第五章 一縷の望み
通とエンジェルは、医療施設の外に出ていた。
「天使女、その、あの、何だ、行くぞ!」
周囲に誰もいないのを確かめ、通は顔を真っ赤にしてエンジェルを見た。そして目を瞑る。
「……」
エンジェルは、美津子が二人のキスを見て失神した事を思い、躊躇した。
(ホントは、キスしなくても転移できるって知ったら、アタシは通に確実に殺されるわね)
真実を話すのはあまりにも危険度が大きいので、エンジェルは言うのをやめにした。
「行くよ、通」
「お、おう」
それでもエンジェルは通が好きなのだ。絶対に通と美津子の間に入ることなどできないとわかっているのに、彼の事を諦められないのである。
(これで最後にしよう。何としても、アスタロトをやっつける)
そんな思いもあったせいなのか、エンジェルのキスは今までで一番濃厚だった。
「フグフグ!」
通がもがいた。しかしエンジェルは構わずに続け、転移した。
「よし!」
通は転移が完了したのを確認すると、気合一発、飛翔した。今まで経験した喧嘩の、どれよりも壮絶なレベルの戦いを始めるために。
「通……」
香達が止めるのも聞かず、美津子は通を追いかけて来たが、すでに二人は飛び立った後だった。
(私、素直になるから……。だから、生きて帰って、通。そして、必ず、瞳ちゃんを助けてよ)
美津子は目を潤ませて祈った。
「さすがにあの状況の美津子をからかう事はできないわね」
香が言う。信一が、
「いつもあのくらい素直だといいんだけどね、美津子さんも」
「辛いよね。エンジェルさんの事だけじゃなくて、相手は矢田君の従妹なんでしょ?」
香は信一を見上げた。
「そう。しかも、ある意味恋敵だしね」
信一はいつになく真剣な表情で答えた。
「え?」
香は驚いた。それは知らなかったのだ。
「瞳さんは、ずっと兄の事が好きだったんです。だから……」
瞳の第一被害者の久美子が言った。晶も驚いて久美子を見ている。
「そうなんだ。美津子は知ってるの、それを?」
香は久美子を見た。久美子も香を見て、
「ええ。知ってます」
そう、美津子は瞳の第二の被害者だから。
「晶君は男の子だったから、瞳さんには可愛がられてたのよね」
久美子の何気ない一言に、晶はビクッとした。
(何か、僕だけ苛められていなくて、申し訳ない気がしてしまう……)
被害妄想な男である。
「む?」
瞳の姿をしているアスタロトは、前方から接近して来る者に気づいた。
「来たか、地球人め。もはやお前如きでは相手にならんぞ」
アスタロトはニヤリとした。
「私の相手はミカエル只一人。他は邪魔なだけだ」
そして通達もアスタロトを視認していた。
「瞳か? あのカマヤロウは……?」
通は周囲を見回した。するとエンジェルが、
『アスタロトは瞳ちゃんに転移してるよ。あいつ、瞳ちゃんを表に出して、あんたと戦うつもりだよ』
「何だと!? どこまで卑怯なヤロウなんだ、あのカマは!」
通は激怒し、加速した。
「一瞬で終わりにするぞ、天使女!」
『そう願いたいけどね』
エンジェルは、瞳の姿をしたアスタロトから、ミカエルにも匹敵しそうなパワーを感じていた。
(勝てるのかな、アタシ達は?)
通の強さは知っている。しかし、アスタロトは単体でも以前より強くなっていた。それに加えて、通と同じく超人化した瞳にアスタロトが転移したのだ。そのレベルアップは想像するだけで恐ろしかった。
「愚か者め。死にに来たか?」
アスタロトは通達に哀れみすら感じられるほど、自分達の勝利を確信していた。
「何!?」
通はそんな余裕たっぷりのアスタロトの隙を突き、凄まじい勢いで間合いを詰めた。アスタロトは一瞬対処に遅れた。
「おらああ!」
エンジェルが意志を支配し、瞳の顔を容赦なく殴った。
「ぐおっ!」
アスタロトは後ろに飛ばされた。
「おのれ!」
しかしダメージはほとんどない。その上、高速で傷が治癒する。
「何、あれ?」
エンジェルは、アスタロト達の転移が、通常言われているものと違うのに気づいた。
「やばいかもよ、通」
彼女は額に汗を滲ませた。
その頃、スピカ軍の総司令部では、ミカエル将軍がアスタロトの分析を急がせていた。
「アスタロトの転移は、通常のものとは違うようだ。何がどう違うのか、奴の放つエネルギーを解析し、エンジェル達の支援をする」
ミカエルはアスタロトの存在に脅威を感じていた。
(場合によっては、この私が出なければならんな)
彼は右の拳をギュッと握り締めた。
「今度はこちらから行くぞ、地球人!」
アスタロトは反撃を開始した。
「うわあ!」
いきなりエンジェルから意志を返された通は目の前に迫って来る瞳を見て後退りした。
「死ね!」
瞳の顔で、瞳の声で、アスタロトが襲い掛かって来る。わかっていても、通には反撃ができない。
「く!」
防御にも限界がある。
『通、反撃してよ! 防御ばかりじゃ、アタシの身体が保たないよ』
エンジェルが泣き言を言う。でもそれは真実だ。彼女もこのまま身体を破壊されたくはない。
「くそ!」
通は瞳から離れ、逃げ出した。
「待て、地球人!」
瞳の姿のアスタロトが、エンジェルの姿の通を追う。
『通!』
エンジェルが叫ぶ。通は、
「わかってるよ! でも、いくら中身はカマヤロウでも、姿は瞳だ。無理だよ、殴れねえ。交代してくれ」
『わかったよ』
エンジェルは通の意識を押しのけ、肉体を支配した。
「おらあ!」
キックが瞳の顔面を襲う。
「きゃあああ!」
瞳の声でアスタロトが悲鳴を上げる。
『やめろお、天使女ァッ!』
通はわかっていながらも、止めに入ろうとする。
「ダメだよ、通。このままずっとこんな事を続けられないって!」
通は強制的にエンジェルと入れ替わった。
「わかってるよ、わかってるけど!」
誰よりももどかしく思っているのは通自身なのだ。
「やい、天使女、あのカマヤロウと瞳を引き離す方法はねえのかよ?」
『そんな方法があったら、実践してるわよ!』
エンジェルも苛ついていた。
(アスタロトめ。どこまでも卑怯な奴……)
エンジェルはここまで通を苦悩させているアスタロトの狡猾さに腹が立った。
「通兄ちゃん、アスタロト様のために死んで!」
瞳がニヤリとして通に向かって来る。
「瞳、そんな奴と一緒になるな! お前は、お前は!」
通はそれでも瞳の攻撃を防御するだけで、反撃をしなかった。
「ぐあああっ!」
通はまともに正拳を食らい、吹っ飛ばされてしまった。
(でも妙だ。もし、アスタロトが、計算上の力をそのまま出しているのなら、私達がここまで耐えられるはずがない。どういう事?)
