現実
「どうしました?出てこられませんか?」
ウェスは吹き飛んだ壁に向かって睨んだまま動かない。
チリチリとした熱波を感じながらふとウェスの足元を見ると、どうやら魔法陣のようなものが展開されているらしく、そこからウェスを包むように炎が立ち上っていた。
しかし、不思議と熱いと感じるだけで痛みなどはなく、立ち上る爆炎の周囲の物も燃えていない。
たとえるなら、熱を感じる映像の炎とでもいうのだろうか?
しかし、炎を纏ってからのウェス自身の雰囲気はまるで別人のようだ。
誤解を恐れずに一言でいうならば
”人ならざる何か”“理解できないもの”
のような
あの時刺された相手に恐怖を覚えたのも、奇声を上げ刃物を振り回すという異常性が突然日常に現れたからだったのだろうか。
そんなことを一瞬考えてしまった俺は頭を振る。
”ウェスをあんなやつと一緒にする気はない”
しかし、人としての本能だろうか?
コレは危険だ
怖い
近づくな
と、体に警告を鳴らしてくる。
情けない事に。
足がすくみ、手も震え始めてしまう。
俺はそれをなんとか抑え、声を絞り出して問いかけた。
「ウェス?」
声をかけたものの、アレは本当にウェスなんだろうか?
そんな漠然とした不安が襲う。
ウェスは視線を壁からは動かさないが、返答はあった。
「目は離せませんが。トウヤ、無事ですね?」
心配してくれているのがわかる。
「出来るだけ離れていてください」
ウェスは警戒を緩めないが、見ているとなぜか安心する。
何よりも、凛々しくも炎と黒い髪が美しく揺らめいている姿がそこにはあって。
ああ、よかった。
脳の警告を黙らせる。
アレは、いやあの人はウェスだ。
怖くなんかない。
ふと、息を吐く。
…大丈夫、落ち着いた。
「なにか、手伝えることは?」
一応、提案はしてみる。
でも多分。
「すみません。お気持ちだけ。この炎はあなたや周囲を燃やすことはありませんが、相手がどう出るかわかりません。巻き込む可能性はあります」
やっぱり、そんな気がしていた。
「わかった」
ウェスの邪魔にならないよう、下がる。
これから始まるのは命のやり取り
そう思った時、ふと頭によぎった。
"魔法の世界だろうがなんだろうが、相手は捕まえて法の下に差し出して処罰すべきじゃないのか?"
そう、それは向こうの世界のルール、常識。
18年間向こうで培われた絶対のルールだ。
だが同時にこう考える。
"こちらのルールはそうではない。それに、奴はどんな手を使ってでも倒すべきだ。危険を感じる"
異世界の、マンドシリカのルールと、考え。
いつのまにか刻まれていたソレは、向こうでの俺の常識を一瞬で塗り潰した。
自分の芯や考えがいつの間にかこの世界に塗り替えられているような感覚と、それを是としてしまう思考。
俺はそこに集中しようとするが、ガタリと壁の方から音がした。
そちらに気を回すと、何者かが現れるのが見える。
「ふうん、躾ける。なんて大きく出たわねえ。年長者に対して、敬意がたりてないわね?」
襲撃者の姿は、長く伸ばした美しい金髪。
青いドレスを身に纏っている。
だが、美しいと考える前にただただ不吉なイメージが沸き上がってくるその女性は。
朝来ていた客人、アルペシャだった。
「アルペシャ、敬意とは払うべき相手に払うものです。家を訪ねてくるのに壁に穴を開ける必要がありますか?玄関で挨拶もできないような者は畜生にも劣ると思いません?」
敬意を貴方に払う必要はありません。
そう断言した。
「あら?挨拶ならしたわよ?ちゃんとこんばんわって言ったじゃな・・!?」
言いかけたところにウェスの爆炎が襲い掛かる。
容赦がない。
とはいえ相手は分厚い氷の壁を生成し防いでいたらしく、ウェスを睨みつけている。
俺は体を伏せつつ、そそくさと部屋の隅に寄った。
その間にも、頭上を火球のようなものと氷柱のような剣が飛びかう。
警告として名前が出ないのは、俺個人に対して魔法が向けられていないからだろうか?
