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最近ツイてなさすぎる。空が藍色に変わっていくのを見つめながら、マキはため息をついた。

弟のアキに楽しみにとっておいたプリンを食べられ、文句を言ったら家を追い出された。いや、ノリで出ていく的なことを言ってしまったのは自分自身なのだが、弟も妹もあっさり承諾しやがった。

一家の大黒柱から一転ホームレス大学生となってしまったマキは、高校や大学の友人の家を転々としてきたが、どこも1週間と保たなかった。

2週間も居座らせてくれたのは、リョウが初めてだったのだ。

「別に知り合いでもなかったのに」

缶蹴りサークル仲間といっても、メンバー数はおそらく3桁にのぼるであろう巨大サークルだ。缶蹴り以外にも、スキーやらキャンプやら花火大会やら、思い立ったらなんでもやるサークルなので、缶蹴り目的の加入者は珍しい。実際に缶蹴りなどのイベントを開いても、参加するのは多くても20数人ほどである。同級生でもないのだから、顔など知らなくて当たり前、赤の他人も同然だ。

サークルの中心人物の平井という女が、本人に相談も無しにリョウの住所を教えてくれたので、ダメもとで訪ねてみただけだったのに……騙すように上がり込んで、結果一番長く滞在させてもらうことになってしまった。

「……リョウさん、ゴメン」

面と向かって言えなかった謝罪の言葉を、小さく地面に落とした。その音が、まん丸い遊具の中で寂しく反響する。リョウの家の近所にある公園には、ありがたくも雨風を凌げるこの遊具があった。こっそり拝借してきた古新聞紙もある。充分に野宿ができる装備だ。

2週間も世話になったのだ。これ以上リョウに迷惑はかけられない。

リョウに付きまとう視線にマキが気付いたのは、つい昨日のことだ。狙われているのが自分なのだとしたら、リョウに実害が及ぶ前に離れなければ。

『ごめん麻生、もう出て行ってくれないか』

リョウのもとへたどり着くまでに、何度も言われた台詞。マキは今まで、その理由に気付かずに、彼らが冷たいだけなのだと思い込んでいた。今思えばひどい評価だ。彼らも数日とはいえ、親切で家においてくれていたのに。

「みんなもすいませんでした……」

自分が情けない。

友人たちや、ほぼ他人のリョウまで巻き込んでしまった。

ひゅう、と吹いた風は生暖かい。季節が冬でなくてよかったとマキは思った。家出すらしたことが無かったマキに、冬の公園で野宿などできまい。

「あー……はらへったぁ」

リョウさんちで何か食ってから出ればよかった、とマキは呟いて、とりあえず水で空腹を満たすことにした。

明日大学行って、誰かにバイトを周旋してもらおう。これ以上誰かの家に世話になるのは忍びないし、金さえあれば生きていける。運がよければ賄いも食える。

そんなことを考えながら、すっかり暗くなった公園を、のろのろと歩き出した、そのとき。

外灯が照らす地面の、ちょうど暗闇との境目に、誰かが音もなく立っていた。

「………誰?」

一瞬幽霊かと思った。気配に気付かなかったからだ。しかしその存在にひとたび気付けば、それまでどうして気付かなかったのか理解できないほど、その人の息遣いが静寂の中で鮮明に聞こえた。

「あ、ホームレスの人?すいません、オレ最近宿無しになった者で――」

ようやくその人のシルエットがわかるくらいの距離まで、マキが歩み寄った瞬間、

ひゅ、とマキの顔を、その人が扇いだ。

いや、扇いだのではなく、

「………へっ?」

一瞬マキの頬に走った一筋の熱は、すぐに痛みに変わった。

頬を伝った液体を拭うと、手は赤く染まる。

血だ。

「は……うそでしょ?」

闇に慣れた目にぼんやりと映ったのは、マキの血で切っ先が濡れた、小さなナイフだった。

……ホームレスってのは、こんなに排他的な生き物なのか!?

マキが一歩後ずさると同時に二撃目が空を切る。こいつ、マジだ。

「冗談じゃ……!」

三撃目を避けたところでバランスを崩して地面に手を付き、刃をかわして敵のすねを思い切り蹴った。マキとしてはかなり機転を利かせたつもりだったのだが、どういう鍛え方をしているのか、敵は少しも怯む様子が無い。

「おまっ弁慶超えてんのか!?ちったぁ痛がれよぉ!!」

がつ、と首スレスレの地面にナイフが突き刺さって、マキはひっ、と悲鳴を上げた。

「待っ……命だけはカンベン!お願い!やだっ……誰か……だれかぁ!!助けて殺される!!」

マキがパニックになりながら無我夢中で叫ぶと、ナイフ男(いや、女かもしれない)はマキに馬乗りになって、鳩尾に膝を入れた。

「ぐぅッ……」

喉の奥に酸っぱい味が広がる。悲鳴は嘔吐感に呑まれ、涙目で敵を睨むのが精一杯だ。ナイフ男は黒いフードを目深に被っているため、プライバシー保護はばっちりである。

ナイフ男の拳が、マキの切られていない方の頬を殴った。痛い、なんてもんじゃない。マキも若い頃はヤンキー漫画の主人公に憧れたものだが、パンチ一発がこんなに痛いのだと知っていたら、あんなヒドい漫画を笑って読んだりできなかっただろう。ていうかこんな恐怖と痛みを進んで受けにいく不良たちの気が知れない。あいつら絶対マゾだ。

