疎まれる精霊の加護持ちだから、消えることにしたのだけれど
この世界では、たまに精霊の加護をもらって生まれてくる人間がいる。
気まぐれな精霊の加護は大抵が大したことなく、従って加護持ちであろうとも、大切にされることはない。――それがたとえ一国の王女であろうとも。
むしろ、精霊の機嫌を損なえば、加護が呪いに変じるとも考えられていて、おかげで腫れ物に触るごとくに扱われてきた。……過去形じゃなくて現在進行形だけれど。
「あーあ、一分姫様の部屋係辞めたい」
「お気の毒様」
侍女たちの声が聞こえます。あ、ちなみに一分姫と呼ばれていますけれど私は第四王女です。一分姫というのは理由があって――。
「一分姫様のご機嫌取りくらい楽な仕事はないんじゃなかったの?」
「第二王女殿下みたいに欲がはっきりしてれば楽勝なんだけどね。一分姫様のは分かりにくいのよ。表情も読みにくいし」
あらまあ。……王族は簡単に表情を読まれてはダメだとそれはそれは厳しく教育されたのだけれど。二の姉様は許されているのね。それとも、二の姉様は侍女たちとそんなに仲良くされてるのかしら。
「それに加護も微妙だし。恩恵に預かれるとは思えないのよね」
「『普通の人より百分の一運がいい』でしたっけ?」
「そうそれ」
「微妙とか聞かれたらまずいわよ」
はっと息を呑む音が聞こえます。
「……それなのよね。一分姫様の機嫌を損ねたら呪われるだなんて、知らなかったのよ」
あらあら、彼女たちには正しいことが伝えられていないみたいね。精霊の機嫌を損ねて呪われるのは私なんだけれど。
ちなみに、加護の内容から百分の一分姫、転じて一分姫と呼ばれるようになった、らしい。直接聞いたことはないけれど。
「侍女長には相談したの?」
「何回も。代わりがいないからダメだって」
「人身御供が必要ってことね」
人身御供って、祟り神か何かと思われてるのかしら。私自身は何の力もないのだけれど。
からんと鐘が鳴る。休憩時間は終わりのようで、衣擦れの音と足音が遠ざかっていくのを確認して、私は立ち上がった。ふわりと日に透ける髪が風になびく。
彼女たちのいるすぐそばに実はいたのだけれど、見つからなくて良かった。影が薄いからか、それとも加護のおかげか、昔からかくれんぼで見つかったことがないのよね。……見つけたくなかったのかもしれないけれど。
それにしても、あんなふうに勘違いされてたなんて。道理で部屋付きの侍女たちの緊張感が高いわけよね。人の入れ替わりも結構激しいし、ほとんど目を合わせてもくれない。話し相手なんてそもそも無理だし、仲良くなれる以前の問題で。
……ああでも、これは昔からそうだったわね。
乳母役も家庭教師も、長く続いた者はいなかったわ。
両親――国王陛下も王妃陛下も、数多いる兄や姉も、顔を合わせるのは年に一度、しかもほんのちょっとの間、言葉を交わすだけ。その言葉だって、家族というよりは赤の他人相手の挨拶程度。
目は憎々しげだったり刺々しかったりするから、本当は色々裏で言われているのでしょうね。侍女たちがこぼすのを耳にして、一応私も知っていたりする。
役立たずの四女、お荷物、金食い虫の末娘。
本当のことだから、気を悪くすることもない。
大っぴらに出歩くと怯えられるので、基本的には引きこもりだし、当然公務もない。もう十六になるのだけれど当然婚約者もいない。迂闊なところに嫁がせて呪われたら大問題になるからでしょうね。
仕方がないから時々こうやって、午睡時間にこっそりと抜け出している。私だって庭を歩いたり花を愛でたりしたいんだもの。
前は夜中に出歩いてたのだけれども、不審者騒動に発展してからはやめている。侍女は誤魔化せても夜勤の兵士は誤魔化せなかったのよね。
それにしても、どうしたものかしらね……。
精霊の加護持ちは長生きしない、とされている。
市井の加護持ちはほとんどが孤児で、多くが子供の頃に夭折しているという。呪いに転じるのを恐れて幼いうちに親に捨てられるのだとか。
私は王家に生まれ、しかも加護持ちであることが後に分かったことから、存在を消すことができなかっただけ。
王家の家系を辿れば、死産の記録がいくつもあった。多分、これらの多くが加護持ちだったのでしょう。
……だから、加護持ちの本当のことが伝えられていないのね。
秘密の通路を部屋の方に向かいながら、ため息をつく。
本当のことを伝えても、誰も信じないのは知っている。なら、私にできることはもう残っていない。
いつまでここにいるのか、いられるのかしらね――。
「どうしようかしら……」
「だから、俺の手を取れば良いって言ってるだろう?」
