その美少女、危機一髪につき
杉野森学園高等部は、あの矢田通に告白した転校生の話で持ち切りだった。
その転校生の名は、沢本瑠璃佳。高等部一年。かなりの美少女である。クラスメートはおろか、全学年の男子生徒が溜息を吐いた。
「どうしてなんだよ」
通は確かに女子には人気はあるがモテはしない、というのが「定説」だった。それを覆したのが転校生で、しかも美少女となると、彼らは「定説」を変更しなくてはならないと思っていた。
そして、翌日。
「おはよう、美津子」
通学路で落ち合った香が声をかける。
「おはよう、香」
美津子はごく普通に応じた。しかし香はニヤッとして、
「今日はご機嫌ね、美津子」
美津子は親友のその途方もない切り出しにキョトンとして、
「どういう意味よ?」
「矢田君、転校生の告白を断わったんでしょ? 信ちゃんから聞いたわ」
美津子はビクッとした。その話は全然知らなかったのだ。香は美津子の様子に気づき、
「あ、もしかして、何も知らなかった?」
と決まりが悪そうに尋ねる。すると美津子はムッとして、
「知りたくもないわ!」
プイッと顔を背け、彼女は大股で歩き出す。
「美津子、女の子がそんな歩き方したらダメだよ」
香が追いかけながら言う。しかし美津子は、
「大きなお世話!」
と更に大股で歩いた。そして、前方を歩いている通に気づいた。
「あ……」
通は瑠璃佳と並んで歩いていた。美津子はますますヒートアップした。
「失礼」
彼女はわざと通の肩にぶつかって二人を追い抜いた。
「いてえな、美津子! 何するんだよ!?」
意味がわからない通が怒鳴るが、美津子は完全無視を決め込み、スタスタ行ってしまった。
「美津子、待って!」
香は通を睨みつけてから、美津子をまた追いかけた。
「何なんだよ、あいつら?」
通がぼやくと、瑠璃佳が、
「私のせいですか? 私が矢田先輩と歩いているから、大田先輩が怒って……」
「関係ねえよ。あの女、昔から癇癪持ちなんだ。気にするなって」
通は瑠璃佳に言うが、彼女を見ない。瑠璃佳は通を待ち伏せしてここまで一緒に歩いて来たのだが、彼が一度も自分の顔を見てくれないのに気づいていた。
「あの」
「何だ?」
やはり通は瑠璃佳を見ない。
「矢田先輩、私の事、嫌いなんですか?」
「な、何でだよ!?」
やっと通は瑠璃佳を見た。瑠璃佳は悲しそうな顔で、
「だって、さっきから全然私の顔を見てくれないから」
「あ、いや、女の子の顔をジロジロ見るなって、死んだ親父によく言われたからさ」
通はバツが悪そうに言った。それは嘘だ。本当は、瑠璃佳を至近距離で見るのが恥ずかしいのだ。
「そうなんですか」
瑠璃佳は少しだけ元気になったようだ。
「優しいんですね、先輩」
「そうかあ。そんな事ないと思うぞ」
二人の姿を見た高等部の生徒達は、
「矢田通が大田美津子から転校生に乗り換えた」
と勝手に解釈し、その噂は瞬く間に広がって行った。杉野森学園の外にまで。
そしてその噂を聞きつけてほくそ笑んだ奴がいた。石動允。杉野森学園とはライバル校関係にある大東苑学院の生徒だ。
允は以前、通の妹の久美子を拉致して通を潰す作戦を実行したが、久美子の思わぬ強さに返り討ちとなった。その怨みを晴らす時が来たと思ったのだ。
「今度こそ、あいつの弱点を利用して、潰してやる」
允は狂気めいた顔で笑った。
竹森信一は、教室で通と美津子の間に漂う不穏な空気を感じていた。
「何があったんだ、通?」
信一が小声で尋ねる。通は、
「訳がわかんねえんだよ。あの女、朝から機嫌が悪くてさ」
「ホントか?」
「ホントだよ!」
信一は通の「事情聴取」を諦め、香に近づいた。
「何があったのさ、あの二人?」
「それがね……」
香から理由を聞いた信一は呆れてしまった。
「何のために断わり方を教えたのかわからないな」
信一は香に礼を言って、もう一度通に近づいた。
「通、あの子にきちんと教えた通りに言ったのか?」
「言ったよ。そしたらさ、友達からって言われてさ。そこまでお前に教わってなかったし……」
信一は項垂れた。
「小学生か、お前は……」
「うるせえよ! しょうがねえだろ、成り行きでそうなっちまったんだからさ!」
通が開き直る。
「大体、俺が誰と歩こうが、あいつには関係ないだろ」
通はわざと美津子に聞こえるように言った。美津子がピクンとする。
「美津子」
香が止める間もなく、美津子は通の前に行ってしまった。教室の一同がザワッとする。
「ええ、そうですね。私が悪かったです、矢田通さん。今後一切貴方とはお話しないようにしますので、それでご了承下さい」
美津子は笑顔でそう言うと、ツンと顔を背け、自分の席に戻った。
「上等だ! こっちもお前と話さなくていいのなら、せいせいするぜ」
通も一歩も引かない。信一と香は顔を見合わせて溜息を吐いた。
「……」
さすがに通のその言葉は美津子にはダメージが大きかった。彼女は必死になって涙を堪えていた。
「矢田君、今の言い過ぎよ!」
香が大声で言ったので、通はビックリしたようだ。
「香、何だよ、お前まで……」
「私も矢田君とは口利かないから!」
香もプイと顔を背け、席に戻った。通は信一を見上げた。すると信一も、
「今回は全面的にお前が悪い。僕もしばらく距離をおかせてもらうよ」
通はその言葉に唖然としたが、
「ああ、そうかい!」
と言うと、ムスッとして腕組みをした。
そして放課後。
瑠璃佳は、朝の事が気になったので、通に声をかけるのをやめて、その日はクラスメートと下校した。
「あ」
瑠璃佳達が大通りから細い脇道に入った時だ。その道を塞ぐように大東苑学院の柄の悪そうな連中が五人、並んでいた。
「沢本瑠璃佳ちゃんだな?」
石動允が進み出て尋ねる。瑠璃佳達はギョッとして後退りしたが、他の連中がすばやく回りこみ、囲まれてしまった。
「おめえらには用はねえ。消えろ」
允は瑠璃佳以外の女子生徒を追い払った。彼女達は真っ青になって走り出した。
「何なんですか、貴方達は?」
瑠璃佳は震えながら言った。允はニヤリとして、
「矢田通をぶっ飛ばす会の会員だよ」
と言った。その言葉に瑠璃佳は目を見張った。