「いやだ、死にたくな……やめ……っ!?」

肩に全体重をかけられ、全身にびりびりと痛みが走る。腕の骨が折れたか、それとも関節が外れたか。頭のどこかに他人ごとのように冷静に分析する自分を見つけて悲しくなる。生まれて初めての暴力に頭がついていけないのかもしれない。

二発目のパンチに頭がくらくらするが、首筋に小さな痛みを覚えて意識が現実に戻される。少しでも体を動かすと、ナイフで頸動脈を切ってしまうのではないかと、冷や汗が背中を伝った。

「助けて……誰か」

誰にも届かないほどにか細くなった自分の声を、マキは顔を歪めて聞いていた。もうだめだ、とマキは確信した。

ナイフ男が笑っているのだ。

この男、気が狂ってる。

殺される、死にたくない、助けて――リョウさん!!


一瞬、

マキにはそれが、獰猛な野犬か、狼に見えた。


何が起こったのかははっきりしないが、のしかかっていたナイフ男の体が、黒い影に吹っ飛ばされたのだ、ということだけはわかった。

「……な……なに?」

震える体を無理やり起こして、飛び出してきた黒い影を、彼を、マキは呆然と見つめた。

「………リョウ、さん?」

まさか、と思いながら声をかけてみる。

姿はよく似ていた。けれど、闇の中にいるからなのか、それとも別の要因か、彼がまるで別人に見える。

「なんで……え?」

極限状態の自分が見る幻ではなかろうか、とマキは頬をつねろうとして、動かした腕に走った激痛に唸った。

どうしてリョウがここにいるのだろう。

リョウの家がある住宅街の公園とはいえ、こんな時間にリョウが外出など、そうあることでもないはずだ。

まさか自分の祈りが通じたわけでもあるまい。そんな奇跡みたいなこと。

「邪魔して悪いな。こいつ、うちの居候なんだわ」

マキを庇うようにして立ちはだかった彼の口から出たのはリョウの声。あぁ、本物だ。

「こいつに話があってなぁ、悪いがちっと外してくんねぇかな?」

ただしそれは、マキに拳骨を入れたときよりももっと低い声だった。

まるで動物が威嚇するときみたいな。

「外してくんねぇかな」

頼む気などさらさら無い、それは警告だった。

「……………」

絶対に適わない相手だと悟ったのか、ナイフ男は無言で走り去った。その後ろ姿を見て、マキはほっと息をついてリョウを見上げた。

なんだよ、リョウさん……かっこいいじゃん。

「……何してんだよ、お前は」

「……へへ……殺されかけてました」

気付けば口の中に血の味が充満していた。歯を食いしばっていなかったから、口内を切ってしまったのか。歯が折れてないといいな、とマキは思った。

「そんなん見りゃあわかる。なんで殺されかけてたんだよ」

「………さあ?さっきの人に聞けばよかったのに」

差し出された手を取ろうとして、再び腕の痛みに唸る。リョウはそんなマキを見て痛々しげに眉をひそめた。

「大丈夫か?立てるか?」

「んー、無理かも」

「……あん?何がおかしい」

「えー?別にぃ?」

自分がにやけていることに気付いて、余計に可笑しくて笑ってしまう。

「ねぇリョウさん」

「ん?」

見上げると、数瞬前のあの気迫はどこへ行ったのか、いつものやる気の無さそうな瞳があった。

それが妙に嬉しい。

「おんぶ」

「子供か」

あはは、とマキは笑って、リョウの肩に腕を回した。左腕は大丈夫そうだ。

「ねぇ、リョウさん」

「何だよ」

「ありがと」

立ち上がろうとするとふらついてリョウに支えられるが、それでも構わず言葉を紡ぐ。

「死ぬかと思った。リョウさんが来なかったら殺されてた」

「あー……そうだな」

「助けてくれて、ありがと、リョウさん」

にこーっ、とマキにできる最高の笑顔を見せると、リョウはふいと目を逸らした。

「………、帰るぞ」

不機嫌そうな声音も、マキは怖くなかった。

「帰るってどこに?あ、もしかしてオレんち?」

「俺の家だよ。決まってんだろうが。……そんなぼろぼろの体で帰せるか」

「あは、リョウさんってお人好しー」

「うるさい。他にも、なんか……色々、言わなきゃならんことがある」

ほとんどおぶさるようにして、マキはリョウに支えられながら帰宅した。

もう頼っちゃいけない、甘えちゃいけないと思っていたのに。

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