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辛い日々の中での努力(盲目の山田順子)

その日の夕食の時、ほとんど会話をしていなかった母に話かけた


「今日が最後の試合で、監督がラスト3分の時に試合に出してくれたの」と、少し照れながら話しをした。


 母は嬉しそうに、微笑みながら


「見ていたよ。本当に、かっこ良かった」」と喜んでくれて、


 私は久しぶりに見る母の笑顔に嬉しくなり「「うん」と言い、


「今日で部活終わりだから、盲目センターに行って見様と思うのだけど一人で行くのは心細くて、お母さん、いつ休み」と、聞いた。


母は涙を浮かべながら、頷き


「明後日お休みだから明日1度電話を掛けてみて、明後日に行ってみようか」と、優しく言ってくれ、


「うん」と頷いた。


 

 盲目センターには家から駅まで歩いて5分、電車に乗って6つ目の駅で降り、歩いて7,8分位の所にあった。


 盲目センターに着きビルを見ると30坪位の5階建てのコンクリート作りのビルで、職員の人の中には目が見えない人もたくさんいて、私に盲目センターの中を案内してくれて話をしてくれた人も目が見えない人だった。


 案内してくれた人は女性で、身長は160センチ位で少し太っていた。


 その女性に案内されて2階の個室に入り椅子に座ると、その女性が笑顔で


「初めまして、私の名前は浜田恵と申します。

 見てのとうり私も目が見えなくて、徐々に目が見えなくなる不安や恐怖、辛さは分かっていますが、それを乗り超えて生きて行かなければ、いけません。

そのためには点字やパソコンなどを覚えて、自分の遣りたい事や遣れる事を見つける事が必要だと思います。

 今はまだ目が見えていると言う事なので、目が見えなく為ってもここまで通えるように今の内に何度もここまで通い、遣りたい事や遣れる事を見つけて勉強する事をおすすめします」と話してくれ、


 翌日から出来るだけ、盲目センターに通うようになった。


 

 私の目の病気の進行は早く、それかれ1年半後には視力を完全に失っていた。


 

 私は白い杖を突きながら盲目センターに行けるようになっていて、目の見えない人にパソコンを教える仕事についていた。


 歩行者専用道路には黄色い、でこぼこ[凸凹]した視覚障害者誘導用ブロックがあったが、携帯電話を見ながら自転車の乗っている人や、歩いている人、何人かで立ち話をしている人、視覚障害者誘導用ブロックの上に自転車を置いている人などが多くいて怖いと思った事が何度もあった。


 

 ある日、家から電車に乗り、


 盲目センターの、ある駅の改札口で定期券を見失って鞄の中を探していると


「邪魔だ、どけ。」と、男性の怒鳴る声が聞こえて、


 怖くなって盲目センターには行かずに、家に帰って母にその事を話し


「怖くて少しの間仕事を休むから、盲目センターに電話を掛けておいて」と言って、部屋に戻った。


 仕事を休み、3日目の朝に家のチャイムが鳴る音がして、


 母が私の部屋に来て

「浜田さんが来てくれているわよ。中で待っていてもらっているから、着替えて来てね」と、言ってきた


 私は急いでパジャマから私服に着替えて、浜田さんが待ってくれている部屋に向かった。


 私が部屋に入ると、浜田さんの


「純子さん」と、言う声が聞こえ


「はい」と答えると、


 椅子から立ち上がる音が聞こえて


「センターに、行きましょう」と言う、浜田さんの声が、聞こえた。


 母の声で「お茶でも飲んで、いって下さい」と、言う声が聞こえ、


「ありがとうございます、お構いなく」と、話す声が聞こえた。


 私が

「1人で家まで来たのですか、すごいですね」と聞くと、


 浜田さんの笑い声が聞こえ、


「人に聞きながら、来たのよ。

不親切な人もいるけど親切な人も沢山いるよ。

沢山の人に、手をもって誘導してもらいながらここまで辿り着いたのよ」と言って、

 

 力強い声で

「純子さん誘導して、センターに行きましょう」と言われて、盲目センターに行く事になった。


 私が浜田さんを誘導して、


 昔、サッカーをしていた事を話しながら盲目センター向かい、盲目センターのある駅に着いた。


 浜田さんが

「ここからは、私の方が先輩だから分かるわ」と言い、歩き出し改札口で止まった。


「ここで少し、待ちましょう」と言われて、


 私は、このあいだ文句を言って来た人を待っているのだ、来たらどうしようと思いながら、少しそこにいていると


「またお前か、邪魔だ」と、声がした瞬間、


「うるさいんじゃ。白い杖、持ってるのが見えんのか。目、見えへんのじゃ」と、大きな浜田さんの、怒鳴り声がして、一瞬周りが静かになり、ざわつきはじめた。


 文句を言って来た男の声がして、


「すいません、知りませんでした。」と大きな声で言われて、ホームの方に足早に歩いて行く音が聞こえ、


 浜田さんに「行きましょう」と言われて、私達は盲目センターに向かった。


 センターに着き個室の部屋に入ると、浜田さんが


「さっきは驚いたでしょう。

 高校に入るまで大阪に住んでいたから、大阪弁が出る時が合って」と、笑い声が聞こえ、


「白い杖の意味を知らない人も、多いからね」


「そうだったんだ、浜田さんといると心強いよね」


「純子さん。さっきサッカーをしていたって言っていたけど、何かスポーツをしたら良いのに。

 目が見えなくても出来るスポーツは沢山あるよ。

 頑張ったらパラリンピックに出場出来るかも、分からないしね」と言われて、


 目が見える時に見た大阪女子国際マラソンで、中谷歩が走っている姿を思い出し


「私体力はあるから、マラソンをして見たい」と言って、私のマラソンへの挑戦がはじまった。


 

 盲目センターでマラソンをしている人を紹介してもらい、走る事に為ったのだが1人では走れず、

 1つのロープを持ち合って誘導してもらうのだが、目が見えないので息が合わずに転ぶ事もよくあり、


何処を走っているのか、タイムはどれ位なのか、ペースはこれで良いのか、誘導して走ってもらっている人に教えて貰わなければ何も分からない自分に腹立たしく思い、何度か走る事を辞めようかと思った事もあったが、


 私を誘導してくれながら一緒に走ってくれている、武田さんが


「ゆっくりでいい、時には歩いてもいい、走りつづける事が大事なんだ。頑張れ」と、いつも励ましてくれて、私は必死に頑張った。


 私のマラソンに協力してくれている人達は、ほとんどの人がボランティアの人達で、


 ありがたい思いで一杯だったが練習時間は限られていて、大会に出場するには私を誘導してくれる人を2人見つけ、1人の人に約20キロずつ誘導してもらい走ってもらわなければ為らなかった。



 私が速くなればなるほど、ボランティアで私を誘導して走ってくれる人を探すのはとても大変で難しい事だったが、

 多くの方々にに協力をしてもらい、努力をしてパラリンピック出場を決めた。

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