その男、本当に手加減なしにつき
沢本瑠璃佳が、大東苑学院の石動允に捕まった。
その情報はすぐに杉野森学園高等部にもたらされた。瑠璃佳と下校していた女子生徒が蒼ざめた顔で高等部まで戻ったのだ。
「……」
その話を聞き、胸中複雑な思いの大田美津子。その親友の心がわかり、何も声をかけられない宮田香。
「とにかく、そこまで案内して下さい」
竹森信一が女子生徒に言った。女子生徒はそこに戻るのが怖かったが、信一が同行してくれるのなら安心だし、嬉しいと思い、現場に向かった。
その瑠璃佳の思い人である矢田通は、間が悪い事に中等部の舎弟である大山大と中等部の校門脇で話していた。
「何心配してるんだよ。別に俺はそんなつもりはねえよ」
通は鬱陶しそうに言った。大山が瑠璃佳との事を聞き、命がけで通に忠言したのだ。
「ですが、矢田さん、姐さんは随分と荒れ模様だとか」
姐さんとは美津子の事だ。大山は再三、「姐さんて呼ばないで」と美津子に言われているのだが、他の呼び方を思いつけないので、美津子以外に話す時にはまだ「姐さん」を使っている。美津子とは直接話さないようにしているのだ。
「誰に聞いたんだよ、そんな事?」
「晶さんです」
晶は美津子の弟。「姐さん」の弟さんだから、呼び捨てでも、君付けでもなく、「晶さん」である。大山の前世は犬か狼かも知れない。
「あいつはいつも機嫌悪いじゃねえかよ」
「それはお兄ちゃんが悪いんでしょ!」
そこへいきなり、通の妹にして、中等部のアイドルでもある久美子が現れた。その後ろには、ボーイフレンドの晶が、まるで従者のように付き従っている。
「他人聞きが悪い事言うなよ、久美子」
通が剥れて言う。久美子は大山にニコッと微笑んでから、
「本当の事でしょ!」
と兄を容赦なく睨む。この世で通にこんな態度を取って無事ですむのは、美津子と久美子だけだろう。
「うるせえな」
通は久美子と口喧嘩をしても勝ち目がないのでサッサと逃げる準備だ。すると久美子が、
「それより、高等部が大騒ぎよ。何も聞いてないの、お兄ちゃん?」
「大騒ぎ? 何があったんだ?」
通が嬉しそうに尋ねる。久美子は呆れた顔で、
「昨日転校して来た人が、大東苑学院の連中に連れて行かれたんですって」
「何!?」
通は驚いた。大山もだ。大東苑学院と言えば、つい先日、久美子を拉致しようとした連中と同じだ。
「あの子が連れて行かれたのか?」
通は慌てていた。
(畜生、俺のせいであの子を……)
「そうよ。お兄ちゃんに、転校初日にラブレターを渡した人。沢本瑠璃佳さんよ」
久美子の言葉が終わらないうちに、通は走り出していた。
「あいつら!」
美津子や香が自分に連絡してくれないのは仕方がない。だが、信一までもが黙っているのは、さすがに面白くない。通は高等部へと走った。
「矢田さん」
大山が追いかけるが、通は尋常ではない肉体なので、追いつく事などできない。彼の姿はたちまち見えなくなった。
「お兄ちゃん、本気で乗り換えるつもりかしら?」
久美子がそう呟くと、晶が、
「それだけは困るよ。只でさえ、姉さん、機嫌が悪いんだから。家に帰るのが怖くて」
「だったら、しばらくウチで寝泊りすれば、晶君?」
久美子が何気なくそう言ったので、晶は仰天してしまった。
信一は女子生徒の案内で現場に着いていた。そこには、允の舎弟が一人残っていた。
「矢田通にこれを渡せ」
そいつは信一に紙切れを渡すと、サッサと走り去った。
「ありがとう。気をつけて帰ってね」
信一の笑顔に顔を赤らめながら、女子生徒は帰って行った。
「あいつら、バカの一つ覚えか?」
信一はその紙に書かれた文字を見て呟いた。
「女を返して欲しければ、鉄橋脇の河川敷まで来い」
信一は通に知らせるつもりはない。自分で全部ケリをつけ、瑠璃佳にきっぱり言うつもりなのだ。通の事は諦めてくれと。
(美津子さんと通が不仲なのは、僕もカオリンも嫌なんだ)
信一が通に連絡しなかったのは、そういう思いからである。
しかし、信一のそんな思いは無駄になった。通は天性の勘から、大東苑学院の連中がどこにいるのか読んでいた。彼は信一よりも早く、夕日に染まる河川敷に着いた。
「ほお、王子様の到着だぜ、お姫様」
允がおどけた調子で舎弟に押さえつけさせている瑠璃佳に言った。
「矢田さん、ダメです。来ちゃダメ!」
瑠璃佳は涙声で叫んだ。しかし激高している通には、そんな言葉は届かない。
(よーし、そのまま真っ直ぐ来い。深さ三メートルもある落し穴だ。上から石のシャワーを浴びせてやるよ)
允の顔が歪む。嬉しくて仕方がないようだ。
「てめえ、どこのどいつだ!? 堂々と俺に喧嘩売って来いや!」
通は猛スピードで允達のところに走った。
「え?」
允は仰天した。通は確かに落し穴の上を通過したのだが、速過ぎて落ちなかったのだ。
「おらああ!」
通は雄叫びを上げ、まずは允を川のはるか彼方まで吹っ飛ばした。歯の根も合わないほど震えている残りの連中は、あっと言う間に同じく川に沈んだ。
「てめえら、顔覚えたぞ! 今度見かけたら、前歯全部なくなると思え!」
通が怒鳴ると、顔を出していた連中が一斉に水中に潜った。
「大丈夫だったか?」
通が瑠璃佳に声をかけると、
「怖かったあ!」
と彼女はそのまま通に抱きついた。
「わわ!」
通は夕日より赤くなった。
「悪かったな、沢本さん。俺のせいで、酷い目に遭っちまってさ」
通は何とか瑠璃佳を押し返して言った。瑠璃佳は涙を拭いながら、
「そんな事、全然気にしてませんから……。それより、来てくれて、本当に嬉しい……」
言葉にならないほど、瑠璃佳は感動し、泣いた。
「帰ろうか」
「はい」
通は上着を瑠璃佳にかけてあげた。瑠璃佳はまだ泣いていたが、それでもしっかりした足取りで歩き出す。
「……?」
そこへ信一が到着し、唖然としていた。
「信一、後で話がある」
通はムッとした顔で言い、瑠璃佳を庇うようにして河川敷を去った。
「ふう」
信一は思わず溜息を吐いた。
(まだ続くのか、この危険な状態……)
先が思いやられ、信一は項垂れてしまった。