第一章 アスタロト現る
通は、エンジェルが現れたのを鬱陶しく思っていたが、それを口にする事はなかった。彼は決して女が苦手な訳でも、気遣いができない訳でもない。以前、別れ際にキスされた事も覚えているし、美津子がアスタロトに監禁された時も、命がけで助けようとしてくれたのも忘れてはいない。。だから、彼は、それなりにエンジェルに恩義を感じているし、エンジェルが自分の事をどう思っているのかも理解している。
「そう言えばさ、他のみんなは元気?」
「他って?」
通はそれでも素っ気ない態度だ。彼なりの照れ隠しである。
「美津子ちゃんと香ちゃんは元気なのはわかってるけど、久美子ちゃんは元気?」
「元気だよ。会ってくか?」
通が言うと、エンジェルは苦笑いをして、
「会いたいけど、私が会うと迷惑かかるからさ」
「何言ってんだ、今でも十分迷惑だよ」
「ひっどーい」
知らない人が聞けば、カップルの会話にしか聞こえない。
「久美子ちゃんは元気ですよ。今では中等部で一番強いかもね」
「へえ。血は争えないって奴?」
エンジェルが楽しそうに言うと、
「俺が守り切れない事もあるからって、あいつが勝手に格闘技を習い始めたんだ。でも筋はいい」
「そうなんだ」
エンジェルはニコニコしていたが、
「えっ?」
「どうした、天使女?」
通が眉をひそめて尋ねる。エンジェルは通に「天使女」と呼ばれた事に突っ込むのを忘れるほど驚いていた。
「うそ、アスタロトがすぐそばにいる」
「何?」
通と信一はサッと背中合わせになり、周囲を見た。
「こっちだよ」
エンジェルが走り出す。
「おいおい、そんなに近いのか?」
「うん、すぐそばだよ」
通と信一は顔を見合わせてからエンジェルを追いかけた。
「あ」
通は角を曲がったところで思わず立ち止まった。前から美津子達が走って来るのが見えたからだ。
「美津子ちゃーん! 香ちゃーん! 久美子ちゃーん! お久ーっ!」
エンジェルは事情を知らないので、大喜びで手を振る。
「あ、エンジェルさん、ちょうど良かった!」
「は?」
エンジェルはキョトンとした。美津子はゼイゼイ息をしながら、
「またあの変な連中が現れたのよ! 瞳ちゃんが連れて行かれて……」
「何!?」
通が会話に割り込む。
「どうして瞳が?」
「わからないわよ!」
二人は「絶交した」のを忘れて話していた。
「居場所わかるか、天使女?」
通がエンジェルを見る。エンジェルは、
「まだ三次元にいるよ。こっちだ!」
とまた駆け出した。通はそれに続いて、
「信一、美津子達を頼む!」
「了解」
信一は敬礼で応じた。
「あのカマヤロウ、何考えてるんだ?」
通は走りながら思った。
二人は程なく河川敷に出た。以前美津子が連れ去られた場所だ。
「あそこ!」
エンジェルが指差す。河川敷に瞳が倒れているのが見えた。
「瞳!」
通は瞳に向かって走り出す。
「あ、通!」
エンジェルは、この何も考えない男の行動を呆れ、後を追った。
「瞳、大丈夫か!?」
通は瞳を抱き起こした。
「あ、通兄ちゃん……」
瞳は薄らと目を開けた。
「良かった、何ともないのか?」
「うん。待ってたよ、通兄ちゃん、兄ちゃんが来るのを……」
瞳はガバッと通に抱きつく。通はビクンとしたが、
「お、おう。もう大丈夫だ」
「うん。私はもう大丈夫」
通に抱きついている瞳の腕の力が突然強力になった。
「ぐう!」
通はその力に仰天し、
「瞳、いてえよ、そんなに締めつけるなよ」
と振り解こうとした。その言葉にエンジェルが、
「通、おかしいよ! 地球人の女の子が、いくら力を入れたって、あんたが痛いなんて思うわけないよ!」
「あ!」
通はエンジェルの言葉にハッとした。
「そう、私は大丈夫だけど、兄ちゃんは大丈夫じゃないよ!」
「ぐおおおお!」
更に瞳の腕が通を締めつける。
「通!」
エンジェルが駆け寄ろうとすると、アークツールス人の兵士が現れた。
「く!」
エンジェルと兵士の戦闘が始まる。
「やめろ、瞳……。今なら冗談ですませてやるよ……」
通は瞳を睨みつけた。しかし瞳は、