透き通った声が耳朶を打ち、壁に添えていた手を握られる。
誰も知らない狭い道にするりと入り込んでくるのは、彼しかいない。
顔を上げれば、艶やかな黒髪と夜を思わせる黒い瞳にぶつかる。やっぱり思った通り、彼――ダスティンだった。
物心ついた頃から気がつけば視界の端にいた、闇の精霊。
「そういうわけにはいかないわ。これでも王女なのよ。ここであなたの手を取ったら、単なる精霊隠しじゃない」
「それの何が困るんだ」
「十六年も育ててもらったのよ。何の役にも立てずにいなくなったら、本当に恩知らずになってしまうじゃない」
「別に恩を感じる必要はないだろ。ろくな扱い受けてないのに」
彼の言うことはもっともだわ。精霊の機嫌を損ねぬようにと最低限の衣食住は守られ、教育も受けた。
けれど、それだけ。
王女としての扱いはされていない。衣装にしても身の回りにしても、侍女たちの方がよほど良いものを持っている。
外に出ぬよう仕向けられていたことも、彼から知らされて初めて知ったのよ。
まあ、その頃には真実を――彼らの知る真実を知っていたから、自ら引きこもりになっていたけれど。
「それでも、私を生かしてくれているわ」
「それも当たり前のことだ」
ダスティンの言葉に眉根を寄せる。けれど、ここまで生きてきたなら、本当のことを知らしめたい。加護持ちの真実を。
せめて、今後生まれてくる加護持ちたちが不遇な目に遭わずに済むように。
それくらいしかできないけれど。
「願いは変わらないのか?」
「ええ。……貴方には嫌な役柄をさせてしまうわね」
「お前を迎えにくるのは俺の役目だ。誰にも渡さん」
そう言いながら、ダスティンは私の指先に唇を落とす。初めてされた時には大層狼狽えたけれど、動揺を気取られない程度には慣れたわ。……内心の狼狽えはちっとも落ち着かないけれど。
一週間後は年に一度の公務――春迎祭。社交シーズンの始まりを飾る王家主催の夜会だ。国内外の貴族が招かれ、王族が勢揃いする、唯一の機会。
私も成人を迎えるし、いつまでもこのままではいられないのもわかっている。
だからダスティンに相談して、衆人環視の中、隠してもらうことにした。
人目につく場所で消えたなら、そしてそれが精霊によるものなら、みんなが納得するでしょう?
それなら誰も困らない。
「じゃあ、よろしくね、ダスティン」
「ああ。……俺なりに楽しませてもらう」
「え?」
部屋に戻る扉を押し開けたところで振り返れば、ダスティンは暗い通路で目をきらりと光らせている。
「当日は俺のために最高に着飾っておけ」
「え、ええ」
「楽しみにしている」
扉は閉じ、私はベッドに潜る。昼寝をしていた振りくらいはしなくては。
目を閉じながら、彼の言葉を反芻する。
……俺なりに楽しませてもらうって、私が頼んだ以上のことをする気ね。まあ、ここから消えることができれば私はそれで良いし、あとは彼に任せましょう。それと、衣装。
私が着飾るのは年に一度のこの時だけ。この時ばかりは新しい衣装一式が届くのだけれど、今からどうこうできるものではない。それにアクセサリーは出番が終われば三人の姉様たちに奪われるのが前提で作られているから、統一性がない。
今年の衣装もきっとそうに違いない、と諦めのため息をつく。
王女として最後だから、綺麗な姿で覚えておいて欲しいけど、高望みよね。せめて笑顔でいよう。そう心に決めた。
決めたのだけれど。
目の前には豪奢な金髪に晴れた空の色した瞳の男性がいる。こんなに整った人は男女問わず見たことがない。ダスティンといい勝負――と思ったところで目の前の彼がふわりと微笑んだ。
……破壊力が半端ない。後ろで侍女たちがバタバタ倒れている。私だって倒れたい。
ええと、隣国の皇太子と先ほど紹介された気がする。花嫁探しにこの国に来たとも。
――どうして私の前に跪いているのかしら。順番で行けば一姉様のはずだけど。とちらりと視線を送れば、ものすごい目で睨まれてた。一姉様だけでなく、家族全員から。
あの、少しは隠す努力をした方が……。流石に周りの者たちがギョッとして見てますわよ。
「ミリアム姫、返事を」
「ええと……」
握られたままの手を引き抜こうとしたけれど、びくともしない。強く握られているわけでもないのに。
そもそも何の返事を求められているのかもちゃんとわかっていないのに、返事なんてできないわ。
戸惑って彼を見ると、ほんの少しだけ口角を上げ、私の方を見ながら指先に唇を落とした。
ダスティンで見慣れたはずなのに、動揺を隠すのも上手くなったはずなのに。
胸が息苦しくなって、身体が、頬が熱い。どうしてこんなに掻き乱されるの?
