救いの手
火と炉の神ウェスタ
確かローマ神話に出てくる、女神様。
それがウェスの本当の名前だった。
とは言え、ウェス自身は本物の女神というわけではない。
300年前。
この世界で起きたとある悪しき者との戦いの最中、女神は人と恋に落ち、その神格を失ってしまった。
しかし、その神格がもつ力を失うことを危惧した神々はその力を封じ込めた宝玉を作った。
神々は力の継承を目論んだわけである。
しかし、神の力は同じ神が取り込むには毒だった。
何人かの神が力の継承を望んだが、いずれも失敗。
そうこうしているうちに戦いが激化し、多くの神や人が命を落としていった。
そんな中、人の中に神格を引き受けようとするものが現れる。
女神の神格は人の身にはなじんだようで、その力を使った人と神は協力し、悪しき者を退けることができた。
だが、継承者は人である限り終わりが来る。
戦乱が収まり、世に平和が訪れた後もその継承者は代を継ぎながら世の中を見守り続けた。
その、今の継承者がウェスと名乗った彼女であったというわけで。
なぜ知りえたかといえば。
あの白い空間のなかで俺はウェスと約束、いや。
契約といってもよいものをした。
その時に流れ込んできた知識の中に、それについてのモノがあったからだ。
ウェスの役割と、そのウェスと契約をすることの意味。
そして、異世界人が世界を渡ることで被る不利益を。
ウェスが俺にいつも申し訳なさそうにしていたのは、その契約を俺がほとんど認識できない状態で結んだからだと思う。
たとえるなら、約款まできちんと説明義務があるのにすっ飛ばして契約させたというか。
砂漠で水が必要な人間に値段を説明しないで売りつけたというか。
あくまでたとえるならで、俺は全くそう思わないけど、ウェスの内心的には多分それに近かったのだと思う。
「思いだされた、のですね」
俺は壁に大穴が開いた食堂で横たわるウェスに告げる。
「うん。契約の内容もね。ウェスタ、いや」
言い直す。たった4日でも、どこかなじんだ名前で呼ぶ。
「ウェスがいつもあんなに申し訳なさそうだったのかも。そして俺が」
2度とあっちの世界に戻れないことも。
そう、ウェスが気にしていたことの一つ。
・・・知識として流れ込んだものだから、実証したわけではない。
でも、流れ込んだ話が事実なら、俺はたとえ向こうに戻る機会があっても、帰ることはできないだろう。
マンドシリカ。
ここの住民は魔法が使える。
俺がいた元の世界の住民は魔法が使えない。
これがどういうことを示すのか。
至極当たり前で、簡単なことだ。
その世界で生まれた者、あるいは物にはその世界のルールが適応されるというだけだ。
元居た世界なら、飛行機は翼がないと飛べない、車はガソリンがないと動かせない。
そして人は、酸素がないと生きていけない。
と。
じゃあマンドシリカは?
知識で見る限り、飛行機械は魔力で文字通り浮かぶらしいから翼はいらない。
車はガソリン不要で魔力で動く。
では、人は?
そう、魔力が人にとっての酸素となる。
俺の体はあの契約の時。
神の力としかいえない何かによって、肉体のルールが作り替えられた。
2年の間、傷を癒し続けながらも肉体に刻まれた世界のルールは書きかえられ、その肉体に定着するためにあのお茶によって魂は書きかえられる。
刻まれた知識によってより深く、密接に。
それゆえだ。
先程のアルペシャとの戦いにおいてこちらの世界のルールを優先して、自分自身じゃないような感覚が起きたのは。
…とは言え、大した問題ではないと思い出した一瞬は思った。
物理的に超えられなくなるとは流れ込んだ知識は言っていない。
しかし、生物としての肉体のルールが書き換わるということがどういうことか。
結論を言えば魚が地上で歩けないように、その世界では生きられなくなる。
「・・・」
ウェスは何も言わない。
顔は青白くなりながらも目を伏せ、言葉を選んでいる。
こんな時まで、誰かのためを思って言葉を選ぶのか。
俺は
「「ごめんなさい」」
ウェスと答えが重ねる。
目を見開いたウェスに
「思い出すのが遅れてごめん、助けられなくてごめん。色々、いらない気づかいさせちゃって、ごめん」
自然に言葉に詰まる。
そうだ。ウェスが気にする必要なんて一切ない。
じいちゃんが死んで、親父が捕まり。
生きる目的がはっきりしなくなっていて。
あんなことがあって終わりだと思った俺に、第二のチャンスをくれた人だ。
それなのに、どこかガキのような傍観者でいてしまった。
魔法が飛び交おうが、下がってろと言われようが。
何かできることはあったかもしれないのに。
助けられたかもしれないのに。
俺は
「泣かないで」
ウェスの手が頬に触れる。
いつの間にか、情けないことに涙が出ていたようで、手が震えている。
「せっかく思い出してくれたのに、ごめんなさい。さっき持ってかれちゃったの。ウェスタの、力」
力が抜けていっている。
嫌だ。
「ごめんね、けいやくは、なかったことに」
違う世界に放り出すような形になってごめん、なんて。
目から光が消えていく。
嫌だ。
出会って四日。
思い出して一日もたっていない。
それでこんな。
「トウヤ、ちがうよ?あなたは2年間、助けてくれた」
目が合う。
最後まで伝えようと、ウェスが力を振り絞るのがわかる。
「私は、一人だった。ずっと。でも、あなたが目覚めるのを待って、毎日。楽しかったから。だから」
“だから“
だから?だからなんだ?
それでいいわけがないのに。
でもどんどん冷たくなっていって。
ろうそくが溶けて火が消えるみたいに。
俺はここでも。
何も、できない。
「だったら、もっと一緒にいればいい。感動的な別れなんて、もっともっと生きてからだって遅くはないじゃろ」
何やら小さい影が、黒騎士が穴をあけた所から飛び込んできた。
「なに、人の世は短い。更にはトウヤにとってはまだ4日じゃろ?ウェスよ、そんな空気は何年も連れ添ってからだすもんじゃ!」
この場の二人ではない声が聞こえた。
「トウヤ、しっかりせい!何を呆けておるか!ウェスはまだ助かる。急いで鍛冶場に運ばんか!」
「リテル、さん」
そこにはなぜか、マケリテル店のオーナー
リテルが立っていたのだった。