛んだ。
「停電に乗じてテロ行為のつもりかよ……チッ」
ある程度想定してたとは言え、かなり計画的に攻撃されてる。爆発させやすい箇所に例のゾンビ型アンドロイドを配置し、内蔵されている自爆機能でテロ行為をおっぱじめてるのだ。
「冷蔵、やつらの生態はやっぱ"ゾンビ"っていうロクでもねェそれなのか」
運転席に居る側近に、夏蝉の珍しく落ち着いた声が飛ぶ。
「解析不能な個体なのはお伝えした通りですが、データの差分などを引っこ抜くと、やはり、"ハイブリッド"かと」
「くそが。"ゾンビのハイブリッドアンディー"を先に作り上げて来やがって、シニスターのカス共、とことん狂ってやがる」
ここ何日も例のゾンビ型を調べてたが、その結果は厳重な暗号化の前に為す術がない、というものだった。
出て来るのは文字化けしたログと、例の3単語のみ。製造元に問い詰めても、上手く雲隠れされ、真相は闇の中。
――何故こんな事をするのか。
その理由が分かる筈ない。ないのだが、夏蝉には1つの心当たりがあった。
伊知地深夜。
やつが、この件に絡んでる。
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黒煙が漂ってきたのを、真昼はただ眺めるしか出来なかった。
マンションのスプリンクラーは絶望的な程頼りなく、轟々燃える炎は迫るばかり。まさかあの爆発音の後にこのマンションまでが狙われるとは思わなかった。いや、狙ったと言っても爆弾を仕掛けられたとか砲撃を受けたとかそういう話じゃない。マンション自体だ。マンション自体が爆発したんだ。
それはまるで、いつか見た自爆する気色悪いアンドロイドの如く。そうだ、このマンションだってコンソールタイプの「RERE」よろしくアンドロイドと繋がった建物だ。
玄関の認証も、音声認識も、エントランスでお出迎えしてるのも、アンドロイドなんだ。
救助を待ってもすぐには来ない。なんたって他の場所でも爆発があったのだ。一時的にでも身を守るしかない。
でも、どうやって。
「だ、誰か」
同階に住む住人は少ない。精々3世帯くらいで、その人らももう避難したのか玄関が空いていた。取り残されたのは自分だけか……そう息が詰まりそうになった時、近くで声がした。「誰か」そんな自分と同じ気持ちを叫ぶ声が。すぐそこで。
「あ、怪我してる!」
駆け寄ってみれば顔見知りの近所の子供だった。名前は日向だったか。
足を痛めたのか、廊下の端で座り込んで泣いている。右足には生々しい傷跡。真昼はすぐに違和感に気づく。転倒にしては出血が多い。どこかに突っ掛けて切ったにしても、なんというか、やられ方がおかしい。
まるでそう、機械的に刺されたような――
「っ! 家庭用のアンディー……!」
正体は明白だった。この女の子の部屋から調理用の包丁を持ったアンドロイドが、こちらを向いていたからだ。量産型なのでマネキンのような見た目をしてるのがやたらに恐怖心を煽る。無表情で血のついた包丁を持ってるとか、笑えない。
「い、伊知寺さん、急に、≪ヘルビティ≫が襲ってきて、それで、それで……」
女の子が鼻水を啜りながら真昼に言う。ヘルビティは「それ」の名前だろう。なんかのタイミングでバグを起こした……いや、ジャミングされたのだ。あの停電のタイミングで、ルビーと同じように。
「日向ちゃん、お父さんとお母さんは」
真昼が問い掛けると、両親は外出中だったと言う。アンディーは留守番相手にでもしてたんだろう。
「に、逃げないの、伊知寺さん」
「あなたを見過ごす訳ない。わたしが必ずなんとかする」
「でも」
小さな女の子を1人残して逃げるなんて、真昼はするつもりない。これでも一端のアンドロイド使い。一般人よりは彼らの動きには詳しい。
けど、真っ向勝負で勝てる相手じゃない。
「ヘルビティ! やめてよ!」
「排除シマス排除シマス」
日向の声は無機質な機械音にかき消される。
「あれは非自律型。こっちからどんなに声を掛けても無駄だから物理的に電源を落とすしかないの」
「え、そんな事したら、ヘルビティまで逃げれなくなっちゃう……!」
「…………っ」
子供の言う事とは言え、さすがにあのアンドロイドの電源を切り、それを抱えて逃げるなんて無理だ。ただでさえ、真昼は日向という怪我人を背負わなければいけないのに。
「大丈夫。ヘルビティは、必ずなんとかなるから」
そう言うしかなかった。
「侵入者ヲ排除シマス。武器ノ使用ガ許可サレテマス。攻撃者対象ヲ新タニ認定。排除シマス」
「っ、伊知寺さん!」
加速してきたヘルビティが包丁を振り回す。間一髪で真昼はかわし、日向から距離を取らす。
「はぁ、はぁ、あまり運動神経は良くないんだけど……!」
非常用の消化器を持ち、着実にヘルビティの注目をこちらに向けさせる。消化剤で目眩しが出来たとしても、エレベーターを使えない今、階段で降りるしかない。だがここは高層階で、地上に行くためとは言え火煙の中を降りるのは危険過ぎる。
だからと言って、ここでじっとしてる訳にも――
「な、まずい!」
無意識に距離を空けすぎたのか、ヘルビティが急に方向転換し、日向に向かって飛び込んで行く。咄嗟に真昼はヘルビティの前に出て、消化剤を撒き散らす。