熱波と冷気がぶつかる中、二人の魔法の応酬は激化していく。
「冗談が通じない子ね。先に交渉を蹴ったのは貴方じゃない」
「交渉?アレは脅迫に近い何かです。本来はあそこで消し炭にするべきでした」
ウェスの怒り具合は尋常ではない。
家の壁を破壊されたからとか、食事の邪魔をされたからでは説明がつかない怒り方だ。
一体なにを言われたのだろうか。
「ううん、やっぱりチョット不利よねえ!」
アルペシャが毒を吐く。
舌打ちしながらもアルペシャが氷の剣を円陣のように展開。
剣を撃ちながら後退し始めたが、ウェスに届く前に全て溶けてしまう。
そう、見る限りこの場を支配しているのはウェスの爆炎だ。
炎はウェスの意思で当たる相手を選べるらしく、あらかじめ炎を”撒いて”おいた場所にアルペシャが進むように爆炎で誘導。
追い込んだアルペシャがには炎が当たるようにしているようだ。
それで燃えないのが不思議だが、少なくとも逃げ続けるジリジリとアルペシャの体力を削っているのは確かだろう。
勿論、アルペシャも反撃しようとするが、都度素早い火球を撃ちこみ隙を与えない。
逆に確実に下がらせている。
終いには氷を出せないよう、発生させた瞬間に気化させているようで、アルペシャの勢いが無くなっているのは”火を見るより”明らかだった。
しかし。
確かにジリジリとアルペシャが後退してはいくが、俺には違和感がある。
『あんな派手に登場してこれか?不利だと思うなら逃げるべきだったんじゃ』
そう。
アルペシャはどう見ても劣勢だ。
しかし、ウェスが言いていたように昔から知ってる仲なら、あんな黒騎士を放ったところでさっきみたいに霧散させられるのくらいわかってたはずだ。
初めてウェスの魔法を見たんだろうか?
”・・・いや、さっきはやっぱりチョット不利とか言ってたよな?”
初めてならやっぱりと言うのはおかしい。
状況に違和感がある。
奇襲に失敗した時点で撤退すべきだったはずでは?と。
明らかにアルペシャは敵意をもって攻撃してきた。
なんかの試合じゃないんだから、逃げるってこともできる筈。
現に、下がり続けてはいるが壁と床の穴という逃げ場がある。
無駄に逃げ惑うくらいならそっちを選んだほうがいい筈だし、不利な相手に消耗するだけのこんな戦い方するのだろうか?
勿論、魔法使いには何かルールとか意地みたいなものもあるのかもしれないし、そういうものと言われたら何も言えないが。
ただ、なんだろう。
アルペシャはまるで致命傷を避けながら何かを待っているような・・・?
そんな違和感がどんどん大きくなる。
なんか、あっちの漫画やアニメで似たような展開を見たような?
…いや、違う。
中学で喧嘩したときだ。
あれは確か友達の喧嘩に巻き込まれた時。
遊ぼうぜって言われて行ったら数人待ち構えてた。
聞いたら、お前なんか習ってんだろ助けてとか言われて。
俺も殴られたから仕方なく応戦。
最後の一人がやたら逃げ回る奴で、そいつを二人がかりで抑えたんだった。
そしたら、そう。
確か他校の高校生がいて…
そこまで考えて。
ふと本当に。
ただなんとなく黒騎士が燃やされた場所を見た。
“召喚魔術” を検知しました
「!?」
気づいた時には、俺は急いで手近な物をそこに投げ付けていた。
投げた物は弾かれて吹き飛んだが、そこから黒いナニかが立ち上り始める。
その黒い物に、俺はさっき魔法を使い始めたウェスと同じような危険な物を感じた。
「ウェス!罠だ!」
あれが何かはわからない。
ただなんとなくでもわかるのは、良くないものが来る。
そう判断した俺はとにかく叫ぶ。
俺にできることなんて今はこれしかない!
