第四十三話『Hydrangea-無情の果て』(4)-3
知っている気配がした。昔から、感じている気配。気の流れ。
そして、殺気。
アフマドもそれを感じたのか、銃撃をぴたりとやめた。ゼロもまた、殺気のする方へ両刃刀を構え直した。
銃声がしたのは、その直後だ。
格納庫の入口に向けて、銃弾が一発。
いや、銃弾と言っていいのだろうか。見切る限りで、それは銃弾と言うには、あまりにも巨大だった。サイズからすると、おおよそ十二ミリはある。
それを傍目に見て、両刃刀で真っ二つに切り裂くと、殺気が一段と強くなった。
何度か見たことのある弾丸だった。モルフィアスの使っていた銃剣の専用弾だ。
『それ』は、ため息を吐きながら歩いてきた。
扉から、悠然と、片手で身の丈もある馬鹿でかい銃剣を構えながら、それをぶれさせずにやってきた。
モルフィアス・バーシュカイン。いや、それを見て、確信した。
左半身に刻まれた刻印、そして、赤い、獣の瞳孔をした眼を、片眼に持つ男。
誰がどう見ても、あの男以外に考えられなかった。
エビル、ないしは、ハイドラと呼ばれた男。
やはり、同一人物であることは、間違いないのだろう。
返り血で緑だった国連軍の制服を真っ赤に染めたその男は、扉の前で立ち止まり、銃剣を中段に構えた。
血涙を、眼から流し始めたのは、その直後だ。
憎しみ、恨み、そうした負の感情が、積もり積もった、そんな眼をしている。
「貴様が……貴様が……貴様がラフィを殺した……! 同じように、殺す!」
言って、アフマドに向かって駆けた。
一度アフマドが舌打ちしてから、すぐにアフマドも構え直してフルオートでアサルトライフルを撃つ。
だが、動きが止まらない。
それどころか、モルフィアスの目の前で、弾丸が消えていく。
叩き斬っているのではなく、弾丸が消されている。
これが、奴の切り札の一種なのだろう。アイオーンの持つ、特殊な能力のひとつだろうとは、想像に難くなかった。
それを見ても、アフマドの表情は変わらない。アサルトライフルを捨て、大型のナイフを二本、両手に持って構えた。
一合目で、互いの位置が入れ替わった。二合目も、それは同じだ。
同時に、銃弾がこちらへ飛んできた。両刃刀で切り落とす。
入れ替わりと同時に撃ってきた。
どうやらモルフィアスは、こちらも殺す気らしい。いや、恐らく、あれは全てを破壊するまで止まらない。
だとすれば、ハイドラもそういう状態にあるのだろうか。
いや、考えるのは後にした方が賢明だろう。思ってから、両刃刀を構え直した。
いつ隙が出来るか、それを見極めながら、戦場を俯瞰するように見る。それが、今の自分の役目であると、ゼロは自分に言い聞かせた。
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指が、少し痺れた。
モルフィアスの力によってではない。明らかに別の力が及んでいる。結果それが力に反映されていると、アフマドは瞬時に理解した。
あの赤い眼だ。あれは、この前戦ったトマスと同じ眼だ。
ということは、アイオーンになった。そういうことなのだろう。
アイオーンになったからには、始末する。元より、モルフィアスは殺すつもりだった。それには、何一つ変わらない。
どうせ当初目標のひとつであるイーグの血が混じった子供は二人とも拉致に成功しているのだ。
なんでも、これから先、この子供を用いた実験を行うらしい。
反吐が出ると思うが、同時に、これを対アイオーンの決戦兵器にもする気らしい。
詳細は、それ以上知らない。
だが、任務はこなす。それは、自分が兵士だからだ。相手が人間だろうが、アイオーンだろうが、倒す対象が変わっただけに過ぎない。
再度、モルフィアスが中段に構える。こちらもまた、ナイフを両手に持ち直した。
十、息を吸ってから、再度駆けた。