空色の瞳が射抜くように私を見ているから?
「どうやらお気に召していただけたらしい」
涼やかな声が聞こえてはいるのだけれど、それはどこか幕の向こう側で話しているみたいで、頭に入ってこない。家族たちが彼に話しかけているのも、私を睨みつけてなじる声も、泡が弾けるような微かな音がするだけで。
彼に握られた手の、唇に触れられた指先の感覚だけが熱くて、他の感覚がどんどん鈍くなる。
ああこれは……精霊の呪い……。
私、精霊の――ダスティンの機嫌をまた損ねてしまったのね。きっと、迎えにくるはずの彼じゃなく、目の前のこの人を見てしまったから。
私を迎えにくるのは自分の役目だと言っていたのだもの、きっと臍を曲げてしまったに違いない。
こんな……最後の最後で、しかもこんなに範囲の広い呪いを受けるだなんて。
ごめんなさい。父上母上、姉様たち、兄様たち。
皆の単なるお荷物で終わりたくなかったから、消えようとしたのに、それすらも上手くできないだなんて、思ってもいなかったの。
この強引な方――あら、名前もちゃんと覚えていないわ――が割り込まなければ、予定通りダスティンが来てくれて、隠してくれるはずだったのに。
視界が暗い。……私ったらいつの間にか目を閉じていたのね。もしかして私、眠っていた? あらやだ、こんな衆人環視の中で眠るだなんて。
だんだん体の感覚が戻ってきたみたい。でもまだ体は動かせない。呪いのせいね。
どうやらソファに座っているらしい。きっと場所を移したのね。
それに――誰かに支えられているような気がする。
ダスティンかと思ったけれど、彼ならきっともっと硬いわよね。男の人は硬いって本にもあったもの。まあ、誰かに……こんなふうに抱きしめられたことなんて初めてだから、ちょっとドキドキするわね。
目はまだ開かないけれど、ざわついた雰囲気はわかるようになってきた。
「何勝手に触ってるのよ!」
とても近くから聞こえてきたのは、多分二の姉様の声。……支えてくださっているのは二の姉様なのね。何とか体を起こそうとしてみたけれど、やっぱり力が入らない。
それより、どうして二の姉様が怒っているのかしら。
むしろ二の姉様に私、嫌われているはずなのに。
「何を心外な。君たち家族が彼女を疎外しているのは有名な話。私はこの牢獄から彼女を解き放つためにやってきたのだ!」
この声は彼の方。……隣国の皇太子よね? 隣国までそんな話が知れ渡っているの……やっぱり、予定通りさっさとダスティンに隠してもらえばよかった。
ああでも、ひとまず来賓の紹介が終わってからのつもりだったし、その来賓がいきなり求婚してきたわけで、どうにも回避できなかったのよね……。
「そんなわけないでしょうっ! どれだけわたしたちが今日の日を待っていたと思うのっ!」
――え?
「そうだ。どれだけ今日の日を待ち望んでいたか」
深いため息と共に聞こえてきたのは、少ししわがれた低い声。
「いまさら何を言うおつもりか。四の姫、一分姫と呼んで蔑んでいるのは知っているのだぞ!」
「……それは、我々が娘の名を呼ぶことができなかったからだ。初めて名を呼ぶのは父たる余の栄誉であったというに、よくも横から攫っていったな」
「……は?」
これ、父上の声……だと思うけれど、こんなに怒りを含んだ声なんて、初めて聞くわ。そして、名を呼べなかったって、どういうこと?
