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雑談集『◼️』  作者: ∀Z
思考
25/70

思考 創作物にも罪はあるのか

序文

 CHUNITHM等に収録されている一部楽曲を、ぷす氏の事件を受けて削除する決断をSEGAさんが行ったことを小耳に挟んだ。テリトリーバトルは、キャラクターも含めファンが多かった印象がある。

 折角の機会なので、雑談しておきたいことがある。

 果たして創作者が犯罪に手を染めた場合、創作物も悪になるのであろうか。創作物にも罪があり、罰せられるべきなのであろうか。


 各種エンタメコンテンツが、買い切りからサブスク主流に変化している昨今、購入者ではなく企業がコンテンツの提供度合いを定めているが故に、大衆社会でも議論になり始めている本問題。

 大前提として犯罪に手を染めるのは避けた方が良いということは明確に言っておくが、その上でまず僕自身の結論を認める。


『創作者と創作物はあくまでも独立した存在である』

 従って、創作物に罪はない。


 例えば、僕自身も何度も聴いている楽曲ならば作曲者のことが気になって調べたり考えたりすることはあるが、作曲者に何か問題が巻き起こったとしても楽曲が気に入っているならば気にせず引き続き利用する。「作曲者の問題」と「楽曲への評価」は独立した事象であるから。もっと言うと「作曲者」と「楽曲」も独立した存在であるから。




削除推進派の本当の理由

 そもそも、今この瞬間当たり前のように流れている楽曲の作曲者も、犯罪を実行している最中の可能性が当然ある。ひょっとしたら世界を滅ぼす為に作曲という手段でお金稼ぎをしているやもしれぬ。

 しかし削除推進派は、それは気にしていない。無思考で利用している。目に見える簡単なことだけしか見ていない。頭を過らないのであろうか。

 僕に言わせて貰えば、削除をして欲しがる大衆というのは、「作曲者が犯罪者だから嫌」というよりも「作曲者が自分が抱いていた幻想と違ったから嫌」なのである。

 従って作品に触れる度に「想像と違った」「こんな人だと思っていなかった」と思い出す。だから消してくれと強請るのである。


 SNSでヤバさを垂れ流している作曲者も犯罪者になった作曲者も大人しく振る舞っている作曲者も、所詮曲を生み出した者に過ぎない。曲を生み出すことは凄まじいことであるが、それ以上でもそれ以下でもない。

『大衆は皆、人間に勝手に期待し過ぎ』なのである。




中途半端

 ここで僕と同じ思考の読者に向けて、削除推進派の気持ちをフンワリ理解する用の具体例を準備してみた。後学の為に是非。


 タブレットが欲しいと思って街を歩いていると、なんと偶然セール品を見つけた。しかも丁度欲しい感じのやつ。

 店員に話を聞くと中古らしい。⇦1

 それでも良いですよと買う決意をした時に、因みにこのタブレットゴミ屋敷に住んでいる中国人が使っていたんですよと説明された。⇦2

 それでも買うか?⇦3


 僕は1の段階で、2の情報みたいなケースを考慮しているタイプな為、1と3の結論が変わることはあまりない。

 作曲者が犯罪者になったら楽曲を削除をして欲しがるのは、1と3の結論が簡単に変わる大衆の発想ということである。


 まあ厳密に言えば、創作者と創作物の関係と、使い手と物体の関係は少し違うが、似てはいるので是非。<<物側の歴史的情報に者側が必須情報として登場はしない。




人間なので人間だから

 上記のように考える僕ではあるが、例えば作曲者が僕自身を殺人未遂して捕まった場合ならば、楽曲が不意にスーパーで聞こえた時に流石に嫌な気持ちになるかもしれない。こういう不完全さを見る度に、自分もやはり人間なのであると痛感する。

 つまり様々な事象に淡白な僕ですら、軸の目盛りの両端は、完全独立からほんの少し依存まで存在しているということである。

 大衆ならばもっと幅広く変化する軸を持って日々生活していることであろう。


 その上で本問題に対処しようとすると、一体どれぐらい直接的被害を受けた人間からの文句や意見は聞き届けるのか、利用ユーザーの何割が削除を求めたら削除するのか、などの問に基準を設定する必要が出てくる。

 しかしこの手の問題に具体的に線を引こうとすると、線引きを試みた勇者が大衆に文句を言われてしまうのである。

 賢者が圧倒的な数の愚者によって押し潰される光景は、いつどんな時も悲しい気持ちになる。


 創作物の関係者は、ただでさえ創作者の行為に頭を悩ませているのに、問題が増えることになる。

 これは厄介で面倒な為、創作物に関わった方が少ない場合は削除、多い場合は容認大衆も増えるのでケースバイケース、が主流となっている印象である。

 結局大騒ぎするのは削除推進派なので、基本的には消してしまうのが手っ取り早い解決法なのである。残念なことに。


 創作物が本当に好きなだけの純粋なファンの存在と被る損害を、関係者側は分かっているのに、削除推進派だけは分かっていない。

 削除推進派の悪質な部分は、「自身が純粋な被害者のように振る舞っている点」である。

 自分自身が騒ぐことには、純粋なファンの楽しみを奪い関係者側に不利益を生じさせる加害者の面もあることを失念しないで欲しい。


 僕も人間なのでいつどうなるかは分からないが、人間だから主張する側になってもそのことを念頭において行動する。

 ドラマ等の映像作品のように、創作物に関わった方が多くなると、不利益を被る存在が文字通り目に見えるようになるので、加害者の面もあることに大衆の一部が気が付き始める。従ってケースバイケースになる。大衆感情を理性が上回るのである。




跋文

 最後に軽く纏めておく。

 論理的に思考すると、完全独立か完全依存のどちらかの判断になるのが自然で、中途半端な基準になるのは不自然。

 削除推進派大衆は結局、犯罪そのものではなく自分の幻想の破壊に怒っている。

 僕も人間なので場合によってはブレることもあるが、人間だから削除推進する行為が加害者の面も持つことを忘れはしない。


 如何であったか。

 読者各々の思考や感情があることは承知しているので、僕の意見を鵜呑みにする必要は当然ない。

 僕としては、本雑談をキッカケに貴方が少しでも何かを思考してくれたのならば、それで満足である。


 因みに、冒頭の具体例において、「作曲者の問題」と「楽曲への評価」は独立していると感じるが、「作曲者」と「楽曲」は独立していないと感じる読者の方がいるかもしれない。

 この話は、本雑談とは全く異なる領域の雑談となる為、またの機会とさせて貰う。


 最後まで読んで下さった読者の貴方に、心よりの感謝を。

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