ウェスが俺を見た。
目が合い、頷く。
その顔はなんだかうれしそうで。
最早爆炎と言える炎を纏ったまま、ウェスは突進。
アルペシャは氷の魔弾を展開しウェスを迎え撃つ。
が、それをウェスは“腰を落として“回避。
すさまじい踏み込みを見せ、アルペシャに肉薄した。
泡をくって氷の壁を作ったようだが、遅い。
一瞬では厚い壁は作れなかったようだ。
右手に爆炎を纏わせた一撃が壁を貫き、粉砕した。
あっけにとられたアルペシャは対応できない。
そのままウェスは足をスイッチして体制を整え、思い切り左拳を振りぬいた。
良くは見えないが腹部にクリーンヒットしたようだ。
アルペシャの表情が苦痛と驚愕にゆがむのが見える。
「・・・・・っ」
吹き飛んだアルペシャはウェスを睨むがもうそこにはいない。
俺に使ったあれだろうか?
アルペシャの真後ろをとったウェスは更に殴り、容赦なく蹴り飛ばす。
声にならないうめき声がこだまし、アルペシャはついに壁に激突。
動きが止まった。
その瞬間
ウェスから発していた爆炎が一瞬消失し、部屋から一切の熱波が消えた。
が、次の瞬間
先ほどまでの温度をはるかに上回る熱波が来た。
痛みがあり、燃えるような錯覚、触れたら消し炭になる確信があるまさに焔
さっきまでの炎がとはまるで逆だ。
すさまじい熱さのあまり、最早痛みを伴っている。
”体が燃えてる!”
自信が燃えているイメージが頭に刻まれる。
大火傷したであろう体を大急ぎで見るが、燃えていない。
しかし、身を這うのは明らかに燃えている痛み。
これは、到底耐えられるような痛みではない。
だが。
俺はあの時の背中の痛みに対して感謝した。
燃えるようなあの痛みは、あと少しだけでも俺に彼女たちの戦いを見る力となってくれた。
"・・・この世界では、あっちでの常識は通じない。
命のやり取りは日常茶飯事のようにある"
その”知識”は2年の間に刻まれたものなんだろう。
最早俺に常識として刻まれてしまっている。
その確信はどこからきているかと言えば。
さっき「法の裁きを受けさせないといけない」という考えがよぎった時、何も考えずウェスにそんな提案をしていた筈だ。
しかし、それを俺はせず、今もウェスを止めようともしないど傍観している。
…マンドシリカの常識を受け止めてしまっている。
この世界のルールや常識、なりうる結末を知識としてではなく”体験”しないといけないと魂が告げている。
"自分の意志、考えとずれている!"
自分自信が揺らぎ、ズレていく感覚がある。
そうしたものを熱波の痛みと共に受け止めている最中、魔法陣がウェスの目の前に幾重にも現れ始めた。
それは幾重にも重なり、揺らぐ。
次第に魔法陣は収縮し、まるで何かを撃ちだすかのような形となった。
「これが、魔法・・・」
一瞬。
俺は熱さの痛みも、自分自身が変わってしまったことの違和感も忘れ、思わずつぶやいた。
今まで目の前で起こっていた魔法合戦はまるで児戯のようだったとすら思えるような。
体が、生命が。
魂から震えてしまう強力な何か、それが目の前に現れようとしていた。
「これで!」
ウェスが叫ぶ。
彼女のおたけびが聞こえる。
必殺の威力を持ったその一撃はアルペシャに向けて撃ちだされた。
すさまじい高温のエネルギーともいえる魔法。
命あるものは耐えられず、蒸発して消え失せるだろうと確信が持てるその一撃は
アルペシャに届くことはなかった。
「え」
声が漏れる。
さっきまで何もなかった。
何もいなかった。
なのに、今、なぜかウェスは倒れ伏している。
その傍らには黒い何か
魔法は霧散し、消えてしまった。
いや、言葉を改めよう。
あの黒いのが”消した”としか思えない。
さっきの騎士とは違う、黒く、大きい“不吉“
理解が、認識できない。
瞬きするごとに変化しているように見えるし、大きさもその都度かわっているように見える。
見るたびに形が変わっている。
なんなんだ、アレは。
「ちょっと、いえ。大分予定が狂ったけど」
アルペシャがボロボロの体をさすりながら立ち上がり、こちらを見る。
「癪だけどお、そのままうごかないでねえ。私、“人は“殺さない主義なの」
“人は“
を強調したアルペシャは、くろいなにかから
剣のようななにかを取り出した。
それを見て、脳が現実に戻った。
あっちでの常識と、こっちでの常識がないまぜになって、考えがぐちゃぐちゃになる。
”ここから先は多分命のやり取りだ”
俺は確信を持っていたはずだ。
ウェスがこうなるのを可能性だってあっただろ?
