「空飛ぶ花」<エンドリア物語外伝64>
「ねえ、ウィル。私のこと、どう思う?」
アーモンド型の大きな瞳がオレの顔に近づいてくる。
柔らかそうなプラチナブロンドの髪。きめの細かい白い肌。
「私のこと、嫌い?」
真っ赤に塗られた唇が、艶々と光っている。
考えた。考えて、出た答えは。
「普通」
ブゥーーーー…
ブザーの音が頭の中に響いて、オレは目を覚ました。
「ウィル、大丈夫か?」
棺桶のような狭い箱に横たわったオレを、ガガさんが見下ろしている。
「ここは…………」
「忘れたのか、ドリームマシンだ」
言われて思い出した。
ガガさんに頼まれたのだ。新作のドリームマシンを購入したので、客に説明するために試してみてくれないかと。
「何があったんだ?」
ドリームマシンから出たオレに、ガガさんが聞いてきた。
「何って聞かれても………」
ドリームマシンとは名前の通り夢を見る為の魔法道具だ。好きな夢が見ることができるが、高額で貴族や富豪にしか買えない。
今回ガガさんが購入したのは、特殊なドリームマシンで夢の中で好きなタイプの女の子と恋愛できるというものだ。ようするに、疑似恋愛の機械だが、同じ女の子と長くつきあうのではなく、眠るたびに違う女の子がでてくる。そこで女の子とのつき合い方を学ぶ、恋愛入門の学習マシンの意味あいが強いマシンだ。
「眠ると、最初に女の子の趣味を聞かれたので『可愛い子』と指定しました」
「それだけか?髪の色などはきかれないのか?」
「身長や髪と目の色と、あとは好みのタイプだったかな、『どうしますか?』と聞かれたので『適当に』と答えました」
「『適当』は答えじゃない気がするが。それで、次はどうなった?」
「丸顔のふっくらとした顔で、痩せた女の子が出てきました。16歳くらいかなあ。可愛い子に分類されると思います」
「それで?」
「身体をくねらせて『名前が欲しいな』と言ったので『つけて欲しい名前がありますか?』と聞いたら、頬を膨らませて顔を近づけてきました」
「それで、どうなった?」
「『ねえ、ウィル。私のこと、どう思う?』と聞かれたですが、よくわからないので黙っていたら『私のこと、嫌い?』と聞いたので『普通』と答えたところで、目が覚めました」
ガガさんが頭を抱えた。
「信じられない」
「何か問題がありましたか?」
「そこを見てごらん」
指がさしたのはドリームマシンの右側面。そこにパネルのようなものがあった。点数が表示されている。
「……2点。これ、なんですか?」
「ウィル、君の恋愛力だ」
「低いですね。せめて、5点欲しいです」
「勘違いしていないか?それは100点満点だ」
100点満点の2点。
「店に帰ってもいいですか?」
「もちろんだとも。今日はゆっくり休んでくれ。手伝ってくれて、ありがとう」
ガガさんの店を出た。
日は西に傾き、夕暮れがアロ通りを覆っていた。人を縫うように歩きながら、キケール商店街を目指した。途中細道に入ったとき、オレは空をみあげた。
建物と建物の間から、間もなく消えようとしている夕暮れのたよりない光が差し込んでくる。
今日も店をのぞき込む女の子はたくさんいた。プレゼントが入り口にいくつも置かれていた。呪いつきや爆弾もまじっていたが、ほとんどがシュデル、残りがムー。オレへのプレゼントはひとつもなかった。
黄昏の空は赤みを徐々に帯びていく。どこまでも澄み切った空には、雲ひとつ見えなくて……。
「あれ?」
黒い点のようなものが見えた。すごい勢いで落ちてくる。
「わぁ!」
落下地点に滑り込んで受け止めた。
手に衝撃はない。
「……なんだ?」
オレの手の中で丸まって震えているもの。
赤ん坊、に見える。
身長が20センチほどで羽っぽいものがついていることをのぞけば、生後1年未満の乳児と呼ばれる人間に見える。
「どうしよう」
焦った。
赤ん坊の面倒をみたことはない。人間の赤ん坊ならば、フローラル・ニダウの奥さんとかパン屋のソフィアさんのところに駆け込めばいいが、この大きさだと人とは思えない。
「あっ!」
オレの店には、図書館の知識量、と、記憶と話せる、という人間ルールを無視した2人がいることを思い出した。
