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検査入院を終えて釧路に帰ると、大変な事になっていた。
母の昔のドーピング問題の疑惑がはれていて、私にレーザービームを当てた男が昔、故意に母のドリンクの中に筋肉増強剤を入れたと言う報道がテレビでながされて、新聞にも大きく載っていた。
マスコミは母を探していた見たいだが、母は、私の大会の時には大叔父の名字でコーチとして登録をしていたので見つかる事はなく、家に電話が掛かってきても私が出で
「人違いだから、迷惑なのでもう掛けてこないでください」と言い、ごまかした。
その日の夜遅くに陽子さんから電話があって、母に何も聞けなかった私は聞き耳をたてた。
母は電話で
「故意に飲んだ訳じゃないけど飲んだ事は事実だし、もやもやしていた思いが晴れて良かったよ。もう昔の事だし」と、笑いながら笑顔で話をしていた。
世界陸上の選手発表の前日に陽子さんから電話があり、母と少し間話こんで、
母が私の方に来て話をはじめた。
『実は世界陸上会で義手を付けて走ると言う規定が無くて、歩を出場させられない』言ってきたみたいなの。
陽子達は必死で何とかしようとしてくれた見たいだけど、駄目だったみたい。」と話され、私は何も言えずに涙を流した。
優は世界陸上に出場をして金メダルと取り、日本国内で喝采と詳細を浴び、オリンピックの金メダルリスト候補と言われていたが
[中谷歩が出ていたら・・・]などと、優の事を批判するような内容のネット上での書き込みも数多くあった。
私と母の事が国内で話題になり、そのせいかは分からないが日本マラソン会の会長は辞任をして、陽子さんが会長になる事になった。
陽子さんからは
「これからはスポーツ外交にメイいっぱい力を入れて、何とか次の大会には出場できる様にするから」と言ってくれていた。
歩は釧路体育大学に、特待生として入学し。
優はアメリカの大学に通うと言って、アメリカに戻って行った。
春菜は大学の看護科に休学届けを出して、国立大学医学部の編入試験を受けるために猛勉強をはじめ、1年後に東京都立医科大学に合格した。
合格発表を見に言った日に、歩と優に〔無事、合格しました。]と、メールを送ると
直に2人から「おめでとう。」と言う、返信が帰ってきた。