しかし、全く目眩しにならず、日向目掛けて包丁を振りかざしていた。
「日向ちゃん!!」
もはや何も考えられなかった。死なす訳に行かない。行くもんか。絶対に、こんなところでこの子の人生を終わりにしていい訳ない。ないんだ。だから、いけ、行くんだ! 真昼は後先考えず、日向の身代わりになった。
「伊知寺さん!」
「排除シマス排除シマス」
再びふりかざされる包丁の光に、真昼は瞳を閉じた。
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夢を見ていた。
酷く、懐かしく、辛い夢だ。
両親が居なかった自分は、歳の離れた兄と2人きりだった。
『ほら真昼。俺についてこい』
年齢的にも特別仲良くする感じでもなかったが、兄の背中を見て街を歩くのは好きだった。
この街には孤児を集めた施設があった。
自分は21番地の施設に入れられ、兄は警察官として働いていた。
人見知りの性分で友達が出来ない自分を、兄はカラッとした笑みで大丈夫大丈夫と言ってくれた。
『真昼なら大丈夫だよ。優しくて、いい子なんだから』
ようやく施設で友達が出来て数週間後、街に大きな地震があった。
周りの建物は崩れ、人々は逃げ惑い、施設にも居れなくなった。
その時だった。初めてゾンビを見たのは。
全てが恐怖だった。毎日やつらから逃げるのに必死だった。何日も何日も泣いた。当然、兄と会う事なんて出来ない。
辛かった。だからあの日――あの雨の日に、あんな場所に行かなければ、全てが崩れる事なかった。
あの場にいなければ、兄が死ぬ事もなかった。例えゾンビに感染されてしまったとしても、伊知寺深夜であり続けていた。
なのに。
兄の頭に銃口を向けさせた彼女が――わたしの「初めて出来た友達」だったなんて、知りたくもなかった。
『伊知寺さん――その銃で――』
『死んでください』
どうして、ねえ、どうして?
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「どうしてマスターってのは毎度面倒ごとに巻き込まれるのかしら」
皮肉まじりの声が聞こえた。懐かしい――いや、違う、聞き慣れたあの皮肉屋の声。
目を開ける。無機質なヘルビティの顔の代わりに見えたのは、どこか挑発的で好戦的な顔。鮮やかな唇に細いタバコを咥えたバラの香りの一塩。
「ルビーさん……! なんで」
思わず驚きの表情を浮かべた真昼。それもそうだ。だって彼女は、ルビー・ヘイルストームは「死んだ」筈だった。アンディーモールの一件で、ゾンビ型のアンディーにやられて――
「今すっごく気分が悪いの。例えるなら、ムカつく男に気持ち良くされちゃった時みたいな? 色んなトコが痛いわ」
と言いつつ、先程まで包丁を振り被っていたヘルビティを片手で投げ飛ばす。鈍い音がして骨を抜かれたように起き上がらなくなるヘルビティ。尽かさずルビーがヘルビティの持っていた包丁を取り上げて、レーザー銃に変形させたアージをゼロ距離発射。粉砕する。
「ヘルビティ!」
いきなりぶん投げられて沈黙した家庭用アンドロイドに力を振り絞って駆け寄ろうとする日向に真昼が尽かさず立ち塞がる。
「ヘルビティは大丈夫よ。電源を切られて動かなくなっただけだから。こんな状況で無理に触ると危険だから、ちょっと離れてて」
例の自爆機能の稼働を危惧し日向を遠ざける。家庭用のため機能自体搭載してないとは言え、今ばかりは何が起こるか分からない。なるべく距離を取るのが先決だ。
「その無印アンディーはS0状態(完全シャットダウン)に移行させたから急に動く事はないわ。例え"特殊なジャミング"をされてもね」
真昼の内を悟ったようにルビーが言う。彼女の手に掛かれば物理的に電源を切らなくてもアンドロイドをシャットダウン出来るらしく、お得意の越権行為で色々とマンション自体の施設が稼働させている。
「片手で生活するのって中々に愉快ね。ライターが使いにくいから早く返してもらいたいわ」
「…………」
呑気に煙を蒸すルビーは、どう見ても自分の知っているあのアンドロイドだ。確かに片手はないし、いつもの黒ジャケットも着てないが、見間違える筈ない。本物だ。
「……聞きたい事はここから脱出した後にします。とにかく全住人の避難を手伝ってください」
「ひゅう。そこのエレベーターを長時間稼働させるのは無理よ。大元の電源が死んでるからね。今は強引に適当なとこから電源引っ張って動かしたけど、精々もって15分そこら?」
「充分です。体が弱い方を優先に使わせましょう。あとは非常階段で、なんとか」
そう言った直後、またも爆発音がマンション付近で鳴る。悲鳴と怒号が一層激しく飛び交う。長居してる場合じゃない。真昼は日向を背負い、エレベーターへと向かわせた。
「さーて、アタシは哀れな無印アンディーの暴走を食い止めますか」
巡る血液は妙に活発で、感覚は不愉快と高揚を同居させている。
無い筈の右腕が疼く。
自然と出た唸りが仮声帯に絡まる。
漲るのは腐敗の力。
瞳の色は徐々に色濃く。
――その色、血の色。
ルビー・ヘイルストーム。高性能のアンドロイド。ハイブリッドされたのは人間――だったもの。
彼女はもう、人間じゃない。