山中 優
山中優は、ロサンゼルスオリンピック金メダリストの山中陽子と山中陽子のコーチをしていた山中勝男との間に、1人娘として1995年8月8日に生をうけた。
父は東京の大日大学で陸上部のコーチをしていて、母は「私はコーチには向かない。」と、日本陸上マラソン会の職員になっていた。
優は幼いころから父、勝男によってマラソン選手に取って必要となる心肺機能などを発達させる訓練を、
遊びを交えながら楽しくさせてくれていた。
私は父と遊ぶのが大好きで、父の仕事が休みの時には一日中父と遊んでもらい、小学5年生の頃には小学生の女子1500メートルで、日本新記録を出した。
家には私が取った数々のトロヒィーが並び、父、母共に時には厳しくも優しく、温かい家庭で過ごしていた。
私が中学に入学する頃、テレビを見終わり時計を見ると11時過ぎていて歯を磨こうと自分の部屋を出て階段を下りリビングの前を通ると、母の泣き声が聞こえた。
母の泣き声を聞いたのが初めてだった私は、隠れるようにそっとドアに耳を近づけた
中から母の、か細い声が聞こえ「灰癌なんて。」と、話している声が聞こえた。
私は驚き息をのみ、歯磨きをせずに物音をたてないよう階段を上り自分の部屋に入って、布団に潜り込んだ。
1か月位前に母が「1度人間ドックにいきなさい。」と、嫌がる父に強い口調で言い。父が笑いながら「健康だけがとりえだけど、一度、行ってくるよ。」と話していたのを思い出して、その日の夜は眠れなかった。
翌朝、私は階段を下り、リビングのドアを開けた。父と母はいつもの様にテーブルに着いて朝食を食べていて、私に気付き「おはよう」と言ってきて、私は少し下を向きながら「おはよう。」と返した。
母は、私の朝食を作ろうとテーブルを離れながら「今日から学校は春休みでしょう。私たちは用事で出かけるけど、お昼ご飯はキッチンに用意しているのでレンジで温めて食べて。夕方には帰るから。」と言われ、「うん」と、返事を返した。
二人が出かけ、私はもやもやとする気持ちを抑えながら、家で二人の帰りを待った。
6時を過ぎた頃に二人が帰ってきたので、私が「どこに行っていたの。」と聞くと、母は、うつむきながら「ちょつと」と、答えた。
私はいらいらしながら、それを態度に出し、強い口調で、昨日の夜二人で話をしていた事を聞いたと話し、「お父さん、癌なの」と言ってしまった。
母は涙をぐっと堪えるような表情で、父の方を見ていた。
父が「大した事ないよ。優にも、きちんと話をするから。」と、ほほ笑みながらリビングのテーブルの席に着き「優もこっちに追いで」と、私を呼んだ。
母は、無理にほほ笑みを作る表情をしながら「お腹が空いたでしょ、ご飯にするから」と、キッチンに向かい歩きだした。
私と父は,、リビングのテーブルに向かい合うように座った。
キッチンからは料理を作る音が聞こえて、父はテープルの上に両手の平を組み、私に優しく話しかけてきた。
父の姿がいつもより大きく見え、私が涙を堪えて父を見ていると、父は、私の姿を見ながら優しくほほ笑み「先月、人間ドックに行ったのは知っているよね」と話しかけてきて、私は零れ落ちそうな涙を堪えながら小さく頷き「うん」と答えた。
父が優しく大丈夫だからと言って、「実は検査の結果、肺のレントゲン写真に影が写っていた事がわかって、2週間間前に東帝大学病院に再検査に行って、その検査決河が今日分かっのだよ」と言われ、私は小さく2回頷いた。
父が少し、うつ向き「医者に2センチ位の癌があると言われて、入院しての検査が必要だと言われた。他に移転していないか、手術の必要があるかと言う事を調べるらしい。これが、これまでの出来事だよ。でも、きっと大丈夫だから。」と、話してくれた。
母がキッチンから料理を運んできてくれ「私も大丈夫だと思う。優がオリンピックで優勝するまでは、死ねないわよね」と父に言い、父は「当たり前だろう。」と笑いながら話し、2週間後、検査入院する事になった。
3週間後、学校の事業が終わると、私は急いで家に帰った。父の検査入院は1週間で、今日、父が帰ってくる日だった。
母は仕事を休み朝から病院に父を迎えに行っていて、私が家に帰ると、リビングから明かりが見えていたので慌ててドアを開けた。
母がキッチンで夕食を作っていて、父は椅子に座り新聞を読んでいた。
父が私の姿を見て「お帰り、病院の食事はあまり口に合わなかったから、ひさしぶりの、お母さんのご飯が楽しみだよ。」と、ほほ笑みながら話しかけてきたので、私は急いでテーブルの上に鞄を置き、父の前にある椅子に座って、「検査、どうだったの」と聞いた。
「そんなに慌てなくても、大丈夫だよ。」と、笑いながら父が話はじめた。
「検査の結果、癌は転移していなかったよ。だけど癌を取る手術は癌ができている場所が悪くて、手術は出来ないらしい。でも、放射線治療や抗がん剤で癌を小さくして無くす方法があるから、すこし入院しなければいけないけど大丈夫だよ。ただ」と、少し間を置き「食事がね」と、笑いながら話してくれた。
私はその話を聞き、目をつむりながら頷き「良かった」と、つぶやいた。