"コレが結果だ。受け止めるしかない"
あそこでウェスに言われたからって大人しく後ろに下がったのはなんでだ?
少し戦えるようになっていたことで戦えるなんて調子に乗っていたくせに。
"お前では力不足だったからだ。居てもいなくても変わらなかった"
そもそも戦う前に止めなかったのはなんでだ?
危険だと。
".あの状況では戦うのが当たり前だからだ"
一回誰かのために命をはった所までは誇れると思うけど、なんで今回もそれができなかった?
"単に命を張って死んだらそれは犬死だ。誰かのために一人でも敵を倒せ"
勝負は一瞬でひっくり返る。
試合だってそうなのに、命のやり取り?
その意味をほんとの意味で理解できていたか?
"分かっていない"
現代日本でぬくぬく育ってきた人間には
"こっちでは これが 現実 だ
こっちでは 負けたら シ"
俺は動けない。
こっちと、向こうの常識や考えがせめぎ合い、思考を支配する。
体に動けと指令をおくれない。
その間にも、アルペシャは倒れ伏したウェスに剣を突き入れた。
力も、止める暇なんてものもない。
あっけないほどに、剣は命の恩人に突き刺さり。
俺は駆け寄ることすら出来なかった。
馬鹿みたいに動けない俺を見てアルペシャは微笑み、ウェスから何か転がり出た玉のようなものを握ると踵を返す。
まてよ、とか。
そいつはなんだとか、言えたらよかったのに。
さっきまでの騒ぎが嘘のように。
静寂の中、アルペシャと黒いなにかはそのまま去った。
二人が去り、漸く動けるようになった俺は慌ててウェスに駆け寄る。
「ウェス?ウェス!」
剣で刺されていたのに傷口はない。
なのに、ウェスの顔は真っ青で、血の気が引いている。
かろうじて意識はあるようで、目が合う。
「トウヤ、なにか、されませんでしたか?」
何かされたのは君だろう!
叫びたい。
でも、叫ぶ資格もない。
「俺は大丈夫だよ。ウェス、ごめん。俺、俺何にもできなかった」
ウェスは微笑み
「いえ、トウヤは何も。悪いのは、私です、よ?」
まけてしまいましたね、なんて呟いてる。
ウェスは何を言ってるんだろう。
ウェスの何が悪いんだろう。
死にかけた俺を助けてくれて。
色々助けてくれて。
なのに、俺はビビッて何も出来ていない。
情けなくて顔が見れない。
顔を伏せてしまうと、ウェスの指が頬に触れてきた。
「色々、説明不足で、申し訳ありません。もっとちゃんと、お話していれば」
突然こんなことに巻き込んで、なんて。
俺は・・・
「ウェス、聞いてくれ。俺は約束を思い出している」
「え・・・?」
息も絶え絶えのウェスがけだるげに瞬きをする。
ウェスが何かされたのかは知らないが、ウェスは通常の病院では治せないことはこの世界に来た時に”知って”いる。
知らされた知識は別にこの世界のことだけではない。
彼女の目的も、やってきたことも全て流れ込んできた。
その上で、俺は選ぶ。
「火と炉の女神。ウェスタ、約束を思い出したよ」