ぶつかる。鋭い金属音。鳴ってから、つばぜり合いが起こる。
ガリガリと、擦れる音がした。
相手の眼を見る。未だに、血涙を流し続けていた。
この男にとって、家族が全てだったのかも知れない。
だが、だとしても、人間として生命を終え、化け物と化したこの男を、生かす程、自分は情けを掛けるつもりはない。
それに、情けを掛けたら、自分が死ぬ。それ程に、この男の剣には気迫が籠もっている。
「モル。おめぇ、変わったな。殺すことに何一つ躊躇がねぇ。だが、それがいい。今までのお前さんが、甘すぎた。だから、お前は致命的なミスをする。奥さんが死んだのも然り、お前のガキが、既に拉致られたのも、然りだ」
「黙れ」
少し、モルフィアスの呼吸が乱れた。
突っ込んでくる。誘いに乗った。上段にモルフィアスが剣先を移す。振りかぶった。
避けた。地面に銃剣が向く、その一瞬を狙って、背中にナイフを突き刺した。
手応えはある。始末した。そう思った。
違和感には、すぐ気付いた。
モルフィアスの背中から、血が出てこない。逆に、自分の脇腹からは、血が噴出している。
モルフィアスの左手が、自分の脇腹をえぐっていた。真っ赤に染まった手は、自分の抉られた髀肉を持っている。既に、内蔵が飛び出し始めていた。
そして、刺したはずのナイフは、先端が消えていた。
「これが、次元相転移だ。三次元にある物を、別の次元に放り込む。お前のナイフも、そうやって消した。そして、俺には、イーグでも殺せるだけの力がある」
モルフィアスが、嗤った。
ああいう笑い方をする人間ではなかった。心が壊れると、人はこうも変わるのか。
いや、壊したのは、俺か。
因果応報。そういう言葉が、アフマドの脳裏をよぎった。
直後、えぐられた脇腹に、銃剣が突き刺さった。
既に、痛みも感じなくなってきている。
だが、視界は徐々に、暗くなってきている。
「死ね」
それだけモルフィアスが言った後、自分の身体が、真っ二つになったのを見た。
その直後に、別の闘気を感じた。
そして、その闘気は、風のようにモルフィアスの方へと駆けていく。
二つの闘気がある。
一つはゼロ・ストレイ。
そしてもう一つは、マーク・ガストーク。
ああ、来たのか。
あれは、二人に任せるとするか。俺は先に、地獄に行こう。
ついでにそこでこんな風に、吹っ飛んだ身体みたいに、綺麗な血みどろの花を咲かせに行こう。
悪くねぇな。
自分が笑っているのだということだけは、最後に気付くことが出来た。
そして、死ぬのだと言う事も、よく分かった。
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急いで帰ってみれば、基地は戦闘で包まれていた。
しかし、同時に破壊の跡でもあった。そこら中に広がる死体の山は、聞いていた敵の物も、こちらの味方の物も入り乱れていた。
ラインもまた、死んでいた。憎しみと、驚愕に満ちた眼で、死んでいた。
その眼を閉じた後に強烈な殺気を感じた。
それでその方に駆けた瞬間、そこに立っていたのは、モルだった。
何をやっているんだ。マークは、最初に言いたかった。
だが、血涙を流しながら、モルは戦っていた。
何があったとは、聞けなかった。聞きたくなかった。
あれだけで、一瞬で分かったからだ。
ラフィが、死んだのだと。家族も、既にいないのだと。
あの男にとって、それが全てだった。そんなこと、幼なじみである自分が、一番よく知っている。
だから、自分もまた、悔しかった。哀しかった。
親友が、二人とも変わり果ててしまったことが、一番悔しかった。
だから、駆けると同時に、咆哮を上げていた。
何に対する咆吼か、それはよく分からない。
アフマドの身体が半分に別れると同時に、双剣を引き抜き、切り結んだ。
「何やってんだよ、何やってんだよ、モル」