エンジェルは、その事が気にかかっていた。
ミカエルの命令で解析を進めていた技師達が、遂にその謎を解いた。
「判明しました。エネルギーを解析したところ、三回の輸血をしたものとの結果が得られました」
「三回?」
ミカエルは技師の一人を見た。技師はミカエルを見て、
「はい。まず最初にアスタロトの血を地球人の少女に輸血し、反応が出るのを待ってアスタロトに少女の血を輸血します」
「何と……。そのような方法、危険ではないのか?」
ミカエルは、アスタロトの執念を感じた。
「はい。場合によっては、拒絶反応で死に至る可能性もあります。その危険性を知りながら、更にアスタロトはその血をもう一度少女に輸血したのです」
ミカエルの右手が震えた。
「何という事を! 何という事をしたのだ、あの男は!?」
ミカエルはモニターに映る通達の戦いを見た。
「私が出る。もはやこの戦いは、正当なものではない」
「しかし、閣下……」
技師達は驚愕して意見した。しかしミカエルは、
「すぐにサタンにも救援を要請しろ。アスタロトはアークツールス軍の敵でもあるはずだからな」
「は、はい」
彼等はミカエルの迫力に気圧されて、返事をした。
「エンジェル、撤退しろ。そいつはすでに化け物だ。私が戦う」
ミカエルはエンジェルに呼びかけた。
「それはやめてくれ、ミカエルさん」
通の声が答えた。ミカエルはハッとしたが、
「通か? もうその少女は、お前の知っている地球人ではない。アスタロトの道具となってしまったのだ。私が倒す。お前は撤退しろ」
「やだね。この喧嘩は俺が売られたものだ。相手が誰だろうと、俺がケリを着ける。邪魔はしないでくれ」
「……」
ミカエルには、通の辛さ、悲しみ、怒り、決意がよくわかった。
「了解した。但し、少しでもお前が危ない時は、出るぞ」
「ああ」
ミカエルはフッと笑った。
「どこまでも計測不能な男だ」
エンジェルは呆れていた。ミカエルの言葉をはねつけ、まだ戦おうとするこの喧嘩バカは、一体何を考えているのかわからなくなった。
(でも、一つ気になっている事がある)
エンジェルはそれを通に伝える事にした。
『アスタロトの強さは、こんなものじゃないはずなのよ。何故か、力を出し切れていないの』
「どういう事だ?」
通は攻撃をかわしながら尋ねた。
『これは可能性の問題なんだけど、もしかして、瞳ちゃんの意志が、アスタロトの力を抑えているんじゃないかしら?』
「ああ? わかりやすく説明しろ」
通は苛ついて怒鳴った。
『つまり、瞳ちゃんは貴方と戦いたくないと思っているかも、という事よ!』
エンジェルの言葉に、通はハッとした。
「瞳はまた、完全にカマヤロウに支配されている訳じゃねえって事か?」
『その可能性があるってだけよ。そう断言するにはデータが少な過ぎるわ』
「そんな理屈はどうでもいい! その一点に賭けて、瞳を助けて、カマヤロウをぶっ飛ばす!」
通は瞳に突進した。
「何!?」
いきなり向かって来た通に驚き、アスタロトは後退した。
(何だ? こいつ、急に戦闘計数が上昇したぞ?)
アスタロトは前回、不可解な通のパワーアップで敗北しているので、そのトラウマが甦りかけた。
「こいつ、まだ何かあるのか?」
アスタロトは警戒し、通から離れた。
「俺はできるだけ時間を稼ぐ。その間に、いい方法を考えろ、天使女」
『えーっ? 一緒に考えてよ、通』
エンジェルが泣き言を言うと、通はニヤッとして、
「俺は考えるのは苦手だ。任せた」
と言い放った。
『全く、勝手なんだから。わかった、何とか考えてみるよ』
「頼んだぜ、天使女」
通はアスタロトが距離を取ってくれた事に感謝していた。
(待ってろよ、瞳。何としても、お前は助けるからな)