表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/73

引き寄せる

 カイリの頭の中で、先ほどの映像がぐるぐると何度も繰り返されていた。


 人は確かに陰の気を生み出す。しかし中にいたのは少女だ。どう考えてもあれは活気溢れる若者が生み出す量ではない。


 よっぽど不幸なことでもあったのだろうか……それともあれを全部引き寄せた?


(まさか……な)


 四方八方から引き寄せられていく陰の気が脳裏をかすめると同時に、少女の澄んだ瞳を思い出す。


(…………)


 カイリは目を伏せると、本来の目的である赤眼探しを再開して村の人々に話を聞いて回ることにした。




 ◇◇◇


 日も暮れ始め、空が赤く染まる頃。


「はぁ……」

 赤眼探しに進展がない、それはいつものことで、問題はそんなことではない。突然歩みを止めると、カイリは勢いよく後ろを振り返った。


「――!?」


 人影がビクッと動く。大きく開いた目と口に、金縛りの最中かと疑うほど固まった体……。


 あの少女だ。


 カイリは躊躇なく少女に近づくと、静かに声をかけた。


「おい」

「…………」


(……ん?)

 固まって口を開けたままの少女の黒目がゆっくりと右へそれていく。そのままゆっくりと空を見上げながら同じ速度で口も閉じきった。これを迫真の演技と言っていいのかは悩むところだが、どうやらバレたことをごまかすつもりなのは理解した。


(そうきたか)


 黙って観察するカイリの目の前で少女による芝居は続けられ、右……左……順番に体を揺らし始めた彼女の顔に『よし、いける!』そんな気持ちが滲み出た時――。


 ギュルキュルキュルキュル……!!


 少女はピンっと背筋を伸ばすと大きく目を開いた。無表情で遥か彼方を見つめる瞳は、パチパチとただひたすら……ただひたすらに瞬きを続けている。


(……間抜けだな)


 カイリは「ふっ」と吹き出しそうになるのを腕を組んでこらえると、冷静に冷静に……と自分を落ち着かせる。意識が飛んでいる少女に向かって一歩踏み出し、漆黒の瞳で見下ろした。



「そこの、腹が鳴ったお前」

「あっ……は、はいっ!!」


 少女の意識が戻る。小柄な彼女は、自分より頭一つ分以上大きな男に突然間合いを詰められ、せわしなく視線を動かしたが、もうこれ以上は逃げられないと観念したようだ。眉尻を下げると、ちらりとカイリを見上げた。



「俺のあとをつけてどうしたい」

 カイリの落ち着いた声を聞いて、怒られているわけではないとわかったのか、少女はしどろもどろになりながらも一生懸命に答えた。


「ええっ……と、それは、あ、あなたの近くにいると、黒いのが寄ってこないから……」


(やっぱり陰の気が見えていたのか)


 霊能力のない普通の人には陰の気は見えない。しかし昼間、少女は陰の気が消えた時に反応していたのだ。

 陰の気を引き寄せる不思議な少女。カイリは改めて目の前の彼女を眺めてみた。



 色白の顔に汚れはない。片側に寄せてゆったりと編み込まれた長い髪もさほど乱れていないようだ。

 若い少女らしい桜色の着物の裾は少し汚れているものの身なりは整えられており、帯には護身用の霊刀だろうか、鞘に霊玉の付いた紐が結び付けられている。


 孤児ではなさそうだ。この村の人間だろうか。


 カイリは組んでいた腕をほどくと、困ったようにもう一度ため息をついた。


「もうじき日が暮れる。早く家に帰った方がいい」

「わ、私、昨日家を出てきたので帰る所がないんです……」


 なるほど、少女は家出の真っ最中らしい。

 この様子だと初めての家出といったところか。


(それですっぽり陰の気の中に埋れていた……いや、しかしあの量だ。それだけでは説明がつかない……)


 カイリはふと昼間のことを思い出すと、その時に感じた興味が再び湧き上がってきてしまった。小さく咳払いをして気持ちを沈めたが、なかなか収まりそうにない。相手は目の前にいるのだ。ちょうどいい、聞かない手はないだろう。