力は、強い。単純な力ならば、だ。
だが、覇気は、急に弱くなった。そんな気がする。
モルは未だに、血涙を止まらず流し続けている。
「現実を、受け入れろ、受け入れてくれ、マーク」
眼には、ひたすらの虚空が広がる。赤くなって瞳孔が変わり果てた眼より、自分にはそっちの方が恐ろしかった。
徐々に押されてきた。明らかに相手は殺す気で来ている。
こちらには、まだその覚悟が、ない。
これが地獄か。
そう思った直後、モルの背後から、咆吼が上がった。
ゼロだ。両刃刀を持ち、突っ込んでくる。
はじき飛ばされた後、モルは返す刀でゼロと切り結ぶ。
だが、切り結んだ直後だった。
ゼロはモルが振りかぶった剣先を、義手で受け止め、そして、モルの腹に両刃刀を突き刺した。
「てめぇ、弱ぇぞ。覇気のねぇ奴の剣劇なんざ、俺を斬れるわけねぇだろ、バカか」
ゼロがそう言うと、モルは腹に突き刺さった両刃刀を引っこ抜いた。血しぶきが舞い、ゼロを赤く染める。
その直後に、穴が空いていたはずのモルの腹がすさまじい勢いで塞がっていく。
「ち、俺以上の再生能力まで持ってやがんのか」
ゼロが舌打ちした後、再度両刃刀を構えた。モルは、上段に剣を構えている。
先に、モルが動いた。一瞬だった気もする。ゼロは、まるで動かない。
一合目は、軽く弾いただけだ。二合目の横凪で、ゼロが押し始めた。
十合ほど打ち合ったが、まるでモルに攻撃の手を与えない。明らかに、ゼロが押していた。
同時に、ゼロはモルが攻撃してきても、それを全ていなしている。それも、淡々とした表情で、だ。
この男は、モルの剣を知っている。いや、それだけじゃない。分かりきっているのだ。
まるで、何十年も戦い慣れたかのように、いなしている。
前にイーグ五人と戦ってゼロは無傷で五人は重軽傷者を出したその実力は、間違いなく本物だ。
同時に、未来は、こうも悲観的な未来なのかと、思わざるを得なかった。
こうしなければ生きていけないのだとすれば。これほどの力を付けなければ生きられない世界なのだとすれば。
だとすれば、今のこの世界の価値は、なんなのだろう。
モルでなくても、そう、考えてしまう。
銃剣がモルの手から離されたのは、三回目の打ち合いが起こった時だった。
弾かれた。それを見た瞬間、間髪入れずにゼロは上段からモルフィアスを斬りつける。
血は出ないが、斬られたのだと、破れた服が教えてくれた。
それでもなお、身体が再生していく。
それを見て、今度は腹部を突き刺す。
「再生し続けようが、知ったことか。殺すまで、死ぬまで、斬りゃそれで終わりだろが」
ゼロからその言葉が発せられた瞬間、マークは見た。
笑っている。
ゼロは、笑っているのだ。
狂気が満ちあふれた世界に、自分達のいる世界とは全く違う世界に、ゼロは生きている。
同時に、ゼロから別の気配も感じた。
気の流れだが、この流れを、マークはよく知っている。
レヴィナスが、暴走し掛かっている。
アレックスが死んだ時と同じだ。このままでは、ゼロもまた、レヴィナスに『喰われる』。
それは、人間に完全に戻れなくなる証拠だ。
そうなってからでは、遅い。
駆けて、すぐにゼロをモルから引きはがす。
こちらに、殺気を隠そうともしないゼロの眼が向いた。
「落ち着け、ゼロ! お前、死ぬぞ!」
言った直後、少し怪訝な表情をゼロがしてから、ゼロは意識を失った。
モルは、こちらを、血涙を流したまま見つめるだけだ。
「すまんな」
そう言って、モルは忽然と姿を消した。
急に、いなくなったのだ。まるで蜃気楼のように、モルは消えた。
マークは、ゼロをその場に寝かせ、モルの立っていた場所に向かった。
血だけが、そこに残されている。
死んだ。モルも、ラフィも、死んだ。死んだんだよ、認めろ、マーク。
そう、無理矢理言い聞かせる。そのために、叫んだ。
ただ、叫んでいたかった。