思考 ルービックキューブと流動食
『3×3×3のルービックキューブは20手以内で揃えられる』
尚、1手とは面を1/4又は1/2回転させる行為のことを指す。
別の言い方をすると、ルービックキューブのルールの範疇にいる限り、どれだけ策を講じて手数を費やして回転させても、初形から21手分逃げることは出来ないということである。
ピンと来ない方用に一つ例を添えておく。
ある者が地球上で鬼ごっこをしていて、鬼に触れられると負けである。
なので鬼がいる場所からとにかく遠くへ逃げるために、只管南へと進み続けた。
しかしどれだけ進んでも、地球上というルールを守っている限りは地球の正反対分の距離以上は逃げられない。
自分では必死に移動して逃げているつもりでも、適切なルートを選択された場合は近付いてしまっているのである。
冒頭の結果を見た時「そんなわけなくない?」と一瞬は疑った読者は、情報を鵜呑みにしていないという意味でも悪くない感覚を所持していると思う。
実際に解くと、20手程度では到底揃わないことも多々あるのだから。
しかし本結果は、高性能パソコンで全通りを総当たり計算して導き出したものらしい。厳つい解き方だからこそ、否定の余地が無い。
本質を捉えている計算結果と人間種の直感や直観に相違が生じてしまうのは、偏に人間種の能力的限界のせいである。
人間種が採用している解というのは、所詮大衆でも模倣実現可能なアルゴリズムに過ぎない。
つまり最短や最効率を犠牲にして、安易さを取っているのである。
勿論人間種の限られた能力で目の前の問題を解決することが目的の場合などにおいては、本思考は非常に有用である。本思考自体が一概に間違いとは言えない。
しかし、今見えている景色の深淵に、異常に複雑ではあるがもっと最速で最高の、本質を突いた有用なアルゴリズムが存在している可能性や事実を、忘れてはいけない。
人間種に「見る」ことが出来ない本質の存在を認知して生きるのと、「見る」ことが出来ない事物を意識すら出来ずに無知なまま生きるのとでは、全く異なる。
既知で満ちた日常の景色にも、まだまだ未知が眠っているという楽しさと恐怖を、ルービックキューブからも改めて感じられる。
大衆が飲み込めているのは、所詮世界における流動食に過ぎないのである。
仮に消化出来ないとしても、固形物の存在を常に意識し、実際巡り会えた時は噛み締めて味を楽しめる。
僕はそういう人間で在りたいし、読者にもそういう人間で在ってほしい。