「昼間。たくさんの陰の気を纏っていたが、いつもそうなのか? 妖に取り憑かれたことは?」

「い、一度もないです。……村には結界が張ってあって、術師様が守ってくれてたから……」


「村に結界を……?」

「……はい」


 少女の答えにカイリは耳を疑った。なぜなら、専門を極めた『一流』と呼ばれる泰土(たいと)の結界師でも、一人で村にまるごと結界を張れる者はいないからだ。


「その術師、名前は? どこで修行を積んだかわかるか?」


「名前は……わかりません。村の人はみんな、『術師様』としか呼ばないから。それに、普段お屋敷の中に閉じこもっていて、お会いする時はいつもお顔を隠してるんです……だから、素顔も見たことがありません……」


 カイリは首をひねって顎に手を添えると、しばらく黙り込んでしまった。

 名前と素顔を隠して、普段から屋敷に閉じこもっている術師? どう考えても怪しすぎる。誰も疑わないのだろうか。



「その術師、信用できるのか?」

「村の人はみんな信用してますよ? もちろん私も! 術師様が守ってくださっているのは確かなんです!」

 少女は自信満々に答えると、カイリの考えをキッパリと否定する。



「それなら、なおさら村に帰った方がいい」


 その一言は少女を黙らせた。

「それじゃ――」

 カイリが少女と別れようとしたその時――。



「自由になりたくて飛び出したんです……」


 下を向いたまま呟いた少女は勢いよく顔を上げると、もうあとがない、そんな差し迫った表情で言い放った。



「お願いです! 今晩だけでいいんです、私と夜を過ごしてください!!」



「…………」


 少女がその言葉を口にしたあと、その場がしん……っと静まり返った。

 何かを悟ったのか、カイリはぽかんと開けていた口を唐突にキツく結ぶと、眉を顰め肩を引き上げた。


「お、お前! よ、夜を過ごすって……」

 みるみるカイリの頬が紅潮していく。激しく動揺しているのがまるわかりだ。


 少女は自分の口にした言葉ではなく、カイリの変わりように同じくぽかんと口を開けていたが、なぜこんなにもカイリが赤面しているのか、こちらも唐突に悟ったらしい。

 あわあわと慌てて両手を振りだした。


「ままっ、待ってください! ち、違うんです! あなたも旅の途中みたいだし、この村の人じゃないなら泊めてくださいはおかしいかなって! へ、変な意味はないんです! 本当です!」


 少女の返答を聞いて、自分の恥ずかしい勘違いにますます赤くなるカイリ。しかし、冷たく見えていたカイリの赤面は少女の心を少しほぐしたようで、先ほどまでのように必要以上に顔色をうかがうことはなくなった。



「あの黒いもやもやの……」

「陰の気?」

「うん、昼間は我慢できたけど、昨日の夜、陰の気に埋もれたままは怖かったから……やっぱりダメですか?」



 さて、どうしたものか……。


 じきに日が暮れ、夜になれば妖が動き始める。陰の気を引き寄せる少女だ、もちろん妖も呼び寄せるに違いない。昨晩襲われなかったのは、たまたま運が良かっただけだろう。


 それに悪いのは妖だけとは限らない。若い少女を狙う悪い人間に捕まればいったいどうなるか……。この世間知らずな少女が人の善悪を見抜けるとは思えない。


 少女は自身の着物をぎゅっと掴むと、涙をためて必死に訴えかけてくる。今の彼女が頼れるのはカイリしかいないのだ。

 正面切ってお願いされた以上、どんなに面倒だと感じてもこの状況で突っぱねるなんてさすがに良心が痛む。少女のお腹がずっと鳴り続けているのも気になるし――。


 今日、何度目のため息だろう。カイリは諦めの吐息を漏らした。



「向こうの民家で、今晩泊めてもらう」


 背を向けて歩きだしたカイリを、少女は戸惑いながら目で追いかける。言葉足らずな彼の答えに自分の頼みは断られた……そう思ったのだろう。大きな瞳は地面を見つめると、花がしぼむようにゆっくりと俯いていく。

 カイリは振り返って小さくなった少女の姿を見つめると、ほんの少し間を置いてから今度はもう少し柔らかな声で呼びかけた。



「置いていくぞ」



 ――ついてきていい。


 言葉の意味に気づいた少女は、恥ずかしそうに視線を外したカイリを見つめ返す。込み上げてくるものが溢れてしまわないように一生懸命キツく口を結ぶと、今にも泣きだしそうな顔で笑った。


「今行きますっ!!」

 少女はその目にカイリだけを映して駆け出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