「何をおっしゃっておられる。娘の名を呼ぶなど普通に当たり前のことではないですか。それを、今まで一度も呼ばなかったと? やはりあなた方は彼女を疎外――」
「だから違うって言ってるでしょうっ! 私たちは名を呼べなかったって!」
「私は呼べましたよ?」
「だからっ、今日になるまで呼べなかったと言ってるでしょうっ! この子が十六になるまでに一度でも面と向かって名を呼べば、たちまち隠されてしまっていたのよ! だからこの子の名前も公表してこなかったのにっ!」
「なっ、何を馬鹿な! そんなこと、聞いたことがない! そうやって自らの罪を隠そうとするのかっ! 今だってわざわざ場所を変えて。皆の前ではっきりさせるべきだったのではないのかっ!」
「――黙りなさい」
押し殺した低い女性の声。……母上だ。
「場所を移したのは当然でしょう。貴国では、王家の秘密を公の場で高らかに叫ぶのが普通なのかしら?」
「そんなわけがない!」
「ならば我々の理由もお分かりでしょう。それとも我が末娘は妖精に捧げるべきだったとでも仰るのかしら。……何も知らないくせに」
「なっ……」
「貴殿は妖精の呪いを知らぬのか」
「妖精の……? 精霊の加護の間違いではないのか。精霊の加護を受けた四の姫を虐げていると聞いたからこそ私は」
「精霊の加護でこんなことになるとでも?」
手を掬い上げられたのがわかる。暖かくて柔らかな手が私の手を握る。反射的に握り返そうとするけれど、やっぱり体は動かない。手を離されると、ぱたりと膝の上に手は落ちた。
「……精霊の加護は気に入った人間を祝福するもの。こんな……呪うようなものではないっ!」
「ええ、だからこれは精霊の加護ではないのよ」
深いため息と共に母上.……どうしてかしら。痛いほどここにいる人たちの思いが伝わってくるのは。胸が痛い。それに、精霊の加護ではないって……どういうこと?
「だが、妖精の、とはどういうことですか。妖精が呪うなど聞いたことがない」
「確かに、あれは加護なのでしょう。彼らにとっては」
「妖精の加護?」
「聞いたことがないでしょうね。……彼らに狙われて生き延びた例はごく稀ですもの」
「我らにとっては呪いも同じよ。……妖精は気に入った人間を見つけると、すぐに連れ去ろうとするのだ。妖精の加護はいわば妖精の愛し子としてのマーキング。名を知られればすぐに隠される。名のない人間などおらんでの、妖精の加護を受けて隠されなかった者はいない。……この子の幸いは、名付けに悩んでいる間に妖精の加護が判明したことだ。付けた名を秘匿することで攫われることを避けることができた。加護持ちが無事十六を迎えれば、現世に留まることができる。……それまでに攫われれば、二度と戻ってはこない」
父上の言葉に心が震える。
……幼い頃から名を呼ばれたことはなかった。乳母や家庭教師たちも私を四の姫と呼んだし、幼い頃はそれを自分の名前だと思い込んでもいた。春迎祭でも私だけ名を呼ばれず、国民に王族の一人と披露目はされても誰だか認知されていなかっただろう。
だから、私は誰でもない者なのだと思っていた。名無しの姫なんて物語でも出てこない。
けれど。
それが全て妖精の加護のせいだったなんて。
「だ、だがっ、彼女を冷遇したのは間違いあるまいっ」
「妖精の加護持ちだからです」
「意味が通らんではないかっ! 名を呼ばねば攫われないのであろうっ。名を呼ばずとも慈しむことはできたはずだっ!」
「……妖精は、嫉妬深いのです」
――え? 嫉妬深い?
「妖精は自分の愛し子が他の者に微笑むのを何よりも嫌うのです」
「……は?」
「そして、愛し子が微笑みを向けた者を呪うのです」
……なにそれ。精霊が機嫌を損ねると、私が罰を受けるだけだと思っていたわ。
ある日突然指が動かなくなったり、片目が見えなくなったり――半日もすれば元に戻るのだけれど。
でも、何がきっかけで精霊の機嫌が悪くなるかなんてわからなかった。
まさか、そんな理由で私の身の回りの人たちまで呪われていたなんて、知らなかった……。
きっとみんな知っていたのね。だから、なんとか私の側仕えから逃れようとしていたのだわ。
「故に、この子の側付きは長続きしなかったのです。……触れるのもままならない、視線を合わせることも優しい言葉をかけることもできない。それでも、呪いを受けても構わないからと側付きになった者たちは皆、この子の存在を認識できなくされました」
「なっ……」
……知らなかった。幼い頃から一緒にいた乳母や侍女たちが、声をかけても手を引っ張っても何もしてくれなくなったのは、私の声も姿も見えなくなっていたからなの……?
