その美少女、意地っ張りにつき
東京都の一角にある私立杉野森学園。幼稚舎から大学まであるマンモス校だ。
その高等部でちょっとした異変が起こった。
矢田通。宇宙人も倒したと噂の喧嘩バカである。その彼が、数ヶ月前、北関東にあるG県で、ある少女を助けた。彼女の名は沢本瑠璃佳。通にしてみれば、多々ある不良達とのバトルの一つに過ぎなかったが、瑠璃佳は違った。生まれて初めて、一見して不利な体格の男子が、五人の不良をあっと言う間に倒してしまうのを見た。そして、それは「吊り橋効果」も手伝って、瑠璃佳を勘違いさせたのかも知れない。事もあろうに、彼女は通に一目惚れし、父親の転勤を利用して杉野森学園に転入して来たのだ。
高等部がざわついた。矢田通の彼女は大田美津子。いつの間にか出来上がった伝説にも近い設定。通も美津子も、それを全力否定だ。しかし周囲は信じていない。只、通に思いを寄せる女子もそれなりにはいる。彼は女子に乱暴はしないし、下ネタを言ったりする事もない。今絶滅しかかっている「硬派」なのだ。だから人気はある。でも、美津子の存在が、女子達を躊躇させる。美津子は高等部でトップクラスの成績、スポーツも万能、人望も厚い。その上誰もが認める美少女でもある。その美津子が通の彼女だと信じられているので、他の女子達は決して通に告白したりしなかった。自分に勝ち目はないと思っているからだ。
「誤解なんだからね」
美津子は機会があるとそう言っているが、信じる者はいない。その設定を根底から覆したのが、瑠璃佳だった。彼女は転校初日にいきなり通に告白し、手紙まで渡した。女子にはそれなりに優しい通はそれを突き返す事なく、受け取った。悪い事にその一部始終を美津子が見ているのも知らずに。いや、見ているとわかったら、意地っ張りの通の事だから、嬉しそうにして受け取ったかも知れない。
「大変な事になりそう」
それを目撃した生徒達は、身を震わせたと言う。
「ねえ、沢本さん」
同じクラスの委員長が瑠璃佳に声をかけた。
「はい」
瑠璃佳は一刻も早くクラスに馴染みたいので、愛想良く応じた。
「貴女、二年生の矢田さんに告ったんですって?」
「あ、はい。それが何か?」
委員長があまりに深刻な表情なので、瑠璃佳は怪訝に思った。
「貴女は今日転校して来たばかりだから知らないのも仕方ないんだけど、矢田さんには彼女がいるのよ」
「え、そうなんですか? でも、手紙受け取ってくれたし、何も言われなかったですよ」
委員長は顔を引きつらせた。
「て、手紙も渡したの?」
「ええ。私、口下手なので、言葉でうまく伝えられないから、一生懸命考えたんです」
瑠璃佳はニコニコして言う。委員長は溜息を吐いて、
「今からでも遅くないから、矢田さんの所に行って、謝って来た方が良いわ」
「どうしてですか?」
瑠璃佳には意味がわからない。
「仮に矢田さんに彼女がいたとしても、告白するくらい構わないと思いますけど」
「……」
委員長は呆れてしまったようだ。
「私は忠告したからね。何があっても知らないよ」
彼女はそばにいた友人達と歩いて行ってしまった。
「どういう事なんだろう?」
瑠璃佳にはさっぱり訳がわからなかった。
一方、もう一人の当事者である通は、親友の竹森信一と話していた。
「美津子の奴、今日俺と目が合うと露骨に顔を背けるんだけど、どうしてだ?」
通は呆れるほど鈍感である。信一は肩を竦めて、
「今朝、沢本さんに告白されただろ? それを美津子さんが見てたんだよ」
「はあ? 意味がわかんねえぞ」
「全く、鈍感だな、通は」
信一は溜息を吐いた。
「ホントはわかってるんだろ、美津子さんの気持ち?」
「美津子の気持ち? 何の事だよ?」
通は顔を赤らめて尚も惚けた。
「美津子さんがどうして顔を背けるのか、わかってあげなよ」
「知るか!」
通は美津子を一瞥し、教室を出た。
「ほら、矢田君も気にしているよ」
美津子の親友で信一の彼女である宮田香が囁く。
「何? 何の事?」
似た者同士である。美津子も意地っ張りなのだ。
「美津子が顔を背けるの、矢田君が気にしているの。美津子もわかっててやってるんでしょ?」
「違うわよ。あいつの顔見ると、気分が悪くなるから、見ないようにしてるだけ」
美津子はそう言うと席を立った。
「あ、矢田君を追いかけるの?」
香が楽しそうに言う。
「違うわよ!」
美津子はムッとして大股で歩き出す。
「待って、美津子」
香が追いかけた。
「あ」
美津子は階段の踊り場に瑠璃佳が立っているのに気づいた。瑠璃佳は美津子を見上げて会釈した。
「大田美津子さんですね」
瑠璃佳は真正面から美津子を見ている。美津子はギクッとして踊り場まで下りて行き、
「そうだけど……貴女は?」
「私、今日転校して来た一年の沢本瑠璃佳です」
あの時、美津子は瑠璃佳を見たが、瑠璃佳は美津子に気づかなかったのだ。
「大田先輩が、矢田先輩の彼女なんですか?」
瑠璃佳の直球な質問に、美津子は狼狽えた。香も思わず唾を呑み込む。
やや間があってから、
「違うわ。私はあんな奴の彼女じゃない。只の幼馴染」
美津子はそれだけ言うと、
「じゃ」
と階段を駆け下りた。
「では、矢田さんと私が付き合うの、構わないんですよね?」
その背中に瑠璃佳が言う。美津子は立ち止まったが振り返らず、
「私には関係ない。お好きにどうぞ」
と言い、駆け去った。
「美津子!」
香は一瞬呆気に取られたが、瑠璃佳に微笑んでから階段を駆け下り、美津子を追いかけた。
「あっちゃあ。言っちゃったね、美津子さん」
階段の上から見ていた信一が呟いた。