思考と数学 いちたすいちはは田んぼの田
突然であるが、幼い頃に次のようなひっかけを喰らったことがあるであろうか。
「いちたすいちはなんでしょう？」と聞かれて「に」と答えると、「ぶぶー。たんぼのたでしたー！」と勝ち誇ったように言ってくるのである。
お調子者の幼稚園児か小学生が用いることが多い本ひっかけであるが、これに多少の苛立ちを覚えた子供は、別の人に出題することで溜飲を下げるのである。
しかし、貴方は気が付いているであろうか。この会話はめーちゃくちゃであるということに。
僕が小学生の頃から言っていることが二つある。「にというこたえはぶぶーではない」と「いちたすいちは田にはならない」である。子供時代は、毎度丁寧に反論するものの誰もロクに理解してくれず一人モヤモヤしていたのを覚えている。
まず一つ目。こちらは何が言いたいのかというと、2という答えを、出題者の意図で別解扱いすることは出来たとしても不正解にすることは出来ないということである。
幼い頃の僕はこういう部分で頭の良さを判断していた気がする。こちらが「に」と答えた時、偶に「ぶぶー」ではなく「それじゃないこたえいって」と返してくる人間がいた。その時にこいつは出来るなと感じるわけである。
次に二つ目。こちらは現在大人と呼称されている生命体群の中にも今尚騙されている個体が存在するのであるが、イコールとは記号の左側と右側——左辺と右辺という——が等価であるという意味合いを持った記号である為、答えを田にしたいのであれば「1+1= = 田」にしなければならないということである。
悲しいことに、特にこちらは同級生には分かって貰えなかった。確かになあなどと相手をしてくれたのは、変わり者で優しかったあの先生ぐらいなものである。
従って僕が出題する時は、「いちたすいちは はなんでしょう？」と言っていたわけである。これならば「に」はぶぶーである。腹立つ子供である。
尚当時の僕は黒板に1+1==田と書いていた気がするが、プログラマーに小言を並べられそうなので訂正しておいた。昔出した子、ごめんなさい。悪いことをしてしまった時は謝れる子であった。
ここまでの1+1に関するエピソードは、子供っておバカで可愛いなあぐらいに受け取った方も多いと思う。自分には分かり切っていることだけれどもなあ、などと笑いながら。
しかし時に子供は親を凌駕する。貴方は幼い子から次のような問いかけを喰らったことがあるであろうか。
「いちたすいちはどうしてになの？」
本質問を投げかけられて多少の驚愕を覚えた大供は、誤魔化すことでその場を乗り切ろうとするのである。
実際これは実に難しい問いかけである。
全ての足し算の根幹に関わる重要な難題を、大衆たる大供はそもそも気にしたことが無い為正確に答えられないし、仮に正確に答えられたとて子供が理解出来ない場合が多いからである。
しかし何かしらの形で解を授けなければ、気になってしまった一握りの子供達は小さなモヤモヤを抱えたまま足し算を学び続けることになってしまう。酷い場合は先の内容が頭に入ってこなくなるやもしれぬ。
本問いかけの詳細が気になった方は、ペアノの公理で一端を、集合の公理で本質を味わえる為、各々のフレーズで検索してみて欲しい。だがこれらを子供に説明するのは骨が折れに折れて何本あっても足りないので、僕は少し誤魔化して「2の別の姿やねん」と言っている。
これはつまり、1や+等を定義した後に2という記号を定義する式として2=1+1が存在していて、その逆順の動作を足し算と呼称し今学んでいるんだよ、という発想をフンワリと伝えようとしているのである。
従って丁寧で正確な足し算のテストを目指すならば、問題文よりも上の領域に「問題文中の記号を以下のように定義する。= とは本記号の左側と右側が等価であることを意味する。+ とは本記号の手前の記号を後ろの記号分後続の要素に移動させることを意味する。1とは基本単位を意味する。以下の式は成立しているものとする。2=1+1 3=2+1……」などと書かなければいけなくなる。
しかしこんなテストを見たことはないし、PTAやモンスターペアレントが苦言を呈している様子を見たこともない。常識や当たり前などの言葉で無自覚かつ安易に思考を放棄し続けている大衆が、本問題を気に掛ける姿は想像し難い。
だがいざ丁寧で正確なテストを作成したとしても、日本語という記号についての説明文は冒頭に書かなくても良いのか、などと問題は発展していくことになる。こんなことになった日には、ストレスで辞める教師が後を絶たなくなるし子供のテストへのやる気は目に見えて減ってしまうであろう。
現状のテストは結果的に、丁寧で正確ではないかもしれぬが、親切で思いやりには満ちているのである。
「さっきから何を言っているんだ」「一つ前の空行以降急に付いていけなくなったぞ」と思ってしまったそこの貴方。前半部分を読んで少しニヤけてプラウザバックして貰うだけでも、多少は本雑談を認めた甲斐があり有難いのであるが、ここまで読んで下さった時点で大衆とは一線を画しているその胆力でもう少しだけお付き合い願いたい。
本雑談の肝は次の点にある。
『前半部分を読んで、=という記号を分かっていない子供を可愛く思ったり笑ったりした貴方が、
その後の文章を読んで、2というモノを分かっていない自分をどう思ったか』
2が既知な方は対象を自分以外の者にして考えて欲しい。
ある問いに関して真に理解しているつもりでも、実は未知が存在しているということ。
ある問いに関して理解の深度に差があれども、実は疑問自体の本質には大差が無いということ。
そう。下界を俯瞰する心持ちで大衆を眺めている貴方も、俯瞰されているのである。自分に「見えている」モノが全てではないのである。
貴方が思わず後ろや上を見たりはっとして背筋が凍ったりしたのであれば、本当に本雑談を認めた甲斐がある。読んで下さり本当に有難うございました。蛇足ではあるが、当然本雑談を認めている僕自身も常に意識せねばならないことなのである。
田舎の田んぼぐらいありふれた日常の一幕も、案外疎かには出来ないのである。