オレは赤ん坊のようなものを両手でそっとくるむと、店に向かって駆けだした。
「ムーさんを呼んできます」
シュデルが階段を駆け上がりながら、ムーを呼ぶ声が聞こえた。
「店長が見たこともない生き物を拾ってきましたよ。ムーさんが絶対見たことないですよ」
扉がバンと開く音がした。
「どこしゅ!」
シュデルのムー操縦法がうまくなった気がする。
「食堂です」
駆け下りてくるムーの足音。
「見せるしゅ!」
オレがそっと手を開くと、ムーが顔を近づけて目を細めた。
「わからないしゅ。調べるしゅ」
手を伸ばしてきた。
オレは慌てて手を閉じた。
「実験に使わないよな」
「研究に犠牲はつきものしゅ」
「この子は犠牲にするな」
「チィ、しゅ」
しかたなさそうに、テーブルに魔法陣を書き始めた。
いつもなら『テーブルに魔法陣は書くな!』と怒鳴るところだが、緊急の事態で両手も使えないので、見逃すことにする。
「店長、これどうぞ」
シュデルが柔らかそうなガーゼのハンカチを持ってきた。2枚重なっていて見るからに高そうだ。
「包んであげてください」
ハンカチを広げて、そっと包み込む。震えているが寒いわけではなさそうだ。それでも、包み込むと震えがとまった。
「置くしゅ」
直径約20センチの魔法陣の中心に、そっと置いた。
ムーが何かを唱えると空中に白い花が浮かび上がった。
「この花の精霊しゅ」
「なんて名前の花だ?」
「知らないしゅ」
シュデルを見た。
「僕は知りませんが、納戸にある青い薬草育成壺に植物学者の方の記憶がついていたと思います。いま、取ってきますので、少しお待ちください」
軽い足取りで階段を上がっていく。
ムーが魔法陣に浮かんでいる花を、ジッと見た。
「これ、ヨリパの花かも知れないしゅ」
「ヨリパ?」
聞いたことがない。
「ほら、ここ見るしゅ、根っこがあるしゅ」
丸っこい指の先に根のようなものが数本見える。花の下部から直接ででている感じだ。
「こいつが根なら茎と葉はどこだ?」
「ないしゅ」
「はあ?」
「ヨリパには葉っぱも茎もないんだしゅ」
詳しい説明を聞こうとしたオレは、赤ん坊がガーゼの中でまた震えだしたのに気がついた。
「魔法陣から出しても大丈夫か?」
「映像は、5分くらいは消えないしゅ」
オレはガーゼごと、そっと手のひらで包み込んだ。震えがとまった。
「手の暖かさがないと寒いのかな」
ガーゼの隙間からのぞいて、小さな顔を見た。顔色は悪くなさそうだ。
「持ってきました」
シュデルの手に青い薬草育成壺がある。
「はい、そうですか」
説明を聞いているのか、相づちを打っている。
「そうですか、確信はもてないのですね。わかりました。ありがとうございました」
育成壺に頭をさげるとオレに向き直った。
「店長、断定はできないそうですが、花はヨリパでその子はヨリパの精霊ではないかということです」
「ほら、ヨリパしゅ」
ムーが胸を張った。
「ヨリパというのは、どんな植物なんだ?なぜ、断定できないんだ?」
「ヨリパを一言で説明するなら、空飛ぶ花です」
「はあ?」
「一定数の種がまとまって上空に気流にのって旅をしているそうです。普段は冠毛がついた小さな種の状態で、条件が整うと種から直接花が出て、散って、種になる、を繰り返しているのです。気象の関係で極マレに地上に落ちることがあるそうですが、地上に落ちると、花は枯れてしまい種も発芽せずに死んでしまうそうです。ここに浮かんでいる花は、落ちた直後のヨリパの絵によく似ているということです」
「大変しゅ!」
「そうだな。空に戻すとなると大変だな」
「急がないとしゅ!」
「ああ、急がないと種が遠ざかるな」
「生きているうちにボクしゃんがバラバラに……」
オレのキックで、壁際に激突して転がった。
「何するしゅ!」
すぐに立ち上がる。
「ヨリパの精霊なら地上が苦手だろう。なんとか、空に戻せないのか?」
「勝手に落ちたんしゅ。ボクしゃんの実験………」
ムーの足元に包丁が刺さっている。
「すみません、手が滑りました」
笑顔のシュデルが包丁を引き抜いた。
青い顔のムーが口をパクパクさせている。
「店長、急いだ方がいいです」
「そうだよな、でも、上空にいるんだよな。どうやったら………」