「……その者たちは、どうしたのだ」
「他の娘たちの側仕えにやりました。しばらく離れてこの子の興味が薄れれば、解ける呪いでしたから」
……私の、せいなのね……。
やっぱり、私はここにいてはいけないんだ。これ以上、私のせいで誰かが呪われたりするのは、望まない。
体が動くようになったらすぐダスティンに連れ去ってもらわなきゃ。
「では、この国では精霊の機嫌を損ねれば呪われるというのは……」
「妖精の加護のことじゃ」
少しの沈黙の後、彼の人の声が聞こえた。
「気になってはいたのだ。私が精霊の加護持ちと知ると途端に周りから人がいなくなるのが。挙句呪われると言われて宿を追い出されたこともある」
隣国の皇太子を追い出すだなんて……それほどまでに呪いの怖さが広まってしまっているんだわ。
「まさか……妖精の呪いのことを精霊の加護に置き換えて広めていたとは」
「そうせねば、この子を守れなんだ」
私を守るため……?
「……そうしてようやく今日の日を無事迎えて、我が末娘ミリアムを本当の意味で取り戻せたのだ。……だというのに」
「父上」
再び彼の方への恨み言が始まりそうなタイミングで割り込んだ声が聞こえた。彼の方よりは柔らかく、伸びやかな男性の声。
……兄様のどなたかだ。多分、一の兄様ね。
「父上のお気持ちはわかりますが、皇太子殿下も反省なさっておられるようですから、この辺りで」
「……ああ、事情も知らず、騒ぎ立てたことをお詫びする。……だが、精霊の加護持ちへの間違った偏見を広めたことについては正式に抗議させてもらうぞ!」
「もとより、今日の式典で全てを改めるつもりであった。……そなたが騒ぎ立てねばの」
「いいや、それだけでは済みますまい。……彼女が生まれて十六年もこの状態であったのなら、どれだけの加護持ちが不当な扱いを受けたのか……」
全身から血の気が引いた。そうよ。加護持ちは判明するとすぐ捨てられる。孤児院でも夭折したケースはいくらもあったし、王家の系譜でも……。私が生まれる前から、ずっと続いて来たのだとしたら、どれだけの命が損なわれたのか……。
「それについては問題ないわ」
天から降るようなキラキラした声は、三の姉様。年は一番近いのだけれど、いつもとても睨まれるの。
「精霊の加護持ちは全員保護していますから」
「全員保護だと?」
「ええ。……王家の秘密だからあなたには教えないわよ?」
三の姉様の声に張り詰めていたものがゆるむ。
……それでも、私のせいで親元から離された子供たちがいっぱいいるに違いない。彼らのことを思うと胸が痛んだ。どうやって償えばいいの。私が消えても……彼らの絆は戻らない。
「ところでグレタ。ミリアムの様子は」
「体は温まってきたわ。でもまだなんの反応も……」
二の姉様の声が詰まる。……すでに目覚めていて話も聞いていたけれど、それを伝える術がない。半日もすれば元に戻るはずだから、このまま時を待つのが一番だと思うのだけれど。
「まさか、妖精の呪い、か?」
「そんなはずないわ。成人は迎えたのよ? それに本人が呪われるなんて聞いていないわ」
それは、誰にも伝えていないから。私の言葉なんてまともに聞いてもらえないし、そもそも会話も成立しない関係で、こんな深い話を打ち明けられるはずもない。
それに、多少の不便は誰にも知られないようにやり過ごしてきたつもりだから、私の努力は報われていたってことよね。
きっとこれは、妖精の最後の報復ね。攫うつもりだった私を諦めさせられた腹いせに、最大の呪いを置いていったのよ。
「いや,あり得る。……以前、一時目が見えなくなったようだと報告が上がったことがあった。それが家庭教師が呪われたのと同時でな」
「なんてこと……ミリアム、あなたまで呪われていたの……」
ぎゅっと抱きしめられる。二の姉様、ちょっと苦しいです。それにしても、悟られていたなんて。基本近寄ってこない侍女たちに気づかれるはずがないと侮っていたわ。
「それで、その時はどう処置したのです?」
「特に何も。……頑なに診察を拒んでの。翌日には元に戻っていたと」
「……また、何もできないんですの?」
泣きそうな母上の声に胸が締め付けられる。……私は、ここにいていいの、かな。
――で、どうする?
