世界はそんなに甘く無い
どれくらい気を失っていたのだろうか。
まだはっきりしない意識の中、ぼんやりと開いた目でゆっくりと辺りを見回す。
「ここ、部屋の中、か?」
確か気を失ったのは人気のない町はずれだったはずだけど、誰かが俺を運んできたくれたんだろうか。
「あ、目が覚めましたね。どこか具合が悪い所とかありませんか?」
現状が飲み込めず呆然としていると、部屋の扉が開いて外から一人の女性が入ってきた。
俺と同じような色の長い黒髪に、特徴的な赤い瞳。
彼女は俺を安心させるようにニコリと笑うと、ゆっくりと近づいてくる。
「びっくりしましたよ。この辺りに人がいるだけでも珍しいのに、倒れているんですもん」
言いながら女性は、俺が寝かされていたベットの近くにある椅子に腰掛けた。
「あなたが、俺をここに?」
「はい、放っておくわけにも行かなかったので」
「そっか、ありがとう。体調は大丈夫、ちょっと慣れない環境のせいで貧血になったみたいだ」
「そうでしたか。見覚えのない方ですし、最近こちらに来たんですね」
女性は納得がいったと何度か頷く。
「それにしても、あなたは私を気味悪がないんですか?」
その問いかけの意味がわからず、思わず首を傾げてしまった。
「なんで助けてくれた人を気味悪がるんだ?」
「えっと、わからないんなら大丈夫です。いまお茶を取ってきますので待っていてください」
俺の返しが意外だったのか、少し慌てるような様子を見せて女性はまた部屋を出て行く。
別におかしなことを言ったつもりはなかったんだけど、何か失礼なことを言ってしまったんだろうか。
「ていうか年頃の女の子と喋ったのとか何年ぶりだ……」
今更ながら緊張してくる。
心なしか頬も火照ってきた気すらしてきた。
これだからいない歴イコールはだめなんだと自分の頬を叩いて叱咤する。
なんてやりとりを一人でしながら、頭の中のどこか冷静な部分が、本当はわかっているだろと囁きかける。
こうやって女の子と喋って緊張した気になるのも、自分で自分にツッコミを入れてみるのも、さっきの出来事を考えないようにするためだと。
でも一人になれば、否応なく人を死なせてしまったという考えが頭の中を支配していく。
考えたところで仕方ないというのに、こんなに後を引くような性格だとは自分自身思っていなかった。
「とりあえず、あのメールの話は二度と誰にも言えねえな」
どこまで喋ったらアウトなのかわからないが、不用意な発言は控えなきゃいけない。
未来からのメールの扱いは、最新の注意を払わなければ。
「お茶持ってきました」
そんなことを考えているうちに、先ほどの女性が茶を持って戻ってきた。
「ありがとう。えっと……」
「あ、私はハンナって言います。あなたにもお名前、教えてもらってもいいですか?」
「俺の名前は天海樹、イツキって呼んでくれ。改めてありがとうハンナさん」
持ってきてもらってお茶をもらいながら頭をさげる。
「私もハンナでいいですよ。顔色、少し良くなってきましたね」
「おかげさまで。ちょっと気分も良くなってきたみたいだ」
普段は人と話すのが苦手だけど、今このときだけは喋る相手がいることに安心する。
落ち込み気味だった気分も、少しだけ戻ってきたように感じた。
「イツキさんは、この町にきたばっかりなんですよね」
「あぁ、今朝来たばかりだよ」
来たというより気が付いたら居たというのが正しいけれど。
「何か目的があってこの町に?」
そう聞かれて答えに詰まる。
なんでこんな場所に召喚されたかもわからないし、目的も今のところはない。
「いや、昔いたところに居られなくなって、偶然たどり着いたのがこの町だったんだ」
自分でも無理があるだろうと思うけど、思いついた言葉をそのまま口にする。
さすがに朝起きたら異世界にいましたなんてことを初対面の女の子に言う勇気はなかった。
「え、それじゃあ行く当てとかもないんですか」
「恥ずかしながら……。まぁどうにかして生活できるように頑張るつもり」
ただの引きこもり大学生だった俺が、日中強盗殺人なんか起きる世界で生きていけるのか不安でしょうがないが、やらなきゃ死んでしまう
「大変ですね……。あの、もし困ったら私の家を訪ねに来てください。ご飯とか、少しくらいなら助けてあげられるかもしれないので」
「本当に!?」
その言葉を聞いて、思わず身を乗り出してしまう。
不安だらけの異世界生活に、一筋の光明が差したみたいな気分だった。
「どうせ私の家に訪ねてくる人なんて他にいませんし、私も話し相手が欲しいので大歓迎です」
「いやでも、初対面の人をそんな頼り切るわけには……」
そう言いかけたとき、俺のお腹から盛大に音がなる。
思わずお腹を抑えるが、ハンナには聞かれてしまったらしい。
くすくすと軽く笑いながら、彼女は、早速ご飯を食べて行きますか? と提案する。
「えーと……、もしよければ、お願いします……」
「わかりました。じゃあ作ってくるので待っていてくださいね」
倒れているところを助けてもらった上にご飯までご馳走になるなんて罪悪感がすごいが、背に腹は変えられない。
ここでご飯にありつけないと、本当に食べれる当てがないし。
「餓死はしたくないもんな……」
というか、なんであの人はこんな親切なんだと、彼女が出て行った部屋の扉を眺めながら思う。
この世界の人はみんなあんな感じなんだろうか?
いやないな、屋台では追い払われたし。
「ここに来てようやく俺に都合のいい展開、か。遅すぎだろ」
そんな甘い考えは、ポケットの中で震えだしたスマホの振動でかき消された。
見たくない、という感情が溢れ出す。
思い出すのは、ついさっき見たおばさんの死体。
もう二度と、あんな思いをするのはごめんだった。
だけど、そんな意思に反するように指先はスマホのロックを解除し、メール画面を開いてしまう。
見てはいけないと頭の中で警鐘を鳴らすが、同時に、見なければきっと後悔するという思いもどこかにあった。
メールが送られてきた時間は、三日後の14時23分。
緊張で震える指で、送られてきた画像を開く。
「……なんで、だよ」
ようやく、この異世界で頼れるかもしれない人を見つけた。
最初の一歩を、踏み出せるかもしれないと思った。
ぽたりと、スマホの画面に雫が滴り落ちる。
知らぬ間に涙が溢れていたようで、赤黒い画面が少し滲んだ。
添付されていた画像には、今まさに俺がいるこの部屋、この場所で、無残に腹を切り裂かれて絶命しているハンナの姿が写っていた。