オレはニダウに〔安定して高速で飛べる魔術師〕の知り合いはいない。
「上空まででよければ、店にある魔法道具で店長をあげることができますが」
「できるのか!」
「降りるとき、落ちるになりますが」
人形のような顔でシュデルが微笑む。
やりたくないが、早くしないと群からはぐれてしまう。
「わかった。通りだと通行人を巻き込むおそれがあるから、二階のオレの部屋から屋根に出る。それと………」
「わかっています。モルデ、おいで」
シュデルが魔法の鎖を呼んだ。店から飛んできた鎖は、シュデルが何も言わないのムーをグルグル巻きにした。
「なにするしゅ!」
「ムーさんがいないと店長が落ちてしまいます。一緒に行ってください」
「なんで、縛るしゅ!」
「逃げられないようにと、たぶん、店長は着水地点に海を目指すでしょうから、泳いだときに店長の首を絞めないようにです」
「シュデル、その通りなんだが、モルデは鉄製だ。海にいれると錆びるといけないから普通の縄に変えてくれないか?」
シュデルが不満そうな顔をした。だが、オレはモルデに縛られた状態のムーを連れて行きたくなかった。
鉄製のモルデは10キロある。ムーを背中に乗せて泳ぐのも大変なのに、モルデの重量までプラスされたくない。
「わかりました。普通の縄で縛りなおします」
そう言うと二階に駆け上がった。モルデがムーを縛ったまま、階段を器用に上がっていく。オレも続いて二階にあがる。
オレの部屋の窓から屋根に出た。日は西に沈もうとしている。
ガーゼに包まれたヨリパの精霊は微動だにしない。
「しっかりしろよ、もう少しで空に戻してやるからな」
生きていて欲しいと願っているオレに、下から縄が突き出された。
「ムーさんがついています」
片手で引っ張り上げると、荒縄でグルグル巻きになったムーが現れた。怒りで両頬がパンパンに膨れている。縄の端を腰に巻いて、きつく縛った。
オレの部屋からシュデルが大声で言った。
「店長、植物学者の方の予想では、ヨリパはニダウの上空では3000メートル付近を飛んでいるだろうということです。ココンの錫杖で3000メートルまであげます。スピードは徐々にあげますから、身体に負担はないと思います。3000メートル上空に着きましたら、そこに1分だけ待機できるようにしました。その間に用事を済ませてください。その後は落下になります」
「わかった」
返事が終わる前に身体が上昇し始めた。不思議な感覚だ。空気ごと包まれて上昇していく感じで、ムーの魔法で飛翔しているのとは違う気分の良さがある。
温度が下がり、空気が薄くなっていく。
上昇が停止した。
ガーゼのハンカチを少しだけ開いた。
ヨリパの精霊が目を開いていた。
「空の上だ。飛べないか?」
風に当たるように、ハンカチを全開にした。
精霊の小さな羽が動き出した。蜂のように高速で動くと、身体がだんだん薄くなっていく。半透明になり、見えなくなる寸前、ヨリパの精霊は飛び立った。
滞在時間が過ぎたのか、ゆっくりと落下し始めた。すぐにムーを小脇に抱え込んだ。
「あっちの方向だ」
「フライ、しゅ」
不機嫌全開のムーの魔法がかかる。
加速で身体が引っ張られ、顔や身体に空気の塊がぶつかってくる。
オレは高速で飛びながら、出せる精一杯の声で何度も叫んだ。
「迷子のヨリパの精霊がニダウの上空にいる。仲間がいるなら、頼む、迎えにいってくれ!」
「桃海亭が大変なことになっているらしい」
ロイドさんの店に定期販売会の打ち合わせに行った帰りだった。店からアロ通りに出ると、人波がどこかに向かって流れている。歩いている人々の間から聞こえる会話の断片で、桃海亭で何かあったことが伝わってきた。
桃海亭で何かあるのは珍しくない。
これだけの騒ぎになるというのは、よほどの事件が起こったのだろうと、オレは人波をかき分けて急いで店に向かった。
キケール商店街に着くと、商店街はさらに多くの人に埋め尽くされていて、人が動かないので前に進めない。しかたなく、店に張りつくようにして移動した。店の人たちもオレだとわかると協力してくれて、なんとか桃海亭にたどりつけた。
真っ白だった。
二階建ての桃海亭が、真っ白な花びらに覆われていた。