不意に聞き慣れた声が飛び込んできた。見えるはずがないのに、ソファの後ろに腕組みして立っているダスティンが見える。
――ちょーっと予定外が入っちまって俺の出番無くなっちまったな。せっかくビシッと決めてきたってのに。
そう言いながら、ダスティンの格好はいつもの黒づくめ。どこに気合いが入っているのかわからない。きっといつもより整えられてる髪の毛とか、そんな感じかしら。
――で、どうする? 予定通り攫うかい?
ダスティンの黒い目が光る。そう、予定ではお披露目の後、衆人環視の中攫われて退場するはずだった。
でも。
ダスティンは妖精なの? 精霊なの? ずっと幼い頃から気がつけばそばにいた。闇の精霊だと思っていたし、百分の一の加護は彼のものだとも思っていたけれど。よく考えてみれば、彼の口から直接正体を聞いた記憶がない。
――どっちかなんて、結果が同じなら気にする意味ないだろ。
結果。つまりは攫われてここからいなくなること。
確かに、彼の正体がなんであれ、事象は同じ。どっちかなんて関係ない。
けれど。
彼が妖精なのだとしたら。
……十六年間も国民全体を騙してまで守ろうとした家族の努力を嘲笑うことになる。
それは――選べない。役立たずどころか害を与える存在になってしまうもの。それは、私の望みと違う。
疎まれる私がいなくなることが最善だと思っていたけれど、そうじゃないってわかったから。
――そっか。じゃあ、元気でな。ミリアム。
残念そうにため息をついて、ダスティンはいつものように手を掬い上げ、指先にキスをする。
それが別れの挨拶だって、気がついた。
彼がどちらであっても、この十六年、私のそばにいてくれたことは事実。誰にも見向きもされない私を、ずっと見つめ続けてくれていた。
……その彼が、いなくなる……? それは――。
「いやっ!」
「ミリアムっ!?」
目を見開くと、覗き込んでいる二対の目があった。きっと母上と二の姉様。でも、そんなことよりも、ダスティンが行ってしまう。
目尻から涙がこぼれる。伸ばした手を引き上げられ、体を起こす。呪いはもう消えていた。
「どうし――」
「ダスティン! いるんでしょうっ!」
驚く人たちを押し退けて立ち上がり,後ろを向くと、先ほどと同じ場所に彼はいた。
「誰だ、あれはっ」
「いつのまに」
私が視線を向けて初めて、周りの人たちも彼が見えたみたい。……そう、闇の精霊は身を隠すのが上手い。認知されない限り、姿を表すことはない。
……もしかして、私が隠れ上手……というか近くにいても認知されないのって、彼の加護を受けているからなんじゃないかしら。今頃気がついたけれど。
だから、彼が妖精だなんて、あるはずなかったのに。
そんなことを考えながら、ダスティンの目の前に立つと彼の手を握った。俯き加減な彼の顔を覗き込めば、動揺の色が見える。
「……なんで」
「いやなの」
「何、が」
「ダスティンがいなくなるのが!」
攫ってくれるって言ったのに。
俺がいるって言ってくれたのに。
私を一人にするの?
そんな思いがぐるぐる回る。
逸されていた目がこちらを向いた。眉根を寄せ、顰めっ面のダスティン。でも、黒い目には強い光が宿って見える。
「……離してやれないぞ」
「望むところよ」
にっこりと、最高の笑顔を浮かべると、ぐいと手を引かれた。気がつけばダスティンの腕の中にすっぽり包まれていて――。
「誰かあれを引き剥がせっ」
「ミリアムにはまだ早いっ!」
「無断で妹に触るなっ!」
「いつの間にあんないい男ひっかけたのよっ!」
「娘から離れなさいっ!」
「なんだあの男はっ!」
何か遠くで叫び声が聞こえるけれど、彼のちょっと早い鼓動の音に集中したくて目を閉じた。