その美少女、積極的につき
杉野森学園高等部。
そこに異変が起こりつつあった。
喧嘩バカの矢田通。通の彼女は幼馴染みの大田美津子。それが高等部の生徒の一致した認識。いや、生徒ばかりでなく、教職員、果ては理事長に至るまでそう思っていた。その「定説」が崩れつつある。一人の転校生によって。
その転校生の名は沢本瑠璃佳。北関東で一番地味なG県の有名進学校のM女子高校から転入して来た。彼女はほんの偶然から矢田通と顔見知りになった。信じられない事だが、彼女は通に一目惚れした。瑠璃佳は十人の男子がいれば十人が全員「付き合って下さい」と告白するくらい可憐で可愛い美少女だ。それがよりによってどうした事か、通に転校初日、いきなり告白した挙げ句、手紙まで渡したのだ。その最後のシーンだけを見てしまった美津子は、通の顔を見ようとしない。彼女自身、通が手紙を素直に受け取った事がショックだった。口ではどれほど「あんな奴」とか言っていても、美津子は間違いなく通の事が好きなのだ。それだけは包み隠しようもない事実である。
「全く、何て事言っちゃうのよ、美津子ってば」
親友の宮田香が呆れて言った。美津子は階段の踊り場で顔を合わせた瑠璃佳に、
「大田先輩が、矢田先輩の彼女なんですか?」
と尋ねられ、
「違うわ。私はあんな奴の彼女じゃない。只の幼馴染」
と言ってしまった。その上、瑠璃佳の、
「では、矢田さんと私が付き合うの、構わないんですよね?」
という更なる質問にまで、
「私には関係ない。お好きにどうぞ」
と言ってのけた。それを聞いていた香はあまりに強情な美津子に驚いてしまった。
翌日の下校時の事。
「知らないぞ、矢田君盗られても」
香が脅かすように言っても、
「盗られるも何も、別にあいつは私の彼でも何でもないし」
美津子は全く取り合わない。香はニヤッとして、
「なーるほど。自信があるのね」
「何が?」
美津子は親友の嫌らしい笑みに気づき、ムッとする。
「あんな小娘になびくような通じゃないわって思ってる」
「何言ってんのよ! 妄想が激し過ぎるわよ、香」
美津子はプイと顔を背けて歩き出す。
「じゃあさ、この学園一の美少女の私を捨てて、転校生に鞍替えしたりしないわって思ってる」
「あんたね!」
靴を下駄箱から出しながら、美津子は香りを睨みつけた。香は笑って、
「心配ないわよ、美津子。矢田君は何を言っていても、貴女の事が好きなんだから。大丈夫」
「別にあいつに好かれたくなんかない」
美津子は靴を履き、玄関をスタスタと出て行く。香も慌てて靴を履き替えて追おうとするが、
「待ってカオリン」
と信一に呼び止められた。香は信一を見上げて、
「信ちゃん、いいの、放っておいて?」
「今は何を言っても反発するだけだよ。もう少し冷却期間を置かないと」
信一は歩き去って行く美津子を見て言った。
「そうかなあ」
香は不満そうに腕組みした。
矢田通に告白した転校生の話は、中等部にまで伝わっていた。
通の舎弟を自認する大山大は、驚愕していた。
「大丈夫なのか、その転校生? 姐さんにボコられたりしないだろうか?」
彼は妙な心配をしていた。「姐さん」とは美津子の事である。
当然の事ながら、通の妹の久美子も、その話を耳にしていた。
「変わった人もいるものね」
彼女は嬉しそうに笑った。美津子以外を好きになったりするはずがないとわかっているだけに、その転校生に対する兄の反応が見てみたいと思ったのだ。
「姉さん、大丈夫かなあ。ああ見えて、実はガラスのハートなんだよね」
美津子の弟で、久美子のボーイフレンドの晶が呟く。
「そうなの?」
久美子は意外そうな顔で晶を見た。
「でも、心配無用よ。お兄ちゃん、美津子さん一筋だから。それは妹の私が保証するわ」
久美子はニコッとして晶を見た。晶はその笑顔に赤面し、
「そ、そうなんだ」
と応じた。
そして、その矢田通。彼は下校時に瑠璃佳の待ち伏せに遭い、一緒に帰っていた。
「ご迷惑でしたか、私の手紙?」
瑠璃佳は通の半歩後ろを歩いている。通は前を向いたままで、
「迷惑じゃないけど。どうして俺なんだよ?」
「かっこいいからです」
瑠璃佳はニコニコして言う。通は苦笑いして、
「生まれてこのかた、かっこいいなんて言われた事ないぞ」
「大田先輩にもですか?」
瑠璃佳はニッとして尋ねた。通はピクッとしたが、
「あいつは関係ねえよ」
「そうですか」
瑠璃佳はますます嬉しそうだ。
「手紙、読んでくれました?」
「ああ」
通はあくまでぶっ切ら棒だ。瑠璃佳は顔を赤らめて、
「お返事は?」
と言った。通は立ち止まって瑠璃佳を見ると、
「沢本さんとは付き合えない」
「えっ?」
そんなストレートに断られると思っていなかった瑠璃佳はビックリした。
「やっぱり大田先輩が彼女なんですか?」
「違うよ。そうじゃない。君は昨日転校して来たばかりだろう? それをいきなり付き合って下さいって、いくら何でも非常識じゃないか?」
通の口から出ているとは思えないくらい当たり前の言葉だ。実は信一が考えてくれたのだ。
「そうですね」
瑠璃佳は悲しそうな顔をした。通はビクッとした。彼は女の子の涙に弱い。泣かれるとどうしていいかわからなくなってしまう。
(泣くなよ、絶対。話がややこしくなるから……)
通は心の中で祈った。
「わかりました。そうですね。矢田先輩の仰る通りです。私が軽率でした」
瑠璃佳は深々と頭を下げた。そして、
「では、お友達になって下さい。まずはそこから始めたいと思います」
「……」
全然メゲていない……。通は唖然としてしまった。
「ありがとうございました」
瑠璃佳は笑顔で手を振りながら、走り去った。
「解決してないよな……」
通はガックリと項垂れた。