10
私の男装は、全身から噴き出る汗に濡れていた。
「お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
サウロが振り向いた。
大きな荷物を担いでいるが、動きは軽やかだった。
色黒なのは元々ではなく、修行の旅に向けて足を鍛えていたからだ。
山を歩きに歩いていたため日焼けして黒くなった。
一方の私は――
足が痛い、
背中が痛い、
肺が痛い、
息が苦しくて頭が痛い。
陽に焼けたことの無い肌がほのかに赤くなった。
「自分の非力さに愕然としています」
運動不足だった――慢性的というより常習的な生活態度の結果、数分毎に自らの人生の運動不足を呪っていた。
この前、婚約者に連れられて夜通し歩いたときにはそれほど苦痛ではなかったが、気づいた時には足の裏は肉刺だらけになり、全身が筋肉痛になった。
しばらく眠りたい……。
道の端に積んである木の葉の山に飛び込みたかった。
「少し休んでいただけるとたいへん助かります」
木の葉の山に飛び込む誘惑を押し殺し、大きな石に腰をかけて、鞄を下ろした。
ふー、至福の時。
全身から疲れがとれるようだ。
これで何度目の休憩だろう。
サウロは嫌な顔もせずに休んでくれる。
なんて良い人だ。
サウロは黙々と地図を見て道順を考えている。
普通の道は危険なので歩かず、地元民にしか分からないような道を歩いている。
あまり知られていない道を知っているのは、修行の旅に出る前の徒歩訓練のお陰なのかもしれない。
「すみません……」
「気にしないで。俺はラウルと約束を守っているだけだから」
人の善意が心に沁みた。
ううっ……と心の中で涙を流していると、遠くで変な音が聞こえた。
何だろう……。
サウロが何も言わなかったけど、音のするほうが気になったので近づいてみた。
「動物かもよ」
「そういう音とは思えないけど」
水に何かが落ちる音のようだった。
しばらく歩いていると、水の音も聞こえた。
そうして川面に浮かんでいる彼を見つけた。
彼はラウルと戦ったはずだ。
どういう経緯があったか分からないが、黒い喪服を水に遊ばせ、所々鮮血に染まった生地が花のようだった。
私は川に飛び込むか迷った。
寒い、絶対寒い、これ寒いやつ、というか私泳げるのかな、泳げないかもしれない、溺れて死ぬか、凍えて死んでしまう……私はぷるぷるして飛ぶ込むか迷っていると、サウロが横を走って通った。
「俺が飛び込むよ」
サウロは彼を担いで川から上げた。
「駄目だね。息をしていない」
「待って」
私は書物で読んだ蘇生術を思い出して――。
サウロに彼を横たわらせた。
指で心臓の位置をなぞり――、
うぉりゃっ!
胸に拳を叩きつけた。
「うわっ! 何しているの。死体にそんなことしちゃあ駄目だよ」
「蘇生術」
うぉりゃっ!
うぉりゃっ!
……やだー拳超痛い……。
心臓も動いていないし、この方法であっているのかしら?
……でも、やるしかないっ!
「全然駄目だけど」
私は思い出した。
人工呼吸もしなければいけないのだ。
……人命救助のためだ。
彼の唇を口で覆って、一気に空気を入れた。
そして心臓を叩いた。
サウロと何回か交代しながら続けて、彼はやっと眼を覚ました。
サウロが彼の右手首を布で縛った。
彼は右手の指の自由が効かないようだ。
「どこかの街へ行って治療に行ったほうが良い」
「分かっているが……」
彼は街へ行きたくないようだ。
大怪我したこともあり何か理由があるのだろう。
「お嬢ちゃん、俺が背負っていた荷物を持ってきてくれないか。さっきの場所にあるから」
サウロは川に飛び込む前に荷物を置いてきたようだ。
どこにあるか道を戻ったが、荷物は無かった。
靴跡以外に、動物の足跡があった。
周囲を見渡すと、サウロの荷物を咥えた犬がこちらを見ていた。
野犬もしくは狼――漆黒の毛並みが美しかった。
恐怖もあったけど、その美しさに見蕩れてしまった。
戻ってサウロにその事を告げると、
「ああ、マズイな。それはマズイ。貴重品は全部あの荷物に入れていたんだ。どうにかして取り返さないと。旅の途中で野垂れ死にだ」
「取り返すにしても……追いかける?」
「どっちへ行ったの?」
サウロが地図を広げたので、私は指を差した。
「そっち方面には小さな村がある。駄目元だけどそっちへ向かおう。狼か犬が近くにいるなら、村人が何かを知っているかもしれない」
荷物の無くなったサウロは彼を担いで、犬の足跡を追った。
私は大事な荷物を担いで、サウロの後を遅れない様に歩いた。