空から絶え間なく白い花びらが降り注いでくる。
かなり高いところから降ってくるようなのだが、なぜか、桃海亭にだけピンポイントで花びらが落ちている。
初めて嗅ぐ不思議な甘い香り。
「ヨリパの花………」
取り巻いている人の輪の最前にいる青いワンピースを着た女の子が空を見上げながらつぶやいた。
精霊は無事に仲間のところに戻れたらしい。
オレが着いてから5分ほど花は降り続いた。
青い空に戻ったとき、オレは空に向かって叫んだ。
「花、すごく綺麗だった。ありがとなぁー!」
店の扉が開いて、シュデルが現れた。
「綺麗ですね。桃海亭が別の店のようです」
「わざわざ寄ってくれたのかなあ」
「気流に乗っているそうですから、偶然かもしれませんよ」
「そうだよな」
「店長、冗談を真に受けないでください」
「冗談なのか?」
「お礼に寄ってくれたに決まっています。この広い空、花が咲いたときに桃海亭の上空に偶然にいるはずがないじゃないですか」
「そうかなあ」
「そうです」
「そうだと、うれしいな」
オレのためだけに、この綺麗な花びらを届けてくれた。
すごくうれしい。
「あの………」
女の子の声に振り返った。
青いワンピース。
最前列にいて『ヨリパの花』と言った女の子だった。
「お礼を言いたくて」
近くで見て気がついた。
フローラル・ニダウで働いている女の子だ。
いつもと同じようにヒトデの入ったポシェットを斜めに掛けている。
「小さい頃からヨリパの花を見てみたかったの。空の上でしか咲かないから絶対に見ることができないと思っていたのだけれど、今日見ることができた」
夢見るような眼差しで空を見上げた。
「空飛ぶ花。夢みたい」
そう呟くと無邪気な笑顔で浮かべた。
「ありがとう、ウィル」
ペコリとお辞儀をすると、店に向かって駆けていった。
女の子の肩に、ヒトデがよじのぼった。ヒトデの手にヨリパの花びらが握られている。赤いヒトデに白い花びら。
ヒトデが花びらをヒラヒラとさせ、女の子がまた微笑んだ。
「リコさん、花が大好きだと言っていました。ヨリパが見られてよかったですね」
隣でシュデルが微笑んでいる。
「あの子、リコっていうのか」
シュデルがしまったという顔をした。
「別にお前から聞いたなんて言わないから安心しろ」
「とりあえず、店長の【不幸を呼ぶ力】を何とかしたほうがいいです」
「好きで呼んでいるわけじゃない。それに、みんなが言うほどオレは呼んでいない」
「店の上空に精霊を届けるだけなのに、真下の店に戻るのに命がけの旅を1週間以上するのを【不幸を呼ばない】とは言えないと思います」
ムーの高速飛行で目指したのはエンドリアの南西の海だ。いつも着水に使っているミテ湖はニダウから近すぎて危険なので、安全に着水できる広大な海を向かって飛んだ。
不機嫌だったムーが魔力の調節を誤って、すこし距離が伸びた。水に落ちたときに見えた島に向かって泳いだのだが、見たこともない奇妙な羽のある魚の群に襲われた。しかたなく、ムーの縄をほどいて応戦したのだが、強力な魔法で海が沸騰したり、落ちまいとするムーに首を掴まれたりしたり、何度も死にそうになりながら島にたどり着いた。着いた島がラダミス島で賢者カウフマンは留守。置いてあった食料をムーがこっそり食べてトカゲになった。危険な魚が泳ぐ海で、素潜りで魚を捕まえて、1人と1匹飢えをしのいだ。7日後、帰宅した賢者カウフマンにムーを人間に戻してもらったので、船で帰ろうとしたところ、賢者カウフマンに奇妙な実験装置につっこまれた。
現れたのは桃海亭の上空10メートルほどの地点。
落下しながら体勢を整えようとするオレに、ムーがしがみついて、身動きがとれない状態に。着地直前、なんとか回転して、足から屋根に着地。
生きて桃海亭に戻った。
「あの精霊が無事に戻れたからいいじゃないか」
「当分は治りそうもありませんね」
あきれたシュデルが店に戻っていった。
オレは店を見上げた。
真っ白な花びらに覆われている。
その向こうに、青く澄み切った空が広がっている。
あの大空を精霊は旅をしているのだろう。
オレは息を吸い込むと、空に向かって大声で叫んだ。
「元気でなぁーー!」