「やーよ。通兄ちゃんは私のもの。美津子姉になんか渡さないんだから!」
「何だと!?」
通は瞳の腕をようやく振り解き、彼女から離れた。
「兄ちゃん、私と付き合ってよ。私、美津子姉よりずっと前から、兄ちゃんの事好きだったんだよ」
瞳は急に涙を目に浮かべて話した。
「瞳……」
通は一瞬気を抜いてしまった。
「だから、私のために死んで、通兄ちゃん!」
瞳の顔が鬼のような形相になり、バッと通に近づいた。
「グオッ!」
瞳の正拳が、通の鳩尾に入った。
「ううう……」
「通!」
エンジェルが兵士を片付けて、瞳に蹴りを見舞った。
「何してるの、通!?」
エンジェルはうずくまる通を抱き起こした。
「つまらんな、その程度では」
「!?」
その声に通とエンジェルはビクッとし、声の主を見た。
「久しぶりだな。今度こそ、貴様を虚空の果てに送ってやるぞ、地球人」
そこには、アスタロトが立っていた。以前よりパワーを漲らせて。
「カマヤロウ、てめえ、瞳に何をした!?」
通はエンジェルの支えを振り払って怒鳴った。アスタロトはフッと笑い、
「わからんのか、その女がどうしたのか?」
エンジェルが先に気づいた。
「そうか、あんた、通と同じ事を!」
「ほう、察しがいいねえ、スピカ人のくせに」
アスタロトはエンジェルを見た。
「スピカ人のくせには余計よ!」
エンジェルはカッとなって言った。アスタロトはそれを無視して、
「さあ、瞳、私と一緒に来るのだ」
「はい、アスタロト様」
瞳はスッとアスタロトに寄り添った。
「てっめえ!」
通がアスタロトに突進した。
「ここで待っている。この女を返して欲しければ、必ず来る事だ」
アスタロトはそういい残し、瞳を伴ってテレポートしてしまった。
「くそ!」
通は地団太踏んで悔しがった。エンジェルはアスタロトがいた場所に落ちている一枚のカードを拾った。
「これは、五次元の座標軸……」
「何だ、それ?」
通が覗き込む。
「奴の居場所よ。ここにアスタロトがいる」
エンジェルがそう言うと、
「よし、すぐ行くぞ、天使女!」
「アタシはエンジェル! その呼び方、やめてよね」
通は苛立っていた。
「うるせえよ! とにかく、早く行くぞ!」
「ほう。そんなに私とキスしたいんだ、通?」
エンジェルの言葉に、通はその時の事を思い出した。
「ま、ま、また、あれやるのか!?」
通は真っ赤になった。エンジェルはいたずらっぽく笑って、
「大丈夫よ。すぐすむから。今日はギャラリーもいないしね」
「お、おい……」
エンジェルは妙に色っぽい顔で通に近づいた。
「お前、この緊急時にだな……」
思わず後ずさりする通。
「何勘違いしてるのよ。キスして転移しなきゃ、五次元に行けないでしょ!」
エンジェルはガバッと通に抱きつき、
「では、いただきます」
「うわあああ!」
ブチュッと音がして、二人の唇が触れた。途端にエンジェルが輝き出し、通に溶け込む。そして通が輝きだし、エンジェルの姿に変わった。二人は一つになり、強大な力を得たのだ。
「おおお……」
通は久しぶりに自分のパワーが上がったのを感じた。
「え?」
ふと気づくと、唖然として自分達を見ている美津子達がいた。。
「うわ!」
通は仰天した。
『おい、美津子達に見られたぞ』
通は自分の中のエンジェルに言った。エンジェルは、
『別に見られてもミカエル様に罰を受けたりしないから安心して』
『そういう事じゃなくてだな……』
『何よ、美津子ちゃんに見られると困るの、私とのキス?』
『べ、別にそんな事はねえよ!』
エンジェルは心の中で笑った。
「お、おう、これから、瞳を助けに行って来る! じゃあな!」
そう言うと、エンジェルの姿の通はテレポートした。
「今、お兄ちゃん、エンジェルさんと……」
久美子がそう言いかけたのを、信一が止めた。
「おっと、変な詮索はなしね」
でも美津子は固まったままだ。
「信ちゃん、美津子がフリーズしてるわ」
香が美津子の反応がないのを確認して言った。
「再起動まで時間かかりそうだね」
その様子を見て信一が答えた。
「お兄ちゃん……」
久美子は通が消えたところを見て呟いた。