第四十六話『Zero-諦めないということ』(5)
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AD三二七五年七月二四日午前六時二一分
急に、視界が見えた。
きっと義眼の手術でも行ったのだろう。
だが、違和感がある。
片方しか、よく見えないのだ。
まだ上手く調整出来ていないのかも知れない。そう、ヴェノムは解釈した。
「目が覚めたか?」
聞いたことのある声がした。ロックの声だった。
だが、ハッとする。奴の目が、赤い。
まるでその眼は、ハイドラの片眼のそれと同じだった。それが両目に刻まれている。
義眼の調整ミスか、それとも、そうだったのか。何故か、頭がぼうとしていて思い出せない。
「ロック、どうなった?」
「どうなったもこうなったもない。最悪のオチだ。よりにもよってルーン・ブレイドに本部が奇襲されて無人機の演算はガタ落ち、挙げ句の果てに鉄道網は完全にバレた可能性がある。作戦は、失敗だ」
「あれだけのスコーピオンが、蹂躙されたって言うのかい?」
ロックはただ、一つ頷くだけだった。
その表情からは、珍しく悔しさがにじみ出いている。飄々としているこの男にしては、珍しい。
「俺がどんだけ苦労してあの三万機を潜り込ませたと思ってんだ……ったく、頭痛すぎる」
「だろうね。しかも僕もまた屈辱を受けたんだよ。フレーズヴェルグに戦で負け、更には眼を切りつけられた。この恨み、晴らすまでは死ぬことも出来ない。僕の腕に賭け」
そう言って、初めて気付いた。
腕が、ない。
いや、それだけではない。脚も、胴体に付いていた一部の装甲も、ない。
気付けば、体中が痛み出している。
何故、ないのだ。
「お前さ、バカか?」
ロックが、呆れたように呟く。
その時の眼は、ただひたすらに、自分を馬鹿にしていた。
同時に、この男が人間ではないのだと、本能的に理解するには、十分な威圧感もある。
ハイドラのそれと、同じだ。
「フェンリルの指針は、実力主義。その実力主義の中で、大した実力もないクセに、幹部会で上の方にいることに、お前何の違和感も抱かなかったのか?」
「何を、言っている……」
ロックが、肩を落とした。
「ホントに気付いてなかったのか。マジでおめでたい頭だな。なら、教えてやる。お前は、俺が動きやすいようにするためのカバーにすぎなかったんだ。正直言って誰でも良かったが、派手で、適当に能力あるように作り込んだ、それが今のお前だ。ついで言うとさ、記憶もほとんどこっちの方で心理操作で作り込んだもんだぞ。四肢を自分で割いたのもでっち上げだ。本当はこっちで切断したんだよ。想像以上に接続手術は上手くいったが、精神壊れちまったのだけは、ちと失敗だったがな」
自分の何かが、壊れていく。
それとも、元から壊れていたのか。ヴェノムには、よく分からなくなってきた。
ただ言える。
この男を、殺したい。そう、初めて思った。
「お、いい気発するようになったな。素材にするのにちょうどいいわ、お前」
ロックが、不敵に笑った。
「だからさ、ちょっと紹介したい奴がいるんだわ。おい、入ってこい」
ロックに言われて扉が開くと、男が一人出て来た。
黒のロングコートを身にまとった男だ。シャドウナイツの服装をした、自分だった。
いや、正確には、自分に姿形が似た、何かだ。
人間であることは間違いないだろうが、だが、その眼はただ、虚空を見つめている。
「今後のお前の代わりだ。今は、仮称でヴェノム・セカンドって呼んでるが、最終的にこいつがお前を引き継ぐ」
ロックがセカンドに目を向けると、セカンドは、腕をまくった。
そこにあったのは、自分のアーマードフレームだ。
「まさか、お前……」
「察しだけはそんなに悪くないな。そうだ。お前の手足と胴体の一部、こいつに移植した。あれだけは結構使えるからな。再利用、って奴だ」
「じゃあ、僕は、どうなる」
「は? どうなるって?」
ロックが、少し考え込んだ後、また、馬鹿にしたように、嗤った。
「まぁ、そうだな。お前を供物にでもするわ。内通者でしたってことにしてな。フェンリルの人材放出を防ぐためだ。十分に役に立つ。その後釜として『真のヴェノム』として、セカンドをシャドウナイツに入れる。それでいくことにするよ」
「貴様、何の権限があってこんな」
顔に、血が滴り落ちているのがよく分かった。
怒りだ。自分の感情には、ただただ、怒りしかない。
「権限も何も、これ会長からの命令だ。ついでに言うと、俺お前の命令受ける権利もないんだよ。置き土産に教えてやる。俺さ、会長直属なんだよ、たった一人のな。シャドウナイツに属してたのも、ただのカバーだ。アイオーンとハーフになってもう一五〇年は経ってるから、まぁ、そん時からの長いつきあいなんだよ、実は。俺自身さ、本名ロックですらないんだわ。名前も趣味で付けたものだしな。今の俺は、バルトロマイ。それが今の俺の本名だよ」
絶句していた。つまりこの男は、人間ではないこの男は、自分より遙か高みにいた。
それにもかかわらず、自分が気付いていなかった。
何故。何故。何故。
そんな言葉が、ずっと浮かんでは消えている。
「間者は隠れる物だろ。目立っていいのは映画の世界だけだ。だからな、俺が目立ってもしょうがない。あぁ、後言い忘れてた。お前の目な、俺が力使って強引に映してるだけで、何の手術もしてないぞ。だからな、アイオーンの素材になれ」
そうロックが言った瞬間、急に、視界が暗くなった。
何も見えない。だが、音だけは聞こえる。
あの音は、脚の、自分の脚のアーマードフレームの音。
自分に向かって歩いてくるのが、分かる。
「た、助け」
重い衝撃が来たのは、その直後だった。
装甲で覆っていない腹が、アーマードフレームで殴られた。
二発目が、間髪入れずに来た。
三発、四発、五発。何発も、立て続けに来る。
死にたくない。
そう思ったが、ただ、言葉が聞こえた。
「じゃあな、ファースト」
ロックの声。
殺してやる。それだけは、思った。
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「死んだか?」
「はい。目標生体反応、認められません」
はぁと、重くため息を吐いた。
セカンドは、何も感じないだろう。実際、そういう風に調整した。
外道だと、人は嗤うのだろう。
その下法の音楽は、ヴェノムの断末魔は、少し儚く、同時に、不快な音響をしていたと、ロックは今更に思う。
「セカンド、お前はこれからファーストの代わりだ。オンヤンコーポンも受け継げ」
「首は、いかがいたしますか」
「晒せ。間者だったと大々的にやれ。その上で、お前を上げるようにしてやる」
「承知しました」
そろそろ、本格的な戦が始まる。
そうなった時、ろくな戦力にならない人間はいらない。
相手は恐らく、ハイドラ。あの男に勝つには、ファーストでは明らかに能力が劣る上、簡単な挑発に乗りすぎる。
だから感情がまったくない奴を育てた。
長い銀髪も、眼の色も、ほとんど同じになるようにこれも調整した。
「さて、セカンド。俺もそろそろ表だって動く。バルトロマイとして、な」
「かしこまりました」
ただセカンドは、そうとしか言わない。
あまり物足りなかったか。
なんとなく、今になってファーストのあの下品さが、少し懐かしく思えた。