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つまらないなぁ、とマキは思った。
学校やめる気が無いのなら授業くらい出ろ、と同居人のリョウにケツを叩かれて、やめてしまった人間に言われたくねぇよ、と思いつつも渋々哲学の講義を受けてみたものの、何が楽しくて太古の人間が考えた神様の話を覚えなければならないのやら、マキにはさっぱり理解不能だった。
マキが哲学に興味を持ったのは、別に神様が好きだったからじゃないのだ。我思う、故に我有り、みたいなのに惹かれたのであって、多神教と一神教の違いがどうのなどと、無神論者のマキにしてみればナンセンスである。
そんなことよりもマキには、どうやってリョウを丸め込んであと半年くらい居候させてもらうか、のほうがよほど大事だった。
「リョウさんああ見えて人情的なもんに弱そうだしなぁ……ちょっと情が移れば……でもどうやって……?」
「あ……あの、麻生くん?」
「んあ?」
ふと、隣に座っていた、生徒会副会長っぽいメガネの青年が声をかけてきたので、マキは首を傾げてみせた。
……なんでコイツ、オレの名前知ってんだろ?
「キミ、この前……っていってもだいぶ前なんだけどさ」
「?」
「キミのレポートが、紹介されてたでしょう?あの、狼少年と悪魔のレポート」
「……紹介?」
マキは身に覚えのないことを唐突に言われ、戸惑いを隠し切れなかった。なんだコイツ変な奴、とさえ思ってしまった。
「あ……あれ?キミ、麻生真希くんじゃなかった?」
「あ、いや、それは合ってるんだけど……あっ、もしかしたらオレその講義出てないかも」
「あぁ、そうだったの」
マキとしてはちょっと口を滑らせてしまったぐらいのことを言ったつもりだったのだが、副会長はにっこり笑顔で流してくれた。見た目ほどマジメな学生ではないようだ。
「もしかして、ずっと出てない?僕、キミのレポート読んでから、哲学の授業中はいつもキミのこと探してて、でも……どうりで見つからないはずだね」
「………はぁ、そうデスカ」
やはり変な奴だった。
ていうか、ストーカー?
「僕ね、すっかりキミのファンになっちゃって」
……シャレになっていない。
「あのー、副会長?」
「副会長?……あぁ、僕妹尾っていいます」
「せのーくん?ええっと……オレ、せのーくんが言うほどすげくないぜ?」
マキは謙遜でもなんでもなく、心からそう思って言った。なぜなら、妹尾のマキを見る目が、クラスメートに対するものとは明らかに違ったからだ。
が、
「そんなことないよ、麻生くん!キミの哲学はすばらしい!」
異常なまでのべた褒めに、マキはただただ苦笑するしかない。
だいたいマキは、狼少年と悪魔などと言われても、何を書いたのかすら思い出せないのだ。それがなにを表しているか、マキにはすぐにわかった。書いた本人が忘れているのだから、それがマキの哲学でないということは自明の事実だ、ということである。
つまり、
それを書いたのは、多分、妹だ。
……どうしょう。
マキを1ミリも疑うことなく、この底なしとも思える尊敬の眼差しを向けてくる妹尾に、
「ごめんそれ書いたの妹(笑)」
などとは絶対に、言えない。今の彼に真実をありのままに伝えるのは、あまりに、あまりにしのびない。
「いや……すばらしいとか、明らかに言いすぎでしょ……」
「ふふ、照れてるの?」
……どどどどうしよう。
妹尾がふと見せた、鳥肌が立つほどの爽やかな笑顔に、マキはもう何も言えなかった。
「僕ねぇ、本当に、すごいなって思ったんだよ?目から鱗ってこういうことを言うんだなって」
「……あはは……」
しかも妹尾の目ときたら、マキが男でなければ、恋でもしそうな輝きを孕んでいるものだから、余計にマキは本当のことを話せなかった。妹にこんな変な男がつきまとうようになってしまっては困る。
それは第三者からしてみれば、騙されている妹尾に対して、あんまりな評価のように感じられたが、しかしマキも、こう見えてお兄ちゃんなのだ。妹のそういった話には非常に敏感であるという特性を持つ。兄とはそういう生き物なのだ。
「あのね、麻生くん」
「な、何?」
「実は、頼みがあるんだ」
「え」
がし、と両手を握られると、まるで男に口説かれでもしているみたいで、なんだかものすごく、微妙なかんじになる。
レポートを代わりに書いてくれとか言われたら、それはそれで困るが。仮にも(?)家出中の身なので、妹に頼むこともできない。
しかし、口説かれるのとレポートを頼まれるのと、どちらかを選ぶとしたら、やはり後者だろう。理由は言うまでもないが。
「僕と友達になってくれないか?」
……………。
ほら、こんな空気になっちゃう。
こいつきっと友達少ないんだろうな、とマキは思った。わざわざ友達になってくれなどと言って友達になる友達なんて、そういない。恋人ならともかくとして。
……恋人……?
いや、こいつは恋人じゃなくて変人だろ(笑)
と好き勝手に失礼なことを考え、ぷ、と吹き出すマキを、妹尾はきょとんと見つめた。
「麻生くん?」
「あ、いや、なんでもないよー?」
「………?……あぁ!」
にへらぁ、と笑いかけたマキに、妹尾は何を思ったか、ぴんとひらめいたような顔をして、次の瞬間、驚くべき発言をした。
「わかったよ麻生くん!もちろんだ、キミの頼みならなんだってするよ!だから、友達になってくれるね?」
「え」
ちょっと待て。
と言う間もなく、妹尾はもう憧れのマキの大親友になってしまったようなにこにこ顔でそう言ったのだ。どうやら妹尾、予想以上に面倒くさい……もとい、思い込みの激しい性格らしい。
………いや、待てよ。
マキはふとひらめいて、そのひらめいた自分の賢さをほめちぎりたい気持ちでいっぱいになった。こんなに頭の冴えたのは何年ぶりだろう。
「おっけぇおっけぇ、いいだろう妹尾くん!友達にでも何にでもなってやるさ!」
マキの悪戯っぽい笑みに、妹尾はぽかんとしていた。