5
建物の中に入ると、極彩色の光が床に落ちていた。
計画性のない建物の乱立で産まれた小路を通ってきたけど、小路で日の輝きが分かるのは狭い空しかなかった。
この建物の中には鮮やかな陽だまりがあった。
「屋根に硝子?」
教会のステンドグラスの縮小版が、建物の屋根の中心に嵌め込まれていた。
複雑な色をした光の束を降り注ぎ、石造りの床が花園のように輝いた。
「綺麗ね」
「お嬢ちゃん、お目が高いね。この天窓は候国一の職人の芸術品さ」
サウロが言った。
「へえ、親方の作品なの?」
私が言うと、
「違う。俺のだ」
「お前のかよ」
ラウルが笑窪を絶やさずに言った。
「そうだ俺のだ。悪いか」
「雨の日は雨漏り三昧だ。未熟者め」
親方がいうと、
「それは屋根との納まりが悪いだけだよ。親方」
「嵌め込んだのは、お前じゃないか」
「俺は大工ではない」
サウロは胸を張って言った。
親方は深い溜息を吐いた。
「ところで何のようだ。その美しいお嬢ちゃんと何か関係が?」
ラウルがサウロに修行のたびに同行したいと言って、すぐに出発して欲しいと言うと、
「何で、俺がそんなことしないといけないの?」
当然の疑問だった。
私が候国の令嬢とは言えない、私の代わりの『私』が何をするか分からないけど、『私』の正体が明らかになる種を放って置くはずが無かった。
サウロに協力してもらうとしても、知らず知らずのうちに協力してしまった――という話の流れにしたかった。
「ノーヴィザンチに行くまでで良いんだ」
「そんな事を言っても、ほとんど用意をしていないしさ」
「用意が無いのは旅費だけだろ。遊ぶ金と言う名の旅費」
親方が指摘すると、サウロは頭を掻いた。
親方の視線は私の顔に止っている。
気付かれたかな?
でも、この人なら大丈夫――という感覚があった。
直感には何の理由も無いけど、何故か信じられる気がした。
「せっかくの旅なんだから、少しぐらい遊びたい……」
「報酬なら」
私が宝飾品を出そうとすると、ラウルが止めた。
「サウロ、俺はお前にいくつも貸しがあるだろ?」
「星の数ほどあるな」
「旅をするフリをして、ノーヴィザンチに一緒に行くだけで良いんだ。頼むよ」
サウロは浅く頷いた。
「ああ、分かった。色々あるんだな。事情は聞かないよ」
「ありがとう」
「親友だろ」
サウロの底抜けの明るさと、ラウルの抑制された笑い顔が印象的だった。
サウロは動くと早く、ある程度の準備をすると、旅装を整えた。
「早いな」
「急いでいるんだろ」
サウロはすぐに城下町の騒々しさに気付いた。
私の顔をチラリと見ると、満面の笑みを浮かべた。
「な、何?」
「彼氏はいますか?」
ラウルがサウロの後頭部を小突いた。
「止めろ」
「良いじゃん。相手がいないなら俺にもチャンスはあるだろ」
「だから止めろって」
幼馴染の二人の会話は弾み、私は会話に入れなかったけど、仲の良い雰囲気が心地良かった。
「そうだ。何か武器を持って来てくれたか?」
「あのなぁ、さっきも言ったけど、俺は商人だよ。あるのは台所から持ってきた使い古しの包丁ぐらいだよ」
ラウルが受け取ると、
「ありがとう。使ったら返すよ」
「いらないよ。嫌がらせか?」
「返しに、会いに行くって意味だよ」
ラウルは立ち止まって踵を返した。
「さすがだな。音をたてずに追っていたのに気付いたか」
大男が三人が真っ黒なインバネスコートを着ていた。
特徴の無い姿をしているので、誰の手のものか分からなかった。
三人の後ろから喪服の男が歩いてきた。
「おい、ラウル。そんな調理道具で俺と戦うってか?」
「お嬢様、お逃げください。あの男は私でも少し荷が重いです」
ラウルがサウロに目配せすると、サウロは私の手首を掴んだ。
「行こう。お嬢ちゃん」
「ラウル……」
殺さないで――と言おうと思ったが、口から出て行かなかった。
ラウルは命がけだ。
そんな事を言ったら、ラウルの命の方が危ないかも知れなかった。
「料理人になった気分で戦いますよ。大丈夫です。命は奪いませんから」
「舐められたものだな」
私はサウロと一緒に逃げた。
あの男の顔には覚えがあった。
ラウルが皇帝の御前試合に行く前に、もう一人の候補として上がった騎士だ。
奥さんが亡くなって喪に服していると聞いていたけど、まだ喪に服したままだったようだ。
私は逃げ続けたが、三人の大男が追いかけてきた。
サウロは三人の男を引きつけて、別々の道を行った。
合流地点は決めていた。
城下町の東側にある植物園だ。
色んな花の混濁した香りが漂っていた。
すでに日は陰っていた。
サウロもラウルもまだ来なかった。
「ね……」
暗闇から誰かが話しかけてきた。
「誰?」
「誰なのかな」
女性の声だった。
いや、その声はいつも聞いている声だった。
私とそっくりな声が聞こえた。
「私よ。姉さん」
そこには『私』がいた。