4
今日は久々の臨時収入があったから、夕飯を少し豪華にしようかと思ったが、マキのことを思い出して、リョウはその考えを保留することにした。せっかくのご馳走を、あのタダ飯食らいに半分わけてやるなんて、もったいなさすぎる。
どうせあいつはあと10日で出て行く身なのだから、贅沢は一人暮らしに戻ったときのためにとっておかなくては。
と、
リョウは歩みを止めた。
「……………」
リョウの足音さえなくなれば、しん、と住宅街は静まり返る。
あたりはまだ明るいが、時間はもう7時を回っている。普段はボール遊びなんかをしている子供たちも、もう家に帰ってしまったようだ。
「……………」
人の気配など無い。
が、
「………誰だ?」
無人の道に向かって、リョウは冷めた声で言った。
「……………」
答えはない。
予想していたリョウは、諦めたようにため息をついた。尾行に気付かれて名乗るバカはいまい。
「……これ以上つけられたら捕まえて殴り倒してえほど、鬱陶しいんだが?」
一応警告をしてから、返事が無いことを確認して、リョウは再び歩き始めた。
このところ、ずっとだ。
何が目的かは知らないが、朝かこの時間以降に家を出ると、必ず「奴」がいるのだ。
リョウが「奴」の存在に気付いていることを知らないから、下手くそな尾行を続けているのかと思っていたが、リョウの警告にも耳を貸さず性懲りもなくつけてくるのを察するに、気付かれていようがいまいが関係ないらしい。
一番タチの悪いタイプだ。
ちっ、と舌打ちして、リョウは自宅の門をくぐった。
もはや家の中しか、自分の心休まる場所は無いような気がした。
「ただいまー」
「おかえりなさいっ!」
扉を開くと、まるでひと月に一度帰ってくる単身赴任の父親を出迎える子供のように、どたどたとマキはリョウに飛びついた。
「うぉっ!?」
うわ、そうだ、そういやコイツがいた。
コイツが、このマキが居候としてここにいるかぎり、家でさえリョウは休めないのだった。
つまり、リョウの心休まる場所は今、どこにもないのだ。
「奴」が尾行なんてしやがるのも全て、マキのせいのような気がしてきて、リョウはマキの顔を憎々しげに見下ろした。
対するマキの顔は、気持ち悪いほどに、輝く笑みで満ちている。
「……どうした、マキ、なんかあったか?」
なにやらただ事でないマキの様子に、リョウはいちいちすり寄ってくる茶髪を引きはがしながら尋ねた。マキは答えずに、にいっと笑いながら、
「すぐご飯食べれるよ!」
と嬉しそうに言った。
「お……おう」
いつになくゴキゲンなマキに、戸惑いを隠しきれずにいるリョウを見て、マキはさらににやーっと笑って、リョウの手を引っ張った。
「ウデによりをかけて作ったんだー、久々にめちゃくちゃ料理ぽいことしちゃった」
料理ぽいことって……あのカルボナーラは料理じゃなかったのか?
新たな発見だった。マキの料理の基準は案外レベルの高い位置にあった。カップ麺でも料理だと言い張りそうな顔してるのに。
そんなハイレベルなマキが、「ウデによりをかけて」「料理ぽいこと」をしたと言うのだから、それはもうすごいご馳走が出来上がったに違いない。
――そのときリョウの頭をよぎったのは、期待でも喜びでもなく、嫌な予感だった。
リョウは俊敏な動きでリビングに走り、マキはそれを見てガッツポーズをした。リョウが喜んで料理にがっついてくれた、と思ったのかもしれない。
しかし、食卓に並んだ数々の料理を数瞬見つめて、それから振り返ったリョウの顔は、明らかに喜んではいなかった。
マキのどや顔は一瞬で凍りついた。
「おいマキ……この食材、どっから?」
「え……れ、冷蔵庫とかから、出てきた」
それは出てきたのではなく、あったのをマキが出してきたのである。
「マキ……てめぇ………」
「はっ、ハイ」
このときばかりは、さすがのマキにも、それを感じ取ることができたらしい。
すなわち、殺気。
「俺の一週間分の食料、返せぇぇぇぇ!!」
今度の拳骨は、一発では済まなかった。
あまりのマキへの憤りに、つけてきた「奴」のことも、リョウはすっかり忘れていたのだった。