そのお嬢様美少女につき
杉野森学園高等部。その二年の男子生徒である矢田通は、東京ばかりでなく神奈川までその悪名と凶暴さが鳴り響く喧嘩バカである。
そんな矢田通にも、小学校以来の親友がいる。その男の名は竹森信一。喧嘩一筋の通と違い、信一は学問に秀でており、杉野森学園中等部にトップ合格し、その後も学年トップを現在まで守り続けている。何故彼が通と親友なのか、知る人は少ない。
信一は、チビッ子の通と違い、高身長でイケメン、その上スポーツ万能だ。そのため、高等部はもちろんの事、中等部、近隣の女子達を魅了している。ある時期まで、高等部の女子は、喧嘩バカ通派と万能王子信一派に分かれたほどだ。
ある日信一は、恋に落ちてしまう。杉野森学園創業者の一族にあたる宮田産業のトップである宮田光夫の愛娘、宮田香。彼女はまさに「深窓の令嬢」と呼ぶに相応しい気品を漂わせていた。病気がちで、あまり登校できない香は、中等部以来の親友である大田美津子の助けもあり、徐々に登校できるようになっていた。そんな香に、信一は劇的な恋をしたのだ。
「守ってあげたい」
信一の騎士道精神が炸裂した。確かに香は見るからに儚そうで、支えてあげないと折れてしまうのではないかと思わせる容姿である。
「香さん、僕と付き合って下さい」
ストレートな信一は、いきなり告白した。香は最初は驚いた様子だったが、
「私のような病弱な女の子でも宜しければ」
と承諾した。
恋は凄い。信一も香に恋したのだが、香も信一に落ちてしまった。そして彼女はどんどん健康になり、通常の生活に支障を来たさないほどに回復した。これには父親である光夫と、母親である小百合も驚き、信一を自宅に招いて感謝し、夕食を共にしたくらいだ。
二人はまさに杉野森学園のベストカップルとなった。信一に憧れていた女子達も、最初は香に嫉妬し、随分と意地悪な言動をした者もいた。しかし、それも時を追う毎に鳴りをひそめた。香を好きな男達は、最初から信一には勝てないと思っていたので、そちらは何も支障はなかったが。
そんな二人の恋は、順風満帆に見えた。だが、ある障害が現れたのだ。
香が幼い頃に遊んだ幼馴染の牧村宗太郎である。彼は杉野森学園創業者の安本玄三郎の次男である誠の息子である。創業者一族だという事を鼻にかけている、まさに鼻持ちならない男だ。
「香は僕の許嫁だ。誰にも渡さない」
彼は金の力と親の力に物を言わせて、裏社会の顔役に信一をボコボコにしてくれるように頼んだ。
「これで香は僕のものだ」
昭和の昔のような愚かな発想の男である。
そしてある日の夕方。信一と香は、いつものように一緒に下校していた。二人は帰り道、公園で少し休んで話をしてから帰るのが日課だった。そこに、ドラ息子の宗太郎の依頼を受けたその筋の連中が五人、信一と香の前に現れた。
「どちら様ですか?」
生まれついての紳士である信一は、誰に対しても物腰が柔らかだ。するとその筋の人の一人が、
「悪い事は言わない。宮田香さんと別れろ。香さんには、牧村宗太郎様という許婚がいらっしゃるのだ」
「はい? 仰っている意味がわかりませんが?」
信一はにこやかな顔で尋ねた。するとそいつらのリーダー格の男が、
「質問は許さない。別れろ」
「何ですの、あなた方は!? 失礼ですわ!」
香が怒って言い返す。すると信一が、
「カオリンは下がってて。この人達は、僕に用があるらしいから」
香は信一の真剣な顔を見てその場を離れた。
「嫌だと言ったら、どうなさるおつもりですか?」
信一はニッコリ笑って言った。
「身体に教えてやるんだよ!」
五人が一斉に信一に襲い掛かった。
「きゃあああ!」
香は信一がやられてしまうと思って叫んだ。しかし、やられたのは五人の方だった。
「グエエエ」
皆、腹を押さえてのた打ち回っている。信一は仮にも矢田通の親友である。喧嘩が弱いはずがない。
「つ、つええ……」
五人はよろけながら逃げ去った。
「手加減しましたが、お医者様に行った方がいいですよ」
信一はそう言って手を振った。
五人は組事務所に戻り、事情を説明した。
「何だ、てめえら! 情けねえぞ、全く!」
組長が怒鳴り散らした。
「たかが高校生一人を相手に、何してやがる」
「そ、それが、偉く強くて……」
言い訳する組員に、組長は切れた。
「どこのどいつなんだ、そのガキは!?」
「た、竹森信一って言います。杉野森学園高等部の二年です」
組員がそう言うと、あれほど息巻いていた組長の顔が蒼くなった。
「た、竹森ィ!?」
「どうしました、組長?」
組長の顔色の悪さに、組員は尋ねた。組長はガタガタ震えながら、
「ば、バカヤロウ、その人は、矢田さんのお友達だよ!」
「え?」
矢田という名前は、その筋の人達には悪魔に匹敵する恐怖の名前である。
「あわわわわ……」
とんでもない人に関わってしまったと、組員達も蒼ざめた。
「最上級の菓子折り持って、すぐ詫びに行け! このままだと、ウチの組が矢田さんに潰されちまうぞ」
組長は大声で指示した。組員達も転がるように事務所を出て、お菓子屋に走った。
信一と香は、ちょうど公園を出たところで組員と会った。彼らは地面に額がめり込むのではないかというくらいの土下座をし、菓子折りを渡すと、
「この事はどうか矢田さんには内密に」
と言い、逃げ去った。
「凄いのね、矢田君て」
香は笑って言った。信一は肩を竦めて、
「こんな事しなくても、通には言わないのにね。あいつに話したら大喜びで組潰しに行くだろうから」
「そうね。例えどんなお詫びがあっても、矢田君には関係ないわよね」
「そうそう」
結局組員達の奔走は全く無駄だった。
そしてその日の夜。
吉報を待っているドラ息子宗太郎に、香が来たとメイドが告げた。
「そうか」
早速俺に会いに来たか。どちらが大物か、わかったのだろう。宗太郎はニヤニヤして香の待つ居間に赴いた。
「おお、香。待っていたよ」
大袈裟な仕草を交え、宗太郎は香に近づいた。
「宗太郎さん、私、貴方に贈り物がありますの」
香は満面笑顔で言った。宗太郎は気取ってフッと笑い、
「そう。何かな?」
と間抜けな顔で尋ねた。そこへ飛んで来た、香の平手。
「いってえ!」
宗太郎はそのまま床に倒れてしまった。
「今度あんな事したら、この程度ではすみませんから、よく覚えておいて下さい」
香はそう言い残し、屋敷を出た。宗太郎はショックで失禁までしてしまった。
宗太郎はもう一度裏社会に依頼をしたが、どこも受けてくれなかったのは言うまでもない。
「お帰り、カオリン」
屋敷を出て来た香を、信一が出迎えた。
「只今、信ちゃん」
香は笑顔で答えた。そして、
「あの人、執念深いから、また何か仕掛けて来るわ」
「大丈夫だよ。その筋の方々は、もう絶対来ないから」
信一は笑って言った。香も笑って、
「凄いのね、矢田君効果って」
「そうだね」
二人は腕を組